13-3.吊り橋効果は無意味ですね
僕は走っていた。
雨の中、黒いアスファルトに反射する光。
後ろからは”僕”と僕の持つ”手記”を手に入れようと迫る、ご主人様を殺した憎き仇敵。
僕には力がない。戦う力もそもそもの身体能力だって人並み以下の人間もどき。
「ごめんなさい…ご主人様」
頬を濡らすものはきっと雨じゃない。
僕は捕まるわけにはいかなかった。ご主人様に作られたこの体、その身を犠牲にしてまで逃がされたこの体を、渡すわけにはいかなかった。
後ろからけたたましい銃声が響く。ここは日本。拳銃の許可されていない平和な国。
それなのに僕の肩を弾丸は掠めていった。
「くっ……」
歯を食いしばり、それでもなお走り続ける。
この場所が人気のない道だったことが不幸だった。僕を助けてくれる人はいないし、助けを乞う対象もいない。雨の中では銃声も聞こえず、しかも真夜中であるため近くのマンションから人が顔を出すこともない。
絶体絶命というのはまさにこのことなんだろうと思う。すでに体力は尽きかけているし、僕の味方はもうこの街にはいない…僕を守ってくれる人は、もういない。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
見失ってもらおうと道を何度も曲がり、すでに僕の知っている地域から外れた場所に出ていた。
息がきれる。ふらつく足元を気力で動かし、それでもまだ走り続ける。
未だ振り切れた様子はない。いや、僕の身体能力ではそもそも引き離せない。
何度も曲がり角を使って逃げ回ってきたけれど、その距離はだんだんと近づいていっている。
「っ…⁉︎ぁ」
近くなった距離は銃の命中率を上げ、僕の足を打ち抜いた。
視界が地面へと近づく。
倒れていくのがわかった。地面に手を伸ばし、衝撃に備える。
摩擦と皮膚のすりむける痛みがやってきた。
転んだ時間は僕が捕まるには十分な意味をもたらす。後ろからの足音が近づく。
「…ふ〜ん。逃亡者は、君かな?」
だが、追う足音より先に僕の目の前の家の門が開いた。
街灯の光を遮り、僕の顔を覗き込むように腰を屈める人影。
「僕は…まだ…逃げないと…!」
まだ捕まってはいけない。
恐怖と痛みを押しつぶして手を伸ばす。目の前の人は味方か敵かはわからない。
…それでも、もう僕に手段はない。血を流す足、夏の暑さと雨に奪われた体力、尽きた魔力、疲労で揺らぐ意識。
目の前の人影が敵ならば、僕にもう逃げる方法は残っていない。
しゃがみこんだその顔を見ようと頭を持ち上げる。
「ねぇ、名前は?僕は新一郎。どうぞよろしく」
「っ…!」
その顔を見て、その笑った表情を見て、敵だと判断した。
痛む足を引きずり強引に立ち上がろうとすると手を差し伸べられる。
「そんな顔をしなくったっていいじゃないのさ?別に取って食おうというわけじゃないんだよ。というか、多分君の味方と言える立場だし」
「貴方は…?」
「言ったでしょ?僕の名前は松井新一郎。一応協会に所属している、はぐれもどきだよ」
そのまま立ち上がらされ、門から家の中に引き込まれる。
…だが、それより先に音が追いついた。
数人が家の門を囲うようにこちらを見ている。ある者は銃を構え、ある者は刀剣を構え、ある者は魔術を待機させ、ある者は使い魔に指示を出そうとしていた。
「それを、渡してもらおうか?」
「ねぇ…頭が高いよ〜?ほら、今君達は人にお願いする立場でしょ?」
「…聞こえなかったようだな。もう一度言う。それを渡せと言っている」
「はぁ…聞こえなかったのかなぁ?人間風情にしては、頭が高いって言ってるのさ」
「に、人間風情だと…?」
「跪きなよ愚か者。し〜か〜も〜、人に願いを言うときにまで他と連絡を取るとは随分といい身分だね?うざったいから切らせてもらったよ。それと、僕に願いを言うんだ…それなりの対価ぐらい用意しておきなよ」
「…やれ」
