モノローグ
――それが”愛”だとしたら、なんて残酷なのだろう。
「……たす……かる、か……ら……」
息も絶え絶えに、少女は告げる。不安など抱かなくていいと、温かな声音で。幼子に言い含むようにうに、ただただ穏やかに、優しく。その身体を襲う痛みなど、微塵も感じていないように。背中に開いた幾つもの穴から流れ出る、赤い液体が嘘だと思わせるように。唇は弓なりに、笑みを作っていた。
その傍らには、二人の父親だったものの腕が転がっている……
有象無象の声が、叫びが、夢ではないと少年に知らせていた。逃げ惑う人々、階段やエスカレーターで起こる将棋倒し、刃物で切り付けられた痛みに上がる悲鳴。親を、子を、友を、恋しい人を呼び、探す。我先にと、押しのけて走る誰か。押しのけられ、不満を告げる誰か。
……誰か、誰か、誰か。
名前を知らない誰かが、顔もわからない誰かが、たまたま居合わせただけの誰かが、この一瞬の間に息絶えていく。……そして、自分を庇い覆いかぶさってる姉の命もまた、尽きようとしていた。
きっと助からない。背中を見なくてもわかる程、姉は深手を負っている。庇って欲しくなんかなかった、助けて欲しくなんかなかった。自分を抱きしめる姉の腕の力強さが、振り払えない自分の弱さが、悔しい。
夢だと思い込めたなら、心を閉ざせたなら、思考を放棄できたなら。理不尽な現実を否定出来る気持ちが残っていたのなら、息も絶え絶えの姉の身体を引きずり、逃れようとしただろう。せめて、別れの言葉を互いに紡ぎ合う、僅かばかりの時間を稼げたかもしれない……
けれど、振り下ろされた刃が欠片を奪い去る。
とどめの一撃を背に受け、姉は呼吸を止めた。
腕の中で絶命した彼女は、まるで糸の切れた人形のように支えを失い、少年の身体に体重をかける。
彼は押しつぶされるように真後ろに倒れ、床に頭をぶつけた。後頭部が鋭い痛みを伝え、痛みは思考を留めた。けれども、同時に心を砕く。
「ねえ……ちゃ……?」
唇が震え、声が途切れた。恐る恐ると伸ばした手が、突き刺さったままの凶器に触れる。それは、鋼独特の冷たさではなく、姉の命を吸って僅かだが温もりを宿していた。
厭な音と共に、刃物が引き抜かれる。ズルリと赤を吸って現れた鈍色を手に、加害者は唇を引き結んで少年を見下ろす。
「――、――――」
口が開き、音が放たれる。けれど、それがどんな言葉なのか少年には届かない。
ただ、狂気じみた瞳に寂しさと、どこか喜びのようなものが映り込んでいるように見えた。
姉の死で満足したのか、少年には目もくれず刃物を手に踵を返す。まるで、買い物が終わった客のような足取りで、惨劇を前に腰を抜かした人々の前へ向かい、気まぐれに刃を振り下ろして……
――ねがいごとは、なぁに?
鈴のように澄んだ声が、少年に問いかける。
それを過ちの始まりだと言う誰かの叫びが、崩れ行く境界を前にこだました。永遠に、永遠に。