錬金術師の外出準備 1
幼い男の子の神様から、身体の中に入り込んでいた”よくないもの”を取り除いてもらった翌日から、酷い眩暈に吐き気、そして高熱に襲われた。
呼吸のたび、空気が通った気管や肺が焼けただれていくように感じ、心臓が血液を送り出すと体中に張り巡らされた血管が悲鳴を上げ、身体を支える全身の骨と言う骨が拉げたようで身動きが取れず、関節は捩じ切れたのではと思う程に痛む。
そんな状態では起き上がる事はもちろん、声を上げて助けを呼ぶなどと言う事も出来ず、不審に思ったフィラフトが部屋を訪ねてくるまでの丸一日、私は孤独の中で地獄を味わうと言うすさまじい体験をした。
食いしばりすぎた歯が割れ、口から血を滴らせている状況は着いてきた双子も驚いたらしく、顔色を失くし「楽にしてあげよう」「一思いにやらなきゃ」などと発言するほどだったらしい。
『見慣れてるはずなのに焦ったよ』と、記憶がない間の事をリヒトから聞かされた自分も別の意味で驚いた。
何故なら、本当に双子は私にトドメを刺すつもりだったらしい。フィラフトが止めてくれなければテネーブルに頭蓋骨を叩き割られていたかもしれない、と言う部分が私の肝を一番冷やしてくれたかもしれない。
苦痛に呻く私を救うため、回復魔法を唱えるより先に殺そうと辺り彼らしいのだが……
「わらい ばなし には できません のよ……」
三日前の出来事を思い出し、フィラフトがフウ……と溜息を吐いた。
あれから、三時間ごとに様子を見にやってきてくれるのだが、そのたびになんだか申し訳ない気持ちになってしまう。
かと言って軽口を叩けば、いいから寝なさいと強制的に魔法で眠らされてしまうわけで……
「すみません……本当に……」
寝転がった姿勢のまま謝罪すると、額の上に置かれた濡れタオルがフワリと空中に浮かぶ。
そのまま移動し、水の入った桶の中で軽くすすがれた後、同じ場所を通り私の額の上にまた置かれた。
「これほど つよい えいきょうが あるとは おもいません でしたのよ」
予想は、丸一日寝込む程度だったらしいが、負担は予想を上回る程大きく、ゲームの頃に使ってた上級ポーションと言われる、致命傷も回復出来るものが手元になければ……危険だったらしい。
そこはフィラフトの魔法で、と思ったが――神使は命の在り方には触れられないそうだ。
物の修理と身体の治療は別らしい。
「よく たえましたのよ ひとりで……」
気遣うような声に、私は心の中で苦笑いを返す。耐えたのではなく、耐えるしかなかった。一人でと言うのは、誰もこの部屋にいなかったから。
気が狂いそうな、いや、すでに狂っていたのかもしれないが、そんな状況下にありながら死を選択できなかったのは、身動きが取れなかったからだろう。そして、舌を噛むに至らなかったのは……単純に、最初に歯を食いしばったから。
別の行動を取る、と言う代替え案をあの状況で脳が出せるわけがない。
「…………死んでた方がマシな状態だったとは思います」
鏡で自分を見たわけではないが、酷い有様だった事は自覚している。
何をしていたかの記憶こそないが、綿や羽毛が布団からは飛び出し、のたうち回った際に飛び散った血液がアートよろしく、周辺を転々と染めていたのだ。想像するなと言われても、勝手に脳みそが見た事のあるドラマや映画のシーンに当てはめ、映像化し再現する。
致死性の高い毒に、泡を吹いて痙攣しながら悶絶し……絶命する。そんな場面が脳裏をよぎった。
ブルリと身震いしたいが、身体が重く動かない。それもそうだなと一人納得し、小さく息を吐いた。
もう、喉も肺も痛くない。ただ痛みが無くなっただけだ。それなのに、表現しがたい幸福感を感じ、深緑の森の木陰で涼んでいるような時のような穏やかさがある。
指一本動かせないこの状況を幸せだと感じるのはきっと、地獄のような経験の後だから。
