それは続き、いつかの終わり 2
十代前半と思われる、丸みのある輪郭に黒い髪。淡褐色の肌。
顔半分が隠れる、白地に涙の描かれた仮面。
縁日で売られている、プラスチック製の軽い素材とは違い、確りとした作りに見えるが……
パッと見た限りでは、使われている素材までは……はわからない。
「パンタシア」と自らを名乗った少女の外見の特徴と、付けられたお面。
ノウム・プルウィアにも元の世界と同じような見目をした人間と、品物があるのだと思うと……微かに郷愁の思いがわく。
それを振り切るように小さく頭を振り、仮面の子が身にまとっている服に注意を向けた。
くすんだえんじ色をした膝まである羽織。それを、赤い色の帯で撒いており、元は白い色をしていたと思われる泥で汚れたズボンを履いている。
足首の辺りを赤い紐で結んでいるところを見ると、この世界にはゴムのように伸縮性の高い製品は無いのかもしれない。
または、高価で中々手が出せないか。
「見た事ないコスチュームかも」
仮面の子の周りを一周したテネーブルが興味深そうに言う。
「重ねて、結んでるだけ?」
衣装を気にしているテネーブルが問いかけるが、パンタシアは胸の前で両手を抱き、小刻みに震えるばかり。
その動きに合わせ、腰から垂れている帯が微かに揺れていた。
「衣装なんてどうでもいいよ」
素っ気なくリヒトが言えば、テネーブルの視線がパンタシアから離れる。
「どうでもよくないの! この世界で売ってる服が、この子が着てるものばっかりだったらどうするの!」
「どうもしないけど、なんかしなきゃなら店主を殺す?」
「………………!!」
リヒトの発言を耳にし、パンタシアがビクリと大きく身を震わせた。
「あ、あの……怖がって……」
ます、と心の中で付け加えて口を閉ざす。
言葉がわかるのなら、あまり物騒な発言はするべきじゃないように思うのだが、
「なんで?」
「なんで?」
タイミングを計っていないのに、同じ言葉を使い同じように小首を傾げた。
さすが双子。こういう時は同じ反応をするのかと驚いていると、
「…………ころ、す……?」
不安げな声がパンタシアの唇からこぼれる。
それに合わせ、一歩後退るように身を引き――左足に体重をかけた瞬間、彼女の口元が歪んだ。
「いっ…………!」
反射的に漏れた声。浮いた左足。庇うように右側に傾いた身体。
少女の反応から、足に何かがあるのではと考え視線を落とす。
衣類の泥が転んだ時についた物なら、パンタシアは足のどこかに怪我をしているのではないか。
服に血が付いていない点から察するに、ねんざや打ち身の類いかなと考え、視線を戻す。
こちらを見る、仮面の下の瞳が不安に揺らいでいた。
「大丈夫……?」
気遣うように声をかけ、パンタシアを見る。
敵意はない、害するつもりはない。それが、距離を保つことで伝わればいいのだが……
「………………」
変わらず、見える口元は引き結ばれたままだが、痛みを押してまで逃げようとはされなかった。
どうやら、私はそこまで警戒されていないらしい。一番弱く見えるからかもしれないが……
「足、怪我したの?」
出来るだけ穏やかに、優しく。子供に話しかけるように柔らかな声音で尋ねれば、躊躇いがちに少女の唇が開いた。
「木の根に……足を、取られて……」
声は硬いが、多少の信用は得られたらしい。
彼女の眼が私の顔から、足元へ落ちる。
「見てもいいかな」
続けた言葉に、パンタシアは屈んで裾を捲った。
露になった肌には切り傷こそなかったが、細い脚は赤く腫れ、一目で打撲やねんざである事がわかるよな状態になっていた。
「……うわ、痛そう」
覗き込んだリヒトが感想をこぼす。
その横で、テネーブルが口元を手で覆う。その表情は気の毒に、と言いたげだ。
双子が近づいたことでパンタシアの身体がビクリと震え、怯えがまた仮面の下の顔を強張らせる。
怖くないよと言っても、リヒトの殺す発言があるため説得力に欠けるような気がした。
なので、まずはリヒトの方を手で示し
「彼はリヒト。ちょっと素っ気ないところはあるけど、面倒見がよくて頼りになるの」
次いで、テネーブルを見て笑みを作る。
「テネーブルは気遣いが上手で、困っているとすぐに気づいて声をかけてくれるのよ」
二人ともいい子だと説明すると、パンタシアの表情が少しだけ和らいだとうに思えた。
勝手に紹介された双子は、互いに顔を見合わせてキョトンと目を丸くしている。
「素っ気ない?」
なんとなく納得いかないらしいリヒトが疑問符を付けて小首を傾げる。
