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錬金術師の外出準備 4


 ルームシェアを始めた年の冬に、初めて積もった雪の日の夢を見た。

 くるぶしまで埋まってしまう程で、電車が動いているのかどうかを心配しながらも、年甲斐もなくはしゃいでいた事を思い出し、ベッドから降りてカーテンを開ける。

 差し込む陽ざしは温かく、夢の中の寒々しくも美しい雪化粧はそこにはない。

 あるのは、鬱蒼と生い茂る木々の……森とも、林とも言える緑の景色……


 ここが、あの懐かしい場所ではないと教えてくれる、自然豊かな光景。


「…………シロップ、余ってたらかき氷が作れるねって、冗談言ってたなぁ」

 親友、愛理との会話を断片的ながらも思い出し、この世界は雪が降らないのかなと考える。


 二柱の神々によって創られた、ノウム・プルウィア。


 この世界で暮らし始めて一ヶ月近くになるが、窓と庭から見える景色しか私は知らない。




――ギイッ。


 不意に、真後ろの扉が前触れなく開いた。

 振り返れば空中に浮いた水差しと、複数の獣の特徴を持つ、この世界の住人のフィラフトが立っており、

「しつれい しますのよ」

 と言う言葉と共に、トコトコと四本の足を動かしてベッド脇のナイトテーブルの前まで進む。

 浮いている水差しが傾き、どこからともなく現れた空のグラスの中に水が注がれる。

 七分目まで入ったところで水差しは静かに、ナイトテーブルの上に真っ直ぐと置かれた。


「どうぞ」

 声と共に、今度は水が注がれたグラスが私の眼の前に移動する。

 それを受け取り、

「あ、ありがとうございます……」

 躊躇いがちに感謝を伝えるが、フィラフトは気にした素振りもなくトンと前足で床を蹴った。

 光と共に現れたフワフワのマットが広がり、その上に乗る。


「………… めが はれて いますのよ」

「え!?」

 指摘され、グラスを持っていない手で顔に触れる。

 指先で目元をなぞるが、腫れているようには感じない。

「かがみを ごらんに なります?」

 そう言って、フィラフトはまた床をトンと軽く蹴った。すると、何もない空間に光の輪が広がり、幾何学模様が描かれその中から壁にかけるサイズの鏡が現れた。

 そこに映された自分の顔に……思わず目を瞬かせる。


「ひ、酷い顔に……」

「なって いますのよ」

「な、なんで??」

「おぼえて いませんの?」


 キョトンと目を丸くする私に向かい、フィラフトがあからさまな溜息をこぼす。


「くわしくは リヒトにでも おききなさい な」

「………………な、何か……ご迷惑を……?」

「いいえ」

 伺うように尋ねれば、フィラフトはイタチの顔を小さく横に振る。

 そして、こげ茶の瞳に私を映し、躊躇いがちに口を開いた。


「めいわく そうでは ありません でしたの ……ただ こしが いたいと ぼやいて いましたのよ」

「へ!?」

 フィラフトの言葉を聞き、手にしていたグラスを落としかけた。慌てて反対の手で底を抑える。


 ”迷惑ではないが腰が痛い”状況とは、一体どんな事だろうか……??


 考えていると、嫌な汗で掌がジットリと濡れていくのを感じた。

 以前、リヒトの顎に頭突きをしてしまった時、彼はあまり痛がっていなかった。

 その事から、私が殴った、蹴った、技をかけたと言う流れからの”痛い”はありえないと思う。

 錬成の失敗で爆発に巻き込んだ、可能性も低い。

 錬成釜からまき散らされるのは煤で、フラスコやビーカーも昨日は割れていないのだから、怪我をさせたとも思えない。


 では……何故腰を痛めたのだろうか?


 恐る恐るフィラフトの反応を確かめれば、ウサギの耳はペタンと垂れている。


「もとめ られる がわも たいへん ですのね」

 器用に前足を頬に当て、フィラフトがあからさまな溜息を吐いた。

 まるで「やだわぁ」と言いたげなその態度に、疑問符がますます頭の中に増えていく。

 ”迷惑ではないが腰が痛く、求めらえるのも大変”

 情報は増えたが、余計ややこしくなったような気がする。


「あ……あの………………な、なんだか……少々、難しい話しに……なっている……いる……ような……」


 両手で握りしめたグラスの中の水が、身体の動きに合わせて震えていた。


「あなたの せかい では そうやって はぐくむ のでしょう?」

「育む!?」


 違うのか、と言いたげな表情に、小刻みに震えていた手元の水が、更に大きく揺れチャプチャプと水音が鳴る。

 それを聴いていると、発した動揺が自分に戻ってきているようで――混乱が混乱を呼んだ。

 なのに、何故か以前読んだ雑誌の1ページだけが鮮明に思い出せて、冷静な自分が文章を読み上げていく。


 ”高校生の時、同じクラスの男の子と……。部屋に遊びに行ったら、流れでそのまま。その時聞いていた歌手の曲を聴くと、甘酸っぱい気持ちを思い出します(三十代女性)”

