それは続き、いつかの終わり 3
重たい身体を引きずり、クローゼットへ向かう。
その中から、質素なものを選んで袖を通し、まだ眠いと落ちてくる瞼を擦って鏡の前に立つ。
パンツのファスナーを上げ、ベルトを締める。。
髪を梳き、目にかかりそうなところをピンで止め、あくびをしながら背中を確かめる。変な寝ぐせはついていない。
ぐぅ……
タイミングを見計らったようにお腹が鳴った。
「朝ごはん……食べたい……」
ふわあ……と、またあくびが出た。
なんだか今日は気だるいし、身体が重たい。
昨日、久しぶりに外に出て長い距離を歩いたからかもしれないが、それにしても、違和感を覚える疲れ方に首を傾げつつ、部屋を出る。
途中で洗面所により、眠気覚ましに冷たい水で顔を洗ったが、眠気と気だるさは取れないまま。
私は疲れた顔で食堂の扉を開ける。
「あ、おはよー、エマ…………ちゃ…………」
定位置である、窓際の一等日当たりのいい場所に陣取り、日光をその身体に浴びていたフィラフトの正面に腰かけていたテネーブルの顔が固まる。
こちらを振り返った姿勢のまま、ピタリと。
途中で声が途切れた事を訝しむようにフィラフトが顔を上げ、こちらも同じように固まった。
違和感を覚えたのか、カウンターテーブルに突っ伏していたリヒトがこちらを振り返る。
彼もまた、ギョッと目を見開き動きを止めた。
「…………おはよう……ござい……ます」
全身がだるいので覇気のない声になってしまうのだが、それでもと精いっぱい笑って見せる。
が、顔の筋肉を上手く持ち上げられない。
出来ないのなら仕方ないと結論付けている間にも、またふわぁ……とあくびが出た。
ああ、眠たい。これなら起きなくてもよかったかもしれない。
もっと眠っていてもよかったかも……
瞼を擦りながら一番近くにある椅子の背もたれに触れ、引く。
ギイッ……と、床と椅子の足が擦れる音が響く。それを合図に、弾かれたように双子が目を瞬かせ、フィラフトが慌てたように床を前足で蹴った。
トンッと言う音と共に、私の足元に幾何学模様が広がる。
ああ、眩しいな。そんな感想を抱いていると、途端にフワリと身体が浮いた。
「あれ……?」
そのままソファーまで運ばれ、降ろされる。
キョトンと目を丸くしていると、驚いた顔のテネーブルが私を覗き込む。
「エ、エエエエ、エマちゃん、ど、どうしたのその顔!?」
「はい?」
「はい? じゃなくて!!」
身を乗り出すようにして私を見る彼に、頭が回らないので”可愛い”と言う感情がわかない。
それよりも、耳元で煩いな……と思ってしまったぐらいだ。自分でもなんだが、変だなと思う。どうしたと聞かれたのは顔の事ではなく、頭がおかしいのかなと、と心の中で独り言つぐらいに。
「こけてる、頬が! と言うか、やつれてる! 青白い!!」
テネーブルの反対側から焦った様子でリヒトが覗き込んできた。
距離は近い。たぶん、十センチもないぐらいに。けれど、心臓の動きは特別変わらない。いつも通り、平常時の速度を保ったまま動いてくれている。
いつもこんな風なら慌てずに済むのに、と思っていると、
「ゆめを みましたの??」
焦ったフィラフトの声が、鼓膜を震わせる。
いつもならすぐに返事が出来るのに、上手く口が動かない。
なので、小さく頷いてみた。
見た気がします、と言う意味を込めて。
そして、頷いた瞬間……私の電源が切れたかのように視界が黒に染まった。
微睡みが私を迎え、夢が始まる。
近い地面、遠い空。視界に入り込む草花。見慣れた白い花や緑の葉の中に突然現れた薄紫。
プリントTシャツを着た、小学校低学年の男の子。
病的な程白い肌に、風に揺れる黒い髪。
後姿は、普通の子供だ。
男の子は同じ年頃の子の輪に入らず、公園の片隅で足元を静かに、ただ静かに見つめていた。
「ねぇ、なにをしているの?」
発した声は思いの他高く、舌足らずで。心の中で驚く。
けれど、話しかけられた相手は気にする素振りもなく、こちらを振り向き――
『――の巣を……』
小鳥の囀りのように美しい声で告げる。
作り物のように整った顔に、冷めた笑みを浮かべ。
