13-1.退屈を試みる
訓練を始めて数日。
久しく感じることのなかったひどい筋肉痛と魔力の使用過多による気分の悪さに頭を抱えた。
「…昨日もずいぶん絞られたみたいだなー?」
「疲れた」
「ははは…やっぱきついんだなー」
比呂は苦笑いを浮かべてそう言った。
多分、その苦笑いには俺の心配も含まれているのだろうが、今の所比呂の思うような心配事はない。人を殺させられもしないし、非人道的なこともやらされてはいない。強いていえば、俺の精神面を何も考慮していない訓練を推し進めていることぐらいのもの。まぁ、これは俺が耐えれば済む話だからあまり問題には感じていない…辛いことには違いないが。
「もうこっちの方には入ってんのかー?」
比呂は手元に魔力を動かして陣を描いて見せた。
「…軽い身体強化と治癒だけな」
「治癒って、新兄ほんと何でもできるな…それって一応俺の家の専売特許なのに」
「まぁ、今更だな」
「それもそうかー。まっ、新兄だししょうがないわ」
新兄だからという理由でことを片付けられるようになってしまったあたり、俺もずいぶんと毒されているような気がするが気のせいだと主張しておく。
そんな新兄のおかげで俺が強くなって…より人間離れしているわけだが、前よりもずいぶんと楽になったような気がするのは間違いではないだろう。きっと、それは事実だ。
「そうだな」
こうやってまた比呂と笑っていられるようになったのは俺が新兄に訓練してもらうようになってからだ。新兄に訓練をつけてもらうようになってから、俺はこちら側の世界を否定することをやめた。はっきりとした理由はわからないが、俺はあまりこちら側のことを毛嫌いしないでいられるようになった。でも多分、主な原因はこちら側の人の全てが俺の知る一般から実はそんなにかけ離れていないということを知ったからだと思っている。
俺は新兄に数人の魔術師に会わされた。李川教頭や越坂部さん、ゲーム内で元々知っていた玄丸さんやワイン、俺が知らないだけで多くの人がこちら側の人だということを知った。そして多くの話を聞いた。
…そして、俺は何も理解せずに拒んでいるだけだったということがよくわかった。第一印象が悪かったのもその一因だとは思うが、それにしても俺は過剰にそれを拒絶していたのだから。
違和感など、感じる必要はなかった。確かに、俺の知らない未知の何かがあったのは事実だ。だがそれでも、その違和感は人の今まで見られなかった部分を知ったというだけの話。言うなれば、”夏休みが開けると友人が変わっていた”というのに近いんだと思う。まぁ、規模はケタ違いだが。
「あー、それにさー、いっちゃんが最近新兄のとこばっか行ってるから誰もインしてないんだよなー」
「…新兄入ってないのか?」
「は?いや、いないぞ。というか、玄丸さんもいないし」
「………」
新兄のおかげで、今の俺が戻ってきた。
…だが、その新兄が嘘をついている。新兄は最近、ゲームするからなどと言って早めに切り上げることが多い。それなのにもかかわらず比呂が会っていないというのはおかしいだろう。確かに別のゲームをしている可能性もあるが、玄丸さんまでいないとなれば話は別だ。
「どうかしたか?いっちゃん」
「…いや、なんでもない」
今日、新兄に聞いておこう。
何かがあるというのなら、せめて俺も話だけでも聞いておきたい。協力を申し出るなんてことはないだろう。むしろそれを聞いて、うまくその騒ぎを交わす術を考えるつもりだ。また、以前のような目にあうのは真っ平御免である。
…それに何より、俺では足手まといにしかならないだろう。新兄が異様に強いだけかもしれないが、それに対して何もできていない俺が新兄の助けになれるとは思えなかった。
「そうか?…まぁ、なんでもないってんならいいんだけど」
比呂の怪訝な表情に若干の罪悪感を覚えつつも新兄に真実を確かめた後で話そうと思いそれを拭い去る。
「…というか、お前その顔はまた宿題サボったな?」
「あー…あー…わかるか?」
「何度も見てるからな」
「あっはっは…見せてくんね?」
「自力でやれ」
「そんな冷たいこと言わないでくれよー」
比呂が両手を擦り合わせて首を傾げてこちらを見ている。
「男がそんなことしたところで可愛くもなんともないぞ」
「だよなー…まぁ、ということで教えてくれ」
