八つ当たり
中期初日の放課後、ローレットは友人達とカフェテラスに来ていた。お茶を飲むときはいつも静かな個室を借りているが、今日はリリアーナへの嫌がらせを始めるため、わざわざまだ日射しが強く暑さが残る外でリリアーナの訪れを待っていた。
「来るでしょうか?」
「ローレット様の忠告を受けて止めたかもしれませんよ」
「そんな事なら、とっくにリリアーナを役員から外しているはず」
「私もベルテと同じ考えです。もしかしたら好奇の目を気にして、見回りの回数を減らすかもしれませんが、止めることはないでしょう。止めたら、私の忠告を受け入れたということになるでしょうし」
前期終盤、ローレットはジャンヴィール達が毎日校内見回りをしていることパレードと揶揄して、他の生徒の邪魔になるから止めた方が良いですよと忠告していた。当然彼らが受け入れるわけがなく言い合いになる。そしてすぐに夏季休暇に入ったことで、彼らが校内見回りをどのように判断したのかわからないままであった。続けるのなら、お茶でも飲みながらゆっくり待てば良いと、暑い中カフェテラスでジャンヴィール達の訪れを待つことにしたのであった。
「来るなら早く来て欲しいですね」
「全くです。長時間このような所にいたら倒れてしまいます」
「暑い・・・」
「ベルテは少しくらい日に当たった方が良いのでは。どうせ、休みの間は部屋で本を読んでいたのでしょう?」
「はい。最高でした」
「そう言えば、ベルテがケストナー領でどのような本を買うのか、話が途中でしたね」
すっかり忘れていた1ヶ月も前の話題を蒸し返され、ベルテと他の2人も息が止まりそうな程驚く。数日前、ヴィヴィアンとユーラリーはベルテからお願いしていた本を受け取ったばかりであったため、気まずさは1ヶ月前の時とは比較にならないほどである。プレッシャーに弱いベルテは頭の中が真っ白になり、今にも余計な事を口走りそうになる。
この前は、ローレットの母であるアネットが現れたことで難を逃れた。今回も都合良く何か起きないかとヴィヴィアンが周囲に目を向けると、こちらに向かって走ってくる男子生徒がいた。ローレットを守るべく、ヴィヴィアンは立ち塞がり「止まれ!」と行く手を阻む。
「それ以上の接近は害意ありと判断します」
ヴィヴィアンの警告に男子生徒は慌てた様子で、その場に立ち止まると、固まったように動きを止めた。他にも襲撃者がいないかと、遅れてユーラリーとベルテも立ち上がって周囲を警戒する。ローレットはすぐに立ち上がって逃げられるよう、全身に力を入れた。
しかし何か起こる気配はなく男子生徒からも敵意は感じられなかったので、ローレットは警戒を緩めると男子生徒に声をかけた。
「私にご用ですか?」
「あのッ、イヴァンです。イヴァン゠ルロワですッ」
どこかで聞いた覚えがあるものの、ローレットは思い出せずユーラリーとベルテに小声で尋ねるも、2人とも知らないと首を振る。
「申し訳ありません。どちらでお会いしましたでしょうか?」
「えッ!?あ、あのぉ、生徒会室で・・・」
「生徒会室・・・。申し訳ありませんが、覚えておりません。
それで、私にどのようなご用件でしょうか?」
「いや、あの、ローレット様が側近にとおっしゃったので・・・」
「?――私が?いつ?」
「前期の終わり間際に。生徒会室で・・・。
そのッ、ジャンヴィール様が私を役員から解任しようとしたところをローレット様が間に入り、辞任ということ形にしていただき、私を側近にするとおっしゃった――のですが・・・」
そこまで説明されて、ローレットはようやくその時のことを思い出した。しかしその時のことや、彼が廊下でリリアーナの暴挙を止めたことまでは思い出せたのに、顔については全く記憶になかった。とは言え、イヴァンを側近に迎えると言ったことは確かである。だからこそイヴァンもここに来たのだろう。
(私が言ったことだし、側近に入れるべきなんでしょうけど・・・。
でも別に必要としてないのよね。ヴィヴィアン、ユーラリー、ベルテ、みんな優秀だから。それに男性1人だけというのも、どう接して良いか・・・)
ローレットがイヴァンについての処遇を悩んでいると、ベルテが「イヴァン様なら1年生へのアプローチもしやすいのでは」と提案してきた。
昨日の話し合いでリリアーナへの制裁を行うにあたり、1年生をどのように誘導するかが問題となった。1年生にはエドワード王子がいるため、エドワード王子派の力が強い。ローレットが直接動いては警戒されてしまい、計画に支障をきたす恐れがある。計画遂行を頼める1年生もいなかったため、どうしようかと悩んでいたところであった。
その点イヴァンなら、これまでローレットと直接関係を持っていない1年生であり、エドワード王子派からも警戒されていないと思われる。生徒会役員を外れたことは、ジャンヴィール達と行動を共にしなくなれば全校生徒に認知されるし、ローレットの側近になったことはわざわざ周知する必要もない。
そう言えばと、ローレットはシルヴェーヌ第一妃から貰った調査記録のイヴァンについて思い出す。記録にはシルヴェーヌの命で生徒会役員の情報を集めており、諜報として見込みありと評されていた。
