5 列車強盗
とんでもないことが起こってしまったぞ、とノエルは座り直しながら思った。
目の前を見ると、横柄な男はまだ帽子を顔に被ったまま居眠りだ。今の銃声が聞こえていなかったのだろうか、と呆れながら隣を見てみると、ユーベルも平静としている。
なんなのだ、この男達は。ノエルは心から呆れ果てて顔を顰めた。
いや、大の男が怯えてビクビク震えていたりするのもどうかと思うが、まったく気にした様子もなく平然としているのもなんだか嫌だ。
さあ、と背広の男が手を叩いた。
「今から進行方向に向かって右手側の列の方々――そうです、こちら側の方々です。まずはこちらの列へ、このご婦人に袋を持って回って頂きます。皆様方はご婦人の袋にお手持ちの貴重品をお入れください」
背広の男はあくまでも丁寧な口調と物腰で、紳士的に説明をしている。とても奇妙な感じだ。
「ご婦人方の指輪、腕輪、首飾りに耳飾りなどなど。紳士諸兄の懐中時計や指輪、袖の飾り釦もいいですね。それからお財布。そういったものをご提出ください」
そう言った背広の男は、老婦人に大きな布袋を持たせ、そっと背中を押し出す。
老婦人は恐怖と戸惑いの表情を浮かべながら、指示されたようにひとつひとつの座席を巡り始める。
ごめんなさい、ごめんなさい、と泣きそうな声で謝りながら震える手で差し出される袋に、乗客達も戸惑いながら自分の時計や首飾りを放り込み、激しく躊躇を見せつつ財布も入れてくれる。
あんなことに老婦人を使うなんて、とノエルは怒りが込み上げてきた。丁寧な言葉遣いで紳士的に振る舞っていても、やっていることは完全に卑劣なものだ。
「さあ皆様方、どうぞお急ぎください。次の停車駅まで三十分ほどしかありません。その前にやらねばならないことがまだあるのですから」
老婦人を歩かせながら、男は拳銃を構えてそんなことを告げる。
「身包みすべてを提出しろとは申し上げておりませんよ。お手持ちの貴重品を、すべて、こちらに頂戴したいだけです。お命が惜しければ、出し惜しみはなさいませんように」
男達は決して攻撃的な態度に出ない。慇懃な物腰で紳士的に要求を告げ、殺傷力のある武器を見せつけることで脅し、この場を支配している。
この異様な状況に乗客達が恐慌状態に陥らないでいるのは、彼等の暴力的でありながら物静かな行動のお陰だろうか。そこまで計算しての態度であるのならたいしたものだ。
老婦人は車両の半ば程に辿り着いている。
ノエルは怯える子供の振りをしながら、ユーベルの方へ寄りかかった。
「……ねえ、どうにかならないの?」
くっついたついでに小声で尋ねてみる。
ユーベルは慰める振りでノエルの肩を抱き寄せ、同じく小声で「何故です?」と返した。
「何故って……強盗なら、やっつけないと」
悪人は問答無用で退治するべきだ、とノエルは主張する。
「あのな。俺は別に、正義の味方ってわけじゃねぇから」
そういうことは義務ではない、と呆れを含んで零された口調が普段のものに戻っている。本心からの意見なのだろう。
ノエルはムッと唇を尖らせた。
「じゃあ、どうするの」
責めるように呟くと、ユーベルは小さく溜め息を零す。
「さっきの口振りからして、連中は次の停車駅で下車するつもりだ。金品の回収を済ませたら乗客にはもう用はないだろうし、かと言って、全員を殺すには残された時間が短すぎる。金目のものさえ大人しく渡せば危険はないだろうさ」
だからやり過ごせ、と小声で諭してくる。
ユーベルの言っていることは確かにそうなのだろう。この奇妙な強盗達は、貴重品の回収さえ出来ればいい様子だ。人を殺してまでも奪っていくつもりはないように見える。
でも――それでも、やはりこれはよくない。
「じゃあ、いいよ」
唇を尖らせて小さくそう呟き、くっついていたユーベルから身体を離す。
その様子に明らかに不穏なものを感じ、ユーベルは慌てて引き戻した。
「なにをするつもりだ?」
「あんたがやってくれないから、私が解決するだけじゃない」
後ろ手に背中を叩き、ふんと鼻を鳴らす。
買ったばかりの猟銃を使おうというのか。たった一発の弾さえも装填されていない、ノエル曰く『ただの鉄屑』を。
