それは続き、いつかの終わり
「…………なんか、変」
「え?」
玄関付近にフィラフトが用意してくれたアンティーク調のテーブルと椅子。
それに腰かけ、私用に準備した小ぶりなカバンの中に入れておく物を確認していると、裾の短い牡丹柄の打掛に袖を通し、左右から編み込んだクラウンスタイルの髪型をしたテネーブルが怪訝そうにこちらを見てきた。
頭に付けたユリの花を模した白いコサージュが、清純さを際立たせており、見とれそうになるが……
「………………」
リヒトから昨日言われた事を思い出し、冷静になれ、落ち着けと心の中で唱える。
本当は、思いのまま、感じたまま称賛の言葉を並べたい。如何に彼が愛らしいかを、衣装が似合っているかを伝えたい。
けれど、自分の喋り方を昨日の今日で改める事など出来るわけがなく、二度までは見逃してくれると約束されていても、一日が終わるまでにはまだまだ時間がある。
猶予はなるべく残しておきたいし、私が座っている場所からリヒトまでの距離がそれなりにあっても、フィラフトと話を詰めている最中だとしても、聞こえないとは限らない。
油断は大敵だ。足をすくわれるのは大体、「大丈夫」と思った瞬間なのだから。
なので、そんなことは無いと言う意味を含めて笑って見せるが、顔は引きつった。
「やっぱり変」
その顔を見て、なんとも言えない表情のテネーブルが繰り返す。
「リヒトと何かあったでしょう」
鋭い指摘にグッと息を飲む。
「ないで………………ない、よ」
慌てて言い直せば、可愛らしい彼が訝しむようにスッと目を細めた。
「…………ちょっとリヒト焼いてくる」
「ひっ!?」
冷ややかな声で告げ、踵を返したテネーブルの服の袖を咄嗟に掴む。振り返った彼に、何でもないと首を横に振って見せれば、「話してくれるよね?」と言いたげな顔で私を見据える。
言わなければ、彼の双子の兄の周辺は火の海と化すだろう。
本人が無事だとしても、周りの被害は…………考えると血の気が引いた。
「け……敬語禁止令を、出されて……」
続く言葉、”いまして”を心の中で呟く。
「昨日?」
「そう……」
なんですよ、とまた続く言葉を心の中で言う。
すると、何とか上手く話せた。
なんだ、意外と簡単じゃないか! 続く部分を心の中で喋れば、相手には聞こえない。だけど、自分はそれなりに話している”つもり”になれる。
これは名案だと一人得意げになっていると、頬に手を当てたテネーブルが不思議そうに私を見て微かに首を傾げた。
「エマちゃんが前みたいに話してくれるのは嬉しいけど、無理してない?」
「無理じゃない……」
です。とまた心の中で言う。すると、ますますテネーブルが困惑するような顔になる。
「エマちゃんがそれでいいなら止めないけど……」
んー……と、腑に落ちないと言いたげに表情を曇らせ、彼はチラリと私の奥を見る。そこには、彼と同じ顔をした双子の兄、リヒトが立ち話をしており、
「ワタシは別に、ゆっくりでもいいのに」
視線に気づいたリヒトと目が合ったらしい彼は、顔を顰めてベーッと舌を出した。
それに対し、兄の方は鼻で笑って見せ、またフィラフトと話しを始める。
「ムカつく」
ぷくっと頬を膨らませたテネーブルが可愛くて、私の顔はついついニヤけてしまう。
この、何でもない穏やかな時間が、最近楽しくて好きだ。
ずっと続けばいいのにと思う程に。
***
「いってらっしゃいませ ですの」
そう言って見送ってくれたフィラフト。
複数の獣の特徴を持つ神様の使いから、今日は日没前には戻るように念を押されたと聞かされ、私たちはひとまず屋敷の周辺を散策する事に決める。
視界を染める緑。息を吸えば、肺を満たすのは森の香りだ。
塵や埃がなく、清らかな空気に包まれているその場所は、木漏れ日の差す穏やかな世界。
大きな幹を持つ大樹に、足元に鬱蒼と生い茂る草花。
風に舞う花弁が、映画のワンシーンのように私の眼に映る。
こんなに素晴らしい景色を、元の世界で見た事はない。
美しい自然の光景を、心のカメラで残したい。記憶の中に、閉じ込めたいと感じながらも、その思いに被さる不安。
