22.知りましょう
しばらく僕が座ってマリーを見ていると、やはり疲れていたのかまだ午後7時にもなっていないのにマリーは眠りについた。
「さて…『記憶解析』」
僕はマリーの額に手を乗せ、マリーに関する情報を世界から集める。
スキルを見た限り、今までにどんな扱いを受けたのかに興味がわいた。マリーのことを幾らかでも知れば、少しでも楽しく過ごせるだろう。いつまでも誰もを警戒し、周囲に恐怖を抱き、絶望の中で生きるのは辛い。紫たちの記憶を見たときにも酷いものは大量に見た。
それから立ち直れない者は、延々に苦しみ続ける。僕はこんなか弱い少女にまでそうなって欲しいと思うほどゴミではないつもりだ。
* * *
その少女は、森に囲まれた集落の中で生まれた。
母は獣人の孤族。父も同じく獣人の孤族。その両親も同じ。その子供も孤族として生まれる。
…そう。そのはずだったのだ。
「な、なんという…これは」
その子を取り上げた老婆は呟いた。
その子供の尾は九つあり、髪も毛も汚れを知らぬ純白。亜人種、九狐種、雪白族それがその子供の種族だった。
獣人種…その中でも取り分け孤族と猿族は浮気を過剰なまでに激しく嫌う。その子供の九つの尾と白い毛並みは、父親が孤族ではない証拠であった。
少女はそんなことを知る由もなく、ただの少女としてこの世に生まれた。
「エリー…これは、一体…」
「な、なんで…?どういうことなの⁉︎お婆様!ねぇ!」
その夫は妻の名を呼び、その妻は受け止められぬ現実にただ戸惑うばかり。
それもそのはず。その少女が生まれたのは単なる偶然。遠い昔にいた先祖の隔世遺伝のものがこの時になって発現したに過ぎないのだから。
だが、この世界の人がそんな理由を知る由もなければ、知る方法も存在しない…
「儂にもわからぬ…エリーよ。この子は儂に一任してもらうぞ」
「なんで…!なんで、こんなことに」
妻は取り乱し、夫は視線が定まらぬまま立ち尽くす。
老婆はあとは夫婦の問題であると判断し、その子を連れて外へ出る。老婆はその子供を自らの手で始末をつけるつもりだった。
老婆の生きた300と少しの年月の中で、このようなことは今までにもあった。こんな出生であるが故に、まともな扱いを受けることのないのは理解していた。せめて何も知らぬうちに…ただ、そう願ったのであった。
老婆はその子供を連れ、山頂近くにある集落を離れて森の深くへと向かった。
その子供は、未だ母から乳を貰ってすらいないのにも関わらず、老婆の腕の中ですやすやと眠る。
その姿はまるで、その運命を受け入れるかのようだった。
「…いかんな。年をとると涙脆くて」
老婆は自らの腕で安心しきって眠る子を見て、その子が不憫に思えてならなかった。
ただ、生まれた種族が違った。それだけの理由の元に殺すのは些か可笑しいことであるとは思うが、これも集落の長として集落にわだかまりを生み出さないためのもの…
「そう…割り切れるものならば、どれだけ良いことか…」
そう呟いた老婆は、その子を抱え集落へと戻る。
老婆にとってその子は自らの初孫。それも自らが大切に育てた一人娘の。
その子は自らが密かに育てよう…いや、そうしたい。それが老婆の小さな願いであった。
時は流れた。
老婆がその子供を密かに育てようと、自らの家に匿って僅に1年と数日。老婆はその命を儚く散らした。
獣人種、孤族の平均寿命は300年程度。可笑しいことではなかった。
その子供は老婆の世話の甲斐もあり、人並み程度にしっかりと成長してはいたが、母と父には隠されて育てられていた。
老婆が亡くなった。
そして、その亡骸の指差す先にはあどけない幼女がベッドに寝かされていた。
母と父は老婆がその子供を生かしているという事実に驚いた。そして、その横に添えられてあった遺書を読み、なんとも言えぬ表情とともにその子供を家へと連れて行った。
『特殊な種族であり、すでに滅びている族であることがわかった。何かの役に立つかもしれぬ故これを残す』
そう書かれた遺書は所々が何かで濡れ、滲んでいた…
連れ帰られた子供の扱いはひどかった。
母が自らの不貞の証拠のように付きまとうその子をよく思える訳などある筈もなく、夫のいぬ間に虐待を重ねた。
「お前のせいだ、お前さえいなければ、お前が生まれなければ」
母親はそう囁く。
妻の浮気相手の子供であることを思えば腹が立つのは当然のこと。母が寝静まった頃になると今度は父は苛立ちの矛先をその子へ向けた。
「なんでお前みたいなのが、どうしてこんなことに、全てはお前のせいだ」
父親はそう零しながら涙を零す。
それらを黙認し合うのが暗黙の了解になるほどにその行為は続いた。
少女は老婆に大切に育てられた。…いや、育てられてしまった。幸福を知ってしまった。それ故に、父と母の行為に耐えることができなかった。夜な夜な声を殺して泣く…それが少女の習慣だった。不運なことにその行為が当然ではないことを理解してしまっていたのだった。
そんな日々が続き、いつしか少女へ向けられるものは両親のものだけではなくなった。
昼間は母とその知人にいびられ、夕どきは父とその知人に暴力を振るわれる。
まだその肉体が幼く、生の捌け口にされなかったのは不幸中の幸いであったのだろうか…?
