15-2.ちょっとやばいね
本当に久しぶりでごめんなさい。少しずつリハビリも兼ねて…
ピタピタと裸足な僕の足がコンクリート製の床を歩く音がする。
ザラザラとした砂とつるつるとしたコンクリートの冷たい感触を感じた。
「…さて」
床に転がる男に目線をやる。
「やぁ。元気〜?」
落下時にぶつけたのか、ひたいのあたりからは血が滲んでいる。
ま、知ったこっちゃないよね。
そうしてゆっくりと近づくと彼は僕に手が届く距離で突然立ち上がり、左の手のひらをこちらへ向け、右手でそれを支えるようにして叫ぶ。
「死ねぇ!『起動』」
あらかじめ描き上げ詠唱し終えていたであろう魔術陣が手の前に浮かび上がり、一気に込められた魔力が形を織り成し、そうして大量の岩石のとげが僕へ向かう。
…全く。若くて元気なのはいいけどさ、もうちょっと実力差が理解できるようになってはどうなんだろうか?さっき負けて震えてたのは誰さ。
「『紋章:天使、解放』」
僕は左の二の腕へ魔力を流し、一瞬の激痛に耐える。
「あ〜…痛い」
「な、ななぁ、なんだ…そ、それは」
僕に当たって体を貫き殺すはずだった岩石は、僕にぶつかると同時に僕の身体の硬度に負けて砕け散る。身体を貫くことなく砕けたそれらは僕の着ていたタオル生地のパジャマを散り散りにして床へばらまいた。
2秒ほどの騒音を撒き散らす魔術の発動が終わると、地面に散らばる粉々になった破片を踏み散らかしながら彼に近づく。
「さて、満足した?じゃあ、僕の質問にいくつか答えて欲しいんだけど〜」
「ヒッ…!ち、近づくな化け物!」
「うん、これはひどいねぇ。君は未だに理解できないの?」
地面を這いずり、逃げ出そうと駆け出した彼に向かって距離を詰めて足払いを放つ。
「あっ…ご、ごめんよ?ここまでになるとはちょっと思ってなかったんだよ、うん」
「あ、あ゛ぁぁぁああああ…!」
足を取られ転ぶ…どころか、僕の足先の爪に彼の足は切り飛ばされ、血を振りまきながら地面に放り出される結果となった。
僕は自分の指先に目をやり、爪を観察する。
「ま、そうなるよね〜…うん。ちょっと威力には難ありかな?と言うか調整が難しいって言う方が正解か」
叫び散らす騒音を傍らに実験の結果を考察する。
「身体融合深度は上々、異常、拒絶、共になし。変化率はほぼ完璧。種族名、亜龍人、設定強化率をはるかに上回る身体機能。以後調整が必要である…と」
部屋の片隅にペンでメモ書きして、再び彼に近づく。
「さ、今度こそ質問に答えてもらえる?いい加減自分の立場は理解したでしょ?」
「ひ…ひぃっ⁉️」
「…はぁ。全く、これだから人は」
脆すぎるのも考えものだと思う。
何せ少しの怪我を過剰に捉えてしまうのだから…まぁ、足一本失うのを少しと捉えるのかどうかは別の話としておく。
「ほら、答えないと…そうだねぇ」
ちょっと気に入っていたパジャマの破片を視線の端へ追いやり、渋々残骸と成り果てていた上半身に残っていたものを脱ぐ。
…次から何かある時は別のものをちゃんと用意しようと思う。ちょうど試しに書き込んでみたものが起動可能状態に持ち込めたから試したけど、次からは今まで通り余計なことをしないで敵をちゃんと拘束し尋問することにする。実験するのとは別の時にしよう。
「拷問としてどれが適切だと思う?一応僕は人の欠損部位の治癒ぐらいなら簡単にできるんだ。だから、気が遠くなるほどの腕をこの部屋に並べていくのと指を切り詰めて並べていくの。あいにく僕は君の知人関係を知らないから精神的拷問の方法は持ち合わせていないんだよね〜」
