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錬金術師の外出準備 2


 カーテンを開け、爽やかな朝の陽ざしを全身に浴び、眩しそうに目を眇める私は……はたから見ればきっと、一日の始まりに胸を躍らせているように見えるだろう。

 けれど、鏡で確かめた自分の顔は青白く、身体は気だるい。

 表情も暗く、どこかどんよりとした雰囲気で……少なくとも新しい朝を喜んでいるようには見えないはずだ。

 それもそのはず。

 やっと自由に動けるようになったと喜んだのもつかの間、敷地外へ出るためには用意しなければならないものがある。


「…………ポーションを作るって、なに。防具ってどういう事。武器を準備って…………傘とか??」

 ボソボソと呟くが、それに答える声はない。

 当たり前だ。この部屋には自分しかいないのだから。


 アイロンを片手に服の皴を伸ばしたり、身だしなみを調えるための道具をポーチに入れたり、携帯の充電を気にしたりする、前の外出準備とは違うと言われているのだから……

 溜息と同時に弱音が出た。疑問交じりの弱音。

「外って武器がいる程危険なの……? と言うか、ポーションがいるって怪我をする前提なのかな……いやでも、防具って布の服的な……要するに、女子的戦闘服と言うか、おしゃれ着的なものの話しかな? となると、化粧が防具で武器って可愛さの話し? ――あ、それ無理なヤツ」

 グニグニと自分の頬をつまんで伸ばし、その痛みに現実だと実感し、その場に項垂れる。

「………………どうしろと?」

 もちろん、これに答えてくれる人も居ない。

 チラリと部屋の奥を見れば、相変わらず場違いな機器が並んでおり、それらを使えと言われても”持ち上げて投げる”程度の事しか浮かばなかった。


「………………」

 頭の中で全力疾走を続ける”?”マークたちを何とかしたくて、心の中で男神を呼ぶ。

 助けてル・ティーダ、女子力が足りないの。そう、冗談めかしく唱えてみれば――


 ふわりとカーテンが揺らめき、驚いて目を瞬かせれば世界が白に染まった。


「…………………………ふぇ?」


 思わず驚きから声が零れる。




 窓も壁もカーテンもなく、視界から一切の色が失われ、白だけが存在する空間にフワリと降り立った幼い神様。素足が床らしい場所に触れた瞬間、彼が纏っていた光たちが粒となり、剥がれて空気に溶けていく。