それに対し、テネーブルが頷いて見せたので不満そうに眉根を寄せた。そして、自分が素っ気ないなら弟は胡散臭いになるのでは、と私を見る。
ややこしくなりそうなので苦笑いを返せば、近くの大樹に寄りかかって溜息を吐いた。
その様子にテネーブルが肩を竦める。
「えっと……とりあえず、大丈夫だから」
パンタシアに向き直して笑みを作れば、わかったと言いたげに彼女は首を縦に振った。
仮面の下の瞳には、もう不安はない。それを確かめてから、私は手にしていた小袋を地面に起き、口を開ける。
手を入れて小瓶を取り出し、それを彼女に差し出した。
「私が作った傷薬なんだけど、使ってくれる?」
無理強いにならないよう、言葉に気を付ける。
困惑気味のパンタシアが、小瓶と私を交互に見比べ手を出した。私よりも小さな、けれど日に焼けて健康的な肌をした手に小瓶を乗せる。
恐る恐る、少女は小瓶の蓋を開けた。
けれど、使い方がわからず私を見る。
足にかけてと、右手で小瓶を掴んで傾けるような動きを取れば、少女はまた小さく首を縦に振って中身をゆっくりと赤く腫れた足にかけた。
薄い赤色をした液体が、肌に溶け込むようにして消えていく。
その光景に目を丸くするパンタシアが慌てて顔を上げ、私を見る。
そして、狼狽えるように足と私を交互に見比べパクパクと口を開くので、隣で様子を見ていたテネーブルがプッと噴き出した。
「パンタシアちゃん、エマちゃんと似てるー」
「え」
どこが似ているのかと、言われた本人たちが目を瞬かせる。
「そう言うとこ。挙動不審なとことか、ブルブル震えるところとか」
ふふっと愛らしく笑み、「ね」とリヒトを振り返る。
双子の兄は興味なさげに肩を竦めた。
「で、痛みは消えたー?」
振り返ったテネーブルがパンタシアを見つめて小首を傾げる。
「…………!」
彼の問いに、少女は慌てて足を確かめた。両手で触れ、腫れの引いた個所を押す。
「痛く、ない……」
驚きを隠せないパンタシアの呟きに、テネーブルは極上の笑みを浮かべ私を見た。
「よかったねー」
肩に触れ、耳元で囁かれた言葉。肌にかかる吐息に、途端に全身の血が沸騰したように熱を持った。
頬が赤らむのがわかり、それを隠すために頬を掌で押えたが――
「エマちゃん、可愛い」
からかうように言って、彼は軽い足取りでリヒトの元へ向かう。
そして、木に寄りかかっている兄の腕に自分の腕を絡め、まるで恋人に話しかけるかのような表情で唇を開く。
何を話しているのかまではわからないが、鬱陶しげに顔を歪めたリヒトの反応から察するに、機嫌が悪くなりそうな事だろう。
とばっちりを受けそうな気配に、身体に宿った熱がスッと引いていく。
頭を振れば、耳に感じた吐息の余韻も消え、
「あの……」
目の前の少女に視線を戻し、また表情を作る。
あくまで、穏やかに。優しく。心の中で言い聞かせていると、少女は帯の下に手を突っ込んで何かを取り出した。
それを突き出すように私に向け
「お礼、受け取って」
「え……」
無意識に右手を出せば、掌の上にツルリとした感触の何かが置かれた。
それが何かを確かめるため、顔を向ける。
乗っていたのは黄褐色の小石のような物。
「これって」
視線を少女に戻せば、パンタシアは裾を戻して足を隠し、立ち上がっていた。
そして、口元に笑みを作って私を見下ろす。
「――”アリ”は嫌い?」
その問いに答えられず、反射的に首を横に振る。
「よかった」
パンタシアは私の反応に満足したのか、手を振って踵を返す。
来た道を戻るように走り去った少女に、さすがの双子も驚き目を瞬かせていた。
***
森と庭を隔てる豪奢な門扉を開け、玄関までの道を示すように並べられた同系色のタイル。
左右には、色とりどりの花が植えられた小さな花壇。
豪邸と言うに相応しい外観だが、たどり着くためにはもう一つの扉を開ける必要があった。
半透明で、私にしか開けられないと言う、ノウム・プルウィアの小さな神様が作った出入り口。
それに触れれば、力を込めずとも開かれる。
「変な作り」
そう呟いて、透明な壁に出来た奇妙な扉をリヒトが潜る。次いで、テネーブルが。
最後に私が後ろ手で扉を閉めれば、初めての冒険は終わり。
怪我もなく、トラブルもなく、全員無事に帰る事が出来た。
それが喜ばしく誇らしく、自然と笑顔になる。
「おかえり なさいませ ですのよ」
さっきまで庭にいなかった複数の獣の特徴を持つ神の使いが、正面に立って深々と頭を下げる。