(ベルテの言う通りかもしれませんね。
それなら、周りには気づかれないようしませんと。ここで同席しては目立ってしまうわね)
「申し訳ありません、私の一存では何とも。お父様に確認しませんと。改めてこちらからご連絡しますわ」
「そ、そうですか・・・。それではよろしくお願いします」
敢えて素っ気ない態度を取るローレットに、イヴァンは肩を落として去って行く。去り際に「何で私ばっかりこんな目に・・・」と呟くも、イヴァンの悲しみは誰にも届くことはなかった。
イヴァンの姿が見えなくなると、ローレットはイヴァンを加えた作戦を3人に話し始めた。
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「それでは、その様な流れで」
ローレット達が作戦を話し終えると同時に、ジャンヴィール達が姿を現した。ジャンヴィール達も気づいたようで、進路を変えローレットの方に真っ直ぐ向かって来た。隠すつもりがないようで、不機嫌を通り越した怒り心頭の様子を全身に漲らせている。
側近候補の3人がローレットの側に立ってジャンヴィールを迎える。ジャンヴィールはただ一言命じると、背を向けて歩き出す。
「ローレット。貴様に聞きたいことがある。ついて来い」
「いきなりついて来るように言われても困ります。前もって、どのような件かご連絡いただかないと」
「は?」
「義姉上ッ!」
「何ですか、レジス」
「ジャンヴィール様の命令に従わないなんて、何を考えているんですか!」
「ジャンヴィール様であろうと、こちらの都合を聞こうともせず命じられても承服しかねます。私達、婚約解消したのですよ。そのように気軽なやり取りは周りに誤解されてしまいます。ひいては、ジャンヴィール様の縁談に影響が出てしまいます。それくらい貴方が気を回しなさい」
「なッ!」
ジャンヴィールの為と理由としたことと自分の落ち度と責められたことで、レジスは即座にローレットに反論できず、口を開けたまま固まってしまう。
またジャンヴィールも何も言うことが出来ないでいた。ジャンヴィールの縁談を理由としているが、実際はローレット自身の縁談が本当の理由であることは明白である。女性の縁談に影響が出るような真似は、例え王族でも問題である。特に今は、王位継承権が下がったことで周りの目を気にする必要もあった。自ら悪評を立てるわけにはいかなかった。
しかしリリアーナは違った。自分が正しいと信じており、背景を見ることなく目の前のことでしか判断しようとしない。ただ純粋にジャンヴィールの為を思い、レジスを責める口振りに怒り、ローレットに反論する。
「そんな。ローレット様酷いです。確かにいきなりだったかもしれませんけど、少しくらい譲歩しても良いじゃないですか。それをジャンヴィール様のお言葉を否定するなんて。確かに婚約解消しましたけど、元婚約者ですよ。何でそんなに邪険に出来るんですか?!
それにレジス様への言い方も酷いです。あんな責めるような言い方、レジス様が可哀想です。義理とは言え弟じゃないですかッ。何で仲良く出来ないんですかッ?!」
リリアーナの言葉は明らかに見当違いであった。しかし想い人に庇われ慰められたことで、ジャンヴィールとレジスの気持ちは上向きになる。良い所を見せようと、今にもローレットに反撃しそうな感じである。それも感情のまま。
2人の表情から、このままではローレットの思い通りになる。ジャンヴィールの立場が悪くなると判断したリュドヴィックがすかさず口を挟む。
「それなら、ここで話すのはどうかな?時間は取らせないよ。そのくらいなら良いだろう?」
「――。ええ、それなら」
「良かった。ありがとう。
じゃあ、リリアーナ。ジャンヴィール様の紅茶を取って来てくれるかい」
「えっ?あっ、はい」
リュドヴィックはローレットと相性の悪いリリアーナを遠ざけると、ジャンヴィールに座って話をするように促した。座ったことでジャンヴィールは多少の落ち着きを取り戻すが、平常心にはまだ遠く、感情を押し殺して「其方なのであろう?」とローレットに問い質す。
「申し訳ありません。何のことでしょう?」
「決まっている。私達の掲げる理想の社会のことだ」
身分制度の否定で継承権を下げられた為、ジャンヴィールは直接その言葉を使うのを避け、周囲の者に聞かれないよう小声で話す。王位継承権が下げられたことは知られていたとしても、その理由までがどれくらい周知されているかはまだわからない。
「もしかして、あの第五位を抜擢した理由のことでしょうか?」
「第五位ではない。彼女の名はリリアーナだ。二度と第五位などと侮蔑するな。わかったな」
「それより、私にお聞きしたいことがあるのではないですか?」
「クッ。だから、其方が母上に余計な事を言ったのだろう?」
「シルヴェーヌ様に余計なことをお話ししたことなどありませんが」
「嘘を申すな。其方でなければ、誰が母上に話すというのだ。第一妃である母上に面会できる者など限られている。其方以外、誰がいるというのだ!