 純白のその世界で許されているのは、男の子の纏う色だけで――あまりの眩さに私は掌で目元に影を作った。

 そして、心の中で謝罪を繰り返す。


 調子に乗ってごめんなさい。適当に呼んでごめんなさい。変な事思い浮かべてごめんなさい。

 他にも様々な言葉を使い、高速で懺悔を繰り返せば顔を上げた神様が訝しむように小首を傾げた。


「…………呼ばれた気がしたけど、違うのかな?」

 その声に慌てて首を左右に振る。

 いいえ、呼びました、でも本当にごめんなさい。

 そんな気持ちを込めて全力で首を振れば、頭がクラクラとしてきた。

「うっ…………すみません……すみません……許してください……」


 気持ちが悪くなり、頭を抱えてその場に蹲る。

 誠意を見せるのなら土下座が一番だろうかと考えていると、柔らかな声音が頭の上からかけられた。


「エマは、ぼくに会いたくなかったの?」

 否定的な言葉に顔を上げれば、男の子は困惑気味に目を伏せた。

 サンストーンの瞳が隠れ、目元に睫毛の影が落ちる。

 そんな彼の様子に、心臓を掴まれたような気がして息苦しくなった。

 狼狽え、違う、そうじゃないとまた首を振れば、眩暈と首の痛みが酷くなる。

「………………違うんです、あの……まさか、会えると思わなくて……」


 そう、思っていなかった。まったく、微塵も。

 露程も、だから冗談めかしく心の中で彼の名前を唱えたのだから。

 別に女子力が本当に欲しくて願ったわけじゃない。単に――疑問に答えてくれる相手が欲しかった。


「”じょしりょく”が、エマに必要なのかな……?」

「ひいいいっ!?」

 心の中で繰り返していた言葉を紡がれ、頭が真っ白になる。そして、顔がカッと熱くなり、羞恥心の余り泣きたくなった。

 両手で顔を覆い、違うんです、違うんですと頭を振る。それ以外の言葉が出て来ず、目の前の神様はそんな私に驚いたのか……キョトンと目を丸くしている。


「違う、の?」

「あの、その、違うんです、足りないのは足りないのですが、しょうがないと言うか、努力不足なので……いや、そうじゃなくて……女子らしい事をしてこなかった私が悪いと言うか、不勉強なのが問題と言うか、でもその、今まで見てくれる人なんていなかったし、好きな人の好みに合わせても無反応だったから、張り合いがなくて、だんだんやる気が……と言うか、着飾ってもダサくても誰も気にしないから…………何もかもが、どうでもよくなって…………うっ……」

 慌てて言い訳をすればするほど、言葉がグサグサと自分の心に突き刺さった。

 殴られてもいないのに、なんだか痛い。別に身体は何ともないのに、痛い。

 それを誤魔化すように笑って見せれば、男神は困惑気味に小首を傾げる。


「ごめんね、エマ。ぼくには……よく、わからない」

「ひいいいっ、神様気にしないでええええっ」

 伏し目がちなル・ティーダの、サンストーンの瞳に影が落ちる。

 憂いを帯びた躊躇いがちな声に、私は顔を上げて叫ぶ。この場に神使のフィラフトがいたなら、きっと鋭い牙や魔法の餌食になっていただろう。

 オロオロと慌てふためいていると、


「ぼくは…………あなたを、可愛いと思う」


 透き通る幼い子供の声が、聴きなれない言葉を紡いだ。

 目を瞬かせ、目の前の神様を見れば――太陽を閉じ込めたような瞳が私だけを映し、慈愛に満ちた笑みを口元に浮かべている。

 偽りのない、本心からの言葉。


「………………ふへ?」

 時間をおいて脳に染み込んできた言葉に、声が裏返る。

 次第に動悸が激しくなり、体中の血液が沸騰したかのように全身が熱を持つ。

 リフレインされる「可愛い」と、目の前の男神の微笑み。

 どうしよう、小さな神様相手に私は――


「”じょしりょく”は、ぼくには……よく、わからない。”じょしてきせんとうふく”も、必要ならエマは錬金術師だから、作る事は出来ると思う」

 朗らかな、邪気の一切ない笑みのまま語られた言葉に、スッと頭が冷えていく。


――「はくあい ですのよ」


 いつかのフィラフトの台詞が記憶の引き出しから飛び出し、私に冷静さをプレゼントしてくれた。

 そうだ、神様は博愛主義。彼は世界に存在するすべての命を愛し、慈しみ、そして可愛く思っているに違いない。

 だから、この言葉に意味はなく、特別と言うわけでもない。

 そう考えた所で、萎んだ恋心にトドメが刺される。

 道を踏み外しかけた自分を、ちゃんと軌道修正出来た事を誇ろう。不毛な感情を抱かずに済んだのだから、それでよしとしよう……


 とは思うものの、なんとも言えない複雑な気持ちに顔が引きつる。


「えーっと……その、錬金術に関して今……ちょっと困ってまして……」

 おずおずと尋ねてみれば、ル・ティーダは不思議そうに瞬きをした。

「元の世界で作れたものは、この世界でも作れるよ」

「あ、そうなんですね。じゃあ、魔法を閉じ込めた石とかもつく…………れ…………え?」

 言っている途中で疑問符が頭の中を走り出す。

 キョトンと目を丸くして彼を見れば

「だけど、失った身体を一部のデータで補い、作り直しているから、錬金術師じゃなかった恵真の記憶に引きずられて、出来る事は減っていると思う」

「…………は、はぁ……」

「魂に記録は刻まれているはずだから、試していく内に思い出すよ。多くの物を作るうちに」

「それって……レベリングが必要って事でしょうか……」

「あなたの世界だと、そう言うのかな……?」

「…………何回も作るうちに思い出す、と言う事なら……たぶん……」

 彼なりの言葉で説明をしてくれた。それに対し、混乱しつつも相槌を打ちつつ頭の中でまとめていく。


 現実の私、ネットゲームのキャラクターとして作った”エマ”と合体。

 錬金術師だった”エマ”の記憶も引き継いだので、錬成出来るけど現実の私に引きずられてレベルが下がった結果、1からやり直し状態らしい。

 錬成レベルを上げるためには、ゲームだった頃と同じように道具を山のように作って使って、経験値を溜めていく必要があるらしく、そうしているうちに魂が思い出す…………魂が思い出す!?