とある日、その集落は皇国の襲撃を受けた。
この集落のある地点は、皇国と共和国の中間に位置する山脈の共和国寄りの場所。皇国が戦争に向けて、密かに周囲の山を制圧し始めたのであった。
「おい、こいつをやるから帰ってくれ」
「…ふむ。よし、こいつを捕らえておけ!」
集落の長の娘に嫁いだことにより時期長の候補であった父親は、この争いが人数的に不利であることを理解し、その子供を皇国軍に差し出した。
皇国軍はその見た目の珍しさにその子供を縛って捕らえた。これが終わり次第、貴族のコレクターに売るために。
「…じゃあ!」
「やれ…」
「な、なんでだ!そいつはやっただろう?どうして…」
「貴様ら獣風情の言うことを我らが聞くとでも思ったのか?馬鹿め」
「くっ…くそっ!みんな、構えろ!」
父親はその子に目もくれず、集落の家へと走っていく。
武器を手に応戦するつもりだった。
少女はその哀れな姿をただ呆然と…いや、自らを含めて敵を認識していることを理解し、無表情で縄に縛られていた。自らの運命…と考えることを放棄した。こんな状況でありながら、少女の頭はどこまでも冷静だった。
目の前で集落の人々が数の暴力に蹂躙されてゆく。
作物の植えられた畑は赤く染まり、戦える者が減ってゆく。
女は捕獲され、隷属契約魔法をかけられ犯されてゆく。
子供はその光景を目に焼きつけさせられ、恨みと苦しみを募らせてゆく。
攻撃魔法の炎によって集落の家々が燃えてゆく。
ああ、全てが消えてゆく。
少女の幸福の証であった老婆の家が燃えて消えてゆく。
少女の苦しみの象徴であった集落が壊れて消えてゆく。
少女の記憶も…また。
少女の心は呟く。
「あの暮らしがなかったら…こんなにも苦しまなかったのに」
「あの母と父がいなければ…こんなにひどい目に合わずに済んだのに」
「自分が生まれなければ……」
『全て、消えてしまえ』
条件は揃った。
一定以上の苦しみと、全てを消すことを望む…過去を消したいと強く望むこと。
(スキルを起動します…【修正】対象:記憶…消去を完了しました)
少女の意識はそこで途絶えた…
目が覚めたのは揺れる馬車の中。
手足を縄で拘束され、身動きが全くと言っていいほど取れない状況。少女はこの状況を理解していない…それどころか、ここまでの経緯についての一切の記憶がない。
周囲に目を向ければ、少女を睨みつける鋭い眼差しと全てを諦めきった魂の抜けたような顔のどちらかが。
「…ふふぁ……?」
「ここは…?」と呟こうとして、声が枯れて出ない…というより、声の出し方を忘れたような自らの声に驚く。
それもそのはず。少女は集落で最低限度の声しか発さず、更にこの馬車の中で1日以上何も口にせずに眠り続けていたのだから。
何も理解できぬまま、少女は馬車に揺られ続ける。
そして、いつしか再び眠りにつく。
次に目を覚ましたのは、蹴り飛ばされた痛みによるものだった。
「さっさと起きろ!」
兵士の1人が少女の脇腹を蹴って怒鳴る。
それを眺める騎士達は、いやらしい笑みを浮かべている。それもそのはず。この少女は金貨10枚でとある貴族が買い取るというのだ。兵士達は分け前を期待し、その笑みを抑えることができなかった。
少女は目をさますと強引に立ち上がらされ、兵士に手にかけられた縄を引かれて馬車から降ろされる。その時、すでに馬車に乗っていた者は誰もいなかった。
少女が馬車から降りて初めに目にした物は、煉瓦造り2階建ての質素な建物。その入り口に燕尾服を着込んだ青色の髪の男。その男がこちらに向けて一礼すると、兵士はそちらへ少女を連れて行く。
「これが……なるほど。主人様もお喜びになられるでしょう」
「そうかよ。じゃあ、早くしてくれ」
「はい。ではこちらを」
少女を連れて行った兵士はその男から麻袋を奪うように受け取ると、中身を取り出して確認し、それを終えると馬車へと戻る。そして、馬車の中で兵士が騒ぐ声が聞こえてきたのち、馬車は走り去っていく。
「…ここは、どこなの…?」
「おやおや、理解できていないのですか?…いや、無理もありませんね。ここは人の国、獣風情が来る場所でもないのですから」
「………?」
少女の質問に律儀に答えると、その男は少女をその建物の中へ連れて行く。
