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1話:財閥令嬢の使用人、始めました

 俺——神崎翔真かんざきしょうまは、白銀家の使用人だ。


 白銀グループ。日本有数の財閥であり、その総資産は国家予算にも匹敵すると言われている。

 その本邸——都心から車で一時間ほどの郊外に建つ大豪邸に、俺は住み込みで働いている。


 なぜ、高校二年生の俺がそんな場所にいるのか。


 理由は単純だ。

 俺の実家——神崎製作所は、白銀グループの下請け企業だ。従業員五十人ほどの、中小の部品メーカー。

 白銀グループとの取引は、うちの会社にとって生命線と言っていい。


 そして俺は、その「取引関係強化」のために、白銀家に送り込まれた。


 名目上は「お嬢様の世話係」。

 実態は——なんでも屋だ。


「翔真」


 朝七時。俺がキッチンでコーヒーを淹れていると、背後から声がかかった。


 振り向かなくても、誰だかわかる。

 この声を聞き間違えるはずがない。


「おはようございます、睡蓮さん」


 本来なら「お嬢様」と呼ぶべきなのだが、睡蓮さんは学校で財閥令嬢であることを隠している。

 だから、どこで誰が聞いているかわからない以上、普段から「睡蓮さん」と呼ぶ習慣にしておけ——と、執事長から言われている。


 白銀睡蓮しろがねすいれん

 この屋敷の主であり、俺の雇い主であり——そして、幼馴染だ。


 艶やかな黒髪が、腰まで流れている。

 色白の肌に、切れ長の瞳。

 和風美人という言葉が、これほど似合う人間を俺は知らない。


 そして——


「コーヒー」


 ワガママで、気が強くて、俺のことを「子分」だと思っている。


「はい、どうぞ」


 俺は淹れたてのコーヒーを差し出した。


 睡蓮さんは、それを一口飲んで——


「ぬるい」


 眉をひそめた。


「すみません。淹れ直します」


「いいわ。これでいい」


 そう言いながら、睡蓮さんはコーヒーを飲み干した。


 文句を言いながら飲む。昔からそうだ。


 俺と睡蓮さんは、物心ついた頃からの幼馴染だ。

 神崎家と白銀家は、俺が生まれる前から取引関係にあった。

 だから、子供の頃から一緒に遊んでいた——というより、遊ばされていた。


 睡蓮さんは、昔からワガママだった。


「翔真、あれ取ってきて」

「翔真、これやって」

「翔真、私の言うこと聞きなさい」


 逆らうと、どうなるか。


 叩かれる。

 無視される。

 泣くまで責め続けられる。


 今思えば、あれは「虐め」だったのかもしれない。

 でも、当時の俺には、そんな言葉は思いつかなかった。


 ただ、刷り込まれた。


 睡蓮さんには逆らえない。

 睡蓮さんには勝てない。

 俺は、睡蓮さんの「下」なんだ——と。


「何ボーッとしてるの」


 睡蓮さんの声で、俺は我に返った。


「すみません」


「早く準備しなさい。学校に遅れるわ」


「はい」


 そう。俺と睡蓮さんは、同じ高校に通っている。

 

 白銀家のお嬢様が、なぜ庶民の公立高校に通っているのか。

 それは、ご両親の方針だ。


「将来のために、一般人の中で生活を学ばせたい」


 というわけで、睡蓮さんは「普通の女子高生」として学校に通っている。

 もちろん、白銀グループの令嬢だということは秘密だ。


 そして俺は——対外的には「幼馴染」ということになっている。


 使用人だとバレると、いろいろ面倒だからだ。


「行くわよ」


「はい」


 俺は睡蓮さんの後ろをついて歩く。


 いつもと同じ朝。

 いつもと同じ日常。


 ——のはずだった。

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