「あの……私、ただの一般人で…………現実で戦った事とかなくて、錬金術とかアニメとか映画とかでしか知らない、おとぎばなしな感じなんですが……」

 いよいよ現実味を帯びてきた”武器””防具”に血の気がサーッと引いていく。

 二十四年の自分の歴史を振り返っても、武装した覚えなどない。

 段ボールに頭から入って「ロボ!」と言った記憶はあるが、それは子供の頃の遊びの話し。

 武器に関しても、平和な現代社会ですぐさま用意できるものは、包丁や傘、庭があればシャベルぐらいで……そのどれもが人を傷つけるために販売されているものじゃない。

 一応、変質者や強盗が店にやって来た、と言うていのマニュアルは職場に存在したが、それでも速やかに110番をし、身の安全を優先するようにと書かれていた程度で、戦えと言う文言は一つもない。


 つまり、戦闘とは無縁の生活をしていたのだが――


「エマは、戦っていたよね……?」

 不思議そうに小首を傾げられ、一瞬言葉に詰まる。

「……まぁ……その…………ゲームでは、それなりに……」

 レベリングやアイテム回収目的で山のように敵を倒してきた。

 ダンジョンに潜り、最短距離でボスの部屋へ向かい、倒して戦利品を持ち帰り、それを使って道具を作っていたのだから。

 けれど、あくまでゲームだったから。実際に剣を渡され、敵対しているからと獣を殺せと命じられたら――


「……………………無理、ですよ」

 ポツリと、本音が零れた。

 しゃがんだままの姿勢で膝を抱え、顎を乗せる。

「命のやり取りとかしなきゃなら……外に出たくないです……」

 安全な場所で、今ある物だけを使って生きられるのならそれでいい。そうしたい。

 命を狙うのも、逆に狙われるのも無理だ。だって、そんな状況に対する教育を受けていないのだから。


 考えないようにしていた事を突きつけられ、私は目を塞いだ。

 テネーブルには悪いが、私は屋敷の中で過ごさせてもらおう。今、この瞬間にも生きる事への不自由は感じていないのだから。

 ただ、飽きている。それだけなら我慢すればいい。我慢できないわけじゃない。


「…………あなたはそれでいいの?」

 頭の上から幼い声が問いかける。

 それに対し、私の答えは「はい」しかない。

 臆病だと笑いたければ笑えばいい。弱くていい、怖がりでいい。傷つくのも傷つけられるのも嫌いだ。


「臆病なのは、悪い事じゃないよ」

 心の声が届いたのか、それとも神様だから考えを読めるのか。

 告げた神様を見れば、彼はしゃがんでいる私に目線を合わせて腰を下ろす。

 そして、変わらぬ慈悲深い笑みを湛えたまま、優しい声音で続けた。

「前にぼくが、選択によって個が作られると話したのを覚えている?」

 男神の問いに私は小さく頷く。

「生き物は、必要な時に必要な道を選ぶ。例えば、目の前に枝分かれした二本の道があって、エマは左を選んで歩いて行くと、窪みに足を取られて転び、怪我をしてしまった。その時、もう一つの道を選べばよかったと悔やむかもしれない。だけど、怪我をした事で学べる事が幾つかある」


 なんだと思う? と、男神に尋ねられて私は目を瞬かせた。

 感情の読めない、穏やかな微笑みを浮かべている事の多いル・ティーダが、楽しそうだから。


「え……っと、転ぶと痛い事、とか……でしょうか」

 おずおずと答えれば、男神は小さく頷いた。

「知る事は生き物にとって、大切な事。痛みは命に繋がる。だから、避けようと考えるようになる。転ぶ事は危険だと理解し、足を降ろす場所を考えるようになる。左の道を選び転んだ事で得たものは、その先に起こる多くの出来事の役に立つ。例えば、更に進んだところで怪我をした人を見つけた時、痛みを知ったエマならどうする?」