やはりこんなものを買い与えたのは失敗だった。ノエルは変に気が大きくなっている。
こちらにも武器があると明示するのは脅しには有効な手段だろうが、反撃の手段としては最悪だ。
なにも持たない一市民であれば見逃してくれただろうが、武器を携行していたと知られれば、脅威認定されて攻撃の対象にされてしまう。しかも、実際には反撃の効力を一切持たない鉄塊なのだから目も当てられない。ただ殺される為に名乗り出るだけの行為だ。
引き留めている為に焦れているらしいノエルの顔を見下ろし、ユーベルは静かに溜め息をついた。
「……俺の負けだ」
その言葉にノエルはパッと表情を明るくさせる。
「やってくれるの?」
「お前が飛び出すよりはマシだからな。……席代われ」
よしきた、とノエルはユーベルの膝を乗り越え、窓側の席に移動する。邪魔だから、と渡された眼鏡もちゃんと受け取った。
こんなにごそごそもぞもぞと動いていたら、すぐ傍に立って車内を警戒している背広の男に注意されそうなものだが、ノエルが子供である為か、落ち着かなくて身動いでいるだけと思われているようだ。たまに視線がこちらに来るが、なにかを言われることはない。
だが、大人のユーベルの場合は違う。
「どうかなさいましたか、神父様?」
ゆらりと立ち上がった長身の僧衣の青年の姿に、乗客を見回していた背広の男がすぐに反応する。持っていた拳銃の銃口は、ユーベルの胸のあたりに照準された。乗客達の視線もちらちらとこちらを振り返る。
「申し訳ないが、ご不浄に行っても? 少々我慢が出来なくて」
いつもの外面笑顔で申し訳なさそうに尋ねると、男は僅かに呆気に取られたように双眸を見開いたが、すぐに表情を改めて「それは認められませんね」と残念そうに答えた。
「もう少しの辛抱ですから、ご着席を」
「そうですか」
こちらも残念そうに頷いたユーベルだったが、さっと素早く拳銃を持つ男の手を掴むと、それを捻り上げながらくるりと引っ繰り返した。
男は虚を突かれて「えっ」と小さく声を零したが、その瞬間には世界が綺麗に回転していて、次には背中を叩きつけられる衝撃に見舞われる。
突然襲ってきた痛みに驚き、いったい自分の身になにが起こったのか理解出来ないまま、握っていた拳銃が取り上げられたことで我に返ったが、既に遅い。取り上げられた拳銃は横に放られ、それをノエルが危なげなく受け取った。
その一部始終を見ていた反対側に立つ仲間の男は驚き、緊張を含んだ声で「おい!」と言いながらこちらに銃口を向けてくる。同時に乗客達の間でざわめきが起こった。
ユーベルは掴んでいた男の意識を手際よく失わせたあと、軽々と身を翻し、通路を素早く駆け出した。
「貸しな、お嬢」
すぐ傍でそんな声がして、ノエルの手から拳銃が奪われるのと、反対側の男から「止まれ!」と強い命令が響くのはほぼ同時のことだった。
通路を駆け抜けたユーベルが、金品の回収を命じられていた老婦人に飛びかかり、庇いながら押し倒すように床に転がったのと、二発の銃声が車内に響いたのは、その直後のことだ。
乗客の悲鳴に被さり、拳銃を持つ手を正確に撃ち抜かれた男が悲鳴を上げる。
床に倒れ込んだユーベルはその勢いのまま宙返りをする要領で回って起き上がり、老婦人をその場に残し、悲鳴を上げている男の許へ素早く駆け寄り、それに気づいて驚愕の表情に染まる男の襟首を掴むと、床に叩きつけて昏倒させた。
すべては十秒ほどの間に起きた出来事だった。
乗客達はいったいなにがあったのか理解するのに少し時間が必要だったが、自分達を脅かしていた二人の強盗が昏倒させられたのだと気づき、小さくざわめいたあと、わっと歓声を上げて無事を喜んだ。
床に倒れ込んだ老婦人のことは、近くの座席の人達が助け起こしてくれ、彼女が持っていた袋の中身は所持者の許へ素早く返還されていった。
「ありがとうございます、神父様!」
「助かりました、神父様! 本当にありがとうございます」
「あなたも!」
乗客達は口々にユーベルへ感謝の言葉を口にして、もう一人の功労者にも、同じく感謝の言葉を惜しみなく伝えた。
もう一人の功労者――その姿を、ノエルは信じられないものを見るように見つめた。
