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遠足の前の日のようで


 異世界へ来て三十日が経った事を、私はその日リヒトから知らされた。


「て事で、エマもポーション作れるようになったし、そろそろ出かけてもいいんじゃない?」

 温室で花を摘む際に使った、小ぶりなナイフを取り出してクルクルと回し、指先で弄びながらリヒトが言う。

 食堂の片隅。日の当たる窓とは反対の場所を向いて、外を眺めながら。

 まるで、焦がれるように森なのか林なのかわからないが、鬱蒼と生い茂る木々の緑をその瞳に映して。


 朝食用に取り出したらしい、ハニートーストを口に運びかけていたテネーブルがカウンターチェアに座ったまま、首だけをグルリとこちらへ向け深く頷く。二度、三度と首を縦に振り、その通りだと言いたげに日の当たる窓際で寛ぐフィラフトを見れば、複数の獣の特徴を持つフィラフトがげんなりとした様子で首を擡げ、目の前のソファーでコーヒーを飲もうとしていた私を見て溜息を吐いた。


「………………なんでそんな顔をするんですか」

 視線のリレーに、アンカーらしい私は続きを要求する。

 カップを持ち上げた手を止め怪訝そうにフィラフトを見れば、ウサギの耳を寝かせたままフィラフトが小さく頭を振った。

「もともと このような かおを しており ますの」

 含みのある言い方が気になったものの、余計な事を言うまいと口を閉ざし、コーヒーを喉の奥へと流し込む。

 砂糖の入っていない、暗い色をした水は少し苦かった。

 けれど、眠気覚ましには丁度いい。

 部屋の本棚にある錬金術に関する書籍を、片っ端から読んで寝不足の私には、朝から頂くこの一杯が目覚めのスイッチになっているから。


「そうですか、そうですか……じゃあ、私はこれで……」

 そそくさと、カラにした皿とカップを手にカウンターの奥にある流しに持って行こうと席を立てば、

「顔の話しじゃなくて、お出かけの話ししようよー」

 興味津々と言った様子で、テネーブルが食事を片手に私の真横に腰かけた。


 そして、立ち上がったままの私を見て「ね?」と可愛らしく彼が微笑んだので、「はい」と答えてしまい心の中で狼狽える。

 座るべきか、片付けるからと皿を持って流しへ向かうか。私の選択によってその後の反応は変わるだろう。それが……問題だ。と言うか、外を見ているリヒトの雰囲気が、なんだかいつもと違う気がして怖い。

 時間にして僅か一秒だが、私の脳内では一時間ほど悩んだ感覚だった。

 …………結局、雰囲気に逆らえず元の場所に腰かけたのだから、迷った意味はあまりないかもしれないが。


「準備って言うぐらいだし、回復アイテムさえあればいいんでしょう? まぁ、中程度の傷ならワタシが癒せるし、前衛のリヒトは回避率高いから、怪我なんてそうそうないと思うけど」

 空中に指を這わせ、空気を指先で叩きながらテネーブルが言う。

 すると、テーブルの上ソーサーとカップが現れ、中に入っていた紅茶が湯気を立てた。

 その様子に私が目を瞬かせていると、目の前のフィラフトが小首を傾げる。


「そのきに なれば でられる はず ですのよ?」

「え?」

「へ?」

 私とテネーブルが同時に気の抜けた声を上げる。窓際にいたリヒトは、投げたナイフを取り損ねたらしく、床に刺さった音が続いた。

「その気にって……どういう事?」

 説明を求めると言いたげにリヒトがフィラフトを見れば、

「あの かべは そのかたが ふれれば とかれる ように できて いますの」

 その方は私だと、獣の視線が告げる。

「わ、私……?」

 驚きつつ、人差し指で自分を示せばフィラフトは静かに頷き、

「もちろん じょうけんは ありますのよ?」


 その、条件とやらが何か。

 神使の話しによると、私が魔力の使い方を覚える事、だったらしい。


「………………え? じゃあ……ポーションが完成した段階で、いつでも外に出られたって事?」

 左手で顔を覆い、右手で”待って”と言うポーズを取ったテネーブルが尋ねれば、フィラフトはその通りだと言いたげに二度、首を縦に振った。

「知らなかった……」

 呆けたまま呟けば、リヒトがわざとらしく溜息を吐き、床に刺さったらしいナイフを引き抜く。

 それをすぐさま服の内側に戻し、私の真後ろまで足を進めた。

 両手でソファーの背もたれを掴み、何故か私の頭の上に顎を乗せる。……心臓が跳ねるより先に、緊張から顔が強張った。掌が嫌な汗でジットリと湿り、それを隠すために両手を組む。