「……たぶん、大丈夫ですかって声をかける……と思います。歩けなかったら手を貸す、かもしれません……」

「足を取られるような窪みが、誰かの近くにあったら?」

「危ないよって、言うかも……」

 気づいてもらえる、もらえないは別として。と心の中で付け加える。

「怪我と言う経験がなければ、かける言葉は違うと思う。手を貸す、と言う行動も思いつかないかもしれない」

「…………まぁ、そう……ですね」

 子供の頃の、印象的な出来事が浮かび納得する。


 母が包丁で指を切った時、何故切り口から血が出るのかわからず、不思議に思った。

 水に触れて痛がる母に、「大丈夫?」と声をかけた覚えはある。けれど、それは母の様子がおかしい事への心配で、指先の痛みについて心配していたわけじゃない。

 その後、セロハンテープの台に着いているテープカッターで指を切って初めて、皮膚が避けると血が出て痛く、熱を持ったように疼く事を知った。

 手を洗う際に使う石鹸が染みる事も、傷ついた指で物に触れるとまた血が出るのも。

 知って初めて、物を切る事が出来るものは”危ない”と理解し、用心するようになった。


 つまり、私が”知った”事が選択に関わっているのだと、彼は暗に言っているのだろう。

 臆病である事も、命のやり取りへ抵抗がある事も。全て、私の過去の選択の結果だと――



 私を見る彼の眼は、どこまでも穏やかだ。けれど、まるで咎められているような気がするのは、私が外へ出ないと言う選択をしたからかもしれない。

 心のどこかで、自分が選んだ道が”よくない”と理解しているから、そう感じるのだろうか……


「エマはきっと、命のやり取りで失うものと得るものを知っている。それが、どれだけ傷つけて苦しめるかも」

 不意に、そう語った男神の表情に影が落ちた。

 何かを憂うように細められ、伏せられた瞳と……引き結ばれた口元。

 なんだか哀しそうに見え、人間らしいその表情に遠いはずの神様と言う存在が、妙に近く感じられた。

「あの……だいじょ………………!?」

 大丈夫ですかと聞こうとした私の手に、男神の両手が添えられる。

 突然の事に驚き彼を見れば、視線が絡んだ。心臓が、大きく跳ねる。


 ついさっき、不毛な恋に落ちなくてよかったと胸を撫で下ろしたばかりなのに!?


 冷静な脳と、混乱する心がぶつかり合い声が出ない。


「エマ……覚えていて」

 男神の声に、私は頭を上下に揺らした。小さく、微かに。


「この手は、傷つけるだけしか出来ないわけじゃない。癒す事にも、守る事にも使える。あなたが、データとひとつになった事で得た力は、壊すだけのものじゃないよ。あなたの大切なものを、救うためにも使える」

