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16. 星の落ちた空に

 息を吸う。4つ数える。息を吐く。集中のあまり震える視界を軍隊式の深呼吸で鎮めると、オーヴィルは鼻血を拭い、機体の通信回線を開く。オープンチャンネル──この艦隊の誰もが聞くことのできる周波数帯。

「聞こえるか!? こちらはシヴ9(ナイナー)、"ワイルド・カード"のオーヴィル・ドロッセルマイヤー!」

 脈動する肉塊と化したスキャヴサイス・プライムが、オーヴィルの駆るエンフォーサーを内部から侵食せんと触手を伸ばす。だがエンフォーサーはそれに抵抗せず、逆に肉塊を掴んで抱き締める。二度と逃さないように。

「道化師の最後のショーだ! これからコイツを片付ける」

 眼球、肋骨、牙の生え揃った口などの器官が、赤い肉の表面に現れては消えてゆく。今度こそ、細胞の1個も残さず滅ぼさねばならない。

「俺一人で十分だ! 他の皆は……そうだな、まあ見ていてくれ」

 肉塊は一層大きさを増し、徐々にエンフォーサーのフレーム内部へと膠原組織を成長させてゆく。肉塊を抱えていた両腕は、肥大化した肉の内部に呑まれて見えなくなっていた。

「……ヴィル! オー……ル! 聞こえるか」

 ノイズだらけの通信が割り込む。モニタには「シヴ3」のコールサイン表示。

「リジーナ?」

「ああ……ちょうど今母艦に帰投したとこさ。機体のハッチが馬鹿になってて、今救護班がこじ開けてる」

 片脚を失ったリジーナの声色は、明らかにやつれていた。だが、助かるはずだ。オーヴィルにはそれが分かった。

「そっちはどうなってる……? 音声通信以外の機能が全部イカれちまってさ、さっき別れた後の戦況が全然分からねえ」

「大丈夫だ、全部俺がどうにかする。それより、出撃前に隊長から預かったアレ……返すから、誰かに拾いに来てもらえないかな」

 ポケットからペンダント状の機械細工を取り出す。『追憶(リメンブランス)』。構造の隙間から漏れる仄白い光は、所持者の記憶を読み取り保存するマイクロマシン。自分が斃れた後も、生きた証を残しておける。一人のパイロットがこの宇宙をいかに駆け、戦い、そして死んでいったか、その一部始終を。

「……待って、それってつまり──」

 オーヴィルの語り口から不吉なものを感じ取ってか、リジーナが緊張した声で尋ねる。だがその直後、リジーナの音声回線には母艦救護班の兵士達の声やHFのコクピットハッチが開かれる音が溢れ、直後に通信が途絶えた。

 どうやら、故障したハッチをこじ開けた救護班に連れられていったらしい。回線の向こうの話し相手がいなくなり、オーヴィルはもう一度機内で一人深呼吸した。もう少し話していたかったが、今のオーヴィルのそばにいるのは不気味にうごめく腫瘍のような肉だけだ。今からすべてを終わらせる。

 オーヴィルは座席の下からハンドボール大の赤いカプセルを取り出すと、「開封禁止」の文字が書かれた蓋を外し、電子基盤が詰まった部分を避けるようにして内部の隙間にアーティファクトをねじ込んだ。このカプセルは、エンフォーサーに備え付けられたブラックボックス。この機体が制式採用前の試験機だった名残。超小型の一液式ロケットエンジンが組み込まれたこのカプセルは、機体に異常が生じた時などに自動、もしくは手動で宇宙空間に放たれ、機体のフライトレコードなどの情報を保ったまま長期間の漂流に耐える。

 足元にある手動射出ポートにカプセルを挿入し、その隣の赤いボタンを押し込むと、ポンという音とともに機外に射出される。この後カプセルは自動で安定した周回軌道に到達し、座標を知らせる信号を発しながら宇宙を漂い続けるだろう。

