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私たちには色々足りない 3


 そのひとがいるだけで、心が軽くなったような気がした。

 聞こえてきた声に涙が溢れ、嗚咽する。

 光を閉じ込めたような輝きを持つ、サンストーンの瞳を縋るように見れば、幼い姿をした神様が手を差し伸べてくれた。

 褐色の肌をした手に触れ、両手で握る。自分よりも小さく、柔らかな子供の手だ。

 すっぽりと掌に収まるその手が、誰よりも何よりも頼もしく思えて、私は泣きながら彼を呼ぶ。

 子供の頃、お化けが怖いと母にしがみついた時のように。


「エマは、悲しいんだね」

 彼の手に縋りつく私を、彼は包み込むように抱きしめてくれた。背に回された腕が、安心感を与えてくれる。

 なにより、 ル・ティーダの言葉に抱えていた感情がゆっくりと整理されていく。


 悪夢は恐ろしいだけじゃなかった。

 何度となく繰り返される死を前に、無力な自分が憎く、そして許せなくなっていく。

 喪失感と悲しみが、目覚めと共に私を襲い……眠りに落ちると、大切なものが目の前にまた現れ、安堵し、再び消えて行った。

 たった一瞬で、何もかもを失う。

 夢を見るたびに、今日こそはと意気込んでも別の形で死が追いかけてきた。



 テネーブルに花束を渡した日の夜見た夢は、見通しのいい交差点を渡る時の出来事。


 母が気に入った食器を、店で買った帰り道。荷物を持った父と楽しそうに話をする母の後ろを歩きながら、携帯電話で時間を確認した。

 車用の信号機が赤で、もうすぐ歩行者用の信号機が青になると言うところに、女性の悲鳴が聞こえ――目の前にいたはずの両親の身体が、一瞬で消えた。

 近くにいた人の叫び声と、庇うように子供を抱いた若い母親。

 そして、視線を動かせば…………奇妙な方向に手足を曲げた両親と、赤黒く染まっていくコンクリート。

 駆け寄り母を、父を呼ぶ。身体に触れれば、ぬるりとした血の感触が皮膚を通じて感じられて、無意識に「助からない」と思考が答えを出す。

 誰かが携帯で写真を取っていた。救急車を呼ぶよう、指示を出す声も聞こえた。

 その瞬間を全部覚えている。けれど――

 