「……救うために」

 反芻した言葉に、男神が頷く。

「エマは、エマの選び方をすればいい。奪うのも、奪われるのも怖いのなら、奪われそうなものを守れるように、この手を使えばいいんだよ」

 幼い子供に言い聞かせるように、ひとつひとつの言葉を大切に、ゆっくりと口にした男神に……ストンと、痞えていた何かが落ちたような感覚がして戸惑う。

「守るために……使う……」


 それなら、出来るような気がした。

 頭の中にゲームだった頃に散々作ったもののレシピが浮かぶ。

 けれど、必要な素材がわかっても……前と同じように、錬金釜の中やフラスコの中に入れるだけで出来上がるとは到底思えない。


「…………あの、そもそも……どうやって、作れば――」




 おずおずと男神に尋ねれば、目の前の男の子の身体から光の球があふれ出した。

 嫌な予感に顔が引きつる。

 ああ、これは……もしかして、もしかしなくても……


「時間切れでしょうかああああああ!?」


 叫んだ途端に、微笑んだ幼い男の子の身体から光が離れて行き、空気に溶け始めた。

 笑みを湛えた口元が動くが、もう声は聞こえない。


――「待って神様!」


 咄嗟に触れていた手を掴んだが、感触はすぐさま消えた。

 どうしてこの神様はいつも突然現れて前触れなくいなくなるのだろうか。

 せめて消えるまでの時間を事前に知れたら、もっと重要な事を訊くのに――



 瞬きの後に戻った世界で、私は揺れるカーテンを前に項垂れる。


 とりあえず、錬金術に関して深く考えるのはやめよう。

 元の世界で言う、傷薬に位置する回復ポーションを作れるようになれば、なんかあった時に便利かもしれないし。

 と考えた所でふと、ゲームだった頃のシステムを思い出す。



 そう言えば、回復系のアイテムには所持制限があり、倉庫にも保管出来る量が決まっていたような……





 この疑問に、たまたま部屋に様子を見に来たリヒトが答えてくれた事で、私の錬金術師としての長く険しい修業が始まった。




***




「蘇生系のアイテムは倉庫には入れられないから、アイテムバッグの中にあるだけだよ」


 部屋のソファーに腰かけ、目線の高さを探るように左手を動かしているリヒトの指が止まる。

 どうやら、私には見えないところに何かがあるらしく、「これこれ」と言ってトンと空中を指先で叩くと、広げられた彼の右手の上にポンと音を立てて小瓶が現れた。


「エリキシル(真)は一応、ボクのバッグ内に一つあるけど、エマちゃんが前に作ってくれた方はないから、使ったのかな」

「…………えっと、(仮)の方ですよね?」

「うん、それ」


 小瓶をゆらゆらと傾ければ、七色に輝く液体がチャプチャプと音を立てて揺れる。


――エリキシル(真)


