リリアーナ=シモン
リリアーナ゠シモンは『完全記憶』の授かりし者であった。
しかし『怪力』や『未来視』等の超常的な能力ではなかったため、授かりし者であることは誰も、本人ですら気づいていなかった。一度知り得たことは忘れない能力で、リリアーナは誰よりも優秀であると思われていたし、本人もそう思っていた。ただどれだけ優秀であっても、第五位という身分で認められることはなかった。むしろ、優秀故、疎まれることも多かった。
そうしていつしか、身分関係に関係のない実力主義こそ正しい在り方とリリアーナは思うようになった。
そんな時偶然ジャンヴィールと出会い、その考えを語ってしまった。それは身分制度を否定する、国の在り方を否定するものであるが、まだ10歳と幼いリリアーナにはその考えには至らなかった。
悪いことは重なり、悲惨な未来への道が拓ける。
リリアーナは、ジャンヴィールを自分と同じ下位貴族と勘違いしてしまった。
自分の存在意義に悩んでいたジャンヴィールは、王族でありながらリリアーナに感銘を受けてしまった。
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リリアーナが入学して1ヶ月が過ぎたある日の放課後、生徒会室にはいつものように役員が集まっていた。
生徒会の主な役割は、生徒間の揉め事を解決することなので、何もなければ生徒会室で和やかな時間を過ごしたり、クラブや鍛錬に勤しんだり等、それぞれ自由な時間を過ごしている。
今年度が始まってから問題は起こっておらず、リリアーナは今日も生徒会室で静かに時間が流れるのを待っていた。ただ穏やかな空気が流れる中、その顔には憂いがあった。
「リリアーナ、また気に病んでいるのかい」
「ジャンヴィール様・・・」
「大丈夫、今日は来ないだろう。昨日来たばかりだしな」
「義姉が迷惑をかけて済まない」
「そんなッ。レジス様が謝ることではありません。
その・・・、私が身分違いなせいですから・・・」
新学期が始まって早々、リリアーナの生徒会入りに苦言を呈しにローレットが訪れるようになった。3~5日ごとに訪れては、ジャンヴィールに規則を守るように告げている。最初こそ「ローレット様に認められるよう頑張りますので、見守ってくださいませんか」と必死に訴えるも、ローレットは一度もリリアーナに向き合おうとしなかった。これまで疎まれることは多々あったが、全く見向きもされないということは初めてで、リリアーナの自尊心は大きく削られていた。今も生徒会役員でいられるのは、自分を引き立ててくれたジャンヴィールへの恩義と、皆が慰めてくれていたからであった。
「リリアーナ、君は誰よりも優秀だ。それは試験の結果が表している。誇りを持って堂々としてれば良い」
「義姉のことは気にしなくて良い。あれは其方の優秀さを妬んでいるだけだ。下位の者が優秀だということが気に入らないんだろう?」
「ですが、ローレット様の仰る通り、ジャンヴィール様に規則を破らせてしまったのは事実ですし・・・」
「かまわぬ。規則が必ずしも正しいというわけではない。優秀な者に活躍する場が与えられるのは当然だ。生徒会役員が第一位しかなれぬなど、害でしかない。
例え身分が違っても、互いに切磋琢磨して成長していくことこそ教育の場であろう」
自分と同じ理想を語るジャンヴィールにリリアーナは何度も勇気づけられる。
幼い頃はよくわかっていなかったが、リリアーナが抱いた理想は国家を否定することにも当たる。それを知ったときは諦めようともした。しかし王族が、ジャンヴィールが夢を認めてくれた、同じ夢を見てくれた。
(いけない。こんなことで挫けてしまっては、ジャンヴィール様に申し訳が立たないわ。こうして私の夢を応援して下さるなんて、王族としては問題あることなのに。
ジャンヴィール様の為にも頑張らないと)
「申し訳ありません。役員を引き受けたのは、私の意思なのに。つい挫けてしまうところでした。
ジャンヴィール様、いつも支えてくださりありがとうございます」
「い、いや、気にするな。これは私の問題でもあるからな・・・」