 父母を轢き殺した車の持ち主がどうなったのか、わからない。


「違うって、わかってるけど……でも、残ってるの……血の、感触が……!」

 溢れ出たものをかき集めても、父母の身体に戻す事は出来なかった。命の温もりは、外気に触れて冷め……色はゆっくりと濁っていく。

 そこに居たのだと、ここで事切れたのだと、痕跡を残すように地面を染めていく赤黒い色彩を、様々な人間が踏んだ。

 踏み荒らされ、薄まって、汚れていく地面。――母の亡骸を抱いて、転がる父に近寄り吐き捨てた言葉は、「助けて」じゃなかった。

 それが、私の本性だと言うように……


 幼い手が、嗚咽する私の背を撫でる。


「繋がっているから、見えてしまっただけ」

 幼い神が耳元で告げる。その声に、頭の中にまで響いていた心音が和らいだ。

 無意識に、身体が彼の言葉を聞く姿勢を作り始める。

「あなたの中に残っていた、”混沌の歪み”の欠片が見せた、記録」

「…………記録?」

 理解出来ず、反芻するように声に出してみれば、私を守るように抱きしめてくれていた男神の身体が離れ、背を撫でていた手に何かが握られている事に気づく。

「………………ひっ」

 それは、形容しがたい物で……吸い込んだ息が小さく音を立てた。


 ミミズとも、植物の根とも言える姿で、黒に近い色をしたなにかが細い指の間から逃れようと伸び、のたうち回っている。

 その身体からは淀んだ色をした靄が溢れ出ており、男神の身体にまとわりつくように腕を上っていく。

 神々しい子供と、禍々しさを感じる細長く気味の悪い物。その対比に、私はますます混乱する。

 何なのかと尋ねようにも、噛み合わない歯がガチガチと音を鳴らし続け、身体から血が抜けてしまったのかと思えるほど、全身が冷めていく。

 異常だ。とうの昔に失った人間の野生が、突然戻って来たかのように……逃げろと、叫んでいた。


「混ざった時に深くまで入り込んでいたから、引きはがせなかったもの」

 呟き、男神は暴れる黒い糸状の物を見つめた。瞬きと同時に光が集まり、たちまち糸状の物が包まれ、開かれたル・ティーダの手から浮き上がる。

 それは、次の瞬きと同時に薄い光で出来た球体の中に閉じ込められた。

 彼の手の中にいた時とは比べ物にならない程、静かだ。身動きと表現するべきかわからないが、何らかの理由で出来ないらしくピクリとも動かない。


――ホッと胸を撫で下ろす。


 理由はわからないが、”あれ”が光の膜で作られたガラスのようなものの中にいるだけで、もう大丈夫だと本能が言っているように感じる。

「…………ミミズ、ですか?」

 すると、口をついて疑問が零れた。

 腰が抜けている私の前にル・ティーダが片膝を突き、糸状の物に触れていなかった左の手で頬に残っていた涙を拭う。

「ミミズのように見えたのなら、エマにとってそれが”怖いもの”の形なのかもしれない」

 と、感情の読めない瞳で教えてくれた。

 仕草だけを取れば、異国の王子様がお姫様を相手に話しかけているように見えるが、実際は幼い子供に気遣われている大人だ。

「それって……」

 告げられた言葉に首を捻れば、ル・ティーダの表情が微かに変わる。困ったように少しだけ眉を下げた彼が、チラリと横目で球体の中の物を見た。

 変わらず、中の黒い物は動かない。

「ぼくとエマでは、見え方が違うから」

「え……? 立体感のある糸っぽいものじゃないんですか??」

「顔に見える時もあれば、エマのように紐や糸のようになっている時もある。形にすらなっていない時も」

「………………か、顔?」

 ゴクリと生唾を飲み込み、視線をル・ティーダから球体へと向ける。

「きっと、巻き込まれた生き物のものかな」

 彼の呟きに、慌てて頭を振った。一瞬、親友の父親の最後の顔が見えた気がしたが、気のせいだと自分に言い聞かせる。

 暴力を振るった相手の事など、二度と思い出したくない。哀れだなとは思うが、そもそも不法侵入しなければこんな事にはなっていないのだから。ある意味、彼の最後は自業自得だ。


「本当は、もっと早くに切り離したかった」

 球体を見つめたまま、彼が呟く。

「けれど、残滓とは言え”混沌の歪み”……無理に剥がせば、何が起こるかわからない。入り込まれたあなたの魂が傷を負ったり、一部が失われたりする可能性もあった」

「それって……死ぬかもしれなかったって……こと、でしょうか?」

 恐る恐る尋ねれば、男神は私を見て躊躇いがちに笑みを作る。それはきっと、苦笑と言うものだ。


「死なない。だけど、変わってしまう。あなたが、あなたに似た別のものに」

「……………………え?」

「今のあなたを作っているのは、エマがエマとして過ごしてきた時間と、決断の結果。あなたが選び、進むと決めた道の先。そこに、あなたは立っている」

「私が選んだ、道……」

「そう。生き物は選択する。人間は特に、多くの事を前に。時には悩み、時間をかけて。踏みとどまる事もある。そうして、エマの世界では”人格”や”性格”と呼ばれる、個が出来上がる」

 けれど……と、小さく口にしル・ティーダの表情が曇った。

 まるで、太陽が陰ったように見えたのは……きっと、サンストーンを埋め込んだような瞳が伏せられたからだろうか。


「そのうちの一つでも失われたら、変化が起こる。誰も気づかない、些細なものかもしれない。人が変わったと言われる程の、大きなものかもしれない。だけど、それはもう同じものとは言えない」