 それは、”千年王国と封印の鍵”のゲーム内アイテムで、体力と魔力を全回復して復活させる事が出来る、唯一のアイテム。

 毎日0時に更新されるデイリークエストを達成した際に入手でレベル1のプレイヤーでも手に入れる事は可能だが、所持数に制限がある。

 キャラクター一人につき一つしか持つことが許されず、他のプレイヤーへの譲渡は不可。

 なおかつ、倉庫に入れる事も出来ないので自分の別のキャラクターに渡す事も出来ない。


 ちなみに、蘇生アイテムはエリキシルだけではなく、他にもあるので重ねられる方ももちろん用意してダンジョンには挑むのだが……


「蘇生薬も一つしか残ってないね」

 リヒトの指がまた空中を叩く。すると、ポンッと五角形の薬包紙が右手の上に現れた。

「たぶん、新しく実装された”深淵に至る汀”に行った時のまま、こっちの世界に来ちゃったんだと思う」

「となると、回復系のアイテムはほとんどカラ……?」

「ボクの記憶が正しければ、エマは真っ先にアイテムを使ってたからほぼゼロで、テネーブルは魔力系のポーションがないと思うよ」

 あとはそれなりかな、と言って掌の薬包紙をポケットに入れる。


「ボクは一定以下の体力になれば自動的に使っちゃうスキルがあるし、最後のドロップで拾った分が残ってるぐらい」

「…………倉庫には?」

 僅かな期待を込めて尋ねてみれば、足を組み替えたリヒトが苦笑いを浮かべた。

「食品アイテムは山のようにあるけどね」

「つまり、回復アイテムの在庫は絶望的って事でしょうか……」

「そうなるね。まぁ、なくても攻撃を受けなければ何とかなるし、食品アイテムは重ねて持ち歩けるからちょっとした事なら対応出来ると思うよ……っと」


 言いながら立ち上がり、リヒトが錬成用の道具の前まで進む。

 一枚板で作られた上等なテーブルの上に並ぶ、フラスコや蒸留装置。

 それらを眺めながら

「エマは錬金術師だし、エリキシル(真)の効果の半分を付与出来る(仮)までは作れるから、薬品ショップがなくても何とかなるんじゃない?」

 当然のように言われ、思わず目が泳いだ。

 男神の話しによれば、努力次第と言う事になるが……

「今すぐ、作るとかは……無理ですよ……?」

 顔を引きつらせ、震える声で伝える。

 すると、振り返ったリヒトがキョトンと目を丸くし、

「錬成レベルも下がってるの……?」

 と、驚いた顔で聞いてきた。なので、遠慮なく首を縦に振る。

「…………作り方すらわからない状態です」


 素直に答えれば、目の前の美少年は逡巡するように眉根を寄せ、顎に手を当てた。

 そして、短く「うーん……」と唸った後、近くの薬品棚から乾燥させた薬草を二枚を取り出しテーブルの上に置いた。

 それから、飲料水の入った水差しをローテーブルの上から移動させ、鉱石などを並べている棚の一番下に置かれた、カゴの中から赤色をしたキノコを取り出した。

 テーブルの前まで戻った彼は、手にしたキノコの傘の部分をナイフで切り取り、薬草の横に置いて私を見る。


「赤の下級ポーションの材料はこれだよね?」

「え……? あ、はい……」

 間違いはないと頷けば、彼はそれをテーブルの横に設置された釜の中に投げ入れ、最後に秤で測った水を流し込む。

 その動きを、なんだかぼんやりと眺めていたら

「この後、確か……」

 私の腕を掴み、力を込めて引く。油断していたせいで身体がふらつき、彼に抱き留められてしまった。

「あ、ごめん。勢い付けすぎたかな」

「へ……?」

 見上げた顔があまりに近く、謝罪の言葉に目を瞬かせている私の脇の下にスルリと彼の手が入り込む。そして、ヒョイッと持ち上げて釜の前まで運び、置いて

「で、こうやって……」

 後ろに回り込み、掴み直した私の両腕を広げて釜の淵に触れるよう誘導する。


 背中に感じる彼の存在。予期せぬ出来事に――頭の中が真っ白になった。


「こんな感じで、エマは錬成してたと思うんだけど…………あれ、他に何かしてたっけ?」

 吐息と共に、疑問交じりのリヒトの声が私の鼓膜を震わせる。

 イヤホンを通じて聞いていたものではない、滑らかな音に突然、聴覚と触覚が情報を一気に脳まで流す。


 私は今、後ろからリヒトに支えられて錬金釜に触れている。


「――――――!?」


 声にならない声が口から飛び出し、混乱が混乱を呼ぶ。そんな中、私の掌がじんわりと温かくなりはじめ――



 ボンッ!



