二日目
3月12日(土)
今日の記録は日付が変わった瞬間から始まった(寝てないから)
ローソクの薄明かりの中、本を読んだりうとうとしたりしながら朝日が登るのを待つ。
簡易ラジオからは、5時頃から日が出始めると流れた。
そして日が出てくると少し気が抜けたのか、僅かな間熟睡してしまう。
朝ごはんにパンを食べながら、ラジオに耳を傾けた。
そうして暫くすると、突然
『ウーッ ウーッ』
と耳障りな音が響き
『放射能が漏れるので避難するように(簡略)』
という内容の放送が流れた。
少ししてから周りの様子を見て、隣のYさんの家はどうするかを聞きに行った。
Yさんはちゃんと警報を聞いていなかったらしく、母の話を聞くと
「俺ぁここにのこる!!」
と少し顔を赤らめた酔っ払いのYじいちゃんが言い
「んなこと言ってねぇで行くぞ」
とY婆ちゃんが言う。
そんなやり取りをしてYさんの娘夫婦がやって来て、私たちも一緒にYさんの本家(Yばあちゃんの実家)へ行くことになった。
犬は、置いていくしかないと言われ、餌を残してきたがやはり心配だ。
くねくねと山道を走り葛尾村にあるYさんの本家に辿り着くと、そこにすんでいるおじいちゃん2とお婆ちゃん2が歓迎してくれた。
着いてすぐにYじいちゃんは焼酎を飲み出した。
初めてみる堀ごたつに戸惑いながらも入ると、とても暖かかった。
Yさんの本家で休んでいるとき、電話があった。
おじいちゃん2は、電話に出ると暫く話し込んでから電話を切った。
Yじいちゃんが
「どうしたぁ」
と聞くと、おじいちゃん2は目を手で隠し、上ずった声で
「義兄が…いなくなったってっ…」
と言った。
「死んだのか?」とYじいちゃん
「…詳しくはわかんねぇけど、多分……」
「奥さんもか?」
「あぁ…津波から避難すっとき、二人とも家に残ったって…高台から……家が、流されんの見たって………」
二人の会話を聞きながら、私は声すら出せずにいた。
それから、それぞれ横になったりして休んだりした。
その後、夕方頃だろうか
ニュースで原子力発電所から爆発音がし、白い煙が上がったというものが流れた。
そのすぐ後にYさんの娘夫婦が再び現れ、葛尾村からもっと遠くへ行くことになった。
暗くなりはじめた山道を、Yさんの車を追いかけた。
何時間も休憩を挟みながら山道を走り、真っ暗になってたどり着いたのは会津だった。
コンビニの駐車場に車を停め、そこで一泊が決まる。
コンビニの中は、商品がガラガラだったうえ、トイレも水が流れなかった。
コンビニの中をうろうろしたり外の雪景色を見たり、車の中でうとうとしながら時間を潰す。
そうしているうちに、タイミング悪く女の子の日が来てしまった。
幸いそこはコンビニで、ナプキンを買うことはできたがトイレが使えない。
店員に事情を説明すると、快くトイレを貸してくれた。
そんな優しさに感謝しながら今日を終えた。