そう考えると、あの体験は私の考え方や感性に大きな影響を与えたかもしれない……
常時身体が痛いと言うのは、苦しい。苦しいと言うより、救われたいと言うべきか。
とにかく、死ぬほどつらいとは地獄の痛みに耐えている瞬間に使われる言葉だろう。
「あと ふつか ていどで かいふく する はずです のよ」
前足をトンと床に付けた。浮いた水差しが傾き、空のグラスの中に水が注がれていく。
そこに、ストローが滑り込むように入り、私の枕元まで移動してきた。見慣れた光景だが、やはり心のどこかで糸を探してしまう。本当は天井から吊るしているのではと、魔法を否定しようとする自分はきっと、科学の世界で生活していたからだろう。
「…………それって、便利ですよね」
飲むように促され、ストローの先端を口に含む。
三日前とは違い、息を吸う事で痛みはないのだが――乾いた口を湿らせる程度しか許されていないため、早々に取り上げられてしまった。
何故なら、体力を早く回復させるために最小限の行動しかとれないよう、フィラフトの力によって抑えられているから、だ。
今の私は、命を維持する行為以外は”ほぼ”制限されており、若干の会話と視線を動かす以外の行動はフィラフトの許可がなくては出来なくなっている。
幸い、食事と排泄などはフィラフトの魔法で”一時的に不要”な状態にしてもらっているので、完全介護の寝たきり生活となっている。
汗もかかず汚れない。お陰で服を着替える必要がなく、元の世界ではシモの世話と言われるものもされていないので、精神的には幾分かましかもしれない。
それでも、一日の大半が天井と言うのは味気ない。
ドタドタドタ、ガンッ、バンッ、バタン、ドタドタ。
文字にするなら、こうだろう。
突然、廊下側からわざとらしい足音が聞こえ、扉を叩きつけるようにして開け放ち、乱暴に閉めてまた走る。
そんな音を発した主がフィラフトの横からヌッと私の顔を覗きこんだ。
「………………」
表情筋が動かせたなら、驚愕を張り付けた顔を向けただろう。けれど、今の私に出来たのは瞬き一度だけ。
「エマちゃん!!」
私の顔を覗き込む天使が声を発する。
急いでやって来たよ、と肩を荒げる仕草に思わず見惚れそうになってしまった。
愛くるしい少女の頬は微かに赤く、浮かべた微笑みはどこまでも清らかで――ああ、天国へ連れて行ってくれる人だろうか。こんなに綺麗な使いが迎えに来てくれたのなら、大手を振って飛び込もう。その胸に――と、視線をずらしたところで……はたと考える。
年頃の少女らしい姿かたちをしていると言うのに、その胸元には一切の膨らみはない。いわゆる、ペタンとした貧相な胸元なのだが、それを目にしてスッと頭の芯が冷めた。
そうだ、彼女は彼で、少女ではなく少年で。あるはずの物がないのが当たり前なのだ。
どれほど清らかな少女の姿をしていても、見上げる彼の瞳の奥に宿っているのは…………好奇心と少しの加虐心。それを読み取り、肌が粟立った。
何故なら、彼はリヒトと違い……精神を痛めつける方を好む設定、にしてあるからだ。
天真爛漫な少女の外見に、時折見せる小悪魔な言動。可憐で愛らしく、どこか危うさを感じるその少年の内面は、天使のような見目とは裏腹に……黒を更に深くしたように淀んでおり、底が見えない程に暗い。
兄であるリヒトよりも歪んだ心は強い狂気を孕んでおり、自分の楽しみのためなら利用できるものはなんだって利用する。
彼にとって相手の心をズタズタに裂く行為は、お菓子を食べるのと大差ない。
食べたいから食べる、食べたくなったから食べる。それと同じように、ほんの少しの興味と好奇心から相手の心の隙間に入り込み、絶対的な信頼を得た頃に突き放し、絶望させ――処分する。
愛らしく可憐で、残忍で非道な天使。