ガクガクと震え、その足から溢れ出る血で地面に線を引いちゃってる彼に詰め寄る。
「僕が聞きたいのは些細なことだよ。ただ、君が誰の命でここに来て、何をどうするつもりだったのか、そして何をどこまで知ってるのか…それだけ答えてくれればいいんだ。ねぇ?悪くないでしょ?」
少々強めに踏み込み、地面に足跡を刻む。その勢いで砂塵が舞い散り礫が飛ぶ。
もうすでに一種の人外…いや、化け物だろうね。腹筋や首は薄い鱗に覆われ、肘や脛などの皮膚や体毛が厚くなりがちな部分に至っては強固な青白い鱗が覆っている。顔つきはいたって普通の人だが、それでも頬のあたりにはうっすらと鱗が浮かび、動向は爬虫類じみた縦に割れているものへと変わっていることだろう。歯も尖り、ざらついた感覚を覚える。
そんな僕の姿に彼はひたすらに首を縦に振っていた。
「よろしい。じゃ、とりあえず足は治癒してあげ…うん、意味ないよね。傷口は血が止まる程度にはどうにかしてあげるよ『紋章:救世主、解放』」
カードからあふれ出した粒子が彼の切り飛ばされた右足へ集まり、血が出なくなる程度に傷口にかさぶたを作りあげた。
…この程度でいいでしょう。だってどうせお話聞いたら殺すし、そんなことのためにカード使うのすら勿体ないのにわざわざ書き直すのが面倒なものを使う意味もない。
「さて、とりあえず立って…あ、そっか。ごめん足ないんだったね。じゃあ、大人しくしてて?椅子まで運んであげるから」
「わ、わかった…大人しくするから。その、これ以上は…」
「しないよ〜。ちょっとくらい信用してくれたっていいじゃないのさ。信じないと何事も始まらないのだよ?」
「そそ、そうだな」
僕は部屋の外へ行ったん出てパイプ椅子を2つ運び込む。
それを向かい合うように並べ、床に倒れこむ彼に近づいてそのまましゃがみこんだ。
「ちょっと掴まってくれる?肩あたりに手を乗せて…そうそう。じゃ、持ち上げるよ〜」
脇に手を入れ、子供を持ち上げるように彼を持ち上げた。
…軽い。何も入っていないダンボールを持ち上げたような軽さ。
「じゃあ、お話を始めようか。まず、君の名前は?」
「へ?は…?」
「ほら、呼びにくいでしょ?別になんかの魔術に使うわけじゃないから安心して」
「あ、ああ。おっ、俺は、古谷アンディだ」
「へ〜…ハーフ?」
「そっそうだ。日本に、派遣されるにあたって、日本語が喋れる人材を、その、送るために」
「まぁ、こっちでのやり取りは日本語だし、話せた方が何かとやりやすいだろうからねぇ。それにこっちの魔術師たち使うにしてもその方が都合がいいのは間違い無いよね〜」
容赦無く殺した残りの3人はこっちで調達したのだろう。彼がリーダっぽかったから、多分日本に住む協力者か向こうの家のどれかの分家の中から連れてきたんだろうね。そう考えれば日本に逃した零のご主人様はうまい。
何しろ日本語が公用語の国は日本とどっかの珍しい場所だけだろうから、ここで探し物をするのは難しくなりやすい。実行者こそ日本語を話せる人物以外でもいいにしろ、リーダーや交渉に赴く人物は日本語が話せた方が何かと都合がいい。だからこそ、こちらへよこせる人が限られてくる。魔術師という以上は通訳や一般の人間を介しての会話は難しい部分が多い。少なくとも、一度巻き込まれた人は二度と日の当たる場所では見ないだろう。
「まぁ、そんなことは置いておいて。古谷くん、君はどこの家の人?オランジュ?カレンベルク?祐伯?」