 目の前の錬金窯から小さな爆発音と共に、黒い煙が上がり煤が飛散する。

 それを浴びながら、私は身体に感じた衝撃と目の前の出来事に――


「嘘でしょ……」


 絞り出すような声で呟いた後、後ろで咳き込むリヒトの服を掴んで揺すっていた。




***




「どどどどど、どういう仕組みですか!?」

 襟元を掴んで揺さぶる私に、さすがのリヒトも驚きを隠せないのか目を見開いている。

「火薬? 火薬ぶち込んだんですか!? それとも、これも魔法?? どこかにフィラフトさん隠してます? 隠してるんですよね!?」

「ま、待って、ちょっと、落ち着いて、エマ、フィラフトさんを、ボクの身体のどこに、フィラフトさん、入るの」

「じゃあ、テネーブル? テネーブルを隠し持ってます?? 驚かせるつもりで隠し持ってきたんですか??」

「同じサイズを隠し持てるわけないって、だから、揺さぶるの、やめっ」

「夏のイベントで配布された花火! それだ、花火突っ込んだんですよね!!」

 そこまで早口で捲し立てた所で、リヒトの両手が襟元を掴んだ手を払う。

 弾かれた両手と、骨に感じた衝撃に混乱は途切れ、代わりに不安と恐怖が勢いよく広がる。


 私はなんてことをしてしまったのだろうか……

 腕を抑えて恐る恐る見上げれば、紫苑色をした髪の少年はずれたシャツを直し、身体に着いた煤を払いながら私を見据えた。


「とりあえず、さっきの反応って失敗の時のだよね?」

「は……はい……」

 そうですと頷けば、一通り煤を落とし終えたリヒトが錬金釜を覗き込む。

「今まで気にしなかったけど、失敗すると黒焦げのゴミが出来るんだね」


 手を入れ、ひょいっと彼が掴んだのは……煤けた黒い塊だ。

 ゲームの時は、爆発のような効果音と煙のイラスト、失敗した事を告げるテキストが表示された。

 ”錬成に失敗し、以下のアイテムを失いました”と書かれた説明と、失ったアイテムの画像。

 それだけで、失敗した際に出来上がったものに関する演出はなかったが……


「これって、何かに使えるのかな?」

 掴んだ黒い小石のような物を見ながらリヒトが小首を傾げた。

「投擲アイテム……には、なりそうですが……」

 威嚇用にはなりそうだが、攻撃力と耐久値は低そうなので大して期待は出来ないだろう。

 と、冷静な自分がそれを見て答えを出す。

「まぁ、この世界でエマが初めて錬成したものだし、記念に残しておこうか」

 そう言って、彼は包み紙を取り出してそれを包んだ。

 やめてくれと言いたいが、彼の襟首を掴んで揺さぶった手前……意見するのは気が引ける。

 命は惜しい。せっかくこの世界の神様に拾ってもらった物だ、むざむざ捨てる気はない。


「結果はさておき、材料があれば錬成できるみたいだし、色々試してみようよ」

 包んだ失敗作をポケットに押し込み、顔を上げたリヒトが楽しそうに言う。

 その言葉を聞き、私が出来るのは……首を縦に振る事だけ。



 何故なら、彼のアイオライトの瞳は決して笑っておらず、拒否は許さないと言う明確な意思を読み取ってしまったから……


「は……はい……」


 返事をすれば、それはそれは美しい笑みを浮かべ、頭に着いた煤を白磁の手で払ってくれた。

 その際に心臓が鳴ったのは、極度の緊張と不安からで――決して、甘酸っぱい感情からではない。






 それから数時間。


 私はリヒトの監視の元、黙々と魔力の回復ポーションを作る事になった。

 次々に用意される魔力回復効果のある食品アイテムを口に詰め込み、水で流し込みながら錬金釜やフラスコ、蒸留装置を交互に使い錬成し、魔力が枯れかけたらまた食品アイテムを口に入れる。

 そんな状況に耐えられたのも、あの魂から”よくないもの”を引きはがされた後に体験した、地獄のような苦しみの賜物だろうか……

 それとも、私の一挙一動を目を輝かせながら見ている美少年の効果か。


 なんとなくコツらしいものを掴み、掌を自分の意志で温かくすることが出来るようになった頃、部屋の扉を叩く音が聞こえた。



「エマちゃんいるー?」

 愛らしい声が扉越しに聞こえ、思わず錬金釜から手を離せば――


 ボンッ!