「はぁ…どこだ?」
「おっしゃ。えっとだな…」
比呂がタブレット端末を操作して目的のページを探し始めた。
俺も自分の解いた内容を確認しようとして、通知に新兄からの連絡があることに気がつく。
「は…?」
「ん?どうした?いっちゃん」
「いや、なんか今日は新兄がいないらしい」
「へー?じゃあ、今日は特訓休みか」
「…でもないな?」
メッセージにはいつものように地下の部屋に来るようにという指示と細かい内容は伏せてあるがやることが書かれている。いつもより少し早い時間に向かい、軽く身体強化をかけた上であらかじめ体をよくほぐしておくようにという指示だ。その後に何かをするようだが、それについては一切書かれていなかった。
「軽い身体強化をかけた上で体をほぐしておくようにって書かれてるんだが…これ、何させられるんだ?」
「さぁ?俺に言われてもわかんねぇに決まってんじゃん?」
「先輩として予想は?」
「あー…実戦とかじゃね?新兄いないんだろ」
「らしいが」
「じゃあ、実戦じゃね?どっかから使い魔借りてきてるか、誰か代わりに人がきてるかとかで。体ほぐすっていったらそれくらいだろ、多分」
確かに、体をほぐすのだから動くことになるというのは想像に易い。その上で考えられるのは一番それの可能性が高いだろう。
だが、俺と同じレベルで動ける人や使い魔がいるのだろうか?特訓という名目で鍛えられた俺の体は、身体強化をかけた状態で踏みこめば地面を砕き、走れば下手な車よりも早い。早速人間をやめているようなものだ。
比呂から話を聞く限りでは、身体強化に特化した李川家でも素の俺よりも身体スペックは高くならないらしい。ただ、一撃の重さは俺の比ではないらしいが…でも、それを踏まえてもどうなるのかが想像できない。動き方という面では確かに俺よりもずっと上手いだろう。だが、実戦として行うのであれば李川教頭は向かない。李川教頭はすでに結構な年であり、身体機能的な面でも俺と動き続けるのはきついものがあるだろう。子供がいるという話は聞いたこともないし。
では、誰が?と考えると、誰も思いつかない。身体強化に特化していない家では俺に動きを教えるには足りないと思う。なぜなら、身体強化は基本的に身体機能を強化する程度で、人を逸脱するようなものではないからだ。人を逸脱した動きを教えられるのは、それこそ李川教頭くらいなのだ。おそらく、それ以外の者では一瞬で俺が近づき戦闘にならない。すでに数回新兄と戦った上で、魔術師との戦闘方法についてのレクチャーは受けた。そこから考えても普通の魔術師では俺の相手は務まらない。
自意識過剰にも思えるが、新兄曰く「この世界の人ごときがいっちゃんとまともに戦えるわけないじゃん」だそうで、この世界で俺はかなり強い部類に分類されるらしい。
「いっちゃーん?」
「…不安になってきたな」
「お、おう?何にだ?」
「ろくな予感がしない。俺と戦って俺の訓練になるような相手が思いつかない」
「すごい自信だな…」
それでも実際に距離を取った状態からの戦闘であれば、戦闘慣れしている相手の方が俺よりも強いことが多い。なぜなら、俺は魔術を撃たれれば後手に回るしかないからだ。俺は新兄に魔術の対処法と魔術の基礎と魔術士と対峙した場合の行動についてしか教わっていない。あとは逃げる方法といざという時の近接戦闘。
だから、近距離であれば大概の場合一撃で仕留められるが、そもそも魔術師とは近接戦闘になる場合の方が少ない。しかも、現在の魔術師の多くは拳銃の類を携帯し、使い魔も連れているために接近は困難を極める。
「自信じゃなくて不安だ。俺と戦うんだったら最低でも俺の動きについてこれるか、俺の動きに対応できるか、広範囲にわたる攻撃でもできないといけないんだが、それを新兄の家の地下でやるのは流石に無理だろ?」
「それはまぁ…確かに」
「だから、俺の動きについてこれる人物か化け物でも連れてくるんじゃないかと思って正直怖い。嫌な予感しかしない」
「な、なるほど…それは確かに言えてんな」
近接戦闘に持ち込む練習をするには狭すぎるのだから、魔術師でそれなりに近接戦闘もできるそれでいて俺の動きを目視して対応もできる人物でないといけないのだろう。