 聞こえてくる声は、子供独特の高い音だ。けれど、その声音は子供とは言えない程落ち着き、穏やかで柔らかい。

 胸の中に淡い灯りを燈すような温もりのある声に、不意に躊躇いが混じる。

 伏せられた瞳がゆっくりと開かれ、その中に私だけが映されている事に気づいた瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。

「ル・ティーダ様……?」

 問いかけるように名を呼べば、彼は小さく首を横に振る。


「もう、怖い夢は見ないから」


 それ以上、答えられないと言う意味なのか。それとも、すべて話したと言う事なのか。

 彼はただ、穏やかな笑みを口元に浮かべたまま、


「ぼくはね、エマ……あなたのままで、この世界に迎えたかった」


 大切に、大切に。けれどどこか躊躇うように紡がれた言葉。

 慌てて、彼に向かい手を伸ばす。けれど、唐突に視界が揺れた。ぐにゃりと、まるで水面に何かが落ちて波紋を作るかのように、景色が揺らいでいく。それは、まるで合図のようだった。


 伸ばした手が掴んだのは、彼の服の裾でも腕でもない。空気――


 這うようにして彼の元へ向かう。けれど、床が伸びているのではないかと思う程、目的の人は霞みながら遠ざかった。


――「待って、まだ聞きたいことがあるの!」

 叫んだ私に向かい、光の泡となり消えていく彼は微笑んだ。

 その唇が「ようこそ」と動いたように感じたのは、きっと肯定的な意味として捉えたかったからだろう。





 次の瞬きの後、視界に映された場所は食堂で……

 目の前には複数の獣の特徴をしたフィラフトが、いつものようにフカフカのマットの上で寛いでいた。




***




 フィラフトの肩らしい場所に触れ、グッと掴んで揺さぶれば「あああああ」とイタチの口から声が漏れる。


「フィラフトさん! 神様! どこですか!?」

「あああああああ ゆ ゆすら ないで ください ですのよおおおお」

「さっきまで、この辺りに立っていらしたんですよ!!」

「おおおおおおお ちついて ください はなし ままままます から はなして くださあああああいいのおおお」

「さっきの場所に戻してください!!」


 必死に頼むが、目の前のキメラの獣はグワングワンと頭を揺らすばかり。

 埒が明かないと掴んでいた手を乱暴に離し、机の下、ソファーの下、棚の後ろなどを舐めるように確かめて行くが、それらしい姿は見当たらない。

 そんな私に、ケホケホと咳き込んだフィラフトが怒りの形相を向ける。


「ル・ティーダが そんな ばしょに おさまる わけが ありませんのよ!!」


 クワッと牙を剥き、強かに前足で床を蹴ればドンッと木製の床が鳴った。

 それと同時に、放たれた衝撃波が私を弾くように吹き飛ばす。


「ひぇ!?」

 短く叫び、床に転がった私を見下ろしながら、我慢ならないと言いたげなフィラフトが冷ややかな声を発する。

「きく しせい は できまして?」

「………………」

 息を飲み、慌てて首を縦に振る。今のが何か、聞きたかったが……余計な言葉を一つ発した瞬間、もう一度吹き飛ばされそうな気がした。

 すると、鼻から息を吐いた複数の特徴を持つ獣が、左の前足で軽く床を蹴る。。

「え!?」

 身体がフワリと浮き上がり、ソファーの真上に移動する。位置が決まったのか、パッと支えていたものが無くなり強制的に座らされた。

 正面にはフカフカのマットが敷かれた三人掛けのソファー。その上に、自分で歩いて戻って来たフィラフトが腰を下ろす。


「なにから はなす べきか まよい ますのよ」

 フゥ……とあからさまな溜息を吐いたフィラフトを前に、私は叱られた時の子どものように太ももの上に手を置き、縮こまった。

 一体何を言われるのやら……

 びくびくと震えていると、白目のないこげ茶の瞳が二度の瞬きを終えた後、私を見据えた。


「まずは ぶじ ル・ティーダの りょういきへ たどりついた ことを ねぎらい ましょう か」

「………………え、あ…………は、はい」

 返事をすれば、フィラフトは目を伏せ小さく頭を振る。その表情は、どこか安堵したようにも見える。

「あの かたは ずっと きょうの ひを まって おりました ので」

「あの方って……神様の事、ですか?」

「ええ ル・ティーダ ですのよ」

 肯定され、戸惑う。今日を待っていたとは、どういう事なのだろうか。

「その ようす では すべてを りかい するには いたって いない ようですのね」


 はい、そうです。なにがなんだかわかりません。

 とは言えず、私は黙ったまま首を縦に振る。


 食堂でフィラフトに眠れない事を打ち明けた後、突然目の前に広がった白い空間。

 そこでの事は、まるで夢のようだった。

 神々しい幼い男の子、彼の声を聞いた瞬間にあふれ出した涙。救いを求めて掴んだ手の感触を思い出し、私は膝の上に置いた自分の手の甲を静かに見つめる。

 夢ではない、確かに彼に会った。掴んだ手は小さな子供の物で、幼い頃に両親を頼った時のような、頼もしさを感じられた。

 何より、心の中を占めていた不安や悲しみ、怒りや絶望が消えたのが大きい。眠気がなくなったのも。お陰で、冷静さが戻って来た。頭の中にある疑問について考える余裕が出来たのはありがたい。


