閑話:邪眼は口ほどにものは言わない
シエンが帰ってこない。
「チッ…どこ行きやがったんだ」
つい舌打ちが漏れる。
シエンの兄、剣聖がこの学園に来てから2週間後。あいつは忽然と姿を消した。
…オレに何ひとつ言わずに。
朝になって帰ってくることもしばしばあった。夜中にどこかに出かけているのも多々見た。けれどいつも学園が始まる前には帰ってきていた。
今朝は違った。起きてみればいつも騒がしい声が聞こえねぇ…時間を見ると登校時間を過ぎていた。普段なら無理やり叩き起こされるが、今日はなかった。置いて行きやがったんだと思った。だが、シエンは教室にいなかった。シエンの居るその場所には剣聖がひとりで座っていた。
「おい、剣聖。お前は知ってんじゃねぇのか?シエンはどこに行ったのか」
「悪いな。私はその件についてはよく知らないのだ。シエンは私にすら詳しく話さずに行ってしまった。私はただやるべきことをするだけ…私はもう寝る」
「テメェ…喧嘩売ってんのか」
剣聖はそう言ってベッドに潜りやがった。
…俺を馬鹿にしてんじゃねぇのか?
「ああ…忘れていた。シエンから言づてを頼まれていた。”僕の机の本をあげる〜”だそうだ。私は確かに伝えたぞ」
「は?…本ってこれか?って聞いちゃいねぇなこいつ…」
剣聖に言われて机を見れば確かに本が1冊だけ置いてある。
いや、んなことより今更になって気がついたがあいつの荷物が何ひとつ残ってねぇ。もともと少なかったせいで気がつかなかった。残っているのはこの本となぜか起きた時に俺のベッドで一緒に寝かされていたフォレストボアのぬいぐるみ…イラっとして蹴り飛ばしたが。
「題名もねぇな…なんの本だ」
赤茶色のカバーの掛けられた歴史書ほどある分厚い本。表紙にも裏表紙にも何も書かれていない。
中身は…
開いた瞬間に一枚紙切れが落ちた。小さい紙切れ…どうやらメモようだな。
「あ゛?」
拾ってみればそこにはシエンが書いたと思われる文字。
『初めに謝っておくよ。ごめんね。出来ればちゃんと最後まで訓練見てあげたかったけど、どうにもできそうにない。世界で二番目の剣士にしてあげるって言ったのに約束は守れそうにないよ。ということで、できれば教えたかったことと知っておくと便利なこと、困った時に頼れそうな人とかをピックアップしておいてあげたよ。これを読んで強くなってね。運が良ければ全陸大会後にまた会えるかもしれないけど、それも多分少ししかないからこうして記しておくことにする。運が良ければ1週間後に、会えなければまたいつの日か君に会えることを願ってるよ。P.Sそのフォレストボアちゃんを僕だと思って夜の寂しさを紛らせてね』
「ふ…ふざけんじゃねぇぞ!あいつ、少しはオレにも話せよ…そんなにもオレは頼りねぇのかよ…ちくしょうが!」
これはシエンが言っていた仕事のことなんだというのはわかった。
…少しぐらい、ほんの少しぐらいオレに話してくれても良かったんじゃないのか。あいつはオレのことをいい友達だと言っていた。ならもうちょっと、ほんのちょっとでも頼ってくれたっていいんじゃねぇのかよ。オレだってあいつを…
「もう夜だ。少しばかり静かにしてはくれまいか?…それと、後ろにも何か書かれているようだが」
「るせぇ!」
剣聖を怒鳴りつけて紙の裏を見る。
そこには確かに言われた通り小さく文字が書かれていた。
「…何が…何が気が楽になっただ。ふざけんじゃねぇよ…ちくしょう」
『励ましてくれてありがとう。気が楽になった。頑張ってくるよ』
裏には短くそう書かれていた。おとなしく表に書けばいいものを…シエンらしい。きっとオレの反応を想像して笑ってやがったんだろうな。
なぜか、シエンがもうここには帰ってこないような気がした。俺の嫌な予感はよく当たる。
「…ハイド…ハイドならなんか知ってんじゃねぇのか」
あいつはシエンとよく話していた。
オレが知らねぇようなことも話しているのを聞いたことがある。
…どこに行ったのか知ってるかもしれない。シエンの仕事について聞いているかもしれない。
そう思うと体が勝手に動いていた。
「あいつの部屋は…」
階段を駆け上がり、記憶を手繰って部屋に走る。
どこかの扉が開いてうるさいと罵声を聞いたが、んなこと知ったことか。オレは忙しい。
「おい、ハイド!いるか、ハイド!」
扉を叩く。拳を握り、強く叩く。
中から声が聞こえた。ハイドのものだ。
ドアから離れて中から出てくるのを待つ。
「…何の用ですか、ディラン先輩。こんな時間に怒鳴り散らして、迷惑とは思わないんですか?」
「悪ぃが今はんなこと言ってられねんだよ。シエンがどこ行ったか知らねぇか」
「またどこかに出かけてるんじゃないんですか?」
「昨日からいねんだよ!帰ってこれねぇかもしれねぇとか言ってやがるし…」
「帰って…⁉︎と、とりあえず廊下じゃなんですし、中に入ってください。中で話しましょう」
「わかった」
中に入り鍵をかける。
寮の部屋は本来どこも同じだが、ハイドの部屋は自分で持ち込んだのかいつくかの棚と元々よりサイズの小さいベッドがあった。
「その辺に適当にかけてください」
「ああ」
オレは言われた通り椅子に腰掛ける。
そこで自分がシエンの残した本とそこに挟まっていたメモを持ったままだったことを思い出す。