……と言う設定を思い出し、私の眼は動揺を隠しきれずゆっくりと泳いだ。
彼は可愛い。それは外見を作った自分がよく知っている。この世で一番可愛いと思う姿にしたのだから。
それと同じぐらい、怖ろしい。何故なら、彼にしても彼の兄にしても、躊躇いなく人を殺せるのだから。
幸い、今は表情筋が動かせないので感情は顔に出ない。鼻孔を擽る甘く華やかな香りに、使っているシャンプーなのか、それとも香水なのだろうかと考えながら、可愛い子は匂いまで可愛いと思っていても、信頼されたら殺されると焦っていたとしても、私の顔は赤くも青くもならず、ニヤけも引きつりもしないのだ。
なので、私が誤魔化すように周囲を見る素振りを視線だけでしてみると、
「……もしかして、リヒトの事探してる?」
「あ…………いえ……その……探してはいない、です」
目が泳いだ事を指摘されずに済む、らしい。
心の中でホッと胸を撫で下ろしつつ、違うと伝えたが疑うように目を眇められてしまった。
「リヒトにばっかりかまってたら、ワタシ……また爆発しちゃうからね?」
テネーブルはぷくっと頬を膨らませ不満そうに腕を組む。拗ねたような表情が……どうしよう、可愛い。
ちょっと膨らんだ頬っぺたを突っつきたくなる。困った、可愛い。けれど、私の手は指一本動かず腕を持ち上げる事すら叶わない。大変だ、可愛い。
「だだもれ ですのよ がんぼう が」
テネーブルの横で、冷ややかな目をしたフィラフトが言う。
「なんの事でしょうか……」
取り繕うようにして返せば、呆れたと溜息を吐かれてしまった。
「まあ げんきそう で なにより ですの」
「いえ、あの…………元気ではないのですが……こんな状態ですし」
「ひにく ですのよ!」
クワッと開かれた口から鋭い獣の牙が覗く。
そうか、皮肉だったのかと一人納得し、頷く事が出来ないため自然と瞬きの回数が増えた。
「……ぷっ」
私たちのやり取りを見ていたテネーブルの表情が緩み、噴き出した時の音に反応してフィラフトの耳がピクリと動く。そして、じろりと真横を見た後あからさまな溜息を吐いてみるも、少年はどこ吹く風と涼しい顔だ。
「ハア…… まったく」
呆れたと言いたげに頭を振り、
「とにかく いまは やすんで からだを かいふく させて くださいな」
声音は厳しかったものの、フィラフトの表情と言葉は優しい。この神使は時折、よくわからないチグハグな態度を取る。
三週間同じ屋敷内で生活しているが、嫌味を言いながら心配するような顔をしたり、逆に冷たい目をしているのに声はどこか温かかったり。
なんだか素直じゃない、天邪鬼な人なのかなと最近では感じている。
「や・す・ん・で ください まし」
フィラフトの顔を見たまま黙っていると、咎めるように目が細められたので
「…………は、はい」
念を押すように紡がれた音に慌てて返事をする。
考えている事を悟られてしまったのだろうか……と震えていると、フィラフトの視線がスッと隣のテネーブルに向いている事に気づいた。
「むー……まだ話したかったけど、休まなきゃよくならないもんね……」
またテネーブルがぷくっと頬を膨らませた。仕方ないと言い聞かせるように呟く。
どうやらテネーブルに退室を促すのが目的だったらしい。……なんと言うか、わかりにくい。けれど、善意と気遣いは強く感じた。
トンッと前足で床を蹴れば、波紋が広がるように光の輪が扉へ向かう。それがぶつかったと同時にキイッ……と音を立ててゆっくりと扉が開いた。
「ながいは むよう ですのよ」
「………………そんなぁ」
「はなすだけでも つかれ ますの」
「………………うっ……それは、そうだけど……」
テネーブルに尾があったなら、きっと垂れ下がっているだろう。それぐらい、彼はしょぼくれたような顔で私を見て
「…………また、来るね」
躊躇いがちに笑み、左手を振る。