 爆発音と共に頭の上から黒いすすが降り注ぐ。

「わぷっ!?」

 顔にかかったものを払うように手を動かしていると、扉が開いて恐る恐るとテネーブルが顔を覗かせた。

「…………なに、今の?」

「錬成の失敗」

 私と同じように煤を頭から受けたリヒトが髪の毛を掌で乱暴に掻けば、黒い粉や粒状の物が床に落ちる。

「珍しいね」

 服に着いた煤を払うため、肩のあたりを叩くリヒトを手伝うためか、テネーブルが後ろに回り込む。

 そして、ポケットから取り出したハンカチらしいものを手に、ハタキのようにしてササっと振れば、リヒトの服についていたものはすぐに落ちた。

 次いで、視線を私に向けて

「エマちゃんも黒いね」

 微かに笑みを浮かべ、新しく取り出した布を手に彼は頬を拭ってくれた。

 思わず心臓が大きく跳ねる。理由は、香りだ。テネーブルは近づくととてもいい匂いがする。


「もしかして、錬成レベルも下がってるとか?」

「…………はい」

 素直に答えると、テネーブルは「やっぱり」と躊躇いがちに息を吐いた。

「となると、魔力もすぐになくなっちゃうから、大変なんじゃない?」

「……………………」

 その問いに、思わず視線がソファーの前に設置されたローテーブルに向く。

 そこには、魔力回復効果のある食品アイテムと、食べ終わった際に残る皿が積みあがっており、私の眼の動きを追ったテネーブルの表情がすぐさま固まった。

「…………え、なに……新しい拷問?」

「……違うから」

 引きつった顔で見てくる弟に、リヒトが思わず苦笑いを返す。

「とりあえずエマ、休憩しよう」

「……は、はい」


 はたから見れば、あの食事量は拷問なのか……と、積みあがった皿にぼんやりとした感想めいたものを浮かべた。

 なんだか、自分の感覚がどこかで麻痺しているような……

 そう思いながら近くの椅子に腰かけ、フウと一息つく。

 久しぶりに座った気がし、なんだか動きたくない気分になった。


「テネーブルは魔法士なんだし、魔法の使い方とかエマに教えられない?」

 出来上がったゴミの山を片付け、手に着いた煤を叩いて払うリヒトが尋ねれば、ソファーに腰かけたテネーブルが首を竦めた。

「無理だと思う」

「なんで?」

「同じ魔法職でも、変換して放出する魔法士と編む使い方をする精霊士、宿して補う死霊士に、練って与えるタイプの錬金術師じゃ、魔力の流し方が違うんだもん」

「……………………ごめん、なに言ってるかわかんない」


 小首を傾げたリヒトに対し、テネーブルが皮肉ったように口元を歪める。

「物理職も同じじゃないの?」

「大体はカン? 攻撃は効きそうだなってところを切り付ければいいし、ギアも意識すれば使えるよ?」

「…………あっそう」

 額を抑え、鼻から息を吐く。半ば諦めのような声にリヒトがキョトンと目を丸くした。


 そう言えば、その手の才能があると言う一文を設定に盛り込んだような気がする。

 感覚型のリヒトに対し、思考型のテネーブル。

 双子は似ているようで全く一緒、と言うわけじゃない。こういう、些細な点から表情や動きに違いが出ているはず、だと思う。


 ただ一つ言えるのは、感覚だろうと思考だろうと今の私には理解出来ないと言う事だろうか……

 放出も編むも宿すも練るも、なにがなんだかさっぱりだ。


「まぁ、でも……アドバイス出来る事があるとすれば、集中の仕方かな?」

 リヒトから視線をずらし、私を見たテネーブルが左手の人差し指を立てた。

「集中……ですか?」

 なんとなく、立てられている人差し指を注視すれば、指先にオレンジ色の火が灯り、それは風もないのにゆらゆらと揺れた。

「指先に集まるイメージをするの。それが出来たら、今度は右や左に動くように意識する。すると、火はゆらゆらと揺れて、消したい時は暗がりを想像する。すると、こんな風に消えるんだけど……」

 言葉に合わせ、テネーブルの爪の先で揺らめいていた火が消える。

 その瞬間、口から感嘆詞が溢れ出て思わず手を叩いた。パチパチと拍手をすれば、照れくさそうに手ネーブルが右頬に触れる。


「えへへ、そう言う反応ちょっと新鮮」

「凄い……ロウソクみたいです」

「初期の初期にする練習なんだけどね。それで、錬成する際になんだけど、流し込みたい場所まで通路があるイメージを作ったらどうかなって」

「通路……ですか?」

「うん」

 座っていたソファーから立ち上がり、テネーブルが錬成釜の方へ足を進める。

 「こっちに来て」と手招きされたので、私も同じように釜の前に移動してみた。


「錬金術師って、釜の前で手をかざしてる事が多いと思うんだけど」

「あ……はい。ゲームの時はそんな感じで、両手を広げて悪魔召喚みたいなポーズ取ってました」

「…………召喚?」

「いえ、何でもないです、気にしないでください」


 初めての錬成の際に感じた事が口をついて出てしまった。

 話の腰を折りそうだったので慌てて口を噤む。


「えっと、それで……翳した掌から、素材まで繋がる道をイメージするの。そうしたらたぶん、集中しやすくなると思うんだけど……」

 「どうかな?」と、私を伺い見るテネーブルの表情が可愛らしくて、つい「やってみます!」と言ってしまった。

 咄嗟に返した言葉だが、取り消しは効かない。

 助けを求めてリヒトを見たが、彼はすぐさま必要な素材を棚から取り出し、カラの釜の中にポイポイと放り込んだ。

 それを見て、悟る。出来るまでこれは終わらないのだと……



 双子の視線を一心に受け、後悔しながらも腹を決めて手をかざす。

「………………繋がる道……」

 ポツリと呟いたのは、テネーブルから貰ったアドバイスだ。

 言われたように、自分の掌から釜の中に入った素材に向かう、糸のようなものを想像する。すると、次第に掌が温かくなり、そこまでは何度も経験したが――

 皮膚から抜けていくような感覚は初めてで、私は息を飲んだ。


 上手くいくのではないか。


 そんな期待に胸を膨らませ、更に強く意識する。



――ドカン!



 衝撃と共に響いた音に、テネーブルが「ひゃっ!?」と可愛らしい声を上げ、リヒトは咄嗟に頭を庇うように腕を上げた。





 私はと言うと、前よりも大きな爆発音に――尻餅を付き、放心していたそうだ。

 ちなみに、第一声は「ちかちかする」で……


 何が起こったのかを理解するのに五分ほどの時間を有したらしい。

 そして、案の定錬成は失敗した。


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