「それで…シエン先輩がいないってどういうことですか?」
「今朝オレが起きた時にはもういなかったんだよ。詳しいことは俺もしらねぇ。どうせ仕事だろうが…テメェならなんか知ってると思ってきたんだよ」
「なるほど。で、その証拠は?」
「メモだ。1週間後かそのうち会おうだとかぬかしやがって…あいつ」
オレがそう答えた後、ハイドが「…やっぱり」と小さな声で漏らしたのが聞こえた。
「やっぱ何か知ってんだな…?」
「ええ…でも、いや…言っちゃいけないとはシエン先輩は言わなかったし…」
「知ってんだったら言いやがれ!」
「…わかりました。まずディラン先輩、シエン先輩からその”仕事”のこと、どれくらい聞いてますか?」
「内容は何も聞いてねぇ。ただ、やんねぇとマズいことだってのは知ってる」
「つまり詳しくは知らないんですよね…まぁ、シエン先輩は俺に口止めしなかったですし、文句言われたら言い返してやろう…シエン先輩の仕事っていうのは邪教徒の殲滅です。邪教というのは」
「言わなくても知ってる。皇国のやつだろ」
「…なら話が早いですね。じゃあ邪教の化け物の話、知ってますか?」
「化け物だ?んだよそれ」
「人を魔物に変えたものです。”邪教の使徒”と呼ぶそうですが、身長が2mくらいある筋肉の塊みたいなやつを想像してください。それを邪教は”進化”や”神の力”と言って人を変化させ、この大陸のあちらこちらで放っているらしいです。実際にこの学園でも出てますし…ほら、選抜の時のシエン先輩が戦った貴族、知ってますか?」
「よえぇやつに興味はねぇ」
話だけは聞いた。
シエンが気にするようなほどじゃないと言っていたからよくは聞かなかったが。
「…とにかく、そいつはその邪神の使徒になってシエン先輩に駆除されました。シエン先輩が言うにはその邪神の使徒の強さは大体Bランク冒険者レベルだそうですよ。ああ、だからディラン先輩には話さなかったんじゃないですかね。この間Bランク試験の許可が下りたって聞きましたけど、それはまだBランクに達してないってことですし、シエン先輩はディラン先輩を危険にさらしたくなかったんじゃないですか?」
「…チッ。あいつ妙なところで気ぃ使いやがって」
「ま、まぁ、とりあえずシエン先輩は1週間後の全陸大会の日に邪教徒を一気に片付ける作戦らしいので、それのために出て行ったんだと思いますよ」
「だったら帰ってこれねぇってなんだよ!んなやつぐらいあいつの敵じゃねぇだろ?テメェはこの間の剣聖との試合見ただろぉが」
「…そうです。俺もそこがわからないんですよ。他に何か知ってることとかないんですか?何か残したものとか」
ふと自分の持った本へ目線が行く。
開いて、目次を見ると武術編、魔法編、応用編、知識編、その他、と大きな括りがあり、その中も武器の種類や魔法の属性、街の中や森山谷と分類されているようだ。
パラパラとページをめくっていくと丁寧に書き連ねられた文字が綺麗な挿絵とともにページを埋めている。
「…ただの指南書だな」
「そうですか…じゃあ、とりあえず部屋の中を探ってみませんか?まだ部屋に手がかりとかが残ってたりするかもしれませんし」
「ああ…は?んだよこれ」
「どうかしたんですか?…ほんとあの人何者なんですかね」
本を見ていくうちに驚いた。この本には武術、魔法、戦闘技術、薬学や商業や法律などまでありとあらゆる分野について事細かく書かれている。しかも一般人の知り得ないところまで。
ただ、最も驚くべき場所はそこじゃなかった。最後の”その他”に入っていた”名前を出せば力を貸してくれる人”という枠に入っている人だ。
「ギルド長まではまだわかる。だが、国王だ帝王だ長老だってんはなんだよ。あいつほんとおかしいだろ。いったいどんな人脈だ。しかも名前さえ出しゃあ力になるとかふざけてんだろ」
「…やっぱり、シエン先輩はかなり長生きみたいですね。俺、前に聞いたんですけど、俺の祖父の知り合いらしくって、俺の祖父の子供ができたことを知らなかったらしいんで最低でも300は超えてるんですよ」
「…何なんだよあいつは」
どこが人間種だ。どう考えたっておかしいだろ。
言いづらそうだったから聞かなかったが、帰って来たら絶対問い詰めてやる。
「と、とりあえず部屋の散策してみません?」
「ああ…そうだな」
オレは立ち上がり、本とメモを片手に部屋に向かい歩き出す。
なんでいねぇかがわかったからか、少し共有できる人がいるためか、さっきほどまでの焦りは薄れた。ハイドがいてくれて助かったと思う。オレ一人ならどこへ行ったかも何をしているのかもわからないで暴走していただろうから。
階段を降り、鍵もかけずに飛び出した自分の部屋に入る。今度はきちんと鍵をかけて。
「ディラン先輩…けっ結構…くくっ…か可愛い…趣味をお持ちですね…くくくっ」
「あ゛?…ああ、こいつはシエンが置いていきやがったんだよ」
「な、なんだ…そうでしたか。あまりに予想外で噴き出すかと思いましたよ」
「うるせぇ。喧嘩売ってんのか?」
「いえ……って、これなんかの魔道具じゃないですか?」
「は?」
そう言われ、ハイドの方を見ると一瞬目が淡い赤に光るのが見えた。
…魔眼持ちか。解析もできんだろうか?