これほど綺麗な景色を保つ森に、好戦的な野生動物がいたら……と考え始めると、楽しむ余裕は消し飛んだ。
あの木の影からクマのような生き物が現れたら、あの茂みからイノシシが飛び出して来たら。
浮かぶ動物の姿にギュッとカバンを抱く。中に入れた小瓶がカチャリと音を立てた。
「エマが戦えるかどうか、わからないしね」
しょうがない、と言いたげにリヒトが呟けば
「範囲攻撃受けた時、庇うとか出来るかなー?」
テネーブルが心配だと続く。
小ぶりなカバンを前に抱いて、挙動不審に歩く私に二人の視線が集中した。
気にしないで、と言いたいところだが、気にしてもらわないと困るので苦笑いを返す。
何かあった時は二人頼みだ。こちらに意識は向けておいて欲しい。
贅沢を言えば、居心地が悪くならない程度に。是非とも続けて欲しい。
「産まれたての小鹿っぽい」
「小鹿と言うか、寒がってるペンギン?」
顔を見合わせ、双子がそれぞれの感想を述べる。
どちらも違うと首を横に振るが、聞き入れてはもらえなかった。
私を見て感じたことよりも、例えとして出した動物について興味がわいたらしく、
「寒いところで生きてる敵って、氷結耐性あるから震えないと思うんだけど」
「うん、あるね。でも、耐性あっても寒くないかどうかはわからないよー?」
「じゃあ今度、雪原エリアの敵を捕まえて実験しようか」
「皮を剥ぐの?」
「剥いだら震える前に痛がるんじゃない?」
ポンポンと会話のキャッチボールが続いて行く。
が……、なんだか不穏な単語が出始め、別の心配事が増えた。
この調子で進んで大丈夫だろうか?
「………………」
リヒトの背後に伸びる獣道を見て、通って来た方を振り返る。
生き物の往来によって出来たと思われる通り。
藪を歩くよりは行き来しやすいが……
野生動物の行動により出来上がった通路の周辺には、彼らの巣や餌場があり注意が必要だと、学生の時に教師から注意を受けた気がする。
遠足の帰り道だったので、子供たちが退屈しないようにと言う配慮からの事だったのだろう。
が、イノシシが走ってくるかも、クマが出てくるかと言われれば中には怖がる子供もいるわけで……
私もその中の一人だった。今も、その時の先生の表情と会話の内容は覚えている。
何故危険なのか。
子供の質問に答えるように先生が話し始めた事の中に、急斜面や崖が突然現れたり、戻ろうとして似通った道に迷い込んで迷子になる可能性、と言うものもあった。
低い山なら遭難、と言う事はないかもしれないがと付け加えた、穏やかな中年女性の声が脳内で再生される。
小学校の頃は、先生も私に話しかけてくれていたな……なんて感想と一緒に。
そして、はたと気づく。
目印いらしい目印を、私たちは通ってきた道にしていない事を――
「あああああああ、あのっ」
耐性のある敵への実験方法を話し合っている双子に向かい、私は慌てて声をかけた。
そして、来た道を指さし
「し、印を、印をつけないと帰れなくなっちゃいますよ!!」
必死に訴えかけると、テネーブルがキョトンと目を丸くし、
「はい、アウト」
と、リヒトが満面の笑みを浮かべた。
何がアウトなのかと一瞬考え、ハッとして口元を抑えるが……言ってしまった言葉は取り消せない。
「………………」
敬語だのなんだのと言っている場合じゃないと、目で訴えるがリヒトはどこ吹く風だ。
楽しそうに「あと一回」と口ずさむ双子の兄を一瞥した後、テネーブルが小首を傾げる。
「エマちゃん、印ってなんの事?」
「え、えっと……か、帰り道がわかるように、リボンとか……目印になる物を……」
巻かなくていいのかと続けようとして開いた唇に、ソッとテネーブルの指が乗せられた。
「!?」
驚いて目を瞬かせていると、すぐに指は離れる。
どうやら、ちょっと待っての合図だったらしい。
「大丈夫、ちゃんと”マッピング”してるから」
朗らかに言って、テネーブルが私の口に触れた指を顔の横に立てる。そして、同意を求めるように双子の兄に視線を向ければ、
「見た方が早いんじゃない?」
言って、リヒトが空中を指で叩く。
すると、ポンと言う音と共に、広げた掌の上に筒状に巻かれた紙が現れた。
「今、この辺りだね」
