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ワニと娘


 貝を獲る為に湖に潜った。そこまではいつものことだった。

 ただ今日に限って違ったのは、湖の底に光るものを見つけて心踊ってしまったのだ。光る貝だろうか、と。もしそれを持って帰ったなら弟が喜ぶだろう、と。

 今なら、それが間違いだったとわかる。湖深くへ潜った林果(りんか)はそこからの記憶がない。そして目覚めた時にはワニの姿があったからだ。


 ワニの姿、けれど二本足で立っている。林果も驚いているが、ワニも驚いていた。

 魚を焼いていたらしく、香ばしい匂いが周囲に立ち込めている。ご飯を食べるつもりだったのだろう。いやに所帯くさいワニだ。

 近寄ってくるワニの姿に思わず身を竦ませると、それに気付いたのか足を止める。それから何かを喋ったが、林果には意味がわからなかった。困って眉根を寄せる。頭を傾ける。林果の仕草にワニも言葉の壁があることに気付いたようだ。手を差し出され、恐る恐るといった体で手首を掴まれた。

 それだけで体は震える。するとワニの体も大きく仰け反った。恐ろしい姿だと思う。林果に触れる手は、しかし思いの外やさしい。ワニは林果を立たせ、どこかへ連れて行こうとしているようだった。数歩歩いたところでそうもいかない事象が起きた。

 ぐきゅるるるぅー。

 林果のお腹が鳴ったのだ。恥ずかしさとワニへの恐ろしさで、赤くなったり青くなったり忙しい。だがワニは一瞬牙を見せると、すぐに歩みを止めた。そして再び林果を座らせる。

 恥ずかしさと居た堪れなさで顔をあげれないでいると、目の前にトンと何かが置かれた。ほかほかの湯気が上がるそれは先ほどまでワニが焼いていた魚だ。怖い顔がじっと林果の方を見る。手で押し出される魚に食べろと言っているらしいとわかった。

 そっと口に含むとホロホロと崩れる身が香ばしい。ほんのり塩の味もした。贅沢だ。思いの外お腹が空いていたようで夢中で頬張っていると、唸るような声がした。顔を上げると当然そこにあるのはワニで、だけど瞳が少しだけ柔らかくなったように見えた。

 林果が魚を食べ終わると、ワニは再び手を握る。そっと壊れ物を扱うような力の入れようは、害するつもりはないことの証だろう。そのまま外に出る。振り返れば、先刻までいた家は木で作られた簡素な家で、雨を凌ぐだけのようなあばら屋だった。周りの家も同じようなことから、これがワニにとっての普通なのだと知る。そして外には他にもワニがいた。ワニ――いや、竜だ。

 林果もおとぎ話のように聞かされたことがある。林果たちのいる人の世界と、竜が住む世界は鏡合わせのようにつながっていて、時々互いに別の世界に迷い込んでしまうのだ。林果が思い描いていた竜とは姿が違うが、おそらくワニに似た姿の竜であろう。

 彼か彼女かわからないが、ワニ似の竜は奥の家を目指しているようだった。その家だけは風も雨もきっちり凌げる上、簡単だが門までついていた。竜というと荘厳で誇り高い生き物という憧れがあった林果なのだが、それは見る限り妄想でしかないようだ。ワニ似の竜にびくつきながらも、林果は門のある家の中に入っていった。


 門のある家はおそらくこの集落の長の家だ。ワニ似の竜は長と思しき大きなワニに話しかけている。林果には何を話しているかはわからない。説明をしてくれているとは思うが、しゃべっている言葉が理解できないのだ。そのうちに話し合いは終わったのか、また手を取られて最初のワニの家に戻ることになった。姿は怖いが悪い人――竜?――ではないようだ。

 林果にワニは寝床を準備してくれた。とりあえず助けてくれる存在だと思ってよいのだろう。姿に慣れそうにはないが、それでも場所を与えてくれたことに感謝する。そのうちに林果の瞼は重くなっていった。



 翌日、目を覚ましてもやはり林果はワニ似の竜の家に居た。だが客人が来ているようで、様子を覗こうとすると逆に見つかってしまった。てっきりワニの姿だと思っていたが違った。お客人は人の姿をしている。

