恐るべき姉萌え推進委員会
1 恐るべき姉萌え推進委員会
「我々は姉萌え推進委員会である!」
私立向ヶ丘学園の一室にそんな声が響いたのはそろそろ梅雨に差し掛かる五月の後半のことだった。
既に授業は終わり、静かな教室棟とは腹に部室棟から聞こえてくる青春の音が哀愁を誘う夕暮れ時である。先ほどの声も一瞬響いたものの、今はもう運動部のかけ声と吹奏楽部のトロンボーンの音が遠くから聞こえてくるだけである。
教室棟の三階、その角にある資料室。本来ならばほとんど使われることのないはずの教室に生徒が四人。何故か?
一人は至極単純な理由だ。教師に頼まれて来週の授業で使う教材を取りに来たのである。リボンの色は緑色で、一年生であることがわかる。名前は篠崎美咲。真面目そうな雰囲気ではあるものの、地味というわけではなく、セミロングの髪は少しだけ茶色に染まっている。その髪を二つに結っているピンクのリボンが特徴的で、小動物の様な可愛さがある。しかし、その表情には困惑の色を隠せないでいた。
そもそも、学級委員でもないのに教師に頼み事をされた時点で、おかしな話なのだ。学級委員がいないなら自分で取りにいけばいいだけで、わざわざ美咲に頼む必要などない。何かここに行きたくない理由があったのだろうと今は思う。
誰もいないと聞いていた資料室のカギは開いていて、中には見知らぬ女生徒が三人。しかも、リボンの色は青と赤。二年生と三年生である。三年生の二人はそれほど問題がないのだが、二年生の方は見るからに不良だった。戸惑う美咲を絶望に追いやったのは中央に座っていた凛とした顔付きの三年生が急に立ち上がり、先ほどの意味不明な宣言をしたことである。
「我々は姉萌え推進委員会である!」
絶対にヤバい集団だと思った。
多分、これからボコボコにされて自分は一生奴隷として生きていくのだ。美咲はそう思った。
なにせ自分は一年生で、本来なら立ち入り禁止の部屋にたむろしている先輩の集団のところに何食わぬ顔で突入してしまったのだ。
二年生の不良なんて、過去に三人は殺してそうだ。多分、他の二人も一人や二人殺しているのだろう。そう思うと恐怖で声が出せなかった。
「我々は姉萌え推進委員会である!」
逃げ出すこともできない美咲に追い打ちをかけるように、同じ言葉が部屋に響く。
美咲はその声に体をビクりと震わせる。
ついでに、他の生徒二人も体をビクりと震わせた。
またしても沈黙が訪れる。
「……」
美咲は泣き出したい気持ちでいっぱいだった。
ああ、お母さん。私は今日から悲しい三年間を過ごすことになりそうです。
「あのさぁ……」
不良が口を開く。
「ひぃいいい。すみません。すみません。すみません。知らなかったんです。ここが先輩たちのたまり場だったなんて! ここが麻薬の取引をする場所だったなんて!」
「え、ちょっ! 麻薬!? 違うけど!」
何故か美咲の脳内では、ここが麻薬の裏取引をする場所ということになっていた。
「まあ、麻薬みたいなものだよね。ここで扱ってるのは」
もう一人の三年生がほんわかととんでもないことを言う。
「すみません! 今は脱法ハーブなんですね? 知らなかったんです! 先輩たちがここで脱法ハーブをやってるなんて!」
「ちょっと! 完全に誤解されてんじゃねえか! ウチらが薬の売人とか薬中だとか思われてるだろ。変な言い方するのやめろ! この一年生めっちゃビビってんじゃねえか」
「いや、葵ちゃんの見た目のせいだと思うけど……」
ふわふわとした方の三年生がごもっともなことを言う。
「我々は姉萌え推進委員会である!」
さっきとは打って変わって部屋の中に飛び交う声を断ち切る様に、凛とした方の三年生が同じことを言う。
「なんで三回も言うんだよ!」
葵と呼ばれた二年生の不良が三年生のお尻をけっ飛ばす。
「痛いな。何するんだ」
「何するんだ、じゃねえよ。なんなんだよそれ。なんで何回も言うんだよ。怖いわ!」
「いや、葵の見た目のが怖いと思うが……」
「うっせえ!」
凛とした方の三年生は納得がいかないといった表情で先ほど蹴られたお尻を抑えている。
「まあまあ、二人と喧嘩してないで説明してあげたら? そこの一年生困ってるよ?」
「ふむ、沙織の言う通りだな。じゃあ、私が説明しよう。我々は……」
「いや、それもういいから」
また同じことを言おうとした三年生が、葵に言葉を遮られて嫌そうな顔をする。
「時雨ちゃん、真面目に説明してあげて?」
「やれやれ、私は至って真面目だというのに……」
時雨はため息をついてから、わざとらしく咳払いをする。
「まあ、仕方がない」
一瞬の間が置かれる。
「説明しよう! 姉萌え推進委員会とは、昨今の妹萌えブームに対抗するべく姉萌えの普及と地位向上を目指し、日夜努力を重ねる姉の姉による姉のための秘密組織である! 大体、何故妹などという不完全なものが世の中で愛され続け、我々姉が不遇の立場に甘んじねばならないのか! 数年前までオタク文化における妹などというものはそれほどポピュラーなものではなく、一部のコアな層が好む一つのジャンルに過ぎなかったのだ。しかし、ここ数年でそれは変わりつつある。妹の地位が向上するにつれ、我々姉の地位は低下していく一方である。それには姉萌えと妹萌えの密接な関係が原因だと思われる。そもそも、この二つはかつて同じ地位であり、共に歩んできたジャンルだと言える。それが何故! 何故、妹萌えだけが文化として進歩していったのか……」
ああ、やっぱりヤバい集団だった。美咲はそう思いながら時雨の話を三十分ほど聞かされたのであった。