ノエルから拳銃を取り上げ、ユーベルへの援護射撃を行った人物は、あの横柄な相席の男だったのだ。
あの緊張感の中でも図太く居眠りしていたわけではなかったのか、と思いながら、無精髭の生えた男の横顔と、その手に握られたままの拳銃へと視線を動かす。
この人の方がよっぽど強盗のような風貌だ、と失礼な感想が浮かんだ。
そんな視線に気づいたのか、男はノエルに向かってにやりと口許を歪める。
「なかなか胆が据わっていたな、お嬢」
そう言って、大きな掌がノエルの頭をガシッと掴む。どうやら撫でてくれているようなのだが、前後左右に大きく乱暴に揺さ振られているだけのようにしか感じられない。
その大きく力強い手を振り解くことも出来ず、されるがままに「あわぁ、あっ、わっわ」と小さな悲鳴を零していたが、それが急にぴたりと止まる。ようやく止まったのに、頭の中はまだぐるんぐるんと揺れているような心地だ。
どうしたんだろう、とぐるぐるする視界で見上げると、感謝を告げる乗客達の垣根を越えてユーベルが戻って来たところだった。
目線をかち合わせた二人は、数秒の間睨み合う。
歓喜に染まる車内で再び不穏な緊張感を漂わせた二人だったが、どちらからともなく唇を笑みの形に歪めた。
「ユーベル!」
「チェレスティーノ!」
お互いに呼び合うと、同時に両腕を広げて駆け寄り、硬く抱き合った。ドスンと肉がぶつかり合う重々しい音が響く。
大男二人による熱い抱擁のむさ苦しさに、ノエルは呆気に取られてよろめき、そのまま座席に尻餅をついた。
「久しぶりだなぁ!」
横柄な男――チェレスティーノという名らしい彼は、先程までの態度の悪さは何処へやら、明るく快活な笑顔を浮かべている。
「そうですね。先月の収穫祭以来ですか」
応じるユーベルも、ノエル達の前では見せたことのない少年のような笑みを見せている。
二人のやり取りからノエルは唖然とした。
「知り合い……だったの?」
信じられない思いで尋ねた言葉に、二人は同時に頷き返した。
だったら乗車時の、膝をぶつけ合って睨み合っていたあの険悪な態度はいったいなんだったのだ。あれのお陰で相席の老婦人はますます怯えて縮こまっていたというのに。
ノエルはじろりとユーベルを睨んだ。
「悪かったなぁ、お嬢」
その視線に応えたのはチェレスティーノの方だった。
「ほら、俺ぁこんな服装だろ? お固そうな神父様と親しげにしてたら不審だろう」
それは客観的に見て尤もな意見だと思うが、あんなに険悪な雰囲気を演出する必要はなかったではないか、という疑問は残る。
「さて。どうしましょうかね?」
ノエルがムッとして黙り込んでいると、ユーベルが呟いた。
「だなぁ」
なんのことだろう、と思って首を傾げると、チェレスティーノには伝わっていたらしく、彼も苦笑いのような表情で無精髭を撫でる。
我慢出来なくなって「なにかあるの?」と尋ねると、二人は揃って振り返った。
「強盗がここの二人だけだといいですね、って話です」
「えっ!?」
「強盗なんてするような連中は、もっと大人数でつるむもんなんだよ。こんな一車両分の稼ぎだけじゃ、危険を冒す意味はないからな」
街道馬車を襲撃する強盗団もそうだが、大抵は十人以上で組んで襲って来る。乗客の持っている貴金属を奪うにしても、積荷を運び出すにしても、二人なんて人数ではとてもではないが手が足りない。
だから、この二人の他にも、強盗が乗り込んでいるのではないか、とユーベル達は予想しているのだ。
その言葉を聞いた乗客達も不安になってざわめいた。
ユーベル達のお陰で運よく解放されたというのに、もしも本当に、他にも仲間がいて、自分達の担当分が片付いたからとこちらの車両にまで乗り込んで来たら、いったいどうすればいいのだろうか。仲間が倒されたことに逆上して、さっきまでよりももっと危険な目に遭うことになりはしまいか。
一瞬前までの歓喜の様相を引っ込め、乗客達は不安そうにざわざわとし始める。
「そこでノエルさんです」
驚いて固まっていると、肩を叩かれる。そこでもう一度驚いた。
「ノエルさんの『目』なら見えるでしょう?」
「えぇっ!?」
そんなことやったこともない。幽霊を見るのが専門だと思っていた。