弾けるような音と共に弾丸や魔術が飛ぶ。彼に恐怖や絶望といった表情はうかがえなかった。なんらかの自信があったのか、当たらないという確証があったのかはわからない。何をしたのかということもわからない。
ただ、僕が瞬きした間にそれはかき消えていた。
「さぁ…正当防衛だ。『紋章:狂戦士、解放』」
僕に肩を貸してくれているこの青年は、手に取ったカードを追っ手に向けた。追っ手の数人が素早く障壁を貼った。
一瞬の眩い光が視界を埋め尽くす…目くらましのようだ。
再び目を開ければ、そこには同じように目をつぶった追っ手。隙だらけとも言える現状なのに、目くらましをしたのに、青年は追撃をしていないようだった。
理解ができない。
「…外れ〜。さ、次行ってみよう〜。『紋章:狂戦士、解放』」
青年は再びカードを向ける。
強い光に備えて目を細めるが、一向に光はこない。その代わり、カードからは機関銃のように石の礫が発射されていく。
”同じフレーズによって起動された魔術”なのに光ではない攻撃に一瞬の戸惑いが生じて数人に命中する。
そして、命中した人はその食らった数秒後に爆散した。
「お、当たり。さぁ、どんどん行こう。ふざけてあげてるんだから、ちゃんと生き残ってよ?『紋章:狂戦士、解放』」
当然同じ攻撃ではないという事実に気がつき、再び数人が障壁を貼る。彼のセリフに怒りをあらわにするが、そんなものは意味をなさない。むしろ戦闘中に関しては挑発に乗るという行為は愚策。
その障壁は意味をなさず、真下から生えた槍に串刺しにされていった。
十数人いた追っ手はそれによって全て生き絶えることとなる。
「おや、大当たり。運が悪かったね、標的自動設定なんてさ」
「かっ…!ゥぐっ…」
「ああ、ごめんよ。もう声も出ないね。君と…あと君。やったね、僕の家に招待してあげる。まぁ、他は埋まって?『紋章:棺、解放』」
運良く頭まで貫かれずに済んだ1人と最も地位の高い人物を選出し、彼は地面から生える槍ごとどこかへ消した。
残りの者たちは彼が槍に触れていくとそのまま地面に飲み込まれて埋まる。
…こんな魔術は見たことがなかった。魔術は基本的に魔術陣と発動キーがセットで使われる。今目撃したそれにはどちらもない。ただ魔力を流しただけ。こんな異様な光景を見たのは初めて。
「さてと…改めて、君の名前は?ああ、その前に足の治療をしたほうがいいかな?あ、でも雨で濡れちゃうし一先ずは中に入ることが先決だったね。君は風邪を引けるんだよね?」
理解できない。
こんな異質な人物が僕の味方ということが、特に理解できない。
発言から僕が何者なのかを正確にではないが大方理解しているようであり、僕の現状すらも知っている様子。そして、僕と彼には何の接点もないだろう。あれば少なくともご主人様から聞いていたか手記に載っていたはずだから。
有無を言わさず僕を家の中へと連れて行き、玄関を入ったところで立ち止まる。
「あ…このままいったら廊下がぐちゃぐちゃに」
「…すみません」
彼の言葉に自分と彼の服がぐしょ濡れなのを思い出す。
その上僕をここで待たせるには足の怪我と言う問題点があった。
非常に申し訳ない。
「ティアラ〜!タオル持ってきて〜タオル〜。大きいやつね〜」
彼は家じゅうに響き渡るようなそこそこの大声を出す。
真夜中なのにもかかわらずそんな声を出すからには防音対策でもされているのであろうと考えた。
奥から物音が聞こえてきたのでこの家に住む他の人物と考えて警戒する。名前からしておそらく女性…そして日本人ではないだろう。ということはこの彼の血縁者でない可能性が高い。僕の味方とは限らない…
「…え?」
「お〜、よく頑張ったね。ありがとう」
「にゃぁ〜」
次に見たものは身の程に合わない大きさのタオルを加えて引きずる猫の姿。
その猫は彼の近くまでそのままタオルを引きずり、持ってきたことを告げるかのように彼の顔を見た。そしてその後、彼に撫でられて満足したのか帰って行く。