自由に動かせる場所が目元と、お喋りのための口だけの私は手を振り返す事が出来ず、
「早く元気になります」
と、精いっぱい笑って見せた。けれど、頬の筋肉はピクリとも動かない。
それでも、伝わってはくれたらしくテネーブルの表情が少しだけ明るくなった。
「お出かけ準備、しておくから!」
さあ、と促すように顎で出入り口を示すフィラフトに続き、こちらを向いたまま後ろ向きに着いて行く。
そのまま、部屋と廊下の境目に立ち手を振って「おやすみ」と言った彼の表情は、寝たままの姿勢では見えなかったが、きっと花が咲いたように綺麗な笑顔だろうなと思いながら目を閉じる。
フィラフトの魔法のお陰か、それとも何もする事がないからか。
思いの他、私は早くに夢の世界へ向かう事が出来た。
けれど、特別いい夢ではなく――昔の事の再現のような、懐かしい夢だった。
***
二匹の聖獣を従えた黒髪の女性は、私の後ろで退屈そうにあくびをするキャラクターの、頭の先から足の先まで舐めるように眺めた後、
『……………………拗らせた?』
まるで、風邪を引いた友人を気遣うような声音で呟いた。
「フグッ……!? ゲホッ、ゲホッ」
イヤホンから聞こえてきた音に飲んでいたお茶を噴き出しかけ、ゲホゲホと咽る。
「ま、ちょっ、ちがっ、変なところ、はいっ…………ゴホゴホッ」
否定しようにも、気管に入り込んだ液体を出すために咳が出る。なので、上手く喋れず違うと伝えられない。それが余計に私を焦らせ、現実の両腕を振れば仮想の掌が左右に揺れる。
『頑張って作った感は凄いよ? だって、2キャラ目と同じ顔なのにかなり雰囲気違うし、何よりかなり可愛いよね。…………でも、設定年齢幼くない?』
「十代半ば、のつもりです……」
咳き込みながら質問に答えれば、向こう側で「ふーん」と納得したように声を漏らす。
『レース生地のピンクのボレロに、白のミニワンピ………………夢見てる童貞感凄い』
「ど、どう……ゲホッ!?」
私は女だと言おうとするが、また咳が出てしまった。
『――それとも、願望とか?』
意地悪な声に思わず言葉に詰まる。そりゃあ、こんな可愛い女の子になれたなら……とは思うが、
「性別、固定してないんですよね……」
彼の設定を告げると、目の前の女性が驚いた言いたげなジェスチャーを取る。
『ええー! ステ下がるのに??』
「両方のコスが着られるらしくて、つい」
呼吸が落ち着き、いつもの調子で話せばイヤホンから大きな声がした。
どうやら、彼女的には予想外だったらしい。
『なんかもう、あたしよりこのゲームを楽しんでるね。で、この子もAIチケ使ったの?』
もちろんだと頷けば、目の前の女性は呆れたと言いたげに右手で額を抑えた。
『課金しまくってるけど、お財布大丈夫? オネーサン、あなたの私生活が心配だわ……』
「そんなにつぎ込んではないですよ?」
現実の私が右手の指を一本ずつ曲げれば、仮想の私も同じように動く。
右手で足りず、左手の指を曲げた所で
『待って、あたしが知らない間になんか凄い事になってない?』
止められ、キョトンと目を丸くする。さすがに、目の動きまでは仮想世界に再現されず、小首を傾げるだけだ。
「諭吉さんを六人召喚しただけですよー」
『………………何に使ったの? 何を買ったの?? この短期間に!』
クワッと目の前の女性が口を大きく開けた。
耳に聞こえる声の勢いと網膜に映し出された映像の迫力に押され、説明する。
AI化、ボイス、性格反映、パートナー登録、PT登録、スキルツリー追加。
これらはキャラクターごとに必要になるチケットのため、複数購入した。
中でも、パートナー登録と言う、自分が操作していないキャラクターをNPC化し、呼び出す事が出来るようになるチケットは便利で、マイホーム内に待機しているキャラクターに話しかけると、幾つかの選択肢が現れ頼みごとが出来るようになる。