慈悲の欠片もない、子供特融の残酷さを表す言葉を発する。
その先、夢は黒く塗りつぶされた。
ただ、感情だけを覚えている。
夢の中で私は、一目で恋に落ちた。
けれど、その恋心は”私”のものではない。
決して私は、あの男の子を好きにならない、なれないのだと。
夢の中だと言うのにハッキリと思った。
***
「――むりを しました の でしょう」
突然、途切れたように夢が終わり、視界がクリアになる。
それと同時に、聞こえた声が誰の物なのかを瞬時に理解し、脳が答えを出す。
最後の記憶と、現在を結び付ければ
「あ、あれ……?」
起き上がって、下を見る。
自分の身体を支えている物が食堂のソファーである事に気づき、そして覗き込む二つの顔に驚いた。
「よかったー……」
「驚かせないでよ」
ホッと胸を撫で下ろすテネーブルと、素っ気なく言いながらも安堵したような笑みを口元に浮かべるリヒト。
そして、二つの顔の間を縫うようにして現れた、ウサギの耳とイタチの顔。
それにギョッと目を見開くと、フィラフトがイタチの鼻を鳴らした。
「まったく あなたは しんぱいを かける てんさい ですの?」
フンッと、鼻を鳴らして言うが――目は安心したと言いたげに細められている。
その三人の様子に、
「私……眠すぎて、倒れたとか……ですか……?」
困惑しつつ尋ねれば、双子は顔を見合わせて溜息を吐き、フィラフトは呆れたように目を瞬かせた。
「んー……まぁ、間違ってはいないけど……」
「アイテム使うとどうなるか、忘れちゃってるのかな?」
何のことかと交互に三人を見ると、
「アイテムを使うと、疲労度が溜まるの覚えてる?」
赤い体力値の線の下に、灰色のバーがあったよね。と続けられ、私は大声で「あー!」と叫んだ。
それが煩かったのか、フィラフトが両手でウサギの耳を抑え、双子が苦笑いを浮かべる。
そう言えば、”千年王国と封印の鍵”の仕様に、ダンジョンやフィールド、アイテムの使用時に疲労度が溜まり、ゼロになると強制的に休息に入らされる、と言うのをすっかり忘れていた。
何故なら、レベルが上がると習得出来るスキルに、この疲労度を軽減してくれるものがあり、それを使えばほぼ無限にアイテムが使用できるようになり、ダンジョンやフィールドも行き来自由になるのだから。
レベルが低い時は、レベルアップと同時に回復していたので気にも留めていなかったし、スキルを取得後は非戦闘エリアで少し休めば動かせるようになってのだ。
まったくもって頭の中から抜けていた仕様に、自分の状況を当てはめれば……
「あれ、でも……私昨日、ぐっすり眠っていたような……」
また疑問がわく。
その質問にフィラフトが前足で頭を抑えた。
「りゆうは わかりません が……」
「回復出来なかったみたいだね」
言い淀んだフィラフトの代わりにリヒトが続けた。
「ボクとテネーブルは変化なしだし、エマだけって考えると……どう思う?」
聞かれたテネーブルが小首を傾げ、
「アイテムを渡したのが問題、とか?」
パンタシアの事を思い出したように人差し指を立てる。
昨日の事を思い出しながらあれでもない、これでもないと話していると、また眠気が押し寄せてきた。
ふわぁ……とあくびをし、目元を擦る私を何故かリヒトが抱える。
横抱き、いわゆるお姫様抱っこではなく、荷物を担ぐように。
「ひえっ!?」
突然高くなった視線に、肩に担がれた私の声が裏返った。
「寝るならベッドで」
淡々と言って、リヒトが足を進める。その後ろで、テネーブルが私にひらりと手を振った。
「後で食べやすい物持って行くねー」
どうやら止めてはくれないらしい。
助けを求めるようにフィラフトを見れば、
「きょうは へやで ゆっくりと すごして ください ですの」
早く行け、とでも言うようにスッと目を細められた。
驚きはしたが、ジタバタともがく元気もなく……
私はされるがまま、リヒトに部屋まで運ばれた。
ベッドに下ろされ、眠るまでの間双子に監視されたのだが……
疲労度が回復していなかったからか、鼓動に変化はなかった。
なので、いつもこうならやきもきしなくていいのに、と微睡みながら思ってしまう。