フィラフトの出迎えに、双子は当然だと言いたげに軽く頷いてみたり、笑顔で手を振ったりしているが、あまりに深い会釈に私は思わず90度に身体を曲げて頭を下げた。
「か、帰りました……」
「ごぶじで なにより ですの」
「は、はい」
安心した、と言いたげな穏やかな声音に、ホッと胸を撫で下ろしていると
「頑張ってきたよー!」
上機嫌のテネーブルが背中に手を乗せ、体重をかけてきた。
身体を”く”ではなく、カタカナの”フ”に近い形にしていたため、突然かかったテネーブルの体重を支え切れず、ぐらつく。
「わあ!?」
地面への衝突を覚悟し、ギュッと目を閉じる。が、咄嗟にリヒトが支えてくれたので体制を崩すことなく、事なきを得た。
「腰の骨をへし折って、エマを畳むつもりだった?」
呆れたような声と共に離れた掌。
鎖骨の下辺りに残るリヒトの手の感触に、鼓動が早まる。けれど、これは急な接触に驚いたから。
ときめいているわけではない。気遣いに喜んではいるけど。
「あ、ありがとう……」
感謝の言葉を口にすれば、
「別に」
と短く返された。
けれど、リヒトの表情は柔らかい。
「ごめんね、エマちゃん……」
消え入りそうな声でテネーブルが呟く。
しょんぼりとしたその様子に、私は両手を胸の前で広げて横に振る。
「だ、大丈夫、怪我してないです、平気です!」
この通り元気だよ、とアピールするが暗くなった表情は元に戻らない。
どうしたものかと考えていると、
「上手にギュって出来るように、もっと”加減”の練習するね」
と、彼が力なく笑う。
「……へ?」
なんだか違う方向に話しが向いたような気がしたが、それでも笑ってくれたのならと自分を納得させていると
「二回目」
耳元で囁かれた声。皮膚に感じた吐息に、身体がビクリと跳ねる。
頭の中で走り出す疑問符。混乱した脳からの指示が途絶え、固まる身体。
「………………」
目を見開いたまま、呼吸の仕方もわからなくなっているような私を覗き込み、リヒトが意地の悪い笑みを口元に浮かべた。
「次が楽しみ」
心の底からそう思っているのか、それとも冗談か、意地悪や悪戯か。
判断出来ないような声音で言って、彼は足を踏み出す。靴音は鳴らない。
ひらりと振られた右手。
「テネーブル、先にシャワー使うよ」
弟に声をかけ、彼はさっさと屋敷の中へ戻っていく。
「あ、ずるい!!」
突然のお風呂宣言に、弾かれたようにテネーブルが駆け出した。
「また後でね、エマちゃん、フィラフトさん!」
扉が閉まる寸前、左手で扉を掴んだテネーブルがこちらを振り返り、パチリと右目を閉じる。
そのまま、身体を滑り込ませて屋敷の中へ戻った、少女のように愛らしい少年。
彼のウインクに心臓を撃ち抜かれ、氷が解けたように両手で胸を抑えたまま「可愛い」を繰り返す私を、冷ややかな目でフィラフトが見る。
「ほうこくも なにも せず すきかって しますのね」
静かな怒りを感じるその声に、サッと血の気が引いた。
座れと言いたげな獣の眼差しを受け、私は示されたテーブルの前へ移動し、椅子を引いて腰を下ろした。
膝の上に手を乗せ、お説教を待つ子供の面持ちで正面を見る。
そこには、口から牙を覗かせた獣が微笑んでいた。
微笑んでいるのに、ちっとも、そう見えないのは……
笑顔の仮面の下から覗く、般若の気配のせいだろうか。
「…………すみません」
「しゃざいは ふよう ですのよ それより もちかえった ものを みせて ください まし」
持ち帰った物……。
その言葉に、ある物が頭の中を過る。
それは、テネーブルの大鎌の先にぶら下げていた、肉塊となった生き物の死骸。
それはどこに行ったのだろうか……
考えている間にも、フィラフトの機嫌はますます悪くなる。
***
「と言う事が、ありました……」
森での出来事を、静かに怒る神使にかいつまんで説明する。
元の世界のゲーム、”千年王国と封印の鍵”で敵として出没していたエネミーに遭遇した事。
倒した敵や、道すがら見つけた鉱石の混じった石に、錬金術に使えそうな草花。それらを持ち帰った事。
そして、この世界の住民らしい”パンタシア”と言う少女との接触。
フィラフトが反応を示したのは、最後の部分。
「パンタシア…… と なのり ましたの?」
「声が震えていたので……。発音は、多分あっていると思うんですが……」
もしかしたら、ペンテシアかもしれない。
一部を伸ばすように発音するかもしれない。
ただ、本人がこの場にいないので確認のしようがないのだが、どちらにせよ訂正されていないので間違った音ではなかったと思う。