「これでよし……さあ、次はお前の始末といこうか!」

 機体各部の異常を告げるアラーム。装甲の隙間を縫って侵入した敵の体組織が、徐々にメインフレームを侵食しているのだ。このままでは先に戦った戦艦チュラタムのように、機体自体の制御を奪われることになる。

 だが──今に限っては好都合だ。オーヴィルは口角から垂れる血も厭わず、独り笑みを浮かべる。侵食が進めば進むほど、奴はこの機体から離れられなくなるからだ。

《警告。メインフレームに侵食発生》

 平坦な声色の自動音声アラート、それが合図だ。オーヴィルはペダルを床いっぱいに踏み込む。機体背部のエンジンが、最大出力で燃焼を開始した。

「ぐっ……!」

 加速度で身体が押し潰されそうだ。エンフォーサーは、機体の進行方向と逆向きに噴射を行なっている──つまり、減速しているのだ。それは即ち、惑星の大気圏に突入し、断熱圧縮で数千度に加熱されながら地表に落下することを意味する。そしてこの機体に、大気圏突入用の防護装備はない。

《警告。惑星周回軌道を離脱中。ただちに軌道を修正してください》

 モニタの向こうに広がる、焼け爛れた大地。オーヴィルの、今はなき故郷。未だ燃え盛る地表に共鳴するかのように、大気で加熱された機体が徐々に赤熱し始める。

《オーバーヒート。フレーム構造に異常発生》

 今となってはもう、このマントル剥き出しの惑星のどこに自分の家があったのかすら分からない。死に向かうコクピットの中で、オーヴィルはどこか晴れやかな気持ちだった。

 名家の子息として生まれたオーヴィルとエメットは、生まれた瞬間から自由というものと無縁で生きてきた。本人には伝えないようにしていたが、妹に「エメット」と男の名前を付けた両親はきっと、自分に何かあった時にはエメットに跡を継がせるつもりだったのだろう。汚い話だ。

 だが──ドロッセルマイヤー家は、もう存在しない。兄妹はようやく本物の、自分たちの人生を歩む機会を得たのだ。オーヴィルが初めて得た自由意志で出来ることは、この機体とともに深宇宙の魔物を葬り去ることだけだ。だがエメットには、これからも長い人生が待っている。これから先、彼女がどんな選択を重ねて大人になっていくのか、それを見届けられないのが心残りだ。エメットのこれからの人生が、願わくは自分よりはマシなものになりますよう。

 オーヴィルは、未だ機内に漂う仄白い光点たちを慈しむように眺めた。先程機外に放出したアーティファクトの残滓。この最後の想いが、願わくは彼女に届きますよう。オーヴィルは祈った。

《液体燃料タンク破損。燃料供給システム停止》

 二度、三度と激しい衝撃が機体を襲う。明滅する機内灯。両脚とバックパックの燃料が高熱で引火、爆発したのだ。同時に、半炭化した肉塊が最後の抵抗とばかりに、機体のメインシステムを乗っ取りにかかる。

 侵食がついに中枢系に及び、制御を奪われたマニピュレータが動き出す。その手に握られたスマートPDW。銃口を自らのコクピットに向ける。パイロットを殺し、機体を完全に掌握するために。

 警告音声が鳴り響き、非常警告灯がコクピットを真紅に染め上げる中、オーヴィルの心は凪いだ海のように落ち着いていた。推進システムを失った今では、自分も敵も、ここから生きて帰る術などないのだから。

「『ワイルド・カード』……道化師のショーは、これでおしまい……」

 刹那、ぎこちない動作で突きつけられた銃口から20mm弾頭が放たれ、胸部前面装甲を貫徹。無数の弾片と化してコクピット内のすべてを瞬時に破砕した。空力加熱の炎を纏い、空中分解を免れたエンフォーサーの残骸が溶岩の海に飛び込み蒸発する、その6分35秒前の出来事であった。

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