「え!」

 驚きと歓喜で声が出てしまった。

「ああ、君が……。初めまして、私は役所の者でね。状況の説明とこれからのことを話にきたんだ」

 人かと思ったが、役人だという者の瞳は爬虫類の瞳に似ている。この方も竜なのだろう。膨れた歓喜はしぼんでしまった。

「まずは話を出来るようにしようね」

 そう言って手を伸ばされる。拒否するよりも素早く額に触られた。

『おい! 乱暴はするなよ!』

「え?」

 ワニ似の竜が慌てる様子が見える。でもそれ以上に言葉が聞こえる。きちんと、林果のわかる言葉として。

「なんで?」

「今ね、私たちの言葉がわかるようにしたよ。これで少し便利になるでしょ? ヤクーも、今度はちゃんとお話できるよ」

『なんだって! それを先に言ってくれよ』

 ヤクーと言われたワニ似の竜が林果の眼前に迫る。

『なあ、あんた、名前は? 俺はヤクー! ヤクーだ!』

「あ、ああ、えっとヤクーさん、ですか。あたしは林果です。りんか。昨日は助けてくれて、ありがとうございました」

 混乱しながらも頭を下げると、ヤクーからは牙が見えるほど大きな口を開けて笑われた。正直怖いが、林果は耐えた。

『はっはっはー! あれは俺が網の中身を気にせず持ってきたせいもあるからな。こっちこそ、悪かったよ』

 食べられそうと思ってしまうと、林果は無意識に体が震える。ヤクーはきっと気のいい竜だろう。言葉を交わすと明るくて、興味津々でこちらを見ているのがわかる。

「はいはい、ヤクーはちょっと黙っててね。それで君がどうしたいかを教えてもらえるかな」

 役人はまだ話し出そうとするヤクーを落ち着かせて、林果にも座るように促した。それからはどうやってこの世界にやってきたのか。このままこちらで住むことも可能だと教えてくれた。

 けれど林果は故郷に帰ることを望んでいる。偶然この世界に落ちただけだ。

 役人は林果の意思を確認すると、ではそのように、と答えて一端帰って行った。

 二人になるとヤクーはとてもおしゃべりだった。昨日はわからなかった言葉が通じることで、色々教えてくれた。会話をしているうちにヤクーへの怖さも少し和らいできた。どうしても牙の鋭さには怯えてしまうが、それよりもよくしゃべった。

 ヤクーはアリゲイ種という竜種らしい。漁師をしていて、湖で魚を捕った時に誤って林果も連れてきてしまったらしい。役人が林果のところの湖とつながっていたのだろうと話していた。

 それからはヤクーの焼いてくれた魚の美味しかったことを伝え、この集落がアリゲイ種の集落であること、他にもたくさんの竜種がいること、また人を食べる竜種は希だということを聞いた。ヤクーは集落の外にあまり出ることがなく、人間を見るのは初めてだったらしい。

 それから役人が再度訪れる二日後まで、林果はヤクーにたくさん話しかけられて世話をされた。



 竜族と人族の間には大きな壁がある。つまりは大きさだ。ヤクーが林果を見下ろすたびにビクッと怯えられる。少しは慣れてくれたと思うけれど、こればかりは仕方ない。

 人間は小さすぎるのだ。

 触れようものなら壊れそうで恐ろしい。

 それでも話をしている時は落ち着いてくれるようになった。興奮すると顔が寄ってしまうのを気をつければ、林果も怖がらない。

 外交官の役人は里長が呼べばすぐに来た。こういう時のための連絡方法は決めてある。それに早くしないことには人族はすぐに死んでしまいそうで、怖い。だから早急に連絡を取り、保護することが必要だ。とはいえこんなに早く来るなんて思わなかった。

「まずはね、元の世界に戻ろうか。君が落ちてきた湖は使えないから、少し迂回することになる」

 湖の扉を封鎖することはさすがに出来ないが、お互いの世界で注意喚起を行うことになった。大体の場所がわかれば気をつけることができる。

『わかりました。どれくらいかかるんですか?』

「うーん、私が乗せていくから元の世界に戻るまでは三日くらいかな。でもそこからは馬車を使うって話だからもう少しかかるかな。一ヶ月くらい?」

「なんでこっちよりも遠いんだ?」

 役人が連れて行けば早いのはわかる。でも元の世界で更に時間がかかるのはどうしてだろう。ヤクーの疑問に役人はやれやれといった態度をとる。

「我々は飛べるからな。だが向こうで我々が飛ぶわけにはいかない」

『え、竜に乗っていくんですか?』

「君の足だと三ヶ月はかかるね。それにこっちの世界に馬車はないよ」

『……ないんだ』

 馬車というのはヤクーにはわからないが、人を乗せて動くものらしい。

「なあ、俺も行っていいか? 折角だから見送りたい」

「ヤクーは飛べないだろう」

「だから乗っけてくれ。俺も」

 すごーく嫌そうな顔をされた。そうだろうな、とわかるけれど、最後まで付き合いたい。

『ヤクーも付いてきてくれるの?』

 役人と二人なのが不安なのか、林果は少し嬉しそうだ。おかげでヤクーも一緒に行けることになった。


 翌日荷物をまとめて林果と二人、役人を待つ。彼はいつも人間に化けているが、れっきとした竜族だ。アリゲイ種のヤクーとは違う種族なのだ。

 その姿は細長い枝のようだ。よくしなる枝は風に吹かれて優美に揺れる。ただ物凄く大きな枝、いや、龍だ。

「さあ、行くよ」

 人の形の時はヤクーよりも小さいが、この龍形の時はヤクーなどそこらの石のようなものだ。ヤクーは元の龍に戻った役人に近づくが、林果はためらっている。何しろ大きすぎるのだ。

「林果? ……あー、大きいけど大丈夫だから。ほら」

 ヤクーの差し出した手にそろりそろりと近寄っていく林果。竜同士ならば、姿が大きかろうと小さかろうと気にしない。けれど人にとっては大変な問題なのだろう。

「驚かせてごめんねえ」

 びくびくしながらもヤクーと林果が背に乗ると、役人はぐんと飛び上がった。上空へ一気に浮かび上がると、穏やかな風に体が撫でられる。林果を後ろから抱えたヤクーはその体から緊張が少し緩んできたのがわかった。

