1人も逃さない
中期が1ヶ月程過ぎた頃、生徒会室は重く沈んだ空気に包まれていた。
理由は、ジャンヴィールが掲げる理念への賛同が得られていないことだった。今日まで多くの優秀な者に能力主義を唱えてきたが、適当な理由をつけられ逃げられていた。ジャンヴィールの王位継承権順位が下げられたのもそれが理由であることは噂で広まっており、能力の高い者ほど将来性のないジャンヴィールと距離を取ろうとしている。そして距離を取ろうとする者はそれだけではない。身分制度を否定するジャンヴィールの能力主義は、上位貴族の反感を買った。常に多くの女生徒に囲まれていたリュドヴィックの周りから上位貴族が消え、下位貴族だけが群がるようになった。前期と比べ、生徒会役員達の環境は大きく変わった。その中で特に酷かったのがリリアーナであった。
「リリアーナ・・・」
ジャンヴィールが心配して声をかけるも、リリアーナは痛ましい笑顔で「大丈夫です」と答えるだけだった。これまで何度も励ましてきたジャンヴィール達だったが、2年生である彼らではリリアーナを助けるには至らず、もはや慰める言葉も見つからなかった。
生徒会役員という肩書きがあっても、第五位という身分故、誰もリリアーナの言うことを聞かなかったのである。本来生徒会役員が上位貴族の優秀な者から選ばれるのは、身分と成績を以て皆を従わせるためである。なので、今の状況は当然起こるべきことであった。前期に問題が起こらなかったのは、王子であるジャンヴィールがリリアーナを重用した理由が不明であったことと、リリアーナを蔑ろにした際にジャンヴィール王子に悪印象を与えてしまうかもという恐れがあったからである。しかし、継承権順位が下がったことで、ジャンヴィールへの敬意は消え去ってしまった。
そしてそれと同時にエドワード王子派が台頭してきた。エドワードが1年生であることからエドワード王子派の勢いは凄まじく、リリアーナは徹底して無視されていた。イヴァンが辞めてしまった為、リリアーナは1年生の中で完全に孤立してしまっていた。
何とかしないととジャンヴィール達が良案を考えている時、珍しく生徒会室に来客が来た。
「ごきげんよう」
この重苦しい空気を少しでも変えたくて招き入れたが、入って来た人物を見てジャンヴィールはすぐに後悔した。
「何の用だ、ローレット」
「厳しい状況なのは知ってましたけど、思ってた以上に落ち込んでいるようですね」
「嫌味を言うためにわざわざ来たのか?相変わらず心根が腐っているな」
ジャンヴィールが追い返そうと悪態を吐くも、ローレットは全く意に介さない。それがジャンヴィールの不機嫌さを一層強めた。ジャンヴィールだけではない。レジスやリュドヴィックもローレットへの嫌悪を露わにし睨みつける。
「用がないなら帰れ。ここには貴様を歓迎する者はいない」
何も言わず室内を見回すローレットに、ジャンヴィールは苛立ちを我慢できなかった。これ以上ローレットがいては、リリアーナの気分が滅入っていくだけである。即刻出て行くよう告げるが、ローレットは出て行く素振りも見せず、気分を害することもなく、柔らかい笑みを返してきた。
「今日はジャンヴィール様にお話があり参りました」
「話?
何だ。ようやく貴様が密告したことを白状する気になったのか」
中期が始まった日のカフェテラスの1件で、ジャンヴィールはローレットが自分たちを貶めた証拠を摑もうとしたが何の成果も得られなかった。より正確に言えば、ジャンヴィールは誰からも助力を得られなかった。また学園での立場が急変したことに右往左往していて、自ら調べることも出来ないでいた。
「以前も申しましたが、私ではありません」
「信じられるか!」
「ええ。ですから、今日はジャンヴィール様のお役に立とうと参りました」
「?」
「私は何もしていないと言ったところで、証明しようがありません。ですから、信じていただくにはどうしたら良いかと考えました。この1ヶ月ずっと・・・。
そうして考えついたのが、ジャンヴィール様のお役に立って信頼を得るしかないということでした」
「義姉上、一体何を企んでいるのですッ」
「人聞きの悪い。そもそも貴方が頼りないから、このような状況になっているのでは?」
「それは・・・」
ローレットの言葉にレジスは反論できなかった。ジャンヴィールの側近であるガストンとリュドヴィックは護衛役である故、アドバイザーはレジスの役目である。しかしこの1ヶ月、レジスは何の解決策も提案していなかった。
「ジャンヴィール様、1年生の生徒会役員を増やすべきです。1人だけでは負担が大きすぎます」
「それは・・・」
「わかっています。でしたら、ジャンヴィール様の主義と生徒会役員としての役割を別とすべきです。
あくまでも、1年生のまとめ役として生徒会役員に加入してもらうよう説得しては如何でしょう。ジャンヴィール様達の主義は、先鋭すぎて受け入れがたいのが実情です。時間を要するものです。しかし1年生の生徒会役員は、現在直面している問題です。まずはこちらの問題を解決すべきではないでしょうか?」