「そう言う大事な事は、もっと早くに言うべきじゃない?」

 頭の上で喋られているため、顎の動きを頭部がしっかりと伝えてくるわけで……

 美しい少年が自分の真上で不貞腐れていると思うと、勝手に胸がときめいてしまう。

 鼓動を聞かれたくなくて、視線だけを動かし助けを求めるようにフィラフトを見れば

「むちゃを させかねません のよ」

 鼻で笑うように獣が返す。

 どうやら私を助けてくれる気はないらしい。

「ちょっとしかさせないよ!」

 リヒトの代わりに、隣に座っていた少女の姿をした、双子の弟が答えた。


 思わず心の中で叫ぶ。”ちょっと”ってどういう事だ、と。無茶をさせる事は決定なのか、と。

 けれど、声には出さない。と言うより出せない。

 目的のためなら手段を択ばない設定を盛り込んだのは、他でもない私だ。

 無茶どころか、馬車馬のごとくポーションを作らされ、大食いファイター並みに食べさせられただろうと、容易に想像出来る。


 しかも、悪気無く。無邪気に。


 リヒトならきっと「エマなら絶対出来るよ」と、にこやかな笑みを浮かべて応援してくれただろう。

 テネーブルは「お出かけ、楽しみだね」と語尾にハートを付けて、あれこれ外出用のコーデを考えてくれたかもしれない。


 そうなると、やらざるを得ないわけで……


 無茶をする可能性のあった未来を避けてくれたフィラフトの配慮に感謝しつつも、

「でられる ように なって いない てんを かんがえると あいかわらず ひきこもって らっしゃったの ですね」

 呆れたようにこちらを見る目はいただけない。と言うか、私に話題を振るのはやめて欲しい。

「…………し、調べものを……していましたので……」

 言い訳めいて呟けば、隣のテネーブルが足を組み直した。

「エマちゃんは慎重派だもんねー……」

「まぁ、しょうがないか」


 頭の上からリヒトの顎が離れ、掴んでいたソファーの背もたれを離す。

 右手で私の肩をポンッと叩き、

「後で壁に触れといて」

 苦笑いを浮かべたまま、私にそう言って彼は食堂から出て行った。


 パタンと音を立てて閉ざされた扉を見つめたままでいると、

 隣に座っていたテネーブルが取り出した紅茶を飲み干し、カップをソーサーの上に置く。

 カチャリと食器が小さく音を立て、

「今のうちに服とか選んどこーっと」

 楽しそうに微笑み、席を立つ。

 スキップでもしそうな雰囲気で足を進め、途中でクルリとこちらを振り返ったテネーブルのスカートが揺れる。

 チラリと見えた太ももに、思わずいけないものを目にした気分になって顔を反らす。


 少女ではなく、少年の心を持ったテネーブルの白皙の肌が、妙に艶めかしく見えたのは……きっと、私に女性としての自覚が薄いからかもしれない。

 女として負けている事に対して、微塵も悔しさがないのだ。

 むしろ、ドキドキと煩い心臓を鎮める事に必死になっている。顔が熱い。

 やましい気持ちを抱いてしまった事を、気づかれていない事を祈りたい。


 私を戸惑わせている当の本人は、そんな事は露知らず。


 微笑んだまま胸の高さに上げた左手を左右に振り、

「また後でねー」

 リヒトに続くようにして食堂を出て行った。



 残された私は、瞼の裏に焼き付いてしまった彼の肌をかき消すように頭を振り、胸元を抑える。