半分以上、白いままの紙を開き、途切れかけた道の先を指さす。
そこには、緑色の点が一つ。
まるで私たちがいる場所がここだ、と主張するかのように付けられていた。
「これ……地図……」
ですか、と心の中で続けながら顔を上げる。
「だよ。何も用意してないと思った?」
悪戯っぽく笑って見せたリヒトに、違うとは言えず黙っていると、代わりにテネーブルが「言わない方が悪いよねー」と指摘した。
その通りだと頷きたいのを我慢し、苦笑いを返したところ、リヒトは不貞腐れるようにして筒状の紙をポケットに突っ込む。
明らかにポケットの方が巻かれた紙よりよも浅いはずなのに、スルスルと入ってしまう。
「アイテムバッグとは言っても、バッグの形はしてないんだよねー」
自分のはここだ、とテネーブルが腰に巻いたアクセサリーを示す。
そこには、タッセルのついたコインケース風の飾りがあり、どう見てもおしゃれアイテムなのだが……
その中に手にしていた大きな鎌の柄を押し込めば、まるで底などないように入ってしまった。
「!?」
驚いて目を瞬かせていると、私の反応が面白かったのか口元を手で隠し、テネーブルが「ふふっ」と声を出して笑う。
可愛い笑い方なのに、称賛の言葉はわかなかった。
何度も彼の手元と腰のアクセサリーを見比べていると、ポンと言う音と共に黒い大鎌は手の中に戻って来た。
「出す時は手の中なんだよね」
なんでだろう、と言いたげなリヒトの声に「不思議だよねー」とテネーブルが続ける。
不思議なのは、それを当たり前のように使える君らだとは言えず、私は頭の中で闊歩を続ける疑問符を消すように頭を振った。
早く屋敷に帰りたい。でも、太陽はまだ東側の空にあるので、引き返すには早いような気もする。
***
「お腹空いたねー……」
くうっ……と音を立てた腹部を左手で擦りながら、隣を歩くテネーブルが私を見る。
同意を求められるような声に、いつもなら頷いて見せるのだが……
「………………」
彼の方を向いた際にチラつく、獣の死骸が返事を引っ込ませてしまう。
「焼肉なら勝手にやったら?」
前を進むリヒトが気のない返しをすれば、弟はぷくっと頬を膨らませた。
「やだ」
「ぶら下げてるのに齧り付いてもいいよ?」
「よくないー」
「血抜きして焼いてるのに? テネーブルは贅沢だなぁ」
足を止め、振り返ったリヒトがからかうように言えば、不満げにテネーブルが睨む。
彼の動きに合わせて、黒い大鎌の先にぶら下がった死骸がゆらゆらと揺れ、私は複雑な気持ちになった。
死神が持つような、黒く巨大な大鎌。その刃は飾りなのか、それとも括りつけられている紐が特殊なのかはわからないが、死骸を落とすことなくしっかりと結ばれている。
団子を串に刺すような要領で、四匹の動物を一本の紐で繋げているのだが……
リヒトが”焼肉”と表現した通りに、いい具合に焼かれていた。
「リヒトが先に食べてよ」
ふくれっ面のまま、テネーブルが鎌を傾けた。
リヒトの目の前にぶらりと死骸が垂れ下がり、それを鬱陶しそうに見たまま
「やだよ、そんな黒焦げ」
と言って距離を取る。
「お腹減ってないのー?」
「減ったけど、絶対それは食べない」
「なんで?」
「味付けされてないじゃん」
せめて塩を振って。と言うリヒトの指摘に、それもそうかと納得したらしいテネーブルが鎌を元の位置に戻す。
”焼肉のたれ”でもこの場にあったら食べたんだろうか……
チラリとテネーブルの鎌の先を見て、黒焦げになる前の姿を思い出し目を反らす。
雷を使い、身体に複数の鋭い角を持つウサギのような見た目のサンダーラビット。
炎を吐き、毒のある大きな尾を持つ巨大なネズミのファイヤーマウス。
ゲームの中ではフィールド上の至る所に配置されており、体毛の色によってレベルが違う。
黒が最も強く、白が弱いのだが……焼かれてしまっては何色だった、確かめようがない。
可愛らしい見た目とは裏腹に、狂暴な性格のエネミーで、視覚と聴覚が優れており、索敵範囲内に入った途端襲い掛かってくるアクティブな敵だ。
遠距離魔法の攻撃が厄介で、最初の頃は手を焼いていた気がする。が、今の双子にとっては格下の相手のため、気配を感じていても警戒はしておらず、探知範囲内に入って攻撃されたら仕留める程度に考えていたらしい。
