17. オトナはやっぱり
「──ット! エメット!! 大丈夫かオイ!」
明滅する視界。朦朧とする意識。徐々に五感が回復する。
目に映るのは頭上に広がる青い空と、舞い散る地球ザクラの花弁。春風が頬を撫でる。そうだ。ここは地上だ。宇宙じゃない。戦争はもう終わった。
「エメット! しっかりしないか」
肩を揺すりながらの呼び声。私は、エメットだ。オーヴィルじゃない。リジーナと名乗るオトナに連れられ、兄の最期の記憶を辿った後、こうして現世に戻ってきたのだ。
「ぅ……」
「目が覚めたか、あたしが分かるか」
目を丸く見開いて問いかけるリジーナ。エメットは未だ半覚醒状態の頭で、ただ一言返すので精一杯だった。
「何日、経った……?」
「実時間で15分。体感だと……えーと、何日になるんだ?」
頭を掻きながら答えるリジーナ。高層ビルの隙間から差し込む太陽は、記憶の旅を始める前と何も変わっていない。公園に咲く桜の花も、兄の形見の軍用パーカーも、何もかも。その僅かな時間で、エメットは兄が最前線で過ごした最期の数日間を追体験したのだ。
不意に、エメットの瞳から涙がこぼれた。言葉にならない感情の渦が込み上げ、声を上げて泣いた。兄の葬儀の日でも、こんなことはなかったのに。
溢れる涙が1滴、また1滴と落ち、小惑星破砕人工土壌と合成複合栄養剤でできた公園の地面を濡らした。
リジーナは何も言わず、ずっとそばにいてくれた。
──数十分後。
「もう、大丈夫」
泣き腫らした目を擦りながら、ハンカチをしまう。見上げる空は、テラフォーミングで作られた人工の大気。花弁を風に遊ばせている地球ザクラは、工場の無菌室で組織培養されたクローン樹木。何もかもがニセモノの、空虚な世界。少なくとも、今まではそう思っていた。
「ねえ、なんで私にこれを見せたの……?」
同じベンチに座るリジーナに、そっと問いかける。戦場帰りの、引き締まった肩に身を寄せながら。
「あいつが……オーヴィルが死んだ後、一人残されたあんたが荒んだ生活してるって聞いて、居ても立っても居られなかったのさ。さっき使ったアーティファクトを宇宙から拾ってくるのと、あんたの居場所を見つけ出すのに滅茶苦茶カネが飛んだけどな」
リジーナはそう言うと、次の言葉を探すようにして視線を宙に泳がせた。脚を組むと、義足の関節から小さくモーター音が響いた。
「そうだな……家族も友達もいなくて、行きたくもない学校に毎日行かされて、先公や同級生の見たくもねぇツラ拝んで……もう嫌だ、勘弁してくれ、って思いながら過ごしてただろ?」
「……なんで知ってるの?」
「あたしもそうだった。ハミ出し者はそういうモンさ」
エメットは何となく、ふと辺りを見回したくなった。狭い公園の外にあるのは、無個性なビルが立ち並ぶ窮屈な街並み。この景色は、エメットが心底憎んでいた学校生活の心象そのものだ。でも、今日は──退屈なモノトーンの世界に、少しだけ色が付いて見える。
「でもな。この星の日常ってのは……あいつが自分の命を投げ出してでも守りたかったモノなんだ。だから……あいつが出来なかった分まで、せいぜい面白おかしく生きてやろうぜ」
そう言ってリジーナは、白い歯を見せて笑う。エメットは何も言わず、ただ大きく頷いた。
「……オトナの人とこんなに話したの、初めてだよ。アレしろコレしろって言ってこないオトナも初めて」
そう言って慣れない笑みを浮かべるエメットは、兄の戦死公報を受け取ったあの日から凍りついていた世界に、少しずつ陽が差し始めるのを感じていた。
望まず軍に入隊し、オトナの都合に殺された──リジーナに会うまで、エメットは兄の最期をそう認識していた。だが兄は自らの意思で戦い、勇敢な兵士として散っていった。エメットに「日常」という置き土産を残して。この命こそが、大好きだった兄が遺してくれた贈り物だったのだ。
「──ふふっ、いいツラで笑うようになったな。兄貴が喜ぶぜ」
リジーナの手が、エメットの小さな頭をわしゃわしゃと撫でる。兄がよくそうしてくれたように。
それからリジーナは手を止め、ポケットから一冊のパンフレットを取り出した。聞いたことのない学校の名前、そしてCGで描かれた宇宙船の想像図らしきものが表紙を飾っていた。
「最近、新しい学校を作るって話があってさ。大型船を丸ごと校舎に仕立て上げて、宇宙を航行しながら授業するっていう全く新しいタイプの学校だ」
「宇宙で? なんの学校?」
「来るべきヴァールの再襲来に備える……って名目で、したい事を何でもできる。HFの操縦技法を学ぶもよし、ヴァールの生態や新しい対抗手段の研究をするもよし」
エメットは学園のパンフレットを受け取ると表紙をめくり、食い入るようにその内容を見つめた。パイロット技能教習、怪獣学講座、武装開発研究。普通の学校ではまずあり得ないカリキュラムの数々が、宝箱に収まった色とりどりの宝石のように並んでいた。
「学校……なのに、自分のしたいことができる? ホントに?」
「ああ。ハミ出し者に優しい学校だろ?」
リジーナがニヤリと笑う。エメットは同じ表情で笑い返した後、自分は笑えるんだ、まだ人生を楽しみたいという感情があるんだ、ということに気付いた。
「ホントはあたし宛のオファーだったんだ。元パイロットだから、教官としてHFの操縦法とかを教えてくれ、って。先生なんてガラじゃないから断ったけどな」
腕を頭の後ろで組み、遠くを見ながらリジーナは語った。
「……でも、あんたにとっては悪くない話じゃないか? 今なら志願枠はガラガラだ。今の学校で、シャーレの中の細菌みたいに育てられるよりはずっと良いと思うぜ」
エメットの胸中に、一筋の光が差し込んだ気がした。自分の人生において、初めて自分の意思で下す決断。兄のそれが身を捨てて自分の命を救うことだったとすれば、自分の初めての決断は今、この瞬間かもしれない。
「──考えとく」
今はそれだけ言うのが精一杯だ。しかし、心の底では既に答えは決まったようなものだ。
「ああ、考えがまとまったらまた連絡してくれ。ゆっくりでいいさ」
オトナはやっぱり、ずるい。言葉一つで、自分たち子供の人生を好きなように変えてくる。だが、今回ばかりは……その誘いに乗ってみるのも、悪くはない気がした。
エメットの手の中にあるパンフレットには「ノウレッジ学園 生徒募集中!」の文字が太字のゴシック体で踊っている。紙切れ一枚の向こう側に、エメットは未来を見ていた。兄のいない世界で、初めて踏み出す第一歩。日常という、終わりなき退屈と憂鬱からの脱出口を──。