「ル・ティーダが あなたの なかから なにかを とりだした と おもいますの」

 そう言った後、逡巡するように顔を顰め

「きっと おそろしい ものの はずですのよ または みていると きぶんを がいするような」

 例えばと続けた。

 言われ、頭の中に浮かんだのは男神の手の中で蠢いていた、黒い糸状の物だ。

「…………ミミズみたいな物、なら見ました。太い糸のような、植物の根のような。よくわからないんですが、神様には顔に見えたりすると……」

 こうやって、男神は握っていたのだと身振り手振りで説明すれば、フィラフトが不快そうに顔を背ける。

「みめ など なんでも よいの ですのよ ただ とりだされた じじつ だけで けっこう ですの」

「あ……はい、出していただいたと……思います。混ざった時に引きはがせなかった、と言われました。あと、光に包まれて丸い物の中に閉じ込めてました」


 また、身振り手振りで説明する。すると、今度は顔を顰めたり反らしたりはされず、安堵したように小さく頷いた。


「それが なにか きくことは できましたの?」

「混沌の歪みの、欠片とか残滓って言ってた気がします」

「たんじゅんに いいますと のこりが のような ものですのよ」

「はぁ……残り香、ですか」

 言われて、そう言えば匂いについては記憶にない事を思い出す。

 本能が逃げろと訴えるものの匂いを、悠長に嗅ごうとする気にはなれないのが当たり前なのだが、多少気になった。


「あのウゾウゾしていたものからフローラルな香りがするとは思えないんですが……」

「おもわなくて けっこう ですのよ はなしが それますの」

「あ、はい……すみません……」

 睨みつけられ、また膝の上に太ももの上に手を戻して縮こまる。

 けれど、頭の中では「きっと臭いんだろうな」と考えていると、コホンと咳き込む声が聞こえた。


「とにかく たちさった あとに かおりが のこる ように あなたの なかに こんとんのゆがみ の こんせき が ありましたの」

「はぁ……それが、何か問題――」

「しか! ありません! のよ!」

 言いかけた言葉を遮るように力強く吐き捨てられ、思わずビクリと身体が震える。

 これはもう、ハイ・イイエ以外は黙っていた方がよさそうだ。


「しつもんには あとで まとめて おこたえ しますのよ」

 気を取り直すように深い深呼吸の後、フィラフトが教えてくれたのは――混沌の歪みとやらが、私の魂を食い荒らそうとしていた事実について。



 どうやら私は、よくわからない異世界のものにマーキングされていたそうだ。




***




「で、そのマーキングの何が悪いの?」


 二人掛けのソファーに並ぶように腰かけたテネーブルが小首を傾げる。

 その後ろで、興味深そうに腕を組んで聞いているリヒトも同じように首を捻った。


 昼食を取るために食堂にやって来た双子を交え、改めて説明を行うフィラフト。

 その内容に私以上に双子が食いついたのは、屋敷から出られない原因が”混沌の歪み”の”残滓”にあったと聞かされたからだ。


「言葉通りだと、印だよね。縄張りだって言う」

 テネーブルの質問にリヒトが答える。それに対し、私は思わずフィラフトを見た。

「しるし が あるまま では ル・ティーダの ちからを そいで しまいます の」

「弱体化するって事?」

「ええ かみが よわれば ますます こんとんのゆがみ が ちからを もって しまいますのよ」

 そうなれば、いずれ世界が滅ぶ。そう締めくくり、フィラフトは複雑そうに目を細めた。


「ごめん、ワタシにはエマちゃんに印があるだけで、神様が弱まる理由がわからないんだけど」

「もしかして、混沌の歪みって男神と関係あったりするとか? その辺の下りから説明欲しいかも」


 確かに……と、横で双子の疑問を聞いて思った。

 私たちはこの世界を知らなすぎる。滞在期間は一ヶ月にも満たず、屋敷の敷地内から見える景色だけしかわからない。それでも、ここで生きていくのであれば知らないままではいけない気がした。


「私も、聞きたいです。何も知らないままじゃ、迷惑かけるだけだと思うから」


――そう言うと思いました。

 フィラフトは困ったような笑みを浮かべ、ぽつぽつと語り始めた。




 この世界、ノウム・プルウィアを創ったのは二柱の男女の神々。

 生を司る光の神、ル・ティーダ。

 死を司る闇の神、ラ・カマル。

 彼らが生み出した全てのものは、等しくことわりを巡るらしい。理の輪とは、私の世界で言う輪廻に当たるもので、一つ違う点を上げるとすれば、死んだ後の肉体の在り方だ。

 私の世界では魂が肉体を離れた後、身体は現世に残される。残った死体の大半は火葬され灰になり、魂は新たな身体を得て生まれ変わるのだが、この世界では魂が肉体を離れる事無く転生するらしい。