「解析できるのか」
「今、やってますけど………なんでしょう、この俺の脱力感は」
「できなかったのか」
「いや、できたんですけど…聞きます?すっごい碌でもない機能ですよ。まぁ、確かに便利ですけど」
「んだよ。さっさと話せ」
「”目覚まし”ですね。魔力を流して寝ると、翌日の6時に起こしてくれるようです。方法は強く振動するみたいですよ。止める方法はもう一度魔力を流すっぽいですね」
「あいつ…ふざけてんのかオレのためなのかわかんねぇな。ったく」
このぬいぐるみにそんな機能をつけるところはふざけてるとしか思えねぇが、オレが毎度遅刻すんのを防ぐために作ったというのは安易に想像がつく。
…まぁ、説明をしないあたり遊び半分で作ったのは間違いない。
「他に何か残したものってありますか?」
「…多分ねぇな。あいつの机は物置いてねぇし、収納は使ってなかったみてぇだからな」
「なるほど…じゃあ、とりあえず物を隠せそうなところを漁ってみましょうか。幸い明日は休日ですし、夜中まで付き合いますよ」
「…悪い」
「気にしないでいいですよ。俺もシエン先輩に興味ありますし」
「そうか。シエンにはオレ以外にも気にしてくれるやつがいたんだな」
あいつは普段からちょっと人から離れたところにいることが多かった。だからオレと一緒にいることが多かったとも言えるが。
だが、それゆえにあまり深い関係のあるやつを見たことがなかった。確かにハイドは話しているのはよく見たが、妹の友人だからという感じがしていた…というか勝手にそう思い込んでいたところがある。
「なんです?その表情は」
「あ゛?なにがだ」
「…いえ、やっぱりなんでもないです。なんか、俺はディラン先輩のことちょっと誤解してたかもしれません。ディラン先輩っていきなり来て俺に決闘叩きつけたり、口が悪かったり、周りからちょっと距離置かれてたりするからあんまりいい人じゃないっていうイメージがあったんですけど…いい人ですね。シエン先輩が言っていた意味がわかった気がします」
「は?あいつなに言いやがった」
「怖い顔ばっかりしてるから人が来ないだけだって言ってましたよ。確かにガラ悪そうな顔つきですもんね…くくっ」
「やっぱりテメェ…喧嘩売ってんだろ」
「いやいや、違いますよ。そんなつもりはないです。でもディラン先輩は表情がいつもしかめっ面で感情読みづらいですし、もっと表情豊かになった方がいいと思いますよ」
「チッ…余計なお世話だっつんだよ」
オレは顔を背け、シエンの跡を探す。
気になり頬に触れる。
…少し、緩んでいるような気がした。
「…あ、そういえば知ってます?シエン先輩の二つ名」
「あ゛?白き暴虐か」
「いや、そっちじゃない方です」
「知らねぇ」
「貯蔵庫ですって」
「そうかよ。それがどうした」
「いや、由来を聞いて笑ったのを思い出したので」
「どうせまた碌でもねぇんだろ?」
「はい。珍しい竹で作られた竹槍で盗賊のねぐらを叩き潰したり、つけると魔物を呼び寄せる鼻眼鏡でゴブリンの集落潰したり…と、まぁふざけた物を大量に持っていて、中にはかぶると怪我を治癒する下着とか飲むと身体中から光を発する酒だとかもあるようで」
「ゴホッ…⁉︎」
「どうしようもない物を大量に蓄えてるってことでコレクターだそうですよ」
…全く、どうしようもねぇ。
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