 ”中学の時、初めて付き合った彼と夏祭りの帰りに経験しました。公園の隅で隠れてだったので、凄く恥ずかしかったのを覚えています(十代女性)”

 ”五度目のドライブデートで、星を見に行った時です。バイト先の先輩で、とても素敵な方で夢のような気分でしたが、とにかく痛かった! あと、息苦しかったですね。今もお付き合いは続いています(二十代女性)”

 ”完全に成り行きで。正直ほとんど記憶にありませんが、その当時の恋人が目を覚ました私に嬉しそうに教えてくれたところは鮮明に覚えています。どうやら緊張と初めてへの恐怖で身体が強張っていて、ずっとしがみ付いていたそうです。身体が痛いと笑っていました(二十代女性)”


 体験談について赤裸々に書かれた記事を見て、自分もいつかは――と、夢見た事もあった。

 痛い、息苦しい、関節がつらい、変な顔になってたかもしれない。そんな内容を目にするたび、色んな心配もしたが、それが現実になる事はなかった。


 が、まさかと……ゴクリと息を飲む。

 強張った顔でフィラフトを見ていると、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。


――バンッ!


 蹴破らんばかりの勢いで木製の扉を開けたのは、愛らしい少女のような見目のテネーブルだ。

 けれど、その彼の顔にはいつもの可愛らしい笑みはない。

 室内を見渡し、私を見つけた彼は酷く焦った様子で口を開いた。


「リヒトと寝たってどういう事!?」





 投下された爆弾に、私はこれでもかと言う程目を大きく見開き、フィラフトはその肩を震わせた。

 頭の中で、雪の日に愛理と交わした約束めいた言葉が流れていく。


 ”彼氏が出来たら紹介してよ?”


 無理です。そう、私の口から小さな音が零れた。




***




 亡くなった親友に、一度だけ恋人が出来たら……と言う夢を語った事がある。

 その日は雪が降っていたので、最初に雪だるまを作りたいと言ったら笑われた。

 子供じゃないんだからと笑う彼女に、子供っぽい事にも付き合ってくれる人がいいと返せば、他にはないかと聞かれ、憧れを話した。


 誕生日を星空が見えるホテルで過ごしたい、夏の夜に海岸に並んで海を見たい、有名なカップル繋ぎと言うものをしてみたい、とか。

 その中に、後ろから抱きしめて欲しい……なんて言うものもあったのだが、まさか異世界にきて叶うとは思わなかった。


 問題は、叶えてくれた相手が恋人ではなく、私より可愛くて素敵で美人なのに性別がない、年下の……一応、心は男と言う設定で作った、元ネットゲームの自分のキャラクターと言う点だろうか。



「――紛らわしい言い方するんだもん、リヒトが!」

 そんな彼、テネーブルはぷくっと頬を膨らませ、私を後ろから抱きしめたままフィラフトに向かい愚痴を吐く。

 声変わり前の、少女とも少年とも感じられる声音で耳元で不貞腐れたように吐き捨てる。それに、私の身体はますます強張った。

 助けを求めるようにフィラフトを見ているのだが、複数の特徴を持つ獣は相変わらず「あらまぁ」と言いたげに前足で頬に触れたまま、世間話でもしている時のような雰囲気で頷いている。


「大体ね! 朝になっても部屋に戻ってこないから、心配して聞いたんだよ、ワタシ? 「なにしてたの?」って。それなのに、リヒトってば……」

「まぁ……! あさまで もどられません でしたの?」

「そう! そうなの!! 夜通しエマちゃんと錬成してたのかなって思って聞いたら……」

「それで どう こたえましたの?」

「なんか妙に嬉しそうに、「エマと寝たよ」とか言うんだもん!」


「フグッ!?」

 突然、耳元から聞こえてきた声に思わず変な音が口から飛び出した。

 動揺で肩を震わせていると、真後ろのテネーブルが声を低くし、

「紛らわしいよね、本当に……」

 誤解しないよう、添い寝なら添い寝だって言って欲しいと少年らしさを感じられる声音で続けた。

 それに対し、私はただただ首を縦に振る。


 怒りで震えているテネーブルと違い、フィラフトは呆れたと言いたげに目を細めつつ、頬に触れていた前足を降ろした。

「ずいぶん まぎらわしい ものいい を されましたのね それでは ごかいしても しかた ありませんのよ」

「ねー! エマちゃんの匂いが全身からするから、まさかと思って確かめに来たの」

 そう言ってテネーブルは抱きしめる腕に力を込め、私の首筋に顔を埋める。

 肌に感じる彼の熱に、更に鼓動が早くなった。心臓が飛び出してしまうんじゃないかと言う程に大きく鳴って、顔や耳が赤みを増す。


 恋人ではない相手でこれなのだ。恋した人に抱きしめられたら私は死ぬんじゃないか?


