閑話:遠き日よ。永き日よ
「ぅ…んっ…」
朝。幼い少女は目を覚ます。
未だまどろむ目をこすり、ベッドから降りた。
「…およう、ふく…きがえないと」
ぼんやりとした思考をそのままに少女はクローゼットに向かう。
クローゼットを開けば、自らの保護者であり兄である人が自分のために手作りした服がその中に並んでいる。少女はなんとなく気に入ったものを選び、パジャマとして着ている服を脱いでその服へ着替えた。
「かお…水…」
今度は引き出しからタオルを取り出し、脱いだ服を片手に部屋を出た。
部屋を出て階段を降り、1階の洗面台などのある部屋に行く。ここはもともと物置だったのだが、購入した際に作り変えられ、現在は洗面台以外にも洗濯や歯磨きなどに使える場所となっている。
少女は持ってきたタオルを洗面台のそばに置き、パジャマを洗濯する物をまとめて入れるよう言われているかごへ入れた。
「台…台…あったの」
それからキョロキョロと周囲を見回して少女は自分のために作られた薄い桃色の台を引きずり、洗面台の前まで運ぶ。そしてその台に乗って水を出した。
小さな手に水をすくってチャプチャプと顔を洗う。
それでやっと目が覚めたのか、表情がすっきりとした。
「あ、マリー。おはよう。今日は早いね〜」
「んっ…おにぃちゃん。おはよう、なの」
少女は自らの”兄”を見つけ、嬉しそうに抱きつく。
兄は少女の頭を撫で、そのままついでにとばかりに髪に櫛を入れ始めた。少女の耳がピコピコと、尻尾がフリフリ動く。
なんともわかり易いものだ。
「よし。今日もマリーの髪は綺麗だね〜」
「おにぃちゃんのも、きれいなの」
「そう?ありがと〜」
少女は最近変わった兄の灰色でサラサラと光る髪を見て言った。
かつての黒くクルリとうねる髪も好きだったが、これは自分の髪と似た色、似た髪質でなおのこと好きである。まるで本当の家族のようで。
「…さて。じゃあ今日は大切な用事があるから早く行かないといけないんだ。だからもうちょっとマリーと一緒にいたいけど仕方ないから行くね。多分お昼頃には帰ってくるから」
「もう…いっちゃうの?」
「うん。今日はどうしても僕が行かないといけないんだ。最近はずっと家にいられたんだけど、今日はね?」
「…わかったの」
少女は寂しそうにうな垂れた。
ここのところずっと家におり一緒にいた兄が出かけてしまうことに寂しさを覚える。自分も一緒に行きたいが、兄が大切な用事と言っているのを邪魔して嫌われたくない。
そんな気持ちから少女は兄のローブの袖をそっと掴む。
「大丈夫。ちゃんと帰ってくるから」
「うん…」
「もう…今日のマリーは随分と甘えん坊だね〜」
兄は少女を優しく抱きしめた。
ここのところ少女は不安を覚えることが多い。また一人に。暗闇に。痛みに。
温もりが恋しいのである。
きっとこの不安は自分の単なる思い込みだ。一度知ってしまったものを離したくないと思う願望だ。
少女は幼いながらそれに近いことを理解していた。
「頑張って早く帰ってくるからさ」
「…いってらっしゃい、なの」
「うん。いってきます」
少女は兄が出かけるのを門まで見送る。
その後ろ姿が遠く見えた。
「マリー様。朝食はどうされますか?テラが起きるまで待ちますか?」
「ううん…たべる」
「承知しました。では」
戦争が終わり、視察という名目で来ていた少女の友人は城へ連れ戻された。
少女には今共にいてくれるものがいない。きっとそれが少女の不安をより掻き立てるのだろう。
兄はそれを知りながらもまだそれのために動けずにいる。少女のスキルについての不安がどうしてもそれを妨げていた。
* * *
少年だった少女の青年は椅子に座る中年とも言える歳の男に愚痴を垂れていた。
