モルモット
溶けた爪はすぐに病理検査に回された。爪の剥がれた中指は、通常の怪我と同じように応急処置されただけになっている。
なぜか、ヒーラーによるESPヒーリングが効かず、逸美自身の自己ヒーリングのESPも発動しない。患部はジクジクして血がにじんでいるが、触らなければ痛くもない。
ただ突然、爪が溶けて剥がれ落ちただけである。気味が悪い。
「わたし・・・どうなっちゃったんですか?」
逸美が泣きそうな顔で、主治医の先生に聞く。
「病理検査はやっているけど・・・。わからないんだ、率直に言って——。」
先生は、ちょっとの間考え込んでから逸美に聞いた。
「それ、ESP使ってる時に起こったんだよね? 以前の2回の時はどうだったの? どっちもESP使ってた?」
「はい。訓練の後でした・・・。」
先生は何か思いついたような顔をしてから、逸美の方を見て人差し指を上げた。
「しばらくの間、ESPは使わないで——。それが影響してるかもしれないから。退院はお預けだね。私はちょっと調べたいことがある。」
先生はそれだけを言うと、看護師にてきぱきと2〜3の指示を出して、早足で部屋を出ていった。
主治医のスラ・グスルは、連邦軍中央軍事研究所のカリス・ドット所長に通話を申し入れた。
「イツミ・スズ・ハス・ワタリの主治医のスラ・グスルと申します。アース軍病院としてお願いがあるのですが・・・。」
スラ・グスルは、研究所で採られた逸美のデータと解析結果が見たいと思ったのだが、担当者として紹介された兵器開発部のザクトリア部長からの返事は「軍事機密」という素っ気ないものだった。
「軍事機密だと!? 本人は病気で苦しんでるんだぞ? だいたい、なんでハス・ワタリ個人のデータが『軍事機密』なんだ!? 」
指を叩きつけるようにして通話終了ボタンを押してから、スラ・グスルは独り部屋の中で荒れ狂った。
ひとしきり拳を振りまわして歩き回ったあと、スラ・グスルは顎に指を当てて考え込んだ。
「機密だと言うんなら、機密にアクセスできる人間を動かせばいい——。」
彼はデスクの通信アプリを再び立ち上げ、1つのコールナンバーを押し始めた。
「はい、中央エスパースクール校長室。——あら、スラ・グスルさん? イツミの主治医の——。あの子がお世話になっております。」
1度お見舞いに来ただけなのに、ル・ハンナ校長はスラ・グスルの名前を覚えていてくれた。これで、話がしやすくなった。
「今日はちょっと、お顔の広いル・ハンナ先生にお願いしたいことがありまして。」
スラ・グスルはこの2日ほどに逸美に起こったことと、原因として考えられる1つの可能性、そして連邦中央軍事研究所の素っ気ない対応について、簡潔にまとめて話した。
「つまり、セラ・クレール長官を動かせばいいのね?」
ル・ハンナ校長は飲み込みが早い。
「それで・・・、イツミは、あの子はどんな具合なんです?」
まるで自分の孫の心配でもするような声で聞く。
「ESPを使っていなければ、特に症状は出ず、安定しているようです。・・・今のところは——。ただ・・・」
「ただ・・・?」
「3回目は大したESPを使っていないのに、症状がひどくなってるんです。」
兵器開発部のザクトリア部長は渋い顔をしていた。
「長官命令だ。・・・・ハス・ワタリに関する研究成果を、アースの軍病院に提供せよということだ。」
「全部・・・ですか?」
ケラ・ダハド主任研究員は、不満がありありと見える顔で聞いた。
「全部だ。」
「アレ・・・もですか?」
「アレについては、私は感知してない。」
それから、ザクトリア部長は身を乗り出すようにして声を落とした。
「ところで今、君と私は亜空間に入った。」
意味ありげにケラ・ダハド主任研究員に目を合わす。ケラ・ダハドもその意味を理解した、という表情をした。
「・・・で、そっちの方は進んでいるのかね?」
「残念ながら・・・。16細胞に分裂したあたりで、溶けてしまうんです。」
「溶ける?」
「何度試しても同じなんです。溶けた細胞を調べてみると、DNAの鎖がぶつ切れのバラバラになっているんです。・・・聞けば、今のハス・ワタリの症状も爪が溶けたりしてるというじゃないですか。」
主任研究員は、実験動物の観察結果でも報告するような淡々とした口調で話した。
「遺伝子に致命的な欠陥があるんじゃないですかね。その爪を調べさせてもらえればねぇ・・・。」
「データの開示と引き換えに、爪のサンプルを少しもらえるよう交渉してみよう。」
「素直に渡しますかね? 一介の医師の分際で、長官にまで直訴したようなヘンクツ野郎が——。」
「我々だって、ハス・ワタリの病状は心配している。」
「あの遺伝子の秘密を解明する前に、死なれでもしたら元も子もありませんからね。何のために遺伝子変換器を完成させたんだか、わからなくなります。」
「あまり声を大きくしない方がいい。亜空間と言えど、音が漏れることもあるかもしれん。」
再び低い声に落としたケラ・ダハド主任研究員は、際どいことを言った。
「一応、冷凍器の準備は進めておきます。」