”クエストを手伝ってもらう・アイテムを探してもらう・コインを集めてもらう・ゆっくりしてて”
ちょっとした会話の後に「何かしておく事、ある?」と聞いてくるキャラクターに依頼が出来るようになり、頼みごとをしてから出かけると、帰宅した頃にはアイテムやコインが自分は何もしていないのに増やしてもらえる。資材を大量に使う錬金術師、と言う職には無くてはならないシステムだ。
もちろん、収集アイテムや討伐対象によって難易度が変わり、キャラクターのレベルによっても成功確率は上下する。
難易度が高ければ高い程希少な品や大量のコインが手に入り、低ければ短時間でそれなりの物をそれなりに。
その他にも、自分が登録したキャラクターだけでPTを編成し、ダンジョンに挑めるようになるPT登録チケットや、ダンジョンの性質に合わせてキャラクターのスキルの状態を切り替え可能になる、スキルツリー追加、変更のチケット。
これらも購入してよかったと思える品で、特化型にしたりバランス型にしたりとその時その時に合わせて切り替えられるので、値段はそれなりにしたが満足している。
倉庫、アイテムボックスの拡張、死亡時のペナルティ軽減はアカウントごとなので他のチケットに比べれば高額だ。けれど、利便性を購入したと思えば納得の価格だと思う。
「買ったものに不満はないですよー」
胸を張って言えば、ゲーム内の私もそれっぽい表情になる。
が、目の前の女性は相変わらず頭を抱えたポーズのまま固まっており、イヤホンを通じて聞こえてくる音声の中には溜息が含まれていた。
『いや、悪くはないよ? いいと思うけど………………』
「けど?」
『短期間でそんなに貢いで大丈夫……って、あたしが言う事じゃないか』
「大丈夫ですよ。こういう時じゃないと使わないので」
本心からそう言えば、なんだか自分の心を冷たい風が撫でたような気がした。
現実世界ではお洒落をしても見せる相手はいないし、遊びに行った先で使う事もない。
お土産を買って渡す相手もいなければ、家族や恋人へのプレゼントなんて考える必要もない生活。
衣食住に不自由しない程度で生きると、自然と小銭は増えていく。せめて、未来に希望が持てれば別だ。結婚資金を溜める、と考えれば預金が増える喜びもあるだろう。
けれど、人と縁遠い私に恋人が出来るとは思えない。なので、結婚資金と言うより老後の資金と言った方が現実的で、貯蓄と言うより完全な保険だ。
なんだか虚しくなる。
「それに……キャラクターを着飾ると、なんだか気持ちが明るくなるんですよね。変な話しなんですが、友達と買い物する時って、こんな感じなのかなって――」
言いかけ、口を噤む。
「あ、いえ、破産しない程度ですから、ご心配なく!」
慌てて話題を戻す。何の問題もないと繰り返せば、イヤホンの向こう側の声がいつもの調子に戻った。
『まあ、男性向け漫画のヒロイン的な見た目と恰好で、性別未固定のその子の性格設定はどうなってるんでしょーか?』
「………………ふぇっ」
唐突な質問に変な声が出てしまった。
『その反応は、やっぱり……あれなのか……』
「一応、その……双子の設定なので……」
ごにょごにょと呟けば、ドン引きだと言いたげに目の前のキャラクターが両肩を抱いた。
『まぁ、趣味の悪さについては色々言うつもりはないけれど――』
「言ってる言ってる、趣味悪いって言ってる」
『言ってた? 顔がよくて性格鬼畜が好きとか、どうしようもないなーとか言ってた?』
「………………たった今、言いましたよね」
両手で顔を覆うが、目は開いているので網膜に投影された映像は消えない。
目の前の女性は苦笑いを浮かべ、もう一度私の後ろに立つキャラクターを見て頭を振る。