 心音は、少しずつ落ち着いてきている。掌の汗も、もう出ていない。

 けれど……顔の赤みだけは何故か消えず、頭にまだリヒトの体重が残っているような気がした。

 触れようと手を伸ばせば、目の前のフィラフトがこちらを見ている事に気づき

「な、なんでしょうか……?」

 躊躇いがちに声をかければ、複数の獣の特徴を持つ存在はわざとらしく目を細めた。

「いいえ なにも」

 微かに首を横に振る。

 けれど、それで終わりではないらしく

「ただ ひび せいちょう して いらっしゃるのかなと おもいまして」

 前足で自分の頭に触れ、皮肉ったように口元を歪めた。

「………………なんの話しでしょうか」

 やめておけばいいのに、ついつい好奇心から聞き返してしまう。

 すると、フィラフトの耳がピクリと動き

「ソファーに とつげき したり いしきを うしなったり しなく なりましたので」

 呆れを滲ませた声に、一瞬にして顔が真っ赤になった。

「あ、あれは、そのっ…………なんと言うか、驚きすぎて……だ、だって、突然、ボクのとか……い……ひひゃいっ!?」

 フィラフトが言わんとしている事を理解し、動揺の余り舌を噛んでしまった。

 熱を持った痛みに涙目になる。あれこれ言いたいことは山のようにあるのに、続ける気にはならない。


 何故なら、その時の事を思い出してしまったから――


『ボクも、エマを宝物だと思ってるよ』


 記憶の中で、リヒトが囁く。

 とたんに、心臓が爆発寸前のように暴れだし、火が出そうなほど顔が熱くなった。

 両手で頬を抑え、自分を落ち着けるためにブツブツと「あれは違うから、あれは違うから」と呪文のように唱える私を、妙に冷静なフィラフトが見つめたまま、


「あとで かべに ふれておいて くださいな」


 連絡事項を伝えてくる。

 「はい」と答える余裕なんて、今の私には勿論ない。

 それでも、庭の壁には触れなくてはいけないと、どこか冷静な自分が覚えていた。




***




 玄関から外へ出て、暖かな日差しを受けながら伸びをする。

「んー…………」

 それだけで、落ち込んでいた気分が少しだけ上を向いてくれるのだから、太陽と言うのは本当にすごいと思う。


「さて、と……」

 部屋で簡単な昼食、のようなお菓子を頂いた後、リヒトとフィラフトに言われた事を試しに出てきたのだが……

 目に見えない壁がどこにあるかなんて、サッパリわからない。

 ひとまず、自分の両手を胸の前で突き出すようにして歩く。壁にぶつかって痛い思いをしないように。

 歩く速度はいつもより遅く、ゆっくりと確かめながら進めば――


「…………む?」

 ツルリとした感触のする場所に指先があたり、違和感から手を引っ込める。

「………………もしかして」

 恐る恐る、もう一度触れてみる。

 そこには、内を外を隔てる何かがあり、なぞれば素人のパントマイムのように真横に動く。

 これが、リヒトとテネーブルがぶつかった壁か……

「…………触れても消えないけど、これでいいのかな?」

 腕を組み、首を傾げる。言われた通りに触れてはみたものの、特に変化らしい変化は見られない。

 もう一度両手で正面の壁に触れてみるが、ツルリとした肌触りの何かが進む事を阻むように立ちふさがったままで、何も起こらない。


 まさかとは思うが、条件を満たせていないのだろうか?


