明日から夏季休暇
前期最終日、ローレットは朝早く寮を発ち、友人のヴィヴィアン、ユーラリー、ベルタの3人とトランティニオンホテルに来ていた。
国の名前を冠するこのホテルは、名前の通り王家が所有、経営しており、この国でもっとも格式高いホテルである。他国の重要人物が泊まったり、国家規模の催しが開かれるような所である。当然、学生が興味本位で利用できる施設ではない。
「あの~、ローレット様。本当によろしいのでしょうか?」
「私達、場違いではありません?」
「うぅ。周りの視線が・・・」
「さすがトランティニオンホテルね。緊張するわ」
同じ緊張と言っても、ローレットとは比較にならないほど3人は緊張してしまっている。第一位貴族ならまだしも、第二位ではホテル側から断られてしまう。まして子供だけで利用するなど、あり得ようもなかった。
昨日夕食の後、ローレットにホテルのレストランで朝食を食べようと誘われた時は、まさか国最高峰のホテルとは思いもしなかった3人は、馬車から降りた時からずっと震えっぱなしであった。
「お待たせしました。本日のモーニングコースです。ごゆっくり」
給仕が料理をテーブルに並べていく。レストランならばごく当たり前のことなのだが、トランティニオンホテルというだけで、3人は萎縮してしまっていた。
「さぁ、早速いただきましょう」
カトラリーを手にローレットが声をかけるも、3人は膝の上に手を置いたままであった。このままでは朝食が冷めてしまう。それも普通なら食べることが出来ないホテルの食事である。「どうしたの?食べないの?」とローレットが尋ねると、3人は目配せをしてヴィヴィアンが意を決したようにローレットに向き合った。
「ローレット様。その、――どうして私達はこのような所にいるのでしょうか?」
「一度来てみたかったのよね。本当なら大人にならないと来れないでしょ?来れたとしても仕事でしょうし。でも、せっかくなら友達と一緒に楽しみたいじゃない」
「あの。ヴィヴィアンが聞きたかったのはそういうことではなくて、学生の私達がこの場にいられる理由かと」
「それなら、お父様にお願いしましたの。お友達とトランティニアンホテルのレストランで食事をしたいって。普段は学園ですし、夏季休暇や冬季休暇はそれぞれ予定があるでしょ。だから、来るなら今日しかないと思って」
「そ、そうなんですね・・・」
「ええ。それより、まずは食事を楽しみましょう」
(誤魔化せたかしら?)
本来利用できないこのホテルをローレットが利用できたのは、シルヴェーヌ第一妃にお願いしたためであった。内々で、すでにローレットとジャンヴィールの婚約解消は決まっていた。この件では「ジャンヴィールに大きな過失あり。ローレットに過失なし」と見做されている。その補償の一部としてローレットがシルヴェーヌにホテルの利用をお願いしたのであった。
婚約解消は夏季休暇に入ってからされるため、今は友人であろうとも言うわけにはいかなかった。夏季休暇中であればエドワード王子派に横槍を入れられる危険性も減り、派閥の立て直しに注力出来る。言い換えるなら、情報が漏れればジャンヴィール王子派は窮地に陥ることになる。今回3人を誘ったのは、友人に秘密を抱えたことへの罪滅ぼしの面もあった。
しかしそんな面倒な事も、料理を口にした瞬間どこかに飛んで行ってしまった。
「美味しい」
思わず口に出てしまった言葉に3人も同意する。3人とも先程までの緊張で固まった顔が消え、驚きから幸せそうな表情へを変わっていった。
「何ですか、これ?美味しすぎませんか?」
「はい。こんなに美味しい料理、初めてです」
「これが王族の食事・・・」
料理自体はありふれたものなのに、普段の料理の味と全然違った。国賓を迎える場所だけあって、このホテルには国の最高が取りそろえられていた。
3人は感激の声を上げた後は一言も喋らず目の前の料理に集中する。ローレットも舌に全神経を集中させて料理を堪能した。最初の料理を食べ終わると、皆自然と幸せそうな表情を浮かべていた。
「ローレット様、このような場所に連れて来てくださりありがとうございます」
「私、今日のことは一生忘れません」
「喜んでくれたようで、私も嬉しいわ」
「あのぉ、でも大丈夫なのですか?その、――お支払いとか・・・」
ベルタの心配にヴィヴィアンとユーラリーもハッとし、心配そうにローレットを見た。
「気にしないで。支払いはもう済んでるから」