けれど、そこは野生の生き物。
探知範囲内に入った私に真っ先に雷を落とした。
咄嗟にリヒトが突き飛ばしてくれたお陰で事なきを得たのだが、自分が立っていた場所の草が焼けこげ、周辺がビリビリと帯電している様子を見た時は……生きた心地がしなかった。
怒ったテネーブルが火属性の魔法を放ち、サンダーラビットを焼き払ったのだが……
追い打ちのように頭上をかすめた炎が、別の敵の物だと気づいた時には、リヒトがナイフでファイヤーマウスを仕留めており、その血で周辺の草木が染まっていた。
瞬きする間の出来事で、そのあまりの異質な光景に常識が崩れた気がして、震えた。
何も言葉が出ず、腰は抜けたまま。
手を差し伸べられるまで動く事も出来ずに、感謝の言葉すらまだ伝えられていない。
気まずいまま、屋敷に戻るためにリヒトの後ろを着いて歩く。
テネーブルを壁にして。
そんな自分が、なんだか格好悪くて恥ずかしい。
「あれ……?」
死骸の使い道について、あれやこれやと話していたリヒトが何かを感じたのか、ふと眉を顰める。
「……っぽい?」
「うん」
テネーブルが小声で尋ねれば、短く答えてリヒトが武器に手をかけた。
がらりと変わった双子の雰囲気に、私は木の幹を背に周囲を窺う。
また、雷が真上から落ちてくるのだろうか。それとも、焼かれるのだろうかと震えていると、リヒトの真横の草がガサガサと音を立てた。
その音に飛び上がりそうになり、ギュッと目を閉じて頭を庇うように両手を上げる。
けれど、雷が落ちる音も聞こえなければ、何かが焼けるような匂いもしない。
恐る恐る目を開け、両手を降ろして音のした方を見る――
そこには、相変わらず双子が立っているが、目を閉じる前とひとつ違いがある。
それは、顔の半分が隠れる白いお面を付けた、二息歩行の何かが立っていると言う点。
「やっぱり青だったねー」
テネーブルがリヒトに向け話しかければ、
「だね」
と双子の兄が短く返す。
けれど、弟とは違い警戒を解く気はないらしく、リヒトの手はナイフの柄に触れたままだ。
顔半分が隠れるお面を付けた生き物は、茂みから現れた時のポーズを維持したまま、止まっている。
出くわした私たちに驚いているのか、手を突き出したまま。仮面の下の眼をパチパチと瞬かせているように見えた。
「人間種かなー?」
「どうだろ。言葉が通じるなら、聞けば?」
テネーブルが小首を傾げれば、吊るしている死骸がプラプラと揺れた。
視界にチラつくそれを気にする様子もなく、リヒトが顎で仮面で顔の半分を隠した生き物を示す。
「にしても、泣いてるように見えるデザインだね」
興味深そうに話しかけ、テネーブルが生き物の眼の辺りで手をヒラヒラと振ってみた。
「見えてる?」と続ければ、
「ひ…………ひゃあああ!?」
子ども特有の高い声で叫び、茂みの中に尻餅を付くように倒れ込んだ生き物。
反応からすると、どうやら見えているらしい。
「ご、ごめんなさいごめんなさいっ。なんでもないんですっ」
両手を振り回し、敵対する意思はないと言いたげに捲し立てた相手に、リヒトが怪訝そうな顔をして私を振り返った。
そして、こっちにおいでと言いたげに手招きするので、バッグを抱いたまま小刻みに首を振り、二人の傍まで進む。
茂みの中でブルブルと震えている生き物を見て、双子が私を見る。
そしてまた視線を茂みへと向け、
「ご近所さんかな?」
と、不思議そうにテネーブルが呟いた。
「言葉がわかるなら立ち上がって欲しいんだけど」
溜息交じりにリヒトが言えば、目の前の生き物が勢いよく立ち上がった。
「あ、通じるね」
それを見て、リヒトがなんとなく呟けば、コクコクとまた仮面をつけた生き物が頷いた。
「まぁ、なんでもいいや。とりあえず、初めまして?」
投げやりに言って、疑問符を付けて挨拶をする。
そんなリヒトに対し、相変わらず怯えている生き物はブルブルと震えながら「はじ、めまして」と答えた。
私とテネーブルが顔を見合わせ、目を瞬かせる。
初めて出会った異世界人は、思いのほか普通だった。