「なんだ、お嬢。お前さん『神眼』持ちか」
チェレスティーノが意外そうな声で笑い、俺と一緒だな、と言った。
「彼の場合はノエルさんのとは違います。お気になさらず」
ますます驚いていると、ユーベルが少し面倒臭そうに呟いた。それを受けてチェレスティーノはからからと笑う。
「俺のは透視能力だ。確かにちっと性質が違うな」
「いいから。黙って後方車両の方をやってくださいよ」
「へいへい」
ユーベルの指示を受けたチェレスティーノは、進行方向の車両へと目を向ける。そうして、ジッと静かに凝視し始めた。
乗客達は恐々と通路を空け、各々の席へと戻った。
ノエルは不安になってユーベルを見上げる。
「透視? なんて、出来るわけない」
「ノエルさんの『目』なら出来る筈ですよ」
「やったことないし」
「誰にでも初めてのときはあります。ノエルさんには今がそのときです」
いつも強引な男は、今回は更に強引だ。
見えていない景色を見るだなんて出来るわけがないのに、絶対に出来ると言っている。
「ここから二等客車の残りが一両と、三等車も兼ねた貨物車が三両ある筈です。そこに、さっきの男達みたいなのがいないか、見てみてください」
出来る、と自信に満ちた顔で念押しされて、後ろの方へ向かされる。けれど、こんなことをやったこともないノエルは不安だった。
「そっちのおじさんにやってもらえばいいじゃない」
「二人でやった方が早いだろ。それに俺はまだ二十五で、おじさんって年じゃねぇからな!」
小さな声で言ったのに聞こえていたらしく、チェレスティーノに言い返される。汚い服装と無精髭の所為で二十代半ばには見えなかった。
ノエルは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。やったことはないが、今はそれが必要で、ノエルには出来ると言うのなら、取り敢えずやってみる価値はある、と自分に言い聞かせた。そんなこと出来るわけがない、という弱気な心は端っこの方へ押し遣る。
落ち着いて、とユーベルが囁いた。頷きながらもう一度息を吸って吐く。
どうすればいいのか――しっかりとしたやり方など知らないが、この扉の向こう側の空間を覗くような気持ちで見ればいいのだろう。集中して、向こう側を見ようと凝視する。
「……なんも見えない」
「諦めが早すぎますよ。意識だけ、隣の車両に歩いて行くような感じにしてみては?」
なんだそれは。意味がわからない。
でも取り敢えず、その指示に従ってみることにする。心の中で扉を開ける様子を思い描いて、これから隣の車両に移動する、と想像してみたのだ。
すると驚いたことに、ノエルの見ている景色は、まるで目の前に実際に見ているもののようにはっきりと見えた。
こちらの客車と同じように対面式の座席に乗客が座っていて、前後の扉に銃を構えた背広姿の男が一人ずつ。その男達に、人々は怯えた目を向けていた。声までは聞こえはしないが、泣いている子供の姿も見える。
「見えた!」
驚いてユーベルを振り返る。彼は頷いていた。
「だから出来るって言ったでしょう。なにが見えますか?」
言われ、確認の為にもう一度意識を集中させる。さっきと同じ光景が見えた。
「えっと……強盗は二人。若い女の人が、おばさんと同じように袋を持って歩かされてる。さっきと同じなら、折り返してちょっと戻ったところみたい」
自分の見ているものが信じられない思いでいながら、ノエルは見たものをユーベルに伝える。
「貨物車の方は?」
「待って……そっちは、えっと……六人、だと思う。一番奥のところに固まってる。袋に荷物詰めてる。その前の車両に、倒れている人が……二人いる。荷運びの人みたい。他のお客さんはいないと思う」
「わかりました」
頷いて微笑むと、ユーベルはノエルの頭を撫でた。
ノエルはホッとするのと同時に軽い眩暈を覚えて瞬きをする。倒れ込むほどではなかったが、なんだかくらっとした。
「そっちはどうでしたか、チェレスティーノ?」
「あー、手前の車両から二、三、三かな。一等車にはいねぇようだ」