『それにしても、本当に美少年だよね。現実に居たらストーカーが山のように現れそう』
「大丈夫ですよ。そのストーカーを血祭りにあげるような性格設定にしてますから」
『んんん? ちょっと待とうか。血祭設定って、双子の兄と似た感じだよね、やっぱり』
「そうですね。火属性の魔法が得意なので、血祭と言うよりは焼肉祭りですよね、多分。焼き払えー的に殺ると思います、多分ですが」
グッと親指を立てて見せれば、黒髪の女性はまた額を抑えて頭を抱えた。
『いや、なんと言うか、あたしのキャラも背景設定とか過去に関してはどぎついし、性格も破綻してるけど、その上をぶっ飛ぶ勢いの設定作るとか、人は見かけによらないよね』
実際に会った事ないけど、と付け加えて彼女がしみじみと言う。
声に合わせるように、彼女が操るキャラクターが頷くように首を縦に振った。なんだか、話している相手も映像と同じような動きをしているように思え、思わず笑ってしまう。
「見た事なくても、見かけによらないなんですね」
『そうそう。見かけによらない』
言って、互いにプッと噴き出す。
この、穏やかな時間が好きだった。
他愛ない事を話し、のんびりと遊ぶ。丁度いい距離感と、踏み込まれない安心感。
彼女は本当に、付き合いやすい人だった。
必要以上に入り込んでこない、けれど、ちゃんと心配したり気遣ったりしてくれる。
もう二度と会えないと気づいた時、夢が終わった――
***
目頭に溜まった物が、目じりから肌を伝い下へ落ちる。
それを拭えと脳が命じるが――腕はピクリとも動かなかった。
目を覚ました私は、身体の違和感に頭の中で疑問符を並べる。
ついさっきまで、花々が咲き誇る幻獣師の街”アイティオピア”の転送ゲート前にいた。
そこで、黒髪の女性と話していたはずだが……
「おや めを さまして しまいましたの?」
覗き込むようにして身を乗り出したイタチの顔に、私はギョッと目を瞠った。
頭から伸びるウサギの耳、羊やアルパカのような体毛の身体、そしてゆらゆらと揺れるリスの尾。
いわゆる、キメラの存在に思わず息を飲む。ゴクリと喉が鳴った。
「………………夢?」
にしては妙にリアルに思え、視線を動か周囲を確かめるが――複数の獣の特徴を持つ生き物は、訝しむように目を細めた。
「ねぼけて いますの?」
凍てつくよな視線に、記憶の引き出しが一斉に開く。そこから飛び出すのは、幼い男の子の神様と共に並ぶ、獣の姿。
時間にすれば一秒にも満たない程だが、その間に今日までの約三週間分の記憶が蘇り、名前と性格と現在の状態の理由を思い出させてくれた。
「寝ぼけて……いました……」
素直に白状する。目の前にいる存在に言い訳は通用しないと学習したから。
ここは異世界、場所は自室。獣は案内人のフィラフトで、何故こうやってベッドに横たわっているかと言うと、三日ほど前に魂から”混沌の歪み”残りカスを引きはがされた事で熱を出したから。
熱どころか、他にも酷い症状のフルコースだが……思い出したくないのでソッと記憶に蓋をする。
その際に微妙な顔をしたからか、フィラフトのリスの尾がまたゆらゆらと左右に揺れる。
今まであまり気にした事はなかったが、あの尾は気分で動きを変えるのだろうかと注視していると、左の前足を器用に口の前に持って来て「コホン」と一度、フィラフトが咳をした。
「………… なにか ゆめを みて いましたの?」
「ふぇ?」
「みたか みていなか どちら ですの」
強い口調で繰り返され、私は「見ました!」と半ば叫ぶように言う。
「えっと、友達と言うか……ネトゲで知り合って、リアルでも仲良くなった人との……夢を……」
詳細を口にする前に、何故か疑問が浮かんだ。
どうしてフィラフトは私に夢の事を訊くのだろうか――
「ねごと で よんで いました のよ」
その疑問に答えるように、フィラフトが答える。