ローレットの提案に否定したくとも、人員不足はまさに急遽解決する必要がある。ジャンヴィール達は感情を押し殺してローレットに続きを促した。
「それでどうする?」
「はい。1年生にフランシスク゠ボネという生徒がいます。この方を生徒会に入れては如何でしょう。優秀なのは勿論、中立派ですから派閥の問題もありません」
「無理ですよ、義姉上。その者にはすでに声をかけて断られています」
「ええ、知ってますよ」
「なら、何故?」
「レジスには無理でも、ジャンヴィール様なら出来るからです。
学園規則に『生徒会役員の活動が現状で困難と学園が判断した場合、生徒会会長の権限で人員を補充することが出来る』とあります。ジャンヴィール様なら、フランシスク゠ボネを生徒会役員に任命して、問題を解決出来ます」
リリアーナにツラく当たるローレットの提案など、聞くにも値しない。ましてローレットが述べた規則は、ある意味自分たちの能力不足を告げるようなものである。能力主義を掲げているにも関わらず、自分たちは無能ですと言っているようなものである。当然、ジャンヴィール達には受け入れることが出来ない提案である。
しかしジャンヴィールはその提案を却下出来なかった。リリアーナが救いを求めるような目を向けていたのである。ローレットの意図はわからないが、人員の補充は確かにリリアーナの負担を減らす。自身のプライドと想い人との間で、ジャンヴィールは迷い、答えに窮してしまう。
「あっ」
絶望の声がリリアーナの口から漏れ出た。瞳から光が消える。
自分の迷いが想い人を傷つけてしまったことを焦るも、ジャンヴィールは言い訳も謝罪も言うことが出来なかった。絶望したリリアーナは全てを拒絶していた。せめて2人きりなら秘めた想いを告げ、許しを請えただろう。王族と第五位では身分が違いすぎる。想いを白日の下に晒すには時期が早すぎる。何より、皆の前で告白する勇気がなかった。自分の不甲斐なさにジャンヴィールは自己嫌悪に陥る。
「理由なら、イヴァンの補充でよろしいかと。それでしたら何の問題もないはず。如何でしょう?」
「そ、そうだな。どれだけリリアーナが優秀とは言っても、一人で出来ることには限界がある。
優秀故、リリアーナに甘えてしまった。すぐにでも先生に掛け合おう」
「ありがとうございます、ジャンヴィール様」
目に涙を溜め、瞳を輝かせたリリアーナがジャンヴィールに感謝する。それはまるで、神からの慈悲を受けたかの様であった。仲間内で感激し合う姿を見て、ローレット達の気持ちは急速に冷めていった。
(えー?!何これ。流石につきあってられないわ。用は済んだし、帰りましょう)
ローレットはジャンヴィール達の邪魔をしないよう小声で退室することを告げると、急いで部屋を出る。廊下に出て顔を見合わせると、皆一様に何か言いたそうだった。ローレット達は急いで食堂の個室へと向かった。
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翌日、フランシスク゠ボネが生徒会役員に任命されたことが発表された。
帝王教育を受けてきただけあって、大講堂で生徒達を前にジャンヴィールの姿は堂々としている。しかしカリスマ性が失われた現在、真摯に受け止めている者はいない。生徒会に協力するようにと言っているものの、実際は第五位貴族の指示に従うようにである。受け入れられるはずがない。
「ジャンヴィール様は何を見ているのでしょう?」
ローレットが感じた通り、ジャンヴィールの意識は全てリリアーナに向けられていた。そしてそれはローレットだけでなく、多くの生徒が感じていた。どれだけジャンヴィールが壇上で威風堂々と力強く、惹きつけるような演説をしても、その言葉と思いは自分たちに向けられていないのだから、生徒達に響くはずもなかった。中には、話を聞かず雑談をしている者もいる。
ローレットは、ジャンヴィールからフランシスクへと視線を移す。全生徒に見られる場所にいながら、フランシスクは不機嫌そうな表情を浮かべている。無理矢理生徒会に入れられたことが、非常に不服なのがわかる。
(一人だけ逃げようなんて、許しませんから)
前回でも、経緯は違うがイヴァンが抜けた代わりとして、フランシスクが生徒会に入っていた。その時はまだジャンヴィールは第一王子の立場だったため、レジスの勧誘を受けていた。今回はジャンヴィールがすでに失脚してしまったためレジスの勧誘を断ったのだが、それでは逃げられてしまうことになる。あの時の生徒会役員全員が復讐対象であり、ローレットは一人たりとも逃がすつもりはなかった。
(まぁ、フランシスクに関しては、取りあえずこれで良いでしょう。前回は逆恨みで私が憎まれましたけど、今回はジャンヴィール様ですからね。拒否できない王族の命で、無理矢理沈没船に乗せられたわけですから、あの様な表情になるのもわかります。いい気味です)
生徒達の冷え切った目とは反対に、リリアーナの熱い眼差しを受けたジャンヴィールは満足げに演説を終えた。