「なんでこんな重要な会議に僕を連れてくるのさ?面倒くさいったらありゃしないじゃん」
「仕方ないだろう。僕…うっうん。余は国王なのだからな。もっとも国のためとなる判断を下せる者を共に連れてくるのは当然といえよう?」
「でもわざわざ領地の分譲と支配とその他もろもろの会議に僕が出ないといけないのさ。領地だけだったらいいよ。でもさ、ほかは宰相にやらせてあげようよ。あの人悲しむよ〜?」
「かまわぬよ。あやつも来ているからな」
「ああ、来てはいるのね…」
青年は自らよりずっと国と王を思っているであろう宰相を部屋の端に見つけ、手を振った。
それを見た宰相は顔を背ける。
「ところでクロリスは?」
「今か?」
「うん。そうそう」
「この時間か…おそらく勉強であろうよ。翌年より学園が再開されるのでな」
「あ〜。じゃあ来年から入学させるんだ…マリーもさせようかな?」
「マリー…?ああ、あの少女か。娘が嬉々として話しておったよ。王族の身分ゆえ、隔たりなく話せる友人ができて嬉しいばかりだ」
「まぁいつまでもそうやってもらいたいところだけど、身分もあるし学園で面倒なことになるかな〜…」
学園内は身分による扱いの差は表向きは存在しないことになっている。
だが、当然貴族の子息令嬢からすれば自らより身分の高い者とのコネクションを作るチャンスであり、無論平民からしてもそれは同じこと。
当然王族と仲良くしていればそれを疎ましく思う者が出てくるのは必然であろう。
「そうか…ならば、従者として共に入学させるというのは?」
「ほう?」
「あ、いえ。冗談です。ゴメンなさい」
王がこんな者でいいのかと思えるぐらい礼儀正しく頭をさげた。
周りで見ていたメイドが苦笑いを浮かべる。
こんなことはもはや日常茶飯事であった。そうはいってもやはり王が軽々しく頭をさげるのは問題であるため、この場にいるのは気の知れた者だけだったりする。
「僕の妹を従えようなんてねぇ?」
「はい。ないです」
「よろしい。ということで、手頃な圧力をかけるから入る直前までに僕に爵位を与えるとは勘弁してね」
「手頃な圧力というと何かあるのか?」
「ちょっと久しぶりに強引なギルドランク上げと、名声作りと、それから…」
「聞いた余が悪かった」
「今更取り繕ってもしょうがないと思うんだけどね〜…っと。もう来るみたい」
メイド達が各国の重鎮を連れてくる足音を聞いて青年はそう言った。
本来、このような場には外交官のみが来るべきだが、今回ばかりは多くの問題があるため多種多様な人が呼ばれている。外交官を始め、王族や高位貴族、商人や僧侶、さらにはギルドマスターや闇ギルドに連なる者までそれはもう様々だ。
なぜこのようなことが起きているかというと、一つの宗教そのものを消すなどということをするためである。
「じゃあ、しょうがないし。みんな来ちゃったから座り次第…ちょっと休憩しよう」
「休憩か…」
「だっていきなり話を始めるよりちょっと交流してくれた方が話を進めやすいじゃん?」
もし、この世界でなければここまでの大事にはならなかっただろう。
この世界には人間以外の種がいる。それゆえの問題だ。
全ての種が長い時間を生きる種でなければ問題はなかった。宗教も、時代の流れに飲まれていつかは消えただろう。
だが、この世界には寿命に大きな差がある。それは意識に差を生み、受けた憎しみを知らぬ者までその怒りにさらされる未来を作る。偏見を強くしかねない。
それを思ってのこの会議だ。
「…うん。フレルド。ちょっと悪いけど僕一度抜けるね。多分明日には戻るから、細かいことは宰相に任せる」
「どうした?」
「マリーがちょっと」
「そうか…」