ジャンヴィールは窓の外を見て、リリアーナの笑みで顔が真っ赤に染まったことを誤魔化す。自分がどう思っても、王族と第五位貴族が一緒になることを他人は良しとしない。だからこそ、ジャンヴィールにとって、身分差の問題は解決したい問題でもあった。リリアーナの考えに共鳴したことは勿論事実ではあったが、そこには個人的な目的も含まれていた。
「レジス様も励ましてくださり、ありがとうございました」
「義姉の無礼は、アルファン家の失態でもある。償うのは当然だ」
「レジス様は責任感が強いのですね。でも、レジス様とローレット様は違います。ローレット様の分まで、レジス様が気に病む必要はないと思います」
「そ、そうか?」
「はいッ」
「ところで、他の者はどうしている?」
ジャンヴィールの突然の声にリリアーナとレジスは驚くも、王子の言葉である。何事もないように、振る舞って答える。
「ガストンは相変わらず鍛錬ですね。リュドヴィックは、おそらくどちらかの令嬢と一緒かと」
「またか・・・。アイツの女癖の悪さは、どうにかならないのか?」
「一度刺されないとわからないでしょう。どうしようもありません」
「まったく・・・。
それでイヴァンはどうした?」
「はい。何もないのなら、勉強したいと」
「そうか・・・。たまには生徒会室に顔を出すように伝えてくれ。いくらやることがないとは言え、数度来ただけだろう?入学したばかりなのだ。勉強以外でも学ぶべき事は多い。こうやって交流することも、社会勉強の1つと言えよう」
「わかりました。イヴァンに伝えておきますね」
こうして再び生徒会室には、いつも通りのゆったりとした和やかな時間が過ぎていった。
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温かで穏やかな午後、学園の一角が緊張感に包まれていた。
「あら、ローレット様ではないですか。ごきげんよう。まさかこのような場所でお会いするなんて」
「ごきげんよう、ハーレー様。ええ、奇遇ですね」
ハーレー゠イングリス。エドワード王子派であるイングリス家の次女である。気が強く、常に一番でいないと気が済まない性格をしている。そのため同位で特別親しい友人はおらず、いつも自分より下位の者を連れ歩いている。そして、同じ歳で同じ貴族位のローレットを目の敵にしていた。
「お聞きしてますわよ。婚約者が、第五位貴族に夢中なんですって?」
ハーレーの言葉で、彼女の連れ達がローレットを嘲笑い、ローレットの連れ達は敵意を剥き出しにする。張り詰めていた緊張感は、あっという間に険悪なものに変わる。近くにいた者は一斉に逃げ出し、巻き込まれない遠くから行く末を見守る。
「本当に参りますわ。ジャンヴィール様にはしっかりなさって欲しいものです」
「王子自ら規則を破るなんて、エドワード様が生徒会を率いた方が良いのではなくて」
「エドワード様が諍いを収めるなんて、想像もつきませんわ」
「学園を混乱させる方が、どうかと思いますけど」
ハーレーの言葉通り、生徒達はジャンヴィールの意図がわからず混乱していた。ジャンヴィールはじめ生徒会の者達は、生徒間の揉め事がないので学園は平穏だと勘違いしているが実際は違う。非常識な環境の中、問題を起こしたら、どのような事になるか全く想像がつかないので動けないでいるというのが実情である。
「とにかくッ、仮にも婚約者でしたら、言い聞かせてください。
あっ、失礼しましたわ。ローレット様はジャンヴィール様からは嫌われていましたわね。第五位以下と見られてるようですし」
「勿論、私からご注意は申し上げいるのですよ。でも、ほら。高圧的に接したら、逃げられるだけでしょう?」
ローレットの言葉で忌まわしき過去が頭をよぎり、ハーレーは顔を青くする。
ハーレーには、気位が高いという理由で大人しいエドワード第二王子と婚約に至らなかった経緯があった。恥ずべき事なので、当然秘密にしていた。知っているのは、ごく僅かの近しい者だけである。
(嘘ッ!?もしかして、あのことも?)