一等客車は一車両を半分に区切ってそれぞれが個室になっていて、扉は直接外へと繋がっているものだけだ。前以て乗り込む手段も、走行中に乗り移る手段もなかったのだろう。
走行中の列車を停車させて数十人規模で乗り込んで来る方法より収穫は少なくなるが、乗客として最初から乗り込んでいる方が確実に回収出来るし、騒ぎを大きくしないで済むということか。
利用料が高額であることからもわかるように、乗客は二等客車を利用している者でもそれなりに裕福だ。一等客車の貴族などの富豪達を狙わずとも、他の乗客達の分と貨物車の運搬物だけでもそれなりの収穫になるのだろう。
どうする、とチェレスティーノが話を振ってきた。
「俺の提案としては、客車の続く後方にはお前が行け。坊さんの方が一瞬警戒を緩めるだろ」
強盗達も、まさか聖職者が自分達を伸す為の暴力を振るうなど思いもよらないだろうから、確かに僧衣姿は油断を誘えるかも知れない。
「で、あなたはすぐ前の二人を仕留めたら、貨物車で六人と乱戦ですか」
「おうよ」
にやりと笑うチェレスティーノの様子に、ユーベルは溜め息混じりに頷いた。
「じゃあ、それで行きましょう」
「後ろ三両任せたぜ」
頷き合い、車両の中を振り返る。
そこで二人は少しだけ驚いた。先程昏倒させておいた強盗二人が、いつの間にか縛り上げられているのだ。
拘束に使っている縄などどうしたのだろうかと思えば、転がされた男達の足許にたくさん散乱していたので、元々は彼等の持ち物だったらしい。恐らく金品の回収が済んだあと、乗客達の手脚を縛る為に用意しておいたものなのだろう。
その様子に安心を得たユーベルは、乗客達に呼びかける。
「どなたか、少し腕力に自信のある男性の方で、ご協力願えませんか? 万が一こちらの車両に犯人達の誰かが逃げ込んで来たときに、出入り口のところで抑えて欲しいんです」
尋ねると、乗客達は一瞬困惑気にお互いの顔を見合わせたが、すぐに三人の中年男性が手を挙げてくれた。
その三人に、鞄かなにか鈍器代わりになるようなものを持って連結扉のところで待機していてもらうように頼み、二人は強盗達から取り上げた銃を手にする。
「お前さんの太刀はどうするよ?」
銃の残弾を確認しながら、チェレスティーノは顎先で自分が座っていた席を示す。そこには細長い包みが立てかけられていた。
そうか、とノエルは気づく。このチェレスティーノが、あとからユーベルの武器を持って合流する予定だった『助っ人』なのだ。
「この狭い車内だと、さすがに扱いが難しいですからね。鈍器代わりにお貸ししましょう」
そう言って、見張り役に立候補してくれた男性の一人に渡す。男性は緊張した面持ちでしっかりと握り締めた。
「――…ん? おい、お嬢。いいもん持ってるじゃないか。貸せよ」
「ぎゃあっ!?」
布地越しに透視したのか、チェレスティーノはノエルの赤い頭巾の裾を捲り上げる。
あっと思う間もなく、買ってもらったばかりの新品の銃を取り上げられ、ノエルは目をまんまるにした。
どうするつもりかと思えば、それを立候補者の一人に投げて渡すではないか。
「駄目!」
思わず叫んで駆け寄り、素早くそれを取り返す。
「お嬢、今そいつが必要なのは、こっちのおじさんだ。貸してやんな」
「駄目だよ! それにこれ、弾入ってないもん!」
「それでも、お嬢が持っているよりは使い道があるだろ? おじさんに貸してやんな」
呆れたようにチェレスティーノに諭されるが、ノエルはがっちりと掴んで離さない。
そんなのは言われなくてもわかっている。弾が入ってなくて撃てなくても、鈍器代わりになることも承知だ。けれど、まだ一度も使っていないものを、先に他人に使われるのはなんだかとても嫌だった。
孤児院で大勢の子供達と慎ましく暮らしているノエルは、自分だけの、自分の為の新品のものというのをあまり持ったことがない。だからなのか、いつもは聞き分けがいいのに、今回はちょっと執着を見せているのだ。
必死な表情の中に葛藤を見て取ったユーベルは、わかりました、と小さく頷いた。
「じゃあ、ノエルさんもそれを構えて見張り番をしていてください」
その指示にチェレスティーノは嫌そうに顔を顰める。
「三人より、四人の方がいいですしね。ちゃんと出来ますね?」