「………」
「言えない、と。まぁ、見た所体に呪術系統の形跡はないし、虫とかの類も見られない。そんなところからカレンベルクのところの仲間かな〜?お、当たりみたいだね」
彼の目線と表情の些細な変化から答えを読み取る。
カレンベルクの口を割られた場合への対処は魔術による制裁。オランジュは体内に寄生させた虫、祐伯は呪術と呼ばれる闇系統魔術の一種。
系統が近くないため、外観からの観察でもそれなりに見当がつく。魔術の痕跡は視ればわかるし、虫の類は探知に引っかかるし、呪術は印を刻まれてるかどうかでわかる。
「で、ここにきた目的は?僕の殺害?それともあの子の捕獲?それとも回収かな?」
「ぃぐっ…ぁあ!」
「はぁ…別に言わなくてもいいよ?その場合、こうやって…ほら、傷を増やすだけだから」
黒くて鋭利に尖り、人間のそれからは随分とかけ離れた爪先を彼の腕に刺す。
分厚く刃のようになったそれは、たやすく人間の肌を切り開き、鈍い痛みを与える。
一瞬うまく黙認できるのではないかとぬるい想像をした彼の表情が即座に恐怖へと舞い戻った。
「喋るのはいつでもいいよ。僕は誰がどれだけきても対処する術は持ってるし、君から情報を得ることに特に深い意味があるわけじゃないんだからさ」
「な、なんでこんな…」
「殺さないことに疑問を覚えるって?それは決まってるでしょ?彼らをうまく誘導して、僕は楽をしたいんだ。どうせやることは変わらないんだから、楽に手間をかけずにやりたいと考えちゃうのは人の性ってものじゃない?」
どうせ理由なんて知れてる。こうやって聞き出せるのは現状の向こうの表面上知れてることをちょっと詳しくした程度のものだ。
それでも少しだけ詳しい方が得なのは確かだし、どうせ連続で攻め入ってくることはないんだから空いた時間の有効活用しているというだけでもある。僕には時間は無限でもみんなはそうじゃないからね。できるだけ早く面倒ごとをお片づけしておこうとは思ってるんだよ。
「ほら、軽い怪我だけで済ませてあげてるうちに吐きなよ〜。死ぬほど痛い目にあってから話すか、洗脳されて都合の悪いことまで全部吐かされるか、ちょっとした怪我のうちに吐いて比較的無事に戻るか。ね、単純でしょ?」
「くっ…いっそ」
「死んでやろうって?無駄だよ〜。やだなぁ、僕がその程度のことをどうにもできないままここにいるわけがないじゃないのさ。ここに置いて外部への連絡が全て絶たれてるのは確認できたでしょ?魔術も僕が今ここにいる状態で使うことはもうできなくなってるはずだよ。さらに、さっきので僕が自傷程度でできる負傷をたやすく直せるのも確認できたはず。ほら、ね?」
彼は苦々しい表情を浮かべて唇を噛んだ。多分言われずともわかってたんだろうね。悔しげな表情の裏には憎しみや恨みよりも僕への恐怖がうかがえるよ。
死への恐怖は魔術師たちにすれば日頃から隣り合わせにいるものだ。実験による負傷や死亡はそういう実験をしている以上必ずつきまとうものだからね。でも、苦しませて殺すなんていうのはあまり多くない。確かに研究成果の奪い合いなんかがあればそれもありうるけど、協会が代替わりしてからはその恐怖に怯える必要もほぼなくなっている。
…まぁ、その結果が今のこの状況という点においては無能だと笑うより他ないけどさ。それでもある程度を黙認していたかつてよりは随分とましになったということは聞いている。
「わ、わかっ…た」
