15-3.進みたいと
食事を片付け、お風呂にも入り、歯も磨いてその日の終わりに記録を書いていた。
あとは眠りにつくだけ…だった。
「わ…ぁっ!!」
何かが落ちてガランガランと音が響いた。
…風呂場で物が落ちたのだろう。全くもって心臓に悪い。
「はぁ…新一郎さんは今から風呂ですか」
風呂桶でも落としたと思われる音から今から風呂に入ることが予測される。
…食後からずっと新一郎さんはどこかに行っていたようだし、今になってようやくそれが終わったのだろう。もう11時を半分も過ぎているのに、忙しいことだ。
新一郎さんはこんな風に時折どこかに行っている。何をしているのかは知らないがおそらく彼の工房で実験でもしているのだろう。
「…?それでも随分と早い?」
彼はこの部屋をくれた時に元々は研究内容をまとめたりするのに使ってた部屋だと言っていた。と言うことは実験内容をまとめるのもそのどこかでやるはずなのに、僕は彼がこの時間より遅い時間に戻ってくるのをあまり聞かない。魔術師の実験と研究がそんな短時間で終わるのだろうか?今になって思えば不自然だ。
それに実験をしたにしてはえらく静かにも思う。いくらなんでも不自然だ。彼は使い魔をあの子猫以外に持たないと言っていたのだから音も遮断していないはず。それなのに爆発音も衝撃も破壊音も何も感じない。
いや、確かにそう言う技術を持っているという可能性も否定できないが、そうだとしても何も感じないのは幾ら何でも不自然だ。もしそうだとすれば違った違和感を覚えると思われる。例えば、過剰に静かだとか、普通に感じるはずの振動すら感じないとか。
「…あれ?あの子猫がいない」
片時も僕のそばから離れず、監視するようにしていた子猫がいない。
報告にでも行ったのか?
…いや、今までにそんなことは一度もなかった。だったら定期的な調整?いや、やはりそれなら僕が気がつく時にしないだろう。
何はともあれ、これはチャンスなのではないだろうか?彼は僕にいくつかの隠し事をしていた。正確には入らないように言われた部屋があった。信頼を裏切るようではあるが、彼と言う人物を知るにはいい機会。
「周囲に気配はない…行くなら今」
気配遮断の魔術陣を描き上げ、魔力を込める。
「『発動』」
簡易魔術陣による詠唱破棄だが、短時間であれば問題ない。
そっとドアを開け、すぐそばにある彼の部屋に近づく。
ドアに耳を当てて内部に音がないことを確認し、周囲に気配がないことを確認した。
「失礼します…」
ドアを開き、中へ体を滑り込ませる。
暗い。壁際のスイッチを手探りで探して電気をつけた。
「これは…?」
片側全面の壁を埋める本棚とベッド、机とクローゼット、壁にかけられた大きな絵らしきものとベッドの上に乗ったぬいぐるみ、机には読みかけと思われる本にペン立てに刺さった数本の筆記具…なんらおかしな点のない部屋だ。いや、壁にかかったドラゴンやモンスターの描かれた絵が異様に大きいのと本に書かれた文字がどう見ても日本語でも英語でもフランス語でもドイツ語でも…僕の知らない言語であること以外はおかしいところはない。
ただの部屋だ。一般的で何もおかしな点のない、ただのプライベートな空間。魔術的な何かも感じなければ、むしろ一般的な生活以外の用途すら見つからない。
…彼はただ単に自分の部屋を見られるのが嫌だっただけ?
「い、いや…他に何か…っ⁉︎」
魔術陣を描いて探知をしようとした瞬間にバチンという音とともに魔術が弾かれた。
この部屋から魔術を防ぐ手立ては見えない。魔力を感じることもなければ、そういった使い魔の気配もない。
…なぜ?
「と、とにかく、バレないうちに出るべきだろう…」
部屋に入ったということが今のでバレるのは良くない。
僕はそそくさと電気を消して部屋から立ち去る。
ドアをあけて、廊下に立ち、ドアを閉めたところでドアにもたれかかってふっと息を吐いた。
「はぁ……わっ⁉︎」
「にゃー!」
…子猫がいた。
僕は今手のひらで弄ばれたのか?今の行動は想定の範囲内だということ?