「……でも、ポーションは作れたし。魔力の使い方って、魔力を注がなきゃ錬成は出来ないし……」

 ブツブツと独り言を呟きながら壁に触れる。けれど、やっぱり変化はない。

 ポーションを作る時のように両手に意識を向け、集中してみるが……これも同じだ。

 どうしたらいいのかわからず、ふと――太陽のような男の子の名前が浮かぶ。

 浮かんだ名前を口にする事は出来なかったし、前のように心の中で唱えたりしていないのだが……



 瞬きと同時に視界が揺れ、世界にノイズが走ったように見えた。

「へっ……!?」

 咄嗟に、手を放そうとしたが――手の甲に重ねられた幼い手に目を瞠る。



「神……様……?」

 手の甲、腕、肩、顔。視線を動かし、確かめた先あったのは……太陽を閉じ込めたような黄金の髪と、慈愛深い暖かな眼差し。

 そして、褐色の肌と見た事もない白を基調とした衣装を纏う、見覚えのある男の子。

「わ、私……また、あの……よ、呼んでしまった……の、でしょうか……?」

 混乱から、目を白黒させながら尋ねれば

「…………」

 男の子は私の右手に手を重ねたまま、小さく頭を振った。



「ここに、あなたが来たらわかるようにしていた」


 サンストーンの瞳に私を映し、男神ル・ティーダが告げる。

 景色は変わっていないのに、彼がいるだけで異なる場所にいるような気がした。

 それはきっと、ル・ティーダが纏っている空気のせいだろう。

 幼い頃、父母の腕の中で眠った時のような安心感を、彼はくれるのだ。


 けれど、言葉の意味に疑問がわく。

 神様なのだから、世界の様々な事が見えていたり、知る事が出来たりして当たり前にも思えるのだが……

 わかるようにしていた、と言う事は”透明な壁”は仕掛けで、何らかの効果が付与されていたと言う事になるのだろうか。

 錬金釜に魔力を注ぐ要領で反応するのなら、今後似たよなものがあったら試してみる価値はありそうだ。

 とは言え、なんだかゲームのチュートリアルのようにも感じ、複雑な心境なる。


 約一ヶ月、現実世界で基本操作を教わるプログラムをこなしていたのかと聞かれれば、答えはノー。

 なら、何をしていたのかと問われると……返しに困る。

 大半は、ダラダラと過ごしていただけだから。


「えーっと……」

 沈黙が続くと不安になるので、何か話題をと考えるが……会話が弾むようなものは出てこない。

 かと言って黙っている事も出来ず、

「あの……お久しぶり、です……」

 壁に触れたまま、再会の挨拶を口にしてみる。

 ル・ティーダは一瞬目を丸くしたが、変わらぬ笑みを湛えたまま

「エマにとっては、長い時間だったのかな?」

 質問を返され、眉を顰めて考える。長いか短いかと問われても、どちらかわからない。


「そんなに長くも、ないかも……しれない、です」

 うーんと唸りながら答えれば、男神は二度瞬きをした。

 そして、感情の宿ったような瞳が微かに細められ、

「ひとの感覚は、ぼくとは違うんだね」

 納得したようにそう言った。


 その言葉に、私は肯定も否定もせず躊躇うように笑って見せる。

 見た目は幼いル・ティーダが一体幾つなのか、どれほどの時を生きているのかわからないから。

 正しい数字は覚えていないが、元の世界で学んだ地球の年齢は四十六億歳。

 神様が宇宙や地球を作ったのなら、それより年上で…………ここまで考えた所で頭から煙が出そうになり、キュッと口を引き結ぶ。


 彼が作ったノウム・プルウィアと言う世界が何歳かはわからないが、少なくとも目の前に生い茂る樹木の幹の太さを考えれば、私の倍どころじゃない年齢のはず。

 私の一日二日が、神様にとっては瞬きする間程度の一瞬の感覚かもしれないと、とりあえず心にとどめておくことにして、

「それで……私が触れば、壁が無くなると聞いたんですが……」

「エマは、この先へ行ってみたい?」

 尋ねれば、質問が返って来たのでキョトンと目を瞬かせる事になった。


「ここから先、ぼくが守護する領域を出ると、エマの世界になかったものと出会うと思う」

「も、モンスター的なものでしょうか……?」

 恐る恐る聞いてみれば、彼は困ったように首を横に振った。

「混沌の歪みが作った虚から、多くの命がこの世界にやってきた。元々あったノウム・プルウィアの命の他に、異世界から現れたもの、それと交わって変わってしまったもの。その多くが、この先にある」


 触れ合っていた手が離れ、男神は森を示すように指を伸ばした。

 視線が、その動きを追い――ゴクリと喉が鳴る。


「……私、みたいなもの、でしょうか?」

 問いに、彼はまた首を横に振る。

「ぼくや、ぼくの対の祝福を受けていない命。エマとは違うものだよ」


 エマはぼくの祝福を受けているからと続け、男神はまた穏やかな表情に戻った。

 けれど、その瞳には悲しみが残っているように見える。


「感情を持つ生き物が、生きる以外の目的で命を奪い合う。そこから生まれた淀みが、新たな混沌の歪みの糧となり、ぼくを阻む。この先に、ぼくが領域を作る事はもう出来ない」