 ノウム・プルウィアでの死は、魂と肉体が再び理の輪へ戻り、新たな存在に作り替えられ生まれる事を示す。

 なので、死体と言うものが存在しないそうだ。

 新たな生を受けるまでの期間は定まっていないが、大体数百年のうちにはまた土を踏む事になるらしい。


 そんな世界に、ある日突然影を落としたのが”混沌の歪み”だ。


 混沌の歪みとは、簡単に言うとフィラフトと似たものらしい。

 問題は、二柱の男女の神々が創った神使ではなく、”レ・モルス”と呼ばれる異なる性質を持つ神が遣わせた、”破滅の望み”を叶える存在だと言う事。

 その神は、原初から存在する二柱の神々とは異なり、命あるものの負の感情から生み出されたもの。

 ゆえに性質も、姿かたちも似ても似つかないらしい。

 男神が人間に近い姿で顕現するのとは違い、レ・モルスは複数の髑髏から出来た異形の骨の集合体である事が多い、とフィラフトは言っていた。

 ある事が多い、だけで別の形の時もあるのだろう。


 ただ、ひとたび現れれば終わりを与える。

 それを、本来であれば二柱の神々が抑え、破滅が始まらぬよう眠らせていたのだと言う。

 生み出された神使である”混沌の歪み”も、この世界で負の感情を抱き理の輪に戻れなくなった命を摘む程度だったそうだ。


 それが、ある日突然力を増した。


 その理由は、眠っていたはずのレ・モルスが目覚めたから。

 男神の対である女神が病を患い、弱った事で均衡が崩れ……混沌の歪みが世界に開けた”虚”と呼ばれる、異世界に通じる道を辿り、生き物が迷い込んでくる。

 生き物はこの世界のものと交わり、理の輪に戻れぬ命を増やした。

 歯車が一つ、また一つと狂い始め……今では神々は互いが維持する領域から出る事が叶わない。

 ひとたび領域の外へ出れば、力を奪われますます世界が狂っていくのだと言う。



 なら、そこから出なければ問題は解決するのか、と言うとそうでもない。

 開いた”虚”を塞いでも、迷い込んだ生き物を元の世界へ戻しても、混沌の歪みが止まらなければ新しく道が出来てしまう。

 何より、女神が病に伏せっている今、対となる男神も引きずられるようにして力を失っている状況だ。

 理の輪に戻る命は減るばかりで、いずれこの世界は崩壊する。

 それでも崩壊に至っていないのは、目覚めが完全なものではないから、らしい。


 そんな中、混沌の歪みが新たな”虚”を作り、異世界への道が生まれた。

 道を通り、異世界に溢れ出た混沌の歪みに気づいた男神が、慌てて塞ぐも間に合わず――部屋と不法侵入の男性、そして私の腕を飲み込んだのだと言う。

 異なる世界の物に触れた事で……元の世界の神様に見放されてしまった私を、男神は守るためにこの世界へ呼び寄せたのが、一日目の出来事だ。


 その際に、私が強い執着を示していたネットゲームのデータも保護した、と言う事になるのだろうか……

 とにかく、ル・ティーダは純粋に私を助けようとしてくれたらしい。

 けれど、混ざり合いかけたものを完全に引きはがす事は難しく、無理をすれば魂の一部が欠けてしまう可能性があった。

 腕が混ざっただけでそこまで入り込むのかと疑問に思ったが、そもそも腕を巻き込まれた段階で魂から記憶を奪われたような状態らしく、それを埋めるためにゲームのデータが役に立ったそうだ。

 そして、私が元の世界の神様から見放された原因も、どうしても取り除く事が出来なかった残りカスが原因だと言う。


 この厄介な残りカスを何とかするためには、レ・モルスの性質に繋がる負の感情を抱く必要があった。

 その神は、破滅の願いを叶えるために存在する。

 つまり、私が私自身の言動に絶望し、自分を”消し去りたい”と考えた事が引き金となったらしい。


 五夜も連続で悪夢を見続けたのは、この屋敷が男神の領域の一部であり、レ・モルスが干渉できないエリアのため。

 もちろん、混沌の歪み本体を呼び寄せる事も出来ず、残りカスは何とか私を飲み込もうと暴れた事で魂から剥がれやすくなり、更に清浄な男神の領域内で弱らせられ、彼の手によって取り除かれた。


 それが、白い部屋での出来事らしい。



 ここからは全く知らなかった事。

 私は、フィラフトいわく男神の眷属の扱いらしい。

 この世界で眷属とは、神々の加護を受けた命の事で、フィラフトと同じように最も神聖な、いわゆる神域と呼ばれる神が作り上げた領域内への立ち入りと、呼びかける事が許されるそうだ。