「にゃー!うにゃー!」
「うっ…いや、隠し事をされてて僕を狙ってるんじゃないかと疑ったのは仕方のないことで、それに…あぁー」
頭を抱え、どう言い訳をしようかと考えていたのだが、一向に子猫が僕の方を見て鳴くのをやめようとしない。
新一郎さんを呼び寄せているのかと思ったが彼の姿が現れることも全くない。
むしろ僕のパジャマの裾に噛みつきひっぱているところから、じゃれついているようにも見える。
「…これは、バレていない?」
意外にも気づかれていなかったのではないだろうか?
手のひらで転がされていたのではなく、たまたまいなくなっていた時に僕が勝手に動き、この子猫が見失って、今に至るだけではないのか?
もしそうだとすれば、僕は彼の信頼を裏切ったと思われることもなく、僕の気になっていたことを一つ解決できたのではないだろうか。
「にゃー!!」
「いっ…」
子猫が先ほどより強く僕の足に噛み付いた。
痛みにその子猫を睨むように僕が子猫に視線をやると、子猫は僕をじっと見つめている。
「遊んで欲しいのか?」
「にゃにゃ」
首を横に振った。
…否定した?この子猫は賢いのだろうか?今、明らかに首を横に振り否定したように見える。確かに使いまである以上賢いというのもありえない話ではないが。
「…僕の言ってることがわかるんだったら首を縦に振って一度鳴いてみてくれる?」
「にゃ」
「…本当にわかってる?」
「にゃ」
その質問に一度鳴いて首を縦に振った。
…この子猫は知能が高いのだろう。おそらく、身体的能力の代わりに知能を発達させた使い魔なのではないだろうか?
いや、そんなことより、もしそうだとすれば僕が今していたことはしっかりと理解されている可能性が高い。
「僕が今何してたか知ってる…?」
「にゃにゃ」
首を横に振り、それを否定した。
…知らない。というのが本当かどうかは別だが、それでも今僕の足にじゃれついていた理由はそれではないようだ。
「…じゃあ、なんでさっきから僕の足にじゃれついてたの?」
「にゃ!」
もう一度僕のズボンの裾に噛みつき、引っ張る。
…誘導している?どこかへ連れて行きたいのだろうか?
「どこかに来て欲しいの?」
「にゃ」
「わ、わかった。ついていけばいい?」
「にゃ」
頷いて歩き出した子猫の後を追う。
どうやら当たりだったらしい。小走り気味に歩いていく子猫の後を追って階段を下る。廊下を通り、子猫の向かう先はどうやら風呂場のようだ。
さっきの音と何か関係が…
「しっ、新一郎さん⁉︎どうしたんです⁉︎え?」
風呂場の扉は開け放たれたままで、その場で限界を迎えたかのように新一郎さんが倒れていた。
僕の声にはピクリとも反応せず、まるで死体のよう。
身体中のあちらこちらから血を滲ませ、完全に意識を失ったような状態。戦闘による傷のようには見えないが、呪いや虫による攻撃も考慮に入れればその可能性も否定できない。
周囲に意識を張り巡らせつつ、彼に近寄る。
「い、生きてはいるみたい…気絶?」
近くで見てみれば胸は上下し、呼吸音の平常通りに聞こえる。血にまみれていると言っても、切り傷や擦り傷というような傷はなく、体の所々からなぜか血がにじんでいたと思しき痕跡かあるのみ。
…いや、彼は僕を治してくれたようにあんな治癒ができるのだから、この傷もそうだと思えば不思議ではない。
「…とりあえずこのままにするのはよくないはず」
なんの理由でこのような状態になっているのかは知らないが、少なくともこのまま放置するべきではないだろう。裸の青年が風呂場に血まみれで倒れているなんて絵面的にもよろしくない。
「とにかく一旦起こしっ、て…と。血を落としてからは…リビングに連れて行けばいいか」
彼の体をどうにか持ち上げ、壁にもたれかかるような体制にし、そうしてふと床に落ちていたカードに目がいく。
「このカードは…新一郎さんの魔術?とりあえず、持っていったほうがいいか」
床に落ちていたカードを手に取り、懐へしまった。
そして蛇口をひねり、ぬるま湯で体の血を落としていく。
血は乾いておらず、湯で流すだけですんなり落ちていき、そこには傷ひとつない異様なまでに作り物じみた綺麗な体が…
「ホムン、クルス…?」
おかしい。あまりにも綺麗すぎる。
人として生きてきたはずなのに多少の傷や色素の沈殿、癖や生活によって生まれる骨格等の歪みすら見られない。まるで僕と同じように調整され、作られた体のようだった。