 そんな事を考えていると、肌に吐息を感じた。

 聞こえない程の小さな声でテネーブルが何かを言ったらしい。


 私の聞こえなかったが、フィラフトには届いたらしく、獣はピクリと垂れたウサギの耳を動かし、

「なんの しんぱいも いりません のよ」

 と当然のように言った後、私の顔を見てハァ……とあからさまな溜息を吐く。

「おおよそ いろっぽい はなしに なる ようそが かんじ られません ので」

 ああ、これは馬鹿にされているな、と思えるような発言だったのでカチンときた。


 が、口で勝てる気がしないので出かかった言葉を飲み込む。


「で、結局昨日の夜はずっと錬成してたの??」

 私を抱きしめている腕が解かれ、可憐な表情の少年が顔を覗きこんできた。

 ああ、可愛いなと素直な感想が口から漏れかけキュッと下唇を噛む。

「ふくぶの きずを みせた ところ なかれて しまって それどころじゃ なくなった そうですのよ」

 私の代わりにフィラフトが答えた。

 それに対し、テネーブルがキョトンと目を見開く。

「えっ……」


「なきつかれて ねむって しまった そうですのよ そのさい ふくを つかんで はなさなかった ので みょうな しせいのまま あさまで つきあう はめに なった そうですの」

「そっかぁ……それで、一緒に寝た発言になったのねー……」

「なかま いしきが しっかり はぐくまれて いますのね」

「仲間意識、かなぁ?」

「めいわく がっては いない ようでした のよ ただ みうごきが とりにくかった と」

「ふーん……」


 事の真相を淡々と告げるフィラフトに、私も目を瞬かせる。

 おぼろげな記憶の中で、困惑気味のリヒトが小声で呟いたのを思い出した。


 それが、何かは覚えていない。ただ、躊躇うように笑んで私の涙を拭ってくれた彼は、いつもより優しい声をしていたような気がする。


 ジワリと、顔が熱くなる。それを隠すように両手で頬を覆えば、テネーブルが見開いた目を細めて怪訝そうに眉を寄せた。

「………………今日は、ワタシが錬成に付き合うから」

 「どうぞ」とフィラフトは言い、テネーブルはドカドカと足音を立てて部屋の中央にあるソファーに腰を下ろす。

 そして、どこからともなく取り出した大量のお菓子と飲み物をローテーブルの上に広げ、やけ食いのようにして口に頬り込んでいった。


 私はと言うと、間違いがなかった事にホッと胸を撫で下ろしながら、フィラフトが空中に浮かせてくれた水入りのグラスを掴み、中の水を喉の奥に流し込む。

 乾きが癒えた事で心も身体も潤い、冷静さが戻って来た気がする。


 紛らわしい物言いをしたフィラフトに対し、多少腹は立ったが……

 それよりも、勘違いした際に真っ先に浮かんだのが、雑誌の初体験に着いて書かれた記事と言う事実に恥ずかしくなる。

 顔を覆って唸っていると、また「あらまぁ」とフィラフトが言いたげにこちらを見ているのに気づき、平静を装うように唇を引き結ぶ。


「な、なんでもないですよ? まぁ、何もなかった事なんて本人が一番よくわかってますし」

 フフンと鼻を鳴らして言えば、皮肉ったように口元をして

「わたくしも きいた だけ でしたので」

 と言われてしまった。

 ぐっ……やはり、口で勝てそうにない。



 トンとまた前足で床を蹴れば、空になった私の手元のグラスが空中に浮かび、


「たいへん かも しれませんが がいしゅつ じゅんび がんばって くださいまし」


 苦笑いを浮かべ、そう告げた獣と……雪の日の親友の姿が重なった。


――『今日休みだったらよかったのにね』

 躊躇いがちに笑んで私を見た彼女。

――『雪の日は大変かもだけど、お互い準備頑張ろうっか』

 つけたままのテレビが交通機関の状態を知らせてくれ、それをBGMに私たちはベランダに出た。

 振り続ける淡雪と、雲に隠された空。その向こう側に太陽があると気づかせてくれる光を見つめ、指さし、顔を見合わせる。


 昼過ぎには止むよ。

 夜には溶けちゃうかもね。

 彼氏と見たかった。

 いないけど、雪より君が綺麗だよとか言われてみたい。




 そんなやり取りを思い出す。



 夢の続きを見ているような気がして、私は瞼を擦った。

 もう一度確かめるように見た世界に、親友の姿はない。



 私の眼の前にいるのは、複数の獣の特徴を持つ神様の使いと、美しい姿をした少女のような少年。

 しなくてはいけない外出準備は、化粧でも着替えでも髪型を調えるのでもなく、清潔感を感じさせる恰好をする事じゃない。


 守りたいものを守る力を私は得た。

 特殊なアイテムを作れる、ここは異世界――


 今度は何も失わないよう、出来る事をしよう。

 悔やまないように、死に抗おう。


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