 単純に、会いたいと思えば会う事が叶うかもしれない、と言う事。

 とは言え、呼びかけに答えてくれるかどうかは神様の気分次第なので、絶対ではないらしい。





 ここまで話を聞いたところで、飽きたらしい双子がフワァ……とあくびをした。

 リヒトは隠す素振りも見せず、テネーブルは一応控えめに。


「なんかもう、長くて眠くなってきた……」

 目元を手の甲で擦り、リヒトが言う。眠くなってきた、と言うだけあって目はトロンとしている。

「エマちゃんが神様を弱体化させる理由って、その眷属になってた事が関係あるのー……?」

 同じく、眠そうな顔でテネーブルが尋ねれば、フィラフトが呆れた顔をして「ええ」と短く呟いた。


「かみと つながりが できる のですから あなたがたの せかい でいう けがれを うける ことに なりますのよ」

「ああ、そーゆー事なのね」

 合点がいった、と言いたげにテネーブルがポンと手を叩く。同じように、リヒトもわかったらしく小さく頷いた。

 わかっていない私が首を捻って見せれば、それに気づいたリヒトが

「手を繋ぐと体温を感じるよね? それと同じように、眷属になった事でエマと繋がりが出来て、そこからダイレクトに”カス”の影響を受けてたって事――で合ってる?」

 私に向かい言った後フィラフトを見た。「概ね」とフィラフトが頷く。


「けど、なんでワタシたちまで屋敷に閉じ込めてるわけ?」

 浮かんだ疑問をすぐさまテネーブルが口にする。自分もリヒトも魂が肉体に定着したら、外に出てもよかったのでは、と。

 すると、フィラフトが難しい顔になる。

「……………… あまり いいたい こと では ありませんが」

 前置きのようにそう言って、躊躇うように双子を見て、

「あなたがたは だれの てにより たましいが はんぶん つくられたか おもいだして くださいな」

 その言葉に双子が顔を見合わせた。

 二度の瞬きの後、同時に私を見る。


「あー……そう言う理由で、か」

「全然気づかないって、それ」

 そして、諦めたようにリヒトが溜息を吐き、テネーブルが左手で頬を抑えて遠くを見た。

「あの……よくわからないんですが……」

 双子の反応に困惑し、助けを求めるようにフィラフトを見る。

 けれど、複数の獣の特徴を持つ獣は小さく頭を振るだけだ。

「…………エマと繋がってるって事だね」

 後ろから、困惑気味の声が聞こえた。

「だね。その感覚はないけど、多分影響は受けるっぽい?」

 苦笑いを浮かべたテネーブルに、私は目を瞬かせた。

 今の流れから考えれば、双子は私の眷属と言う事では……?