 森を示していた手を戻し、胸の前で広げる。それを軽く握れば、目の前の見えない壁にヒビが入った。

 ヒビはゆっくりと広がり、けれど、ある一定の場所からは進むことなく、アーチ形の扉のような形を作って地面へ到達する。

 すると、音もなく割れ、光を反射して砕けながら空に昇って行った。キラキラと、キラキラと。

 重力を無視した破片の動きに、思わずポカンと口を開けて見入っていると、足元から発せられた光の余りの眩しさに目を眇め、顔を背けることになった。


「な、なにごと……??」

 掌で目元に影を作り、目の前の出来事を確かめようとすれば、次第に光は薄まり――


 今まで何もなかった空間に、薄っすらと色はついているものの、ほぼほぼ透明な扉が一つ。ポツンと出来上がっていた。

 目を擦り、二度見してみる。ある場所とない場所の違いは、向こう側の景色に白が少し混じるか、混じらないか程度で……

 油断して歩いたらぶつかりそうな、透明度の高いショーウィンドウのように見えた。


「あなたが触れた時に、開くようになっている」

 柔らかな男の子の声音に、私は自分を指さす。

「私、ですか?」



 その問いに、ル・ティーダはただ穏やかに微笑んだように見えた。





 聞きたい事も話したい事も山のようにある。

 けれど、またいつものように彼は光の泡となって消えた。


「覚えておいて……」

 その言葉の先は聞こえず、やはり今回もわからないまま。



 とりあえず、これで外へ出られるようになったので、心待ちにしているであろう双子に伝えに行く事にする。




***




 玄関先での出来事を、錬成の手伝いに来てくれたリヒトに説明したところ、彼は特別喜ぶでもなく思いの他淡々といていた。


「それじゃあ、明日ちょっと出てみようかな」


 棚から取り出した空の小瓶を三つ、テーブルに並べてくれる彼があまりにもいつも通りなので、

「嬉しくないんですか?」

 と尋ねてみれば、リヒトは振り返って私をジッと見た後

「子供じゃないんだから、はしゃがないよ」

 苦笑いを浮かべた。

 中高生ぐらいの外見から、ついつい子供っぽく手放しで喜ぶと思っていたが……

 どうやら、そうではないらしい。これは、年下扱いをしてはいけない気がする。


「十分楽しみにはしてるけど」

 そう付け加え、テーブルの脇に置いた椅子の背もたれ側を前にしてリヒトは腰かけた。

 前と後ろが逆で、座りにくいんじゃないかなと思ったが、笠木の部分に両腕を組んで置き、頬を乗せているのを見ると、彼的にはこれが楽な姿勢なのかもしれない。

 ただ、両足で背もたれを挟んで座るのは……股関節がつらそうにも見えるが、慣れていないからそう感じるのだろうか。

 なんて事をあれこれ考えながら、リヒトが用意してくれた小瓶を手に取る。


「で、明日の準備に何本作るの?」

 ふたを開けると、キュポンと言う音が聞こえた。

「念には念をで、所持上限までとは思うんですが……」

 小瓶を手に、空中に浮かんだ赤みを帯びた水の前に立てば、吸い込まれるように必要な量が中へと注がれた。

 どんな仕組みで勝手に収まってくれているのかわからないが、こぼさず綺麗に瓶の中に入れる事が出来るので助かっている。

 とは言え、最初にこの現象を見た時は顎が外れるんじゃないかと言う程驚いた。


「上限って、十個?」

「出来れば……。あと、状態異常の回復が出来る”お香”とか、作れるものがあるなら作りたいなと」

 知らない場所へ行くのだから、出来る限りの準備はしておきたい。

 と、あれこれと考えながら残りの液体を小瓶の中に入れていく。

 完成した品をリヒトの隣のテーブルに並べれば、その一つを手に取り彼は揺らすように傾けた。


「必要な材料は揃ってるけど、そんなに無茶して大丈夫? どっちかって言うと、早めに休んだ方がいいと思うんだけど」

「それは……まぁ、そうなんですが……」

「食品アイテムは山ほどあるから、魔力の回復は問題ないと思うけど、胃もたれしそうだし」