「どうしてッ?!」
思わず問い質そうとするも、ハーレーは咄嗟に口を噤む。恐怖で揺れる視界の中、ローレットの手がゆっくりと動くのが見えた。その姿を見たハーレーの顔は、羞恥で青から赤く変わる。何も言わず微笑むローレットの目が突き刺さり、ハーレーは身体が冷たくなっていくような感覚に襲われた。
足が震え倒れてしまいそうになるも、第一位貴族イングリス家としての矜持と、ローレットへの敵愾心が踏みとどませる。怒りで恐怖を塗り替える。
「きゅっ、急用を思い出したので、これで失礼致しますわッ」
今にも爆発しそうにな感情を抑え込み、ハーレーは急いでその場を立ち去る。引き下がったことでローレットには負けてしまったが、人前で感情を爆発させる方が第一位としては無様と言える。事情がわからず困惑したハーレーの連れ達も、形勢不利と感じて急いでこの場を立ち去っていった。
仇敵を追い払ったことで、一緒にいたヴィヴィアン、ユーラリー、ベルテが勝ち誇った笑みを浮かべ、ローレットを褒め讃える。険悪だった空気は消え去り、周りからはざわめきが聞こえ始める。
そんな中、ローレットは1人静かにハーレーの言葉を思い返していた。
(ジャンヴィール様が第五位に恋慕しているのは、流石に知ってましたね。まぁ、あの様子ですからね)
ジャンヴィールのリリアーナに対する想いは、端から見ても一目瞭然だった。鈍感な男性ならともかく、女性で気づいていない者はいないだろう。それ程あからさまな態度にも関わらず、リリアーナは気づいていない素振りをしている。それどころか、レジスや他の側近達にも思わせぶりな態度を取っている。それがローレットは気に入らなかった。今でも自分の前で互いに愛情を露わにする両親を見て育ってきたローレットにとって、愛する人以外に色目を使うなど娼婦のごとき行為であった。ローレットほどではないとしても、リリアーナの態度を不快に思う者は多く、ほとんどの令嬢が同類と見られないようリリアーナと関わらないようにしていた。
(それと、エドワード王子派が陰で動いているかもしれませんね)
一ヶ月ほど経っても、ジャンヴィールから第五位の生徒会入りの説明は為されていない。規則を破ってまで第五位を取り立てた意図ががわからず、ジャンヴィール王子派の者でも不信感を抱く者が増えてきている。このままでは、エドワード王子派に寝返る者が出てくるのは明らかである。
(お父様は準備が整うまで待つよう言われましたけど、まだかしら?)
ハーレー達を打ち負かしたことに喜ぶヴィヴィアン達に囲まれながら、ローレットはこの場を後にした。
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その日の夜、ローレットは自室のベッドで頭を抱えて、昼間のことを後悔していた。
「あぁ。何で言ってしまったのかしら」
ハーレーがエドワードに振られたことは、切り札とも言えるネタだった。ここぞと言うときに使うつもりでいたのだが、ハーレーの言葉が癇に障り口走ってしまったのだった。
「あの女以下なんて言うからッ」
その時の怒りが再び燃え上がったローレットは、枕をポスポスと殴りつけた。
「ふぅ。少しは気が晴れたかしら。
それにしても、あの時のハーレーの顔、傑作でしたわ」
顔が青から赤に変わるハーレーを思い出し、ローレットの気分は良くなっていった。
「もう一つの方は、何て言おうかしら?」
頭の中で言葉を組み立て、台詞をローレットは考えていった。やがて納得のいくものが出来、ローレットは決めポーズを取りながら台詞を口にする。
「平らではなく、気位のように高ければエドワード様も喜ばれたでしょうに」