3人が申し訳なさそうにローレットとベレンジャーに感謝の言葉を告げる。3人ともベレンジャーが支払うと勘違いしていたが、実際はシルヴェーヌ第一妃の支払いであった。王家が運営するトラティニオンホテルは、王族が関わらなければ利用は叶わない。第一位貴族であっても、王族の口利きがなければ断られてしまう。
(本当はシルヴェーヌ様にお願いしてですけど、お父様を通じてますから、嘘ではありませんものね)
空いた皿が下げられ、次の料理が運ばれてきた。次も見慣れた料理であったが、最初の料理の味を知った4人は期待に胸を膨らませる。最初の緊張は消え失せ、料理の味への感激も落ち着いたことで、ローレット達はようやく食事を楽しみ始めた。
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食事が終わり興奮も一段落ついたローレット達は、お茶を飲みながら明日からの夏季休暇について語り合う。学園では夏季と冬季に1ヶ月の長期休暇がある。働いている大人達にも2週間の休暇が与えられるため、上位貴族は旅行に出かけることが多い。
「皆さん、夏季休暇は予定通りに?」
「はい。今年は北方のランベール領に」
「私は、南方のペラン領です。お父様が海釣りをしたいと申しまして。私もお母様も、本当はヴィヴィアンのように涼しいところが良かったのですけど・・・」
「我が家は、いつも通りケストナー領です。今回はどんな掘り出し物があるでしょうか?前回は良い物を手に入れられましたし、今から楽しみです」
「ケストナー領と言えば帝国に隣接してますものね?やはり帝国の物がたくさん流れてくるのですか?王都には流れてこないような物もあるのですよね?わざわざ買いに行くくらいですし。どのような本があるのですか?」
尋ねられたベルテだけでなく、ヴィヴィアンとユーラリーも「えっ!?」と驚きをみせる。
「ローレット様、どうして本だと?」
「だって、ベルテの趣味は読書でしょ?それで、これまでどのような本を買ったのですか?」
ローレットの問いにベルテは気まずそうに顔を背ける。隣に座るヴィヴィアンやユーラリーからは咎める視線が向けられている。
「ベルテ?」
「はい!いえ、その・・・。何と申しますか、――特殊すぎて説明しづらいと申しますか・・・」
「あら、専門書なの。それでどんな分野に興味があるの?」
問いつめられていくベルテは混乱寸前だった。以前レジスがファザコンという話の時もそうであったが、ベルテは追い詰められ頭が真っ白になると、我を忘れて明け透けに全てを口にしてしまう癖があった。常日頃、ヴィヴィアンやユーラリからは気をつけるように注意されていた。勿論自分でも知られたくない事なので直したいと思ってはいたのだが、混乱すると自制が利かなかった。
両隣から「耐えなさい」「落ち着いて」と無言のプレッシャーを感じ、更にローレットの無垢で真っ直ぐな眼差しにベルテは混乱しそうになる。
「楽しんでいるところをお邪魔しますね。ローレット、時間ですよ」
「あら、お母様。もう、そんな時間ですか?
申し訳ありませんが、これから旅行の準備がありますので。それでは皆さん、お先に失礼しますね」
「貴女達はもう少しゆっくりしていくといいわ。それでは」
ローレットは立ち上がると、アネットの後をついていく。後ろで見送る3人が大きな安堵の溜息を漏らしていたが、気づくことはなかった。
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王都にある最高級のレストランの個室に生徒会の役員が集まっていた。
「明日ランベール領の別荘に行くわけだが、皆問題はないか?」
ジャンヴィールの言葉に全員が頷く。それぞれが楽しみだと口にしているのを見て、ジャンヴィールは満足そうに頷いた。友人達だけでの旅行はジャンヴィールだけでなく他の皆も初めてで、とても楽しみにしていた。特にレジス、ガストン、リュドヴィックは家族との折り合いも悪く、これまで長期休暇は息の詰まる嬉しくないものであった。
「それにしても、下位貴族の私が、王族や上位貴族のみんなと一緒に過ごせるなんて夢のようです。ありがとうございます」
「何を言ってるんだい。私達は志を同じくする、同士じゃないか。身分なんて関係ない。何より、私がリリアーナやみんなと一緒に過ごしたかったのだから」
「まぁ」
「いえ、感謝してます。ジャンヴィール様に誘っていただけなければ、休暇中ずっと義姉上と一緒の生活でしたから」
「私もそうだ。リュドヴィックもそうだろう?