 数日前、有無を言わさず食べさせまくり、作らせまくりした口で気遣われると、なんだか複雑な気分になる。

 彼が揺らすたびに、小瓶の中の液体がチャプチャプと鳴る。それを眺めたまま、

「とはいえ、レベルが下がってるエマは散歩気分にはなれないか」

 私の不安を感じ取ったらしいリヒトが苦笑いを浮かべた。

「二十四年間、平和に生きて来たので……。病気の心配ぐらいしかした事ないです」

「エマの世界って、ボクが生きてた場所とは違うんだね」

 手にしたポーションを元の場所に戻し、彼は寂し気に呟いた。


 仮想と現実。


 リヒトと私を隔てていた壁はないはずなのに、ふと思い出す。

 映像の中に焦がれていた頃を。

 あの頃、私は毎日寂しかった。


「い、今はほら、同じ場所ですし」

 たまらず元気に笑って見せれば、リヒトが一瞬目を瞬かせ

「まっ、そうだね」

 吊られて笑む。その微笑みが綺麗で、穏やかで、無意識に私の指先がスクリーンショットを取る時の動きをしていた。

 けれど、ここは異世界。ゲームの頃のように、彼の微笑みを記録に残す事は出来ず――


 残念で残念で、笑んだまま悔しがる。




 そんな私の気持ちを他所に、マイペースなリヒトは書棚から取り出した本を読んでみたり、飽きたら私をからかったりと、いつも通りに過ごし、夕方頃に部屋に戻って行った。

 彼が帰るまでの間に出来たのは、下級ポーションが九本。

 結局、異常状態の回復が出来る”お香”の類は成功せず、失敗作の泥水が出来上がっただけで……



 そこでやめておけばよかったのに、諦めの悪い私はリヒトが残して行ったアップルパイを頬張りながら続け、失敗を知らせる爆発音を連発させた。

 結果、バケツは泥水でいっぱいになり、窓の外が真っ暗になった頃には頭のてっぺんが煤のせいで真っ黒になっていた。






***




「――まだ続けてたの?」


 お風呂を済ませ、戻って来たリヒトが驚いた顔で後ろ手で扉を閉めながら言った。


「…………はい」

 しょぼくれた顔で返事をした私と、バケツ一杯の泥水を見比べて彼は苦笑いを浮かべる。

「根詰めすぎだよ」

「ですよね……。自分でもやり過ぎた感はあるんですが」

 まさか、魔力回復の為に食べた菓子がすべて、泥水に変わるとは思わなかった。と、心の中で言い訳する。

 勿体ない事をした、けれど、こればっかりはどうしようもない……



「とりあえず、少し休んだら? これ以上バケツにも入らないだろうし」


 言って、そのまま真っ直ぐと部屋の中央に置かれたローテーブルまで進む。

 テーブルの前で手を動かし、指先で何もない空中を叩けば、左手の上にポンと皿が現れた。

 それを置き、また空中で指を動かす。次に出て来たのは、顔の描かれた手のひらサイズのカボチャのカップに入ったパンプキンプリン。

 最後にジュースらしいものを二人分用意し、テーブルに並べていく。


 どうぞ、と言いたげに掌で示されたので、しょんぼりしたままソファーに腰かけた。

 本当は、戻って来たリヒトに完成したお香を自慢しようと思っていたのだが、人生上手くいかないものだ。


「部屋に戻ったら、テネーブルが明日の準備で服を出しまくってたんだよね」

 溜息交じりに言って、リヒトもソファーに腰かける。

 多少距離はあるものの、二人並んで座ると三人掛けの大きなソファーがなんだか小さく感じ、つい縮こまってしまう。

「ワンピースにするかとか、寒いかもだから足元確りしたのがいいかなとか、どーでもいい事ばっかり言っててさ。動きやすければいいじゃん、そんなの」

「まぁ、そうですね」


 そう言えば、何か新しい事を始める際に服にこだわるよう、設定に盛り込んだっけ。


「ただ、久しぶりの外出ですから」

「楽しみなのはわかるけど、子供っぽいよ」

「そこがテネーブルの可愛いところだと思います」

 鏡の前でクルクルと回りながら、あれこれコーディネートを楽しんでいる姿を想像すると、思わず顔が綻ぶ。

