11、潮(うしお)のいる世界線
姉の潮の世界線
「千鳥、起きて。もう時間だよ」
布団の上から、容赦なく声が降ってくる。
姉の潮は、いつもそうだった。優しくて、厳しい。
「今日も一限でしょ。遅れたら単位落とすよ」
千鳥はうなずいて起き上がる。
眠い目をこすりながら、キッチンの方を見ると、
テーブルの上に置かれた弁当と、置き手紙。
――学費の振り込み、今月分も済ませてあるから。
胸の奥が、少しだけ重くなる。
(姉ちゃんは、働いてるのに)
大学へ行くのは、自分。
支えているのは、潮。
「行ってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
その声は、いつも通りだった。
その日の夕方、部屋に戻ったとき、
焦げた匂いがした。
「あれ……?」
ストーブが、倒れていた。
次の瞬間、火が走る。
カーテンに、床に、音を立てて燃え広がる。
「姉ちゃん……!」
叫んだときには、もう遅かった。
熱。
煙。
息ができない。
(ごめん……)
守られていた世界が、
音を立てて崩れていく。
そして――
世界が、裏返った。
⸻
妹の潮の世界線
「お姉ちゃんは千鳥姉ちゃんでしょ?
なに変なこと言ってるの」
潮は笑って、マグカップを揺らした。
同じデザイン科の短大。
学年は一つ違い。
課題の話をしながら、二人で朝を迎える。
「ストーブ、ちゃんと消した?」
「見たよ。大丈夫」
千鳥は何度も確認する。
前の世界のことは、言葉にできないけれど、
身体が覚えていた。
火は、怖い。
「じゃ、行こ」
潮は無邪気にドアを開ける。
その夜だった。
「……あれ?」
背後で、小さな音。
振り返った瞬間、
ストーブの火が、跳ねた。
「潮!」
火が、床に移る。
炎が、空気を舐める。
「ごめん……!」
潮が、泣きそうな声を出す。
考えるより先に、千鳥は動いていた。
「下がって!」
毛布を掴み、火に被せる。
熱が、腕を焼く。
煙で視界が白くなる。
(だめ……)
このままじゃ――
千鳥は、潮を突き飛ばすようにして外へ出した。
次の瞬間、
天井が落ちる音。
熱。
圧。
意識が遠のく。
(守れた……)
そう思ったとき、
世界が、静かに剥がれた。




