第4章 恋の火花は、レディに戻らない
白い光の中で、私は立っていた。
王冠の宝珠がゆっくりと回転し、空気の粒が静かに舞う。
遮断の影響は完璧。心は穏やかで、波ひとつ立たない。
誰かが私の名を呼ぶ。けれど、その響きに何も感じなかった。
成功。これが成功なのね。
礼法官ストリンジェン女史が頷く。
「見事です、ヴェルンハルト嬢。完璧な制御ですわ」
「ありがとうございます」
声の温度も、自分のものではないように思えた。
周囲の拍手。光が広がる。
その瞬間、私は確かに、国を救ったのだと理解した。
……でも、それだけ。
★ ★ ★ ★
式の後、控室に戻った。
鏡の中の自分は、どこから見ても完璧だった。
姿勢も笑顔も、すべて正しい。
けれど、心の奥は水面のように静まり返っていた。
窓の外で風がカーテンを揺らす。
音があるのに、胸の中には何も響かない。
笑いも涙もなくなれば、痛みも消える――でも、同時に生きている実感も消えるのね。
「おめでとうございます」
女史が静かに言う。
「あなたの感情は完全に凪ぎました。これで、どんな場でも恥をかかずに済みますわ」
「……ええ」
言葉が空に溶けていく。
机の上には、一通の封をしていない手紙。
前夜に書いたものだ。
“グレン様へ”の文字だけが淡く残っている。
指でなぞると、紙が少しだけ温かい気がした。
なぜかしら。もう感情はないはずなのに。
★ ★ ★ ★
廊下を歩いていると、背後から声がした。
「ルシア様」
振り向くと、グレン様が立っていた。
淡い光を受けた制服の青が、少しだけ柔らかく見える。
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
「防御結界は安定しました。あなたの制御が完璧だったおかげです」
「……そうですか」
返す声が他人のようだった。
彼が少しだけ眉を寄せる。
「……少し、顔色が違いますね」
「感情がなくなったので、血色も薄れたのかもしれませんわ」
「そんな説明、初めて聞きました」
彼が近づく。
「髪、焦げてますよ」
「え?」
反射的に手を上げた。
ぱちっ。
指先で小さな光が散った。
息が止まった。
光はほんの一瞬、だけど確かに温かかった。
胸の奥で何かがほどけるような感覚。
「今の……」
「誤差です。平常値の範囲内ですわ」
そう答えたのに、唇が震える。
グレン様が静かに笑った。
「平常値にしては、顔が赤いようですが」
「そ、そんなこと……ありません」
言葉がうまく出ない。
遮断したはずの感情が、息と一緒に戻ってくる。
心臓が跳ねる。頬が熱い。
ぱちっ。
今度は確かに、火花が散った。
「……おかしいですね」
「いいえ、正常です」
「正常、ですか?」
「淑女は、爆ぜません」
そう言った自分の声に、ほんの少し震えが混じっていた。
★ ★ ★ ★
女史が遠くからこちらを見ていた。
彼女の目がわずかに驚いたように見えたのは、気のせいかもしれない。
「出力が……戻っている?」
聞こえないふりをして、私は笑った。
グレン様が隣で肩をすくめる。
「制御不能ですね」
「感情が戻っただけですわ」
手のひらを見つめる。そこに残る小さな光。
涙の代わりに、微笑みがこぼれた。
恥ずかしくて、嬉しくて、どうしようもなく。
戴冠式の余韻が残る大広間で、グレン様が立ち止まる。
「結局、爆ぜましたね」
「ええ。でも、国は燃えませんでした」
「それは何よりです」
彼の笑顔が、優しい。
「……レディは爆ぜない、でしたか」
「そう、でしたわね」
頬が熱い。
ぱちっ。
天井のシャンデリアが小さくきらめいた。
「これくらいなら、平和的な爆発ですね」
「そう思っていただけるなら、嬉しいです」
私は笑って、深く息をつく。
恥ずかしさも、笑いも、全部が生きている証のように思えた。
感情は、静めるためじゃなく、分かち合うためにある。
そのことを、ようやく理解した気がした。
――レディは爆ぜない。でも、恋の火花はもう止められない。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
感情を抑えるほど“レディ”とされる世界で、恥ずかしさの中にこそ人の可笑しさと優しさがある――そんなお話でした。
ルシアとグレン様の物語は、これでひと区切りです。
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