 リヒトが用意してくれたジュースを手に取り、いただきますと呟いてストローを口に含む。呼吸の要領で息を吸えば、口の中にオレンジの甘さが広がった。

 ホッと一息つき、スプーンを右手で握ってカボチャのカップのプリンを頂く。

 甘すぎない、つるりとした舌触りを堪能していると、アイテムボックスから取り出したらしいコーヒーを手に、リヒトが渋い顔になっていた。


「可愛い、のかな……」

 引っかかっている単語を、反芻するように呟いてカップに口を付け、喉の奥に暗い色をした水を流し込む。

 陶器の白に触れた、赤みの強い珊瑚色をした唇。ついつい、そこに視線が吸い寄せられた。

 艶やかな赤から奏でられる、合成音声ではない滑らかなリヒトの声。


 フィクションではなくなった途端、ときめいてしまう心臓をどうにかしたくて、誤魔化すようにプリンを食べる。

 優しい甘味は、意識を反らしてくれないが落ち着く。


「んー……なんか、ちょっと複雑」

 手にしていたカップをソーサーの上に置き、リヒトが腕を組んだ。

「どうしてですか?」

 パンプキンパイにフォークを入れつつ聞いてみる。

「だって、同じ顔だし。テネーブルが可愛いのなら、ボクもそうなんでしょ?」

「………………ふぇ?」

 予想外の質問に、裏返った声が出てしまった。慌てて口の中のプリンを飲み込み、顔をリヒトへ向けた。

 …………何故か、ご機嫌斜めを表すように口元をへの字に曲げ、眉根が寄っている。


「いえ、あの、別に、顔が可愛いとか言う意味じゃなかったんですが……」

 地雷を踏み抜いた可能性に、サッと血の気が引いていく。小刻みに首を横に振り、急いで否定してみるもリヒトの不機嫌オーラは変わらない。

 ジットリと、フォークを握る手に汗が出てくるのを感じた。

「こ、行動が! 行動が、可愛いなって!!」

「行動?」

「お出かけ服を、あれでもないこれでもないって、鏡の前で身体に当てて、一番似合うのを探しているところが! わ、私も、した事があったので!!」


 小学生の頃の話しだけど、とはあえて言わずにおく。

 デートも合コンの予定もなく、職場に好きな男性がいたわけでもないので、ここ数年は似たような恰好しかしていないわけで……

 そんな私からすれば、外出用の服を選ぼうと思う気持ちや、コーディネートを楽しむ姿は十分可愛い。


 なので、それを身振り手振りで伝えてみると、一応納得してくれたらしく……リヒトの眉根は、元の位置に戻ってくれた。


「――と言う事でして、外見ももちろん素敵ですが、内面と言うか行動と言うか、気持ちが可愛いと言うか」

「確かに、そう言うところは可愛いに入るね」

「はい、とっても可愛いです」

 首が取れそうな勢いで頷いて見せれば、

「あ、そうだ」

 思い出したようにリヒトが、口元に笑みを作った。


「テネーブルは別にいいんだけど、エマはどういう恰好にするかとか決めてる?」

「ふへ??」

 予期せぬ会話の剛速球に、またしても声が裏返る。

 そして、目を瞬かせながら脳みそに染み込んでいく言葉に、私は汗で濡れたフォークをパンプキンパイの皿に置き、

「…………登山服、ありましたっけ」

 山に登る際の恰好を思い浮かべながら尋ねる。

 あまりに真剣な様子の私に、呆気にとられたのかリヒトが目を丸くした。


「え? えーっと…………あったかな……」

 目線より高い位置を見つめ、空中で両手を動かす。どうやら、何か調べてくれているらしい。

 何が見えているのかはわからないが、ゲームだった頃と同じなら……たぶん、取得済みのアイテム一覧かなと辺りを付ける。


「うーん……登山服って名前の物はないけど、防寒着はあるよ?」

「リュックとか、水を入れる道具とかは……」

「アイテムバッグは……あっても、エマはまだ使えないのか」

「使い方もわかりません……」

「レベル5からじゃないと開けないんだよね」

「…………」