筋肉質でありながらも細身なその体には余計な脂肪など存在せず、絶妙なバランスで構成された綺麗な体…これがもしホムンクルスだというのなら、僕なんかよりもよほど完成度が高い。桁違いだ。彩月さんのいうことが真実であるのなら、彼は…いや、だとすればおかしい。彼の家は魔術師の家系ではないと言っていたし、何よりホムンクルスだとするのなら綺麗なままなのはおかしい。ホムンクルスも人と同じように成長する。ずっと水槽で成長してきて今出てきたというのなら別だが、そうでないのにこの異様な綺麗さはあり得ない。
「…なら、これは一体?」
首を傾げつつも体を流し終えて、彼を運ぶために立ち上がる。
脱衣所にタオルを広げ、手ぬぐいで彼の体を軽く拭い、それから持ち上げて彼を脱衣所まで運ぶ。体をそこで拭いて、下着を着せ、パジャマ…がないので代わりにそのままバスタオルを巻いてリビングまでどうにか運んで行く。
細身だが筋肉質であるために重たい彼の体を運ぶのはかなりの重労働で、身体強化の魔術を使わざるおえなかったほどだ。
…そう作られているとはいえ、魔術への才能が過多なこの体で良かった思った。
「ひとまず寝かせておけばいいはず。なんでこんな状態に…?」
クッションを床に置いてそこへ横たわらせてから考察を再開する。
こう見直してみると彼はかなり若作りだと言えるだろう。10代と言われても信じてしまいそうな若い未成熟さの滲む顔つきに若々しい体、筋肉に衰えは見られず、むしろ傷ひとつないほどに綺麗な体はまるで作り物のようだ。
…本当にホムンクルスであると錯覚するほど、作り物じみている。
「いや、まずは状況を判断する…」
そんな彼が倒れていたのは風呂場。
お湯も出ていなかったし、そのそもガスすらつけていない状況から見て風呂場に入ってすぐに倒れたものだと考えられる。
脱衣所に散らばっていた衣類の破片から見るに戦闘か実験によって限界状態に陥ったものと考えるのが妥当だろう。
ならば、この彼がそんな状況になると言う事態が安全であると言えるのか。
「…工房をのぞき見る?」
いや、そんなこと…それではまるで僕を追う、ご主人様の手記を狙うものと同じ。他のものの研究を知りたいと思うのは魔術師たるものの性だとは思うが、それでも…
「う…ぃたた」
「…!」
そんなことを思ううちに彼は意識を取り戻した。
ほんの30分足らず程度の時間で意識を取り戻したのだから大事ではなかったということだろうか?
「大丈夫ですか…?というか何やったんですか?」
「んっ…ふぁ。あー、体いたぁい」
「えっと…新一郎さん?」
「ん?ああ、ごめんよ。なんか迷惑かけちゃったみたいだね。ちょっと実験で失敗しただけだから大丈夫だよ〜。というか僕のカード知らない?龍を抱えた天使の絵が描かれてるやつ」
「え、あ、はい」
僕がカードを取り出し彼に差し出すと、彼は額に手を当てショックを受けたような表情を浮かべた。
その視線の先にあるカードに目をやれば、そのカードは天使の絵は描かれているが、抱えているものはわからないほどぐちゃぐちゃな線だった。
「あぁ〜…摘出失敗した〜…ショック」
「…僕、何かしちゃいましたか?」
「あ〜、ううん。ただ単に書き出し失敗しただけ…これで激痛リトライだよ…というかそりゃ気絶もするよね」
「えっと…?」
「これ、魔力を強引に体に移植する魔術みたいなものでね、今の僕はそれを全部引っこ抜かれて、いうなら体から強引に魔力を吸引されて気絶してたの。要は失敗だね」
「はぁ…?」
魔力を移植?そもそも魔力はそんな身体の一部のように扱えるものなのか?
少なくとも僕の知る限りでは…
「まぁ、とりあえず大丈夫だよ。ここまで運んでくれてありがとね。とりあえず…よっと」
彼は床から起き上がり、そのまま歩きだろうとする。
「僕はまだやらないといけないことがあるから。さっきは助けてくれたみたいでありがとね。おやすみなさい」
「ちょっと…!」
まるで突き放すかのよう。
僕には話せない、教えられない…はっきりとした拒絶。
…このまま行かせてはいけないような気がした。このまま行かせては、僕は一生彼を信じられない。彼に家族のように思われてると、思うことができないような気がした。
だから、彼の手を掴む。
「僕に!僕に何か、できることはありませんか…?」
彼は驚いたような嬉しそうな表情を浮かべた。
まだしばらく完結まではかかりそうですがお付き合いいただければ幸いです