…何が一体出てくるんだ?正直なところ嫌な予感しかしない。よっぽどの強者だろうが、そんな人物なんて俺が知っている限りではいない。
「…まぁ、帰ってからのお楽しみっていうやつだ」
「楽しけりゃいいけどなー…」
苦笑いを浮かべ、そうこうして比呂の宿題を教えているうちに教師が入ってきた。
特に何か連絡があるわけでもなくH・Rが終わり、1限目2限目…と1日がただ過ぎてゆく。
その間ずっと何か引っかかるものを感じながら悩んでいた俺だが、そんなことを気にも止めずに時間は過ぎて帰宅時間となった。どうせ化け物じみた使い魔を連れてくるか、有能な魔術師による魔術回避の訓練になるのだろうと思うことにして帰路に着く。
美耶と別れて家に着き、制服を脱いで動きやすいような服装へ変える。
タオルとかを詰めたバッグを持って自転車に乗り、新兄の家へ走り出す。
家に到着してチャイムを押すが、反応はない。本当に今日は用事があって出かけているのだと感じた。あらかじめ受け取っていた鍵で家に入り、鍵をかけて地下へ降りるためにリビングへ向かう。
「…何してんだろうな」
仕事だと言っていたが、新兄の仕事で出張というのもありえなくはないとはいえども不自然だ。だったらなんで内容を曖昧に隠す?言えないようなことってわけじゃないはずだ。
つまり、魔術関連のことなのだろう。
話してもらえないことに感じるのは不満でも憤りでもなく、ただの不信感。そして、新兄の見えない部分がとても恐ろしく感じてしまう自分への嫌悪だ。
階段を降りきり、コンクリートに囲われた部屋への扉を開く。体育館の扉のような金属製の重い扉は軋む音を立てて開いてゆく。
「遅かったな」
「……は?」
開いた先に真っ先に目に入ったのはよく見知った人物。
いつもの調理場に立つ姿ではなく適当なジャージの姿ではあったが、それは普段のそれとあまり変わりない、ただ動きやすいだけの格好のもの。
少し納得しかけて、再び疑念を抱く。
「は、じゃないだろ。さっさと準備しろ。体ほぐして、軽く身体強化して…あとはなんだ?新のやつ、いつも何やらせてるんだったか」
「いや、そんなことよりもなんで親父がここにいんだよ」
「そんなわかりきったこと聞くのか?普通に俺が新に頼まれたからだぞ。あいつ、自分の息子の面倒ぐらい責任を持ってやらないとダメだよねとかふざけやがって…」
「やけに疲れてるな…?」
「当然だっての。あの馬鹿野郎、余計なもん見せやがって…帰ってきたら叩きのめしてやる。ツケの支払いさせてやる…」
いつにも増して疲れた様子の親父をよそに俺はカバンを放り、準備運動をし始める。
「と言うかなんで親父なんだよ。普通に考えてもっと訳のわかんない化け物とかじゃないのか?」
「まぁ、動きの似た人を探した結果だろうなぁ…そう言う動きに慣れてるのは俺か新かヒゥルぐらいだろうし」
「…俺みたいな動きができる人ってことか?」
「そう言うことだろうな。ステータス値だけだったらすでに向こうの俺に近いとか新が言ってたし、経験と勘でも鍛えろってことだろうな」
「向こうのって…親父は俺みたいな人間離れした動きができたってことか?」
「まぁ、できなくはないな…」
「…?どう言うことだよ」
「いや、そう言うのって大概無駄だったし…あー、まぁ、こっちでは有用か。そういや向こうでの話ってあんましてこなかったな」
体をほぐしながら親父に目を向けると頬を掻きながら困ったような表情を浮かべていた。
気になってその続きを聞こうとするよりも早く親父がこちらへ真面目な表情を向けてくる。その表情はどこか恐ろしく、一瞬殺されるのではないかと恐怖さえ覚えた。
「さ、準備はできただろ」
「あぁ」
「…武器はないんだよな?」
「ない。それがどうかしたのか?」
「いいや、ないなら俺もこのままやるってだけの話だ。さぁ、どっからでもかかってこい」
そう言って、親父は不敵に笑う。
まるで、子供の相手をするかのように気軽で侮った表情。
親父からそんな強さなど少しも感じられなかったが、そう言われたからにはそうするべきか。
ひとまず、様子見をしよう。
「いく…!」
地面を抉る勢いで踏み込み、親父の目の前まで迫った瞬間悟る。
親父がそこで、俺を見つめニッと笑っていた。
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