「ああ。正直、あの家には近寄りたくもないね。ですから、ジャンヴィール様に休暇を一緒に過ごそうと誘われて救われた気分です」
「そうか。皆喜んでくれているなら、私も誘った甲斐があるというもの」
皆から感謝の言葉を受けて笑みを浮かべるジャンヴィールだったが、内心は違った。リリアーナの好感度を上げ、あわよくば良い雰囲気をつくろうと考えていた。実際それは上手く行きそうだったが、レジスからの感謝で有耶無耶になってしまった。思い通り行かなかったことに不満を覚えるも、側近からの感謝である。不機嫌さを見せるわけにはいかなかった。
一方、レジスはリリアーナとジャンヴィールの甘い雰囲気を阻止することが出来、表情以上に内心喜んでいた。現在の所、リリアーナがジャンヴィールの方に好意を抱いているのはわかっていた。また恋敵が王子である以上、自分の方が不利であることも重々理解していた。それでも初恋故、レジスは諦めるということがどうしても出来なかった。「身分の差など関係ない」と思ってはいても、王族と第五位の身分差では結ばれないのではと、どうしても期待してしまっていた。
「私、別荘なんて初めてです。とっても素敵な所なんでしょうね」
「ああ。近くには湖もあるし、北にそびえるアダルベルト山脈のおかげで、王都とは違ってとても涼しい。景色も綺麗だし、静かに過ごすにはうってつけの場所だな」
「そんな所に私達だけで行けるなんて・・・」
「ああ。良い思い出になる」
「長期休暇を楽しみに思えたのは初めてだよ」
「ジャンヴィール様に感謝だな」
再び賛辞を贈られたことで、ジャンヴィールの機嫌は良くなっていった。
(焦ることはない。休暇は長い。その間に距離を縮めれば・・・)
ジャンヴィール達は、夏季休暇をずっとランベール領の別荘で過ごすつもりだった。レジス達3人は家族といたくないという理由で。リリアーナは王族の暮らしを味わいたいという理由で。そしてジャンヴィールは、王族でありながら身分制度を否定していることが知られれば咎められるため、王城にいたくないという理由で。
実際は、すでに母親のシルヴェーヌ第一妃に知られているだけでなく、派閥は弟のジョージを盛り立てる方向に話は進んでいた。子供達だけでの旅行が許されたのも、ジャンヴィール達が不在の間に話を進めていくためであった。そうでなければ、令嬢と一緒の旅行など常識的に許されるはずがない。本人達は「友人の枠を超えた同士だから」と理由づけているが、周囲から見ればその様な理由など通用しない。事実、建前を掲げつつも、ジャンヴィールとレジスはリリアーナとの関係を深めようと考えている。
((この休暇中に、何としてもリリアーナの心を掴んでみせる))
和気藹々と休みの予定を話す中、ジャンヴィールとレジスは下心を燃え上がらせていた。
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ローレットが母親のアネットと去ると、ヴィヴィアン達は大きな溜息を吐いた。張り詰めていた緊張感が消え去った後、安堵以上に疲労感に襲われた。しばらく心を落ちつかせて周りに人がいないことを確認すると、ヴィヴィアンはベルタを睨みつける。
「また余計なことを・・・」
「本当に。気をつけなさいよ」
「ごめんなさい」
「はぁ~。今回は、本当に駄目かと思ったわ」
「ええ。アネット様が来なかったら、間違いなくベルテは爆発してたでしょうね」
「うぅ。すみませんでした」
「気をつけてよね。ローレット様には、あんなこと知って欲しくないんだから」
「そうです。あの方には美しく誇り高く、それでいて無垢でいていただかなければ。穢れた知識など以ての外です」
「穢れたって・・・」
「ユーラリー、穢れたは言いすぎじゃないか?」
「違うとでも?」
「いや、まぁ、間違ってはいないけど・・・」
「とにかく、ベルテには大いに反省してもらわないと。
罰として、1冊追加で買ってきてください。良いですね?それで許して差し上げます」
「私も。よろしくね」
「わかりました。
それで、どんなジャンルを希望ですか?同じのですか?」
その後1時間ほど、主人に秘密の会合が行われた。
帝国では夏と冬にお祭りが行われている。そこでは身分を隠した貴族達が各々書き上げた作品を持ち寄り売っていた。反逆罪に問われるわけでははないが、公に出来ない作品ばかりである。それ故、王都まで流れてくることはない。王国で手に入れるには、帝国に隣接するケストナー領に行くしかなかった。長期休暇には必ずケストナー領を訪れる両親の血を引いたベルテは、幼い頃からその特殊な環境にいたため深い造詣を持っていた。そしてヴィヴィアンとユーラリーも、分野こそ違えどベルテの影響を少なからず受けていた。3人は主人であり友人であるローレットに秘密を抱えた心友であった。