「体温が感じられると言う、事……でしょうか……」



 戸惑いながら尋ねれば、リヒトは「体温だけならいいかもね」と肩を竦め、テネーブルが「離れられなかったり?」と冗談めかしく眉を下げた。

 その反応に困りフィラフトを見れば、「そのうち わかりますのよ」と言うだけで答えてはくれない。


 助けを求めて心の中で男神を呼ぶが、現れてはくれなかった――




***




 悪夢を見始めて六日目の夜……

 ベッドの上で睡魔が訪れるのを待ちながら、夜風に揺れるカーテンを見ていると――ふと、何かが過った気がした。


「…………今、何か……通った?」

 不思議に思い、身を起こしベッドから降りる。

 ナイトテーブルの上に置いていた空のマグカップを握り、恐る恐る近づいてみるが……音はない。

 カップを握っていない左の手で布に触れる。

「……!」

 意を決し、開けるが――そこには、想像していたものはなかった。


「……………………気のせいかな」

 ホッと息を吐き、胸を撫で下ろす。この世界に来てから、フィラフト以外の住民には会っていない。もちろん、動物や虫も見た事がなかった。

 ここが男神の領域だからかもしれないが、元の世界のように犯罪に巻き込まれる心配はしなくていいのかもしれない。


 と、思ったのもつかの間。

 突然、カーテンの間から伸びた手に首を掴まれた。

「ひっ……!?」

 息を吸った際にこぼれた音が静かな部屋に響く。


 首は、人体の急所だ。切れば大量に出血し、喉仏を打たれれば呼吸が出来なくなる。

 神経の束がある頸椎もある。この手が本気なら、私はきっと助からない――


 不安と恐怖で心臓が脈打つ中、カーテンの向こう側で微かな笑い声が聞こえた。

 クククッと、喉の奥で楽し気に笑う声の主に覚えがあり、私は顔を引きつらせたままその名を呼ぶ。

「り……リヒト……?」

 躊躇いがちに尋ねてみれば、掴んでいた手から力が抜けた。

 そして、触れていた指が肌から離れ「ごめん」と、謝罪はあったものの悪びれた様子はない。


 腰が抜け、その場にへたり込んだ私を外側からカーテンを開けてリヒトが見る。

「ビックリした?」

「………………」

 さすがに腹が立ち睨みつければ、キョトンと目を丸くして二、三度瞬きした後、彼は開いていた窓から身体を滑り込ませて部屋に入って来た。

 土足はまずいと思ったのか、その場で靴を脱いで

「…………つい、癖でって言い訳しても、許してくれない……かな?」

 屈んで目線を合わせ、申し訳けなさそうに項垂れる。


 その珍しい反応に目を瞬かせた。

 山のように浮かんでいた言葉たちが消え、気づけば許したい気分になる。

「…………もう、しないでください」

 けれど、許すとは言えず、私は顔を背けて小さく呟いた。

 とたんにリヒトの顔が明るくなる。


「うん、うん。エマはやっぱりそうだよね」

「なにが”そう”なんですかね……」

「ボクらに甘いところ?」

「……………………」

 一瞬、頭を叩きたい気分になった。けれど、そうすれば手首が飛ぶかもしれないと考え溜息を吐く。

 相手はどこからともなくナイフを取り出し、それを手足のように扱う相手だ。