元の世界で言う”外国語”の音に明るくないので、自分が使っていた言葉に脳内で置き換えられているのだが……
たぶん、大丈夫だろう。大丈夫、と言う事にしておこう。
「いじょう ですの?」
報告すべき内容はこれだけか、と言いたげなフィラフトに慌てて首を縦に振って見せる。
「た、多分……。リヒトは地図を作っていたみたいでしたが……」
「そう ですの」
「テネーブルは……ちょっと、木とか燃やしちゃって……」
「もんだい ありません のよ」
「私は……特に、何も……」
「わかって いますの」
フィラフトの表情と言葉が、グサリと刺さる。
何も出来ないのが当然だと、言われているような気がして……
「次は……役に立てるよう、頑張ります……」
消え入りそうな声で呟けば、目の前の獣は何も言わず床を叩く。
広がった幾何学模様が、私の腰かけている椅子に当たるとガラスのように弾け、キラキラと宙に舞う。
それを「綺麗だな」と思っていると、体重を支えている椅子が消えた。
「へ……?」
一瞬の浮遊感の後、見えない何かが私の身体を支えた。
それが、無理やり身体を起こし、足を踏み出させる。
「おつかれ でしょう」
混乱している私に向かい、フィラフトが穏やかな声音で告げる。
「あ、あの、身体が、身体が勝手に!」
「ゆっくりと へやで おやすみ くださいな」
恭しく頭を垂れた複数の獣の特徴を持つフィラフトの横を、ぎこちない足取りで通り過ぎる私……
その場に留まろうと脳が身体に命じるも、四肢を絡めた風がそれを許さない。
この動きには覚えがある。
次は玄関の扉が勝手に開くのだろう? わかっているぞと言いたげに正面を見れば、案の定、波紋のように広がって来た幾何学模様の端がぶつかった途端、ギイと音を立てて私を迎えるよう、上等な作りの木製の扉が左右に開いた。
「………………」
その動きに、私は早々に諦め身を任せる。
遠くで「おやすみなさいませ」とフィラフトの声がした。
それに返事をするのもなんだか癪で、ふくれっ面のまま運ばれていく私。
たどり着いた、広い部屋。
その中に無理やり押し込められたところで、身体にまとわりついた風のようなものが消えた。
「…………………………」
何とも言えない気分で溜息を吐けば、なんだか疲れが押し寄せてくる。
朝起きた時のままのベッドに倒れ込み、枕を抱いて顔を埋め
「…………毎日、凄い」
元の世界では味わった事のない、変化のある日常。
明日は何があるだろうか、何が起こるだろうか。
戸惑いもあるが、それよりも楽しさを感じている自分に、私はとても驚いていた。
異世界での生活は、思いのほか充実している。
――この世界に来てよかった。
そう思いながら、私は重たくなった瞼を閉じた。
***
枕を抱いて、穏やかな表情で眠るエマの傍らに、不意に光が溢れる。
光から伸びる褐色の手。それが、エマのこげ茶の髪を一房取った時には、この世界を創った神の一柱の形となっていた。
太陽を思わせる黄金の髪に、サンストーンを埋め込んだような瞳。
白を基調とした衣服を纏い、幼い子供の姿を模した、生と未来を司る光の神、ル・ティーダ。
彼は、規則正しい寝息を立てるエマを、慈愛に満ちた笑みで見つめている。
「エマ……」
眠る女性の名を呼ぶ。けれど、反応はない。
彼女が夢の中にいるのだとわかっている男神は、もう一度だけ小さく呼びかけた。
かれど、変わらず規則正しい寝息だけが聞こえてくる。
「得る事で増えるものがあり、それによって減るものもある。知る事は、変わる事。昨日のエマと、今日のあなたは少しだけ違う。明日のエマはきっと、こうして今ぼくが見ているあなたとは違うんだろうね」
触れた髪が、指先から逃れるよう落ちる。
それを寂し気に見つめ、男神はゆっくりと唇を開いた。
「……あなたが変わる事を、喜ばしく思う」
語るような口調で、穏やかに。けれど、どこか躊躇いを感じさせる声が静かな室内に響いた。
「だけど、それを否定したくなるぼくがいるんだ……」
返事を求めていない、一方通行の言葉。
それが、眠るエマにただ与えられる。
ル・ティーダはまた、エマの髪を一房手に取った。
投げれ落ちるこげ茶の糸を静かに見つめたまま、彼は口を開く。
「エマ……”その蟻”は、”あなたが見た”命あるものじゃない――」
到底、子供とは思えない程冷めた声で。
呟かれた言葉が空気に溶けていく。
規則的な寝息を立てていたエマの表情に、影が落ちた――
男神はただ、慈悲深い笑みを口元に湛えたまま、傍らに佇んでいる。