おそらく使い魔と思われるが、体格はどう見ても子猫。そんなものを使い魔にする理由がわからない。いくら魔術で身体能力を上げられるとはいえども、子猫より成猫の方がいじれる幅が多いのだから。
「さて、とりあえずこれで拭いて………靴、脱げる?」
「あ…すみません。足の感覚が」
「そか。じゃ、靴下も脱いで、足拭いて、そのままお風呂へ直行〜」
彼は僕の体を軽く拭き、それから靴と靴下を脱がせ、足まで拭いて僕の背中を押して歩いていく。
こんなに甲斐甲斐しく世話をされるのに違和感を感じながらも、一軒屋にしては広すぎる風呂場へ連れて行かれた。
「さて、じゃあお風呂をとりあえず沸かして…沸くまでの間に治療しようか。スボン脱いで〜」
「は、はい」
されるがままにズボンを脱ぐ。
血の流れる足に痛みが走り、表情を歪める。
「さて、麻酔はないから我慢してね?」
「…はい?」
「銃っていうのはさ、弾丸にも種類があって、体内に残るように設計されたやつとかがあるんだ。それが今回使われてた弾丸。その弾丸を取り出さずに治療すると体の中に弾丸が残っちゃうんだよ。わかる?」
「え、えぇ、はい」
「ということで引っこ抜くから我慢して?大丈夫、ちょっと傷口にピンセット突っ込んで引っ張るだけだからさ」
「え、ちょっとそれは、え?えぇ?」
「さぁ、いくよ。歯、食いしばってて?3…2…1…」
「あ゛ぁああ゛ぁあ゛あぁああ゛あ!」
止める魔もなくどこから取り出したのかわからないピンセットが僕の足に突き刺さる。
撃たれた場所の薄まっていた感覚が強制的に覚醒させられ、絶叫するよりほかなかった。一瞬と呼ぶには長すぎる時間が経ち、その傷口から弾頭の潰れた弾丸が引き抜かれる。
涙の滲む目をこすり、彼をにらんだ。
「ははは〜、ごめんごめん。ちょっと痛かったでしょ?」
「ちょ、ちょっとって貴方…」
「さ、傷口見して」
睨むのも無視して彼は僕を転がし俯せにする。
傷口が味方なのかもはっきりしない人物に晒され、恐怖を帯びた感情が脳内に湧き上がった。
そして、次は何をされるのかとビクビクしていると、彼は再びカードを取り出す。
「えっと……これだね。『紋章:救世主、解放』」
カードが僕の足に向けられ、一瞬の痛みの増加の後その痛みが消失した。
恐る恐るそちらに目をやると血が滴る足が見える。彼がその傷口をシャワーで突然に流したので痛みが来ると思い目をつぶったが、一向に痛みはこない。
足をさすられる感覚にそっと目を開けば、血の落ちた傷のない自分の足があった。
「治った…?」
「早いでしょ〜?その辺の魔術師よりかはずっと優秀だからね。じゃ、服はそこの籠の中にでも突っ込んでおいて。代わりの服は…ちょっと立って」
「あ、はい」
痛みの完全に消えた足で立ち上がれば、元と変わりない。
普通、治療魔術はその傷を治すのに身体の修復、もしくは複製によって治すために短くても数分、長ければ数日を費やす。その異質さに再び驚く。
いったい彼は何者なのだろうかと。
…先ほど、彼は追っ手に対して”人間風情”と言った。もしかしたら僕と同じような存在なのだろうか?
「サイズは…僕より少し小さいぐらいかな。まぁ、着れるでしょ。大丈夫。うん」
「あ、あの」
「じゃ、着替えは適当に用意しておくからお風呂に入っておいで。ああ、僕は大丈夫だよ。面倒だから浄化するし」
「え?その…」
「使い方はわかるよね?じゃあ、上がる時に声をかけて〜。それまで僕は仕事してるからさ」
「あ、はい」
僕に何も言わせず彼は僕を置いて風呂場から出て行った。
魔力を追えば、本当に僕から遠ざかっていく。
「か、彼はいったい?」
僕は彼をとりあえず味方と認識し、お世話になっておこうと思い警戒しつつも風呂に沈むのだった。
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