貴様が余計な事を言ったから、私はこのような目に・・・。それ程私が憎いか?」
「ジャンヴィール様。私はまだ学生なのですよ。ジャンヴィール様の婚約者であったとしても、お目通り叶うはずがありませんでしょう?第一妃相手に」
「なら、母上が呼び出したのではないのか?それで・・・」
「呼び出しを受けて、ジャンヴィール様を貶めるようなことを告げる。私に何の得があるのです?シルヴェーヌ様からの印象が悪くなるだけです。第一位貴族であっても、ジャンヴィール様の婚約者であったとしても、私はまだ学生です。その様な者の声などシルヴェーヌ様が聞き入れるでしょうか?」
「そんな事はない。其方は私の婚約者なのだぞ」
「元、――ですよ」
非を認めようとしないローレットに対して、ジャンヴィールは怒りが募っていく。王族である自分が問い質しているのに、ローレットは反論ばかり返してくる。そのことがジャンヴィールには軽んじられているようで我慢ならなかった。
「そんな事はどうでも良いッ!
私の婚約者ならば、無視は出来まい。将来は義理の親子になるのだ。母上は気にかけたはずだ!」
「そうでしょうか?ジャンヴィール様が考えているより、王族は崇高な存在であるべきなのでは?シルヴェーヌ様は、一学生の言葉に揺れるような方なのですか?」
ローレットの言葉を流石に否定できないジャンヴィールは言葉を詰まらせ、代わりに怒りを滾らせた目でローレットを睨んだ。
ちょうどその時、生徒会役員達の分の紅茶を持ってリリアーナが戻って来た。今までのやり取りは知らないにも関わらず、ローレットとジャンヴィールの間に流れる空気を敏感に察したリリアーナは持って来たティーセットのトレイを粗雑にテーブルに置く。カップとソーサーが音を立てるが気にすることなく、ローレットに向かって文句を言い始める。
「またジャンヴィール様を困らせてるんですか?何で敵ばかり作るような真似するんですかッ。どうして手を取り合おうとしないんですかッ。人を傷つけるようなことばかり言って。そんなんですと、いつかは後ろのお友達も離れていってしまいますよ。そんなの、哀しいだけじゃないですか」
リリアーナの正しい言葉は全く的を射ておらず、ローレットと側近達は興ざめしてしまう。ジャンヴィールもリリアーナが味方してくれたこと自体は嬉しかったが、何の援護にもなっていないことにどう反応して良いか困ってしまった。
ローレットと相性の悪いリリアーナが戻って来たことと、リリアーナが場を微妙な空気にしてしまったことで、これ以上の追求は難しいと判断したリュドヴィックはジャンヴィールに立ち去るべきと耳打ちする。しかしまるで逃げるようでジャンヴィールは最初渋るも、リュドヴィックから「証拠がない以上、これ以上の追求は難しいです」と諭される。
ジャンヴィールは立ち上がると、「其方の密告の証拠を摑んで、必ず白日の下に晒しめてくれる」と捨て台詞を残し去って行った。
残されたローレット達は、ジャンヴィールの言葉にどう向き合えば良いかわからず呆然となる。少しして正気を取り戻したローレット達は、すでにいなくなったジャンヴィールに向けて心のまま言葉を吐いた。
「今更証拠を摑んだところで、どうするのでしょう?」
「王位継承権が下がったのは、ご自身の理念のせいでしょうに・・・」
「どう足掻いても、元には戻らないというのに」
「白日の下に晒して困るのは、ジャンヴィール様達では?」




