天使のために
スラ・グスル医師が、懊悩の末、ようやく逸美にコールドスリープの提案を持ちかけた頃——。
この話が漏れた。
漏れたのは、コールドスリープの話ではない。逸美の「冷凍保存実験」の方の話だ。
おそらく、良心に耐えかねた研究所職員の誰かが、メディアにリークしたものであろう。しかも、そのリークには「治療法がある」という情報まで付いていた。
アース支隊だけでなく、SUN恒星系方面軍全体が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
イツミ・スズ・ハス・ワタリの名は無名ではない。今や、長官賞を3度も受けた、SUN恒星系方面軍の押しも押されぬ「英雄」であった。
しかも、逸美に命を救われた兵士は多い。彼らが中心になって署名活動が始まり、兵士たちのデモやストライキに発展するのに3日を要しなかった。
「イツミを守れ!」
「我らの英雄を守れ!」
「我々はモルモットじゃない!」
軍中央の人権委員会が動き出したが、騒ぎは治まらなかった。
兵器開発部のザクトリア部長は「体調不良」だとして行方を晦ましてしまい、ケラ・ダハドが1人で矢面に立たされることになった。
(あのヤロー! マジでオレ1人に責任なすりつけて逃げやがった!)
「キーミたちは、参加しないのかネ?」
「は?」
本日の当番で更生刑務所の出入り口を警備していた若い兵士2人がふり返ると、そこにあのキャプテン・シャーロックが立っていた。
シャイ・ロック受刑者ではない。キャプテン・シャーロックだ。
顔にメイクを施し、衣装は劇団用のあり合わせで間に合わせている。かつてのクルー、今は劇団員たちも同様だった。
「ストライキとデモのことだよ。知ってるかもしれないが、私たちも、あの戦場の天使に命を救われているんだよ。しかしここで叫んでいても、どこにも声は届かない。だから、私たちも路上に出たいのだ。あの美しい命の恩人のために——。」
兵士2人も、気持ちは同じだったが・・・。しかし、いくら更生刑務所とは言え、受刑者を外に出すわけには・・・。
「カーンタンなコトだよ! キミたちもストライキに入ればいいんだ。そして、ここに、その電子キーを落としてくれればいいんだよ♪ 大丈夫。天使の人権が守られると分かったら、ちゃんと帰ってくるから——。お願いだ。」
路上にその男が現れると、いやでも目立った。
「わーたしはキャプテン・シャーロック! わーたしは言いたい! 戦場の天使を守れぇ! 我らが命の恩人を守れぇ! 人間はモルモットではなーい! 彼女の治療をしなかったら、だーれが何と言おうと、このキャプテン・シャーロックが許さないぞ——お!」
芝居用の剣を抜いて、見得を切る。あたりに、どっと拍手がわいた。
「いいぞぉ——! 自由の海賊!」
「あいつ、もう出てきたのか?」
「なんとかしていただけませんか? 恥ずかしながら、私の力だけでは・・・。このままでは、SUN恒星系方面軍は崩壊します。」
軍専用通信を使ってセラ・クレール長官に窮状を訴えるデ・ウツギ総司令の表情が、なぜかなんとなく嬉しそうに見えたのは、光の加減だろうか。
「私だって動いているよ。研究所に査察を入れた。遺伝子変換器という治療法があることも分かった。これから私が直接会見を行うので、その後はそちらで収めてくれないか?」
「承知いたしました! お計らいに感謝いたします。」
デ・ウツギ総司令は通信を切ると、傍らにいたメリー・ベール支隊司令に笑顔を向けた。
「イツミは助かるぞ。」
これより少し前。
研究所に査察官が入り、応対をせざるを得なくなったケラ・ダハド主任研究員は、軍事査問委員会に呼び出されることを覚悟していた。
逃げたあいつ(ザクトリア部長)は、それでは済むまいな——と思ったが、自分だってもはやキャリアの道は断たれることが確実だ。
研究もここまでだ・・・。
そんなケラ・ダハドに連邦軍長官から直接話があった時は、これほど驚いたことはなかった。
「ザクトリア君がいないので、君に聞きたいんだが。」
「何でしょう、長官?」
「遺伝子変換器というのは、実用に耐えるのかね?」
「はい。そちらの担当ではありませんが、すでに臨床試験も終えております。」
「ハス・ワタリ上級士官の治療にも使えるかね?」
「もちろんです。」
「そうか。もっと早く『報告』が欲しかったな。いろいろと軍規違反の疑いが出てきているようだが・・・、どうかね? ひとつ、彼女の治療に協力してもらえんかな?」
それから、立体画像のセラ・クレール長官は、微妙なことを言った。
「途上の『研究』については、事後的に承認できることもあると思うし、ザクトリア君が行方不明では、部長の席が空白だしな——。」
長官の会見放送が始まると、軍施設内は一斉に静まりかえった。連邦軍トップが何を言うのか。人々は固唾を呑んで見守った。
「諸君らの行動が、ハス・ワタリ上級士官の身を案じてのことであることは十分理解している。私もまた、思いを共有する者だからだ。」
セラ・クレール長官の会見要旨は、次のようなものだった。
ハス・ワタリ上級士官を冷凍して実験台にするという話はデマであること。軍の研究所には彼女を治療できる最新の技術があること。その治療によって、おそらく彼女はエスパーとしての能力を失うであろうこと。ハス・ワタリ上級士官は、この治療を受ける決断をしたこと。軍としても、その治療に最大限の支援を行うこと。
「諸君は速やかに解散して持ち場に戻ってほしい。ここまでの諸君らの行動は、不問とする。ただし、この会見後の規律違反、不法行為は厳重に処罰するので、そのつもりで。」
そして長官は、最後にこう言い添えた。
「天使は、普通の女の子に戻る。どうか、静かに見守ってやってほしい。ご清聴、ありがとう。」
「今・・・『天使』って言ったよな?」
「あんな上の方の人が、オレたちみたいな下級兵士の隠語を知ってるんだ・・・」
「あの人の言うことは信じられる気がするね。」
やがて嵐のような拍手が起こり、それが鳴り止むと、施設のデッキや道路にあふれていた人々は潮が引くようにそれぞれが本来いるべき場所に帰っていった。
騒ぎは3日ぶりに収まった。
俗に、政治家の命は言葉である、と言う。
ジャッキー・セラ・クレール。第7代銀河連邦大統領となるこの人物の資質は、すでにこの頃には現われていたのであろう。
「キミたーち! 約束どおり帰ってきたよぉ!・・・あっ・・・・」
逸美の治療がなされることを知って、いい気分で帰ってきた『キャプテン・シャーロック』とその一行は、気まずそうな顔で立っている2人の警備兵の隣にデ・ユウラン隊長がいるのを見つけて固まった。
「なかなか見応えのある演しモノだった。」
こ・・・これって、明白に脱獄が見つかったシチュエーションじゃあ・・・?
「で、で、で・・・デ・ユウラン隊長。・・・こ、ここで何を・・・?」
「ストライキさ。君たちと同じだよ、キャプテン。 さて、私も帰るとするか。これ以上油売ってると、規律違反に問われかねん。」
片手を上げて帰ろうとしてから、ふとふり返った。
「あ、そうそう。今度『アルカディア』の正式公演がある時には教えてくれよ。さっきので、ちょっとファンになったかも。」




