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分岐点にて  作者: 星野☆明美、chatGPT
11/21

10

優也は少し間を置いてから言った。


「……無理しなくていいですよ」


千鳥はうつむいたまま、首を振る。


「大丈夫」


それが嘘だと、優也はたぶん気づいていた。

それでも、追及はしなかった。


「じゃあさ」


軽い調子で言う。


「せめて、ここまで一緒に行きません?」


“せめて”という言葉が、胸に刺さる。

それは助けたいと言えない人の言葉だった。


二人で歩いたのは、川沿いの道だった。


特別な景色じゃない。

コンクリートの護岸と、少し濁った水。

遠くで子どもの声がして、風が生ぬるい。


「……この辺、よく来るんですか?」


優也が聞いた。


「ううん。初めて」


「そうなんだ」


それだけ言って、また歩く。

会話は続かない。でも、途切れてもいない。


千鳥は、歩幅を意識した。

少し遅いと、優也は気づいて、さりげなく速度を落とす。

何も言わない。

それが、余計に胸にくる。


自販機の前で立ち止まった。


「何か飲みます?」


「……冷たいの」


優也はうなずいて、ボタンを押す。

落ちてきた缶を、千鳥に手渡すとき、指が一瞬触れた。


熱い。


――生きてる。


そんな当たり前のことを、千鳥は思ってしまう。


「ありがとう」


「いえ」


優也は少し照れたように視線を逸らして、

自分の分の缶を開けた。


炭酸の音が、やけに大きく響いた。


二人でベンチに座る。

飲み物を口に運ぶだけで、時間が過ぎていく。


「……あの」


優也が言いかけて、やめた。


「なに?」


「いや。なんでもないです」


なんでもない、はずがない。

でも、千鳥は聞かなかった。


聞いたら、この時間が壊れる気がした。


川面がきらっと光る。

夕方に近づいている。


(……これでいい)


千鳥は思う。


この世界の優也と、

名前を呼ばず、約束もせず、

ただ並んで座った。


それだけの思い出。


それだけで、十分だと思ってしまった。



電車は、思ったより空いていた。


座席に並んで座るのは、少し気恥ずかしくて、

二人とも立ったまま、窓の外を眺めていた。


「海、好きなんですか?」


優也が聞いた。


「……嫌いじゃない」


本当は、好きかどうかもよくわからない。

ただ、今は“遠くへ行きたかった”。


車窓の景色が、少しずつ変わっていく。

建物が低くなり、空が広がる。


「思ったより、近いですね」


「そうだね」


それだけの会話。

でも、それでよかった。


海は、青というより灰色に近かった。

風が強くて、波が荒い。


「寒くないですか?」


「平気」


嘘だった。

でも、優也は自分の上着を差し出さなかった。

ただ、立ち位置を少しだけ風上に変えた。


その距離が、優しかった。


砂浜を歩いて、

何も話さず、

貝殻も拾わず、

写真も撮らず。


帰りの時間になって、駅へ戻る。


ホームには、夕方の匂いがしていた。

鉄と油と、潮の混じった匂い。


ベンチに座って、電車を待つ。


「……今日は、ありがとうございました」


優也が言った。


「ううん」


千鳥は、言葉を探したけれど、見つからなかった。


(ここまで)


なぜか、はっきりわかった。


この世界は、ここまでだ。


電車の接近を知らせる音が鳴る。


優也が立ち上がる。


「じゃあ――」


その言葉の続きを、千鳥は聞かなかった。


――どんっ。


背中に、強い衝撃。


視界が傾く。

足が、宙に浮く。


(……え?)


ホームの縁が、目の前に迫る。


誰かの影。

顔は見えない。


突き落とされた。


「千鳥――!」


優也の声が、歪んで聞こえる。


落ちる。

線路へ。


ああ、まただ。


この感覚を、知っている。


恐怖より先に、胸の奥が冷たくなる。


(危険にさらされないと……転移しない……)


条件が、満たされる。


世界が、音を失う。


光が、裏返る。


最後に見えたのは、

ホームに駆け寄ろうとする優也の姿。


その顔が、

“何も知らない顔”であることが、

なぜか、いちばんつらかった。




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