 つまり、私のレベルは5以下って事ですね、とは言わず口を噤む。


「ボクやテネーブルがいるから、別にバッグはいらないと思うけど、持ってるだけでも安心するだろうから、あとで倉庫の中を探しておくよ」

「お、お手数おかけします……」

 手間をかけるので頭を下げれば、とたんにリヒトが不機嫌な顔に戻る。

 その理由がわからず、思わず息を飲み込んで身を引いた。背中が、ソファーの肘置きにぶつかる。


「前から言いたかったんだけど」

 いつもより低い声音に、ゴクリと喉が鳴った。

 和らいだ表情が、また険しい物に戻り……纏っている空気に苛立ちを感じる。

 怖いはずなのに、自分を静かに見据えるアイオライトの瞳。その輝きの美しさに、つい目を奪われて……


 彼が私の顔を両手で摘まんで、頬を引き延ばすまでの動きが全く見えていなかった。


「ふひっ!?」

 みょーんと伸ばされた頬の痛みに、間抜けな声が空気と共に口から洩れる。

「あのね」

 変わらず、声音は低い。

 腰をくの字に曲げたリヒトが、私の頬を摘まんだまま顔を覗きこんできた。

 その距離、おおよそ10センチ。息がかかる程の近い場所に、美少年の顔がある。

 その事実に、心臓が跳ねた。鼓動が早まり、聞かれてしまうのではないかと思うような音を奏で始める。


「一回しか言わないよ?」

「は、はひ」

 念を押すようなリヒトに、素直に返事をする。


「ボクに遠慮はしないで」


 言って、リヒトは私の頬から指を離した。

 くの字に曲げていた身体を戻し、目の前で腕を組む。

 「返事は?」と言いたげな視線に、私は二度首を縦に振って見せた。


「あと、敬語もなし」

「…………え」

「破ったら……どうしようかな」

「………………痛いのはなしで」


 んー……と短く唸るリヒトに対し、怖いのと痛いのと酷いのはやめてくれ、と懇願するような視線を向ける。

 すると、彼はパッと花が咲いたような笑みを浮かべ


「夜、一緒に寝ようか」


 顔の横で人差し指を立てて、名案だと言いたげに私を見る。


「…………………………は……はぃい??」

 声が上ずり、目を瞠る。頭の中でジワジワと多くなる「寝る」の言葉。

 開かれた辞書が、意味を知らせてきた。



 体を横たえること。または、その状態で休むことを指す。

 眠りにつく、寝床に入る。睡眠をとる、眠る。寝込む、病気で床につく。



 他にもあるぞと、辞書の文字が前の文字の上に現れた。


――共寝する、同衾する。



 そして最後に、寝の文字が入る言葉を示す。

 眠っているところを襲って、首を切り取る。つまり、殺される。



「…………え? え?? 死にます!?」

「なんで寝首を掻かれる事になってるの……」

 血の気の引いた顔で叫ぶように言えば、心外だなと彼が口を曲げた。

 けれど、それ以外の理由が何も浮かばず、緊張と不安から呼吸が荒くなり、心臓を落ち着かせようと両手で胸元を抑えても、鼓動は煩いままだ。

 そんな私の様子に、「なんでそうなるのかな……」と小さく呟いたリヒトが鼻から息を吐く。


「まぁ、猶予は一日二回まで。それ以上”です、ます”な喋り方したら、本当に枕持ってくるから」

 顎を突き出し、これは決定事項だと言うリヒトに圧倒され、私は小声で「はい……」と返事をする。

「今のはカウントしないでおくよ」


 苦笑いを浮かべ、コーヒーが冷めたと言いながら元の場所に腰を下ろした。








 寝首を掻かれるのが怖くて、この後の会話の殆どをジェスチャーで済ませた所、怒ったリヒトが「ああもう、今日は帰る!」と叫び、私を抱えてベッドに投げ捨てた後、部屋から出て行った。

 ちなみに、彼に抱えられてポイと投げられるのはこれで二度目。


 なので、前程驚かなかったが……あの時より乱暴に扱われた気がし、その理不尽さに少しだけ腹を立てる。


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