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ざしゅ。
千鳥の左手を、影の足が踏んだ。
「あうっ」
ぎりぎりと踏みにじられる。
影は千鳥のあごにこぶしを当てて顔を上へ押し上げた。
「お前もか」
薄くわらう。
怖い!
千鳥は息ができない。
「千鳥ー!」優也の叫び声が遠かった。
影は、バタフライナイフを振り上げて、千鳥を刺そうとした。
ああ、だめだ……
千鳥の意識が遠のく。
刃が振り下ろされる、その瞬間。
――ぎゅ、と胸の奥が焼けるように熱くなった。
(……あ、これ)
千鳥の視界が白く反転する。
影の顔が、ナイフが、すべてが滲んで伸びて、
世界が一拍、遅れた。
「ちど――」
優也の声が、途中で途切れた。
次の瞬間、
千鳥の身体は地面に叩きつけられなかった。
冷たい風。
耳鳴り。
重力の感覚が、ない。
――ここ、どこ?
息ができる。
左手の痛みは、ある。
でも、さっきまで踏みつけられていた感触は消えている。
「……転、移?」
声に出した瞬間、
足元の風景がはっきりした。
見知らぬ路地。
夜。
遠くでサイレン。
千鳥は震える指で、自分の胸を押さえた。
(……ギリギリだった)
そして、遅れて気づく。
――優也は?
千鳥は歯を食いしばった。
(逃げたんじゃない。
置いてきたんだ)
影の薄笑いが、脳裏に焼き付いて離れない。
「……戻る」
誰に言うでもなく、千鳥は呟いた。