「寝言……ああああ、何か変な事言ってましたか??」
「いいえ」
首を横に振り、短く否定の言葉を口にした後
「だから こその しゅうちゃく なの でしょうか」
「え……?」
囁くほどに小さな声で、全てを聞き取る事が出来なかった。
気になったので訊き返そうとしたが、フィラフトは上げていた左の前足を降ろし、トンと床を叩く。
薄っすらとした青白い光が波紋のように広がって行った。
すると、複数の物が同時に動き始める。私の頭の上に乗せられていた濡れタオルが浮かび、宙に浮いた水差しが傾く。流れ落ちる水を空のグラスが受け止め、その中にストローらしきものが身体を滑り込ませた。
そして、私の身体から何かが抜ける感覚がし、思わず眉が寄る。
「ん…………?」
違和感に声を上げると、
「ごじぶん で のんで みて くださいな」
フワフワと目の前に移動したグラスを掴むよう、フィラフトが指示を出す。
「………………」
ベッドに横になったまま、恐る恐る腕に力を込める。掛け布団を掴み、反対の手で体重を支えて身体を起こす。多少の痛みは残っていたが、苦痛に感じる程ではない。
そして、指示されたように手を伸ばしてグラスを掴む。
「………………どう、でしょうか」
恐る恐るフィラフトを見て尋ねれば、獣はイタチの顔を上下に動かし
「かいふく している よう ですね」
と、口角を上げて微かに笑みを浮かべた。
「あ、はい。痛くないわけじゃないですが、我慢できない程でもないので……」
「あすに なれば おちつくと おもいます のよ」
思いの他、私の身体の回復は早かったらしい。
「よかった……」
首や肩を触りながら答えると、フィラフトがフウ……と息を吐いた。
そして、トンとまた床を前足で蹴ると、敷いていたフカフカのマットが光の中に消えていく。
「体調が回復したら、外へ出られるんですよね?」
ふと、テネーブルの顔が浮かび、なんとなく聞いてみる。
広い屋敷での快適な生活は悪くない。けれど、特に目的もなくダラダラと過ごすのには飽きていた。
ゲームもなく、仕事をするわけでもないのだから、屋敷や敷地内の探索が終われば――ただ、時間の浪費をするだけの生活で、さすがに寝たきりだったここ三日間は別だが、正直何か真新しい事をしてみたくなっている。
例えば、テネーブルが言うように街を散策したり、森の中を散歩したりなど、出来るのならやってみたいのだが……
「かまいませんが」
「やった」
思わずガッツポーズを小さくすれば、フィラフトが顔を顰めた。
「したくは しっかりと して くださいまし」
「そうですね。食べ物と飲み物は持ち歩けるようにしなきゃですよね。あ、この世界のお金って、どうなってるんでしょうか? 元の世界のお金は、持ってこれなかったし…………そうだ! ゲームのコインが使えるなら、当分働かなくてもいいぐらいの蓄えは――」
言いかけた言葉に被せるように、フィラフトが「コホン」と咳き込む。
「れんきん じゅつし とは なまみで そとへ でられ ますの?」
「ふぇ……?」
突然、ネットゲームの職業名が出てきた事に驚き、間抜けな声を出してしまった。
理解出来ずキョトンと目を瞬かせていると、
「しなない ていどの どうぐは ごじゅんび くださいな」
口角を上げ、フィラフトが示すのは部屋の奥に並ぶ、ゲームの頃に使っていた錬成用の道具たち。
なんだか酷く嫌な予感がした。
「あの……まさかとは、思うんですが……」
おずおずと尋ねれば、それはそれは爽やかな笑みを返され、思わずヒュッと飲み込んだ空気が音を鳴らす。
――私、エマ。職業、錬金術師。ポーションとか作れちゃうの。凄いでしょう?
なんて、自己紹介が出来る日が来るとは思わなかった。
今、私は動揺を隠せず、身体が震えている。震えている。どうしよう、止まらない。