建物の中は全くと言っていいほど生活感がなく、たった今建て終わったと言われても信じられるくらいに何もなかった。まぁ、事実こういった奴隷の購入等のためだけに存在する家であり、使用人が1人掃除にくる以外に人はいないのだから仕方はない。
男は少女を連れ、その中のうちの1つの部屋に入る。
その部屋は窓も換気口なく、ただ入り口がある以外は全てを壁に囲まれた異様な部屋だった。
男はそこへ少女を立たせると、着ている物を脱がし、その傷の治癒をする。
「『神よ、我が祈りに癒しを。ヒーリング』」
少女は、それが主人に献上する物に傷があってはいけないという考えからくる物であるとはつゆ知らず、男に感謝した。
それは同時に少女がそれほどまでにひどい傷だらけの体であることも示すものであった。
「これからしばらく、あなたはここで暮らすのです。私が主人様に献上して恥ずかしくないよう、しっかりと躾てあげますので、しっかりとこなすのですよ」
「…?」
「はぁ…これだから知能の低い獣は」
男は溜息を1つ吐くと部屋を出て行き、その部屋の鍵を閉めた。
部屋はどこからも光が入ることなく、暗闇に包まれた。
少女はその暗闇に怯え、部屋に隅に座り込み、目を瞑る。
何が起きているのかを全く理解できないままに…
「申し訳ございません、主人様。この獣は物覚えが悪く、躾が未だ行き届いておりません…今しばらくの時間をいただければ…」
「いや、いい。この私自らしつけるのも一興であろう?」
「…そうでございますか。では、こちらを」
男は奴隷契約魔法の描かれた紙を手渡した。
それを受け取ったでっぷりと太った貴族は魔力を流し、契約を完了させる。
少女が奴隷となって早2ヶ月。
あれから少女は躾と言う名の教育を受けた。メイドのような家事全般から、夜迦まで。
…いや、正しく言えば受けるはずだったのだ。
少女は初めに家事などから教わり始めたのだが、失敗すれば鞭で叩かれ、上手くこなせるようになるまでそれを繰り返した。当然、1日でそれを終えられるわけもなく、少女は暗闇の部屋に戻される。これは常に恐怖を与え続け、上手くやれれば褒美がもらえるという飴と鞭を行うものだ。
だが、この少女についてはそれは不適であった。
数日それを繰り返せば、少女の記憶は消去され、元の状態へと戻る。
再び初めからやり直し、数日後に消去。
再度初めからやり直すも、再び数日後に消去。
男はその時点で方針を変えた。最低限度の礼儀のみを仕込むことにした。このままでは主人に無礼な行動を起こしかねないと思ってのことだった。
その甲斐もあり、少女はギリギリではあるが礼儀を覚えた。主人には絶対服従、奴隷としての行動の仕方を植え付けた。
その貴族は自ら躾るために時折少女を外へと連れ出し、多くの人間の前で罵り、暴力を振るった。
未だ【修正】が起動したことはなかったが、限界は近かった。
そんな時、別の人間に買われた。
* * *
「…うわぁ。これってどこに怒りの矛先を向けるべきなんだろ」
僕と逢うまでの情報を収集し終えて思ったことはそれだ。
マリーを苦しめ続けた人たちの大半は死んでるし、他は奴隷だし。兵士に八つ当たりしようにも、これから戦争だから結果は同じだし。あの貴族には今は手を出したら疑われるのは僕の可能性が高いし。
僕の体裁を守るために行っておくけど、マリーの感情は見てないよ。あくまでも、見たのは過去の情報のみだからね。
「はぁ…とりあえず【修正】が消えるように頑張ろう…」
【修正】は一定期間以上消去が行われなければ消えるスキルだ。
このまま1年やりきれば大丈夫。
僕はマリーにかかっている布団をかけ直し、ベッドから立ち上がり、マリーの胴体に手を置く。体の傷を癒すのだ。
「『忘却の闇よ。痛みも苦しみも全てを忘れて永劫の救済を。黒色の治癒』」
マリーの体に黒い靄が絡みつき、傷をなかったことにしていく。
それを終えると椅子に座る。
「さて、洋服作ろうか。マリーに着せるんだし、ちゃんと作らなきゃね。『影人・多手』」
僕の影から、大量の腕が伸びてくる。
ある腕はハサミを持って型紙を切り、ある腕はそれを支え、ある腕はその型紙を元に布を切り、ある腕は切った布を縫い合わせていき、ある腕は…
僕は作業を始めた。
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