 手を出すのは絶対にまずい。

 言葉で誘導し、早く部屋から出て行ってもらおう。

 やっと悪夢から解放されたのだから、今日はとにかく惰眠を貪りたい。死ぬほど眠りたい。

 どんなに好みの顔であっても、三大欲求の一つを満たしたい気持ちの方が強かった。


「あ、早く出て行ってとか思ってるでしょ」

 僅かなまで考えたことを当てられ、思わずピクリと肩が震えた。

 それを肯定と捉えたのか、リヒトの眉根が下がる。

「邪魔者扱い?」

「いいえいいえ」

 慌て首を横に振れば、「違うよね」とリヒトが念押しする。頷いて見せれば満足したのか、フフンッと鼻を鳴らした。

「今日は色々あったし、話しもしたいけど――」


 最後の言葉を紡ぐ前に、彼は私の脇の下と膝の下に手を差し込んだ。


「んんんん??」

 フワリと浮いた自分の身体と、上がった目線。

 体重を支えるはずの足が宙に浮いている。


――これって……?


 いわゆる、お姫様抱っこではないだろうか。

 そう考えた瞬間、頭がボンと爆発したように熱くなった。

「え、ちょ、まっ、え、はい??」

 混乱しつつ下ろすよう訴えるが、上手く口が回らない。

 そんな私が面白いのか、見上げたリヒトが笑い声を押し殺すように唇を噛んでベッドへ向かうのだから、更に私は混乱した。

「なっ、えっ…………ま、待って、なに――」


 なにする気!?

 そう言いかけた所で、リヒトが私の身体を手放した。

 ボスンとベッドの上に落ちた私の身体の下で木製のフレームが軋む。

 ギシッと強く鳴った音と共に頭が真っ白になる。


「……………………」

 自分を見下ろすリヒトの顔をポカンと目を見開いたまま見つめれば、彼の視線と絡む。

 その表情から、感情を読み取るのは少し難しいようにも思えた。

 何故なら、抱き上げた異性をベッドに投げ捨て、微かに笑んでいる男性を見上げる――と言う状況に理解が追い付いていないから、だ。


「まぁ…………そう、なるよね」


 少しだけ残念そうに言って、リヒトが踵を返す。

 その背を、私はベッドの上で硬直したまま視線だけで追いかける。

 彼は脱いだ靴を手に、入る時に使った窓にスルリと身体を滑らせ外へ出た。

 そして、窓枠に手をかけて

「それじゃ、おやすみ」

 私の喉を掴んだ手が、カーテンを掴んで元に戻す。


 夜風に揺れるカーテンを見つめたまま、私は自分の身に起こった自体に疑問符を並べていた。

 格好は、寝ようと思った時とほぼ同じだ。部屋の状態も、リヒトがカーテンを戻していった事で何一つ変わっていないように思う。

 一つ違う点を上げるとすれば、私の身体が強張ったままと言う事――


「…………………………なにごと?」


 喉の奥から絞り出すようにして出した声に、答える人はいない。

 ただ、リヒトの奇妙な行動に、私は眠れない夜を過ごす事となる。






 私たちには何か、大切なものが足りない。

 それはきっと、意思疎通を図るための言葉じゃないだろうかと考え、頭を抱えた……


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