 空から見る景色は綺麗だ。普段地面ばかりを駆け回っているから新鮮で楽しい。時々他の竜がのんびり空を泳いでいて、ヤクーたちの姿を見て不思議そうに首を傾げている。

 日が落ちてくると地面に降りて休み、朝日が昇ればまた空を行く。それを数度繰り返し景色を十分に堪能した頃、役人は陸目がけてその身を躍らせた。下にある街に行きたいのだろう、待ちがどんどん近づいてくる。地面が迫ると役人が人に変化する。ヤクーと林果は彼の体から投げ出されるが、役人が下できちんと受け止めてくれた。

「おい、先に言ってくれよ! びっくりしただろ!」

「すまない。あの姿のままだと大きすぎて地面に降りられないんだ」

『こ、怖かったです!』

 役人に抱き留められた林果が半泣きの状態で地面に足をつける。

「悪かったよ。さあ、とりあえず中に入ろう」

 足が震える林果をヤクーも支えながら街の中に入った。


 街の中には人が居た。人族の外交員が働く中心地があるのがこの街のようだ。加えて表裏世界の管理された扉がある。

『うわあ~』

 よろよろで街に入った林果だったが、都会の賑やかさに呆けている。それに人族の姿に安堵しているのがわかる。

「彼らは外交員とその家族、あとこっちに落ちて居着いちゃった人たちだね」

『みんな元気そう……』

「彼らに不自由がないように、配慮はしてるよ。どうしても足りないところはあるだろうけどね」

 役人がそう言いながら先を案内する。役所の建物に入ると何かを告げて、奥へ通される。廊下の奥には中庭へ続く扉があった。かなり古い樹がある。今は花の咲く時期ではないからか、葉っぱだけだ。

「林果」

 役人が林果に手を差し出す。

「あの樹の後ろに回ると元の世界に戻れますよ。そちらでは馬車を用意させています」

「はい」

 林果は嬉しそうに一歩踏み出す。次いでヤクーも一緒に歩き出そうとしたが、それは出来なかった。

「ヤクー、君は駄目だよ。ここまでだ」

『え?』

「え?」

「向こうに行く許可は出ていない。君は見送るだけだ」

 しんと音が消える。役人が溜息を吐く音が響く。

 確かに見送りたい、と言った。ヤクーは付いてきただけだ。しかも無理矢理に。

「林果」

 ヤクーが進み出ると、役人は少し後ろに下がった。お別れの挨拶はさせてもらえるようだ。

「林果には怖い体験が多かったと思う。でも俺は楽しかった。忘れないよ」

 手を出せば、林果は迷う素振りを見せる。ヤクーの手が大きすぎるのだろう。

『……あたしも忘れられないよ。見つけてくれたのが、ヤクーでよかった。ありがとう』

 林果の小さな二つの手で包み込まれるヤクーの手。そのあたたかさにヤクーは嬉しくなる。

「手紙なら渡せるよ」

 役人がそっと呟けば二人はハッと喜色を浮かべる。

「中身は検閲が入るけど、ちゃんと互いの翻訳もしてあげる」

「無事に家に帰り着いたら教えてね! 手紙を書くよ」

『あたし、文字書けないけど、覚えるね。頑張って勉強する!』

「あ、じゃあ、ああ……これを帰り着いたら手紙に入れて。俺も文字そんなに実は得意じゃないんだ。だから、さ」

 知り合いに何かの証を渡すこともある。本当は駄目なのだろうが、役人は今回だけ目をつむってくれた。

「最初だけだよー」

『役人さん、ありがとう!』

「じゃあ、戻ろうか」

 二人の間に入り、役人が林果の手を取る。

「大丈夫。彼女は必ず無事に送り届ける。ヤクーも後で送っていくから、待っててくれ」

 そう言って、役人が林果を導き、樹の後ろに回る。古い樹だが、葉は生い茂っている。それなのに二人が樹の後ろに回ると姿が見えなくなった。頭ぐらいは見えてもいいはずなのに、スッと消えてしまった。これが落ちる、ということなのだ。

 それからまもなく役人は戻ってきた。当然一人で。

 ヤクーは故郷に戻り、また魚を捕る生活に戻った。



「おい、ヤクー」

「あ! テディー! 待ってたよー!」

 役人ことティデイタデックがやってきた。待ちくたびれヤクーは彼に飛びつき、そして蹴られた。倒されてもヤクーは笑っていた。

「ほら」

 彼の手にはよれよれになった封筒がある。大事に受け取って封を開ける。

「……よかったぁ」

 封の中には別れ際にヤクーが渡した自身の鱗が入っていた。世界を渡るのはよくないが、返ってくる前提ならばとテディが許可したのだ。

「今度はお前が林果に手紙を書く番だぞ。三日後にまた来るからな」

 晴れやかな顔でヤクーはわかった、と返事をする。

 林果が笑顔になる手紙を書こうと、と考えながら。



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