避難所の暮らしで思ったこと
学校の課題で書かされたものです。
所々行数稼ぎのために繋がりがないようなところもあります。
文集にされた方にはもう一つ掲載されていますが、そちらは書きません。
避難所での生活ではやることがあまりなく、かといって自由に過ごせるわけでもなくただただなんとも言えないような日々だった。
風呂にも自由に入れず、不満の絶えない日々だった。
しかし、そこで生活することにより得るものもあったと私は考えている。
人を思いやる心や、集団生活の大切さ。
普段の生活がどれだけ恵まれていたのか。
家族や友人の存在がどれだけのものだったのか。
政府の対応の遅さ、それに日々苛立ちを募らせる人々。
人生の中のほんの短い一部の時間の中で、本当に沢山のことを思い知ることができた貴重な日々だった。
楽観的な人、悲観的な人、諦めてしまった人、疲れてしまった人、夜うなされてしまう人、一人一人が様々な痛みや苦痛を受け、それでも生きているかもしれない。
その姿は逞しくも愚かにも見えるかもしれない。
「生きていれば…なんて、そんなの綺麗事だ」と鼻で笑う人ももしかするといるかもしれない。
でも今、私は未だに行方のわからない人々が生きていてくれれば、もうそれでいいと思っている。
生きているからこそ何かができるのだから。
生きてさえいればいつかは会えるかもしれない。
それに、生きているからこそ震災での事を人々に伝えることができる。
自然災害がいかに突然なものか、自然災害に対する甘い考えがどれだけの命を奪ったか。
記録としてではなく、経験として伝えることができる。
ただ淡々とした文面などでは本当の恐ろしさは伝わらない。
経験した人が、その時のことを思いだし、身ぶり手振りを交えながら話し、その話をその人の表情を見ながら聞く。
それがとても大切なのだと私は思う。
自然は災害という形で、私たちに危機感を植え付け、何が本当に大切なのかを教えてくれた。
私は、そう伝えたい。
この一年間は、季節の移り変わりがあまり感じられず、無駄に行事をこなすことで時が流れていると感じようとしていました。
これからは専門学校への進学を目指し、がむしゃらに突っ走りたいと考えています。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