「最悪も戻って来れないかもしれないけど、この城にいる限りは争いは起こせないようになってるから安心して話し合ってね」
「…わかった」
「じゃ」
青年は一瞬にして姿を消した。
…ちなみにこの後、機が巡ってきたと思い邪魔な敵対貴族を襲撃によって殺そうとした貴族の兵士が小一時間ほどひたすらタライを頭の上に落とされ、周囲の者が呆然とし、幾らかの者が苦笑いするということが起こった。
* * *
少女は思い、考えた。
得たものを手放さないために。
「ロメ…?」
「どうかされましたか?」
「わたし、おにぃちゃんのためになにかしたいの」
「そうですか。それはいいことですね」
「うん…」
「…?どうしました?」
「なにを、したらいいの?わたしは…」
ゆえに、少女は兄を自らの近くに留めたいがため、従者に問う。
「マリー様?」
「いや、なの…暗いの…」
「…っ!」
従者は少女の身を案じ、主の命に従い、最善を考え、少女に魔法をかけて眠らせた。
最後に消えた記憶から順に思い出していく…おそらくこれが主の言っていたスキルの崩壊の前兆だと。そう考え、従者は急ぎ手はずを整える。少女を部屋に運び、主へ念話を飛ばし、少女のそばへ鎧の騎士を待機させた。
「アルドグランテ。マリー様に何か変化がありましたら私に伝えてください。どんな些細なことでもです」
『…承知いたしました』
「私は仕事を済ませてきます」
従者は残る仕事を片付け始める。
いつなにが起きても主を支えるために全速力で。掃除、洗濯、家具の手入れ、倉庫の整理、消耗品の補充…何から何までこの屋敷の管理を任される従者にとって仕事の手を抜くことは許せない、許されないことだ。
全ては主のため。主のためならば命すらも捧げる。それが従者であった。
「おや…」
突如従者の目の前に白い扉が現れ、中から主が出てきた。
「ロメ。マリーは?」
「お帰りなさいませ、主。マリー様はお部屋に」
「ありがと」
主…兄は少女の眠る部屋に向かう。
階段を登り、1つの部屋に入る。
「…アルドか。お疲れ。戻っていいよ。僕がここにいるから」
『承知いたしました』
部屋にいた鎧を外に出す。
そして少女の額に手を置いた。
少女はゆっくりと瞼を開く。
「おはよう。マリー」
「…おにぃ、ちゃん?」
「うん、僕だよ」
その声を聞き、顔を見て、少女は兄に抱きつく。
頭に流れ始めた痛みと苦しみとほんの少しの安らぎの記憶。失っていた遠き日の記憶。
「イヤなの!暗いの…痛いの!こわい…の」
「大丈夫…僕がいるよ」
「できないの…や…たたかないで…」
「大丈夫。もう誰もマリーをいじめないよ」
少女の兄のローブを握る力が強まる。
兄は優しく少女の頭を撫で続けた。
「外に行きたいの…暗いの…こわいの」
「大丈夫。ここはもう外だよ」
「化け物じゃないの…おなか、すいたの…いないの…一人」
「一人じゃないよ。僕がいるでしょ?」
「いちゃいけないの?…たすけて…おばぁちゃん…いたいの…」
「マリー…」
兄は少女の過去を知っている。
ゆえにそれが子供にとってどれだけ辛いことかもある程度は理解している。
兄は少女を強く抱きしめた。可能な限り自らの腕の中で泣く少女を愛してあげようと。
「……やぁ…白い…ご飯…」
「ああ、終わったんだね。今は…お休み。きっとそれが受け入れられる日がいつか来るよ。マリーの…」
兄は少女に魔法をかけ眠りに誘う。
少女は糸が切れたかのように眠りに落ちた。兄は少女をベッドに横たえ、どこからか椅子を取り出し座ってその横で少女の手を握る。
「まだマリーの未来はかなりある…いつになるかな。昔を忘れて幸せになれるのは」
兄はこれからの永き日を想う。
少女が歩む限りない希望に満ちさせた未来を。