「よろしい。それでこそ捕虜の態度というものだよ。捕虜は大人しく苦々しい表情で情報を吐いて、逃亡手段を画策し、敵への報復を願っていればいい。まぁ、その全てはここにおいては無駄だけどさ」
僕は彼に微笑みかけて、表情を伺う。
やはり、最近は精度が落ちてきている。はじめこそ強力な戦力たる魔術師が攻め入ってきていたが、二度の奇襲ののちそれもなくなった。それからよく見るようになったのはほどほどのまだ若い魔術師だ。使い潰すかのような勢いで投入され、機を狙うかのように熟練した魔術師はなりを潜めた。
だってそういう熟練した魔術師なら脅しには屈しないし、そもそも捕まるなんてヘマより先に自害するからね。
だから、きっと彼から得られる情報もまたうわべだけのこちらにだれて問題ないような情報だろう。
「さぁ、質問を続けよう。君は僕らについてなんて聞いてる?」
「ぬ、盗人だと」
「ほほ〜う?なんでそうやって言われてるの?」
「本家の秘術に、関わる、情報を盗み出した…と、聞かされた」
「…ねぇ、ちょっと話が戻るんだけど、君の家はどこの家の所属?」
「カ、カレンベルク…だ」
「その中で君の家の地位はどの辺?本家に近しい?それとも遠い?」
「と、遠い…本家は絶対者だ。めめっ命令に、そそそむ背くことは、ゆっ、許されない」
そこまで言って彼は再び顔を青くした。歯はガクガクと震え、表情がこわばる。
大方本家の制裁を想像したんだろうね〜。意味もないのに。
「その様子だと本家に制裁の瞬間でも見せつけられてるのかな?…ま、いいや。次。君らの家に伝えられた命令の内容は?」
「ひッ…!め、っ命令は…」
彼は頭を抱えて恐怖に震える。
…まぁ、あの家は共謀してる三家の中でも過激で知られてるし、多分制裁の瞬間を見せつけて裏切りを防いでるんだろうね。若くて未来のある人たちには効果的だろう。野心的でプライドの高い若い魔術師は大きなメリットを内包する賭け事に弱い。失敗しなければなんて思っちゃったんだろうね。
「後悔は後にしてくれる?いい加減うざいから殺すよ〜?」
「こ、ころっ…!」
「ほら、じゃあ教えてくれる?」
「う…く、くそっ」
どうやらしばらくは使い物にならなそうかな?
葛藤と後悔と未来への絶望で話にならない。
「はぁ…じゃあ、また後で来るよ。次来た時に吐かなかったら殺すからそのつもりでね〜」
ひどい表情の彼を放置して部屋を出る。
ガラガラと扉を閉め、階段を登りきってリビングへ出たところで着ていた服を脱ぎ捨てた。
そのまま風呂場へと急ぎ、一枚のカードを持って風呂場に入った。
「『紋章:天使、閉鎖』ゔぅ…」
左の二の腕に描かれた紋章にカードを押し当て、紋章を摘出する。
竜を抱えた天使の絵柄がカードへ写し取られ、僕の皮膚から鱗や爪がバラバラと剥がれ落ちて魔力となって散ってゆく。張り付いていた部分からは血が滲み、皮膚を伝ってゆく血の感覚がひんやりと冷たい。
強制的な強化ゆえに問題がある。
剥がれ落ちた部分には剥がれ落ちた分の損傷が残るし、筋肉や神経系には膨大な負担がかかるのだ。当然、解除すれば僕の体は無事では済まない。この間の離反者たちの報復の観察時のようなものならまだマシ。せいぜい視神経に支障をきたしてしばらく視界が使い物にならない程度で済んだ。
「ははっ…これは、シャレにならないなぁ〜」
身体中に激痛が走る。
立っていられない。
「ぃっ…」
ガランガランと桶を巻き添えに床へ倒れこむ。
痛いなぁ…
これは、要検証ものだろう。
身体から意識が遠のいた。どうやら身体の方が先に限界を迎えちゃったみたいだねぇ…