「うん、出来る! やる!」
ノエルは元気よく頷いた。
その様子に乗客達は僅かに不安そうな顔をしたし、チェレスティーノはますます嫌そうな顔をしたが、最終的には面倒臭くなったのか、乱暴に頭を掻きながら「お手並み拝見」と呟き、連結部の扉を開けた。
ユーベルの姿も後方の連結扉の向こうへ消えて行き、ノエルは棍棒を掴む要領で銃をしっかりと握り締め、見張り役を買って出てくれた男性の一人と共にその両側へ立った。
耳を澄ませてみるが、列車の走行音に邪魔されていて、向こうの車両の音はよく聞こえない。けれど、微かに銃声のようなものが聞こえたので、ドキリとする。
思わず心配になったノエルは、さっきと同じように覗き見ることは出来るだろうか、と意識を集中してみる。しかし、変に緊張している所為か、上手く見えなかった。
「……あの神父様は、何者なんだい?」
ちょっと焦っていると、男性が恐々とした口調で尋ねてくる。
えっ、とノエルは一瞬返答に詰まる。何者かと尋ねられて、どう答えるべきなのかわからなかった。
「若いのに、随分と……その、身のこなしが、なんというか……」
言葉を選び選び、疑問に思っていることを尋ねようとされて、ああ、とノエルは頷いた。
「喧嘩慣れしているってわけじゃないです、たぶん。一応、祓魔師なんです」
「祓魔師?」
「はい。怪異現象と闘うのには、身体能力が必要だって言ってました。その所為だと思います」
世界各地で確認されている怪異現象――常人の目には見えないなにかに因る干渉だったり、奇怪な生物に因る襲撃事件だったり、それは場合によって様々なものだが、そういったものを解決するのが祓魔師の仕事だ。
いつだったか、マリーは言っていた。祓魔師というのは非暴力を訴える聖教会に属するが、性質は軍人に近いものだ、と。
ちょっとした浮遊霊程度でも、普通の聖職者には見ることは出来ても祓う力はない。祓うには祓魔師の使う特殊な力と、補助を施された武具が必要になるのだ。
その特殊な武具を持ち、各地へ赴いて怪異現象と闘うその姿は、確かに傭兵や軍人のようかも知れない。
そういった武器を振るう為か、ユーベルもチェレスティーノも体格はがっしりとしている。ノエルに「身体を鍛えろ」とも言った。祓魔師として行動する為には、瞬発力や俊敏性、持久力や膂力なども必要なのだろう。
その過程で得た身のこなしを使えば、人間相手でも簡単に制圧出来るといったところか。
ノエルの説明に、なるほど、と男性は頷いた。
「化け物相手に闘い慣れてりゃ、人間相手でもどうってことないわけか」
「若いのにたいしたもんだ」
傍で聞いていた他の乗客の男性も同意して頷く。
「そんで、お嬢ちゃんも、そのぉ……祓魔師ってやつなのか? 格好いい銃を持ってるじゃないか」
しっかりと握り締められた銃を指差し、男性は笑った。
「ううん、私は違うの。でも、将来はそうなりたいと思ってます」
祓魔師になることにマリーは否定的だが、ユーベルは賛成してくれている。ノエルの力を活かすならば、やはり祓魔師が最適なのだということだ。
逆に、修道女になることに対しては、マリーは賛成してくれているが、ユーベルは難色を示している。聖職者であって祓魔師であれば、人々の信用も得やすいと思っているのだが、それがユーベルは気に入らないらしい。
ふう、と溜め息をつきつつ、もう一度、向こうの客車を覗いてみようと意識を集中する。
そこには既にユーベルの姿はなく、危難を脱した乗客達が喜びながら、伸された強盗達を手分けして縛り上げている様子が見えた。ホッとして視線を外す。
一呼吸ついて、更にその向こう側の客車へと意識を飛ばしてみる。今度は水面から深い水底を覗き込んでいるようなぼんやりとした映像で、あまりよく見えなかった。
難しい、とノエルは眉間に皺を寄せる。
自分にこんなことが出来るとは思ってもみなかったが、やってみたらやってみたで、幽霊を見るときとはまた違う集中の仕方をしなければならない。それがとても難しいし、思っていたよりも疲れる。
しばらく集中していてみたが、視界が悪いのは一向によくならないし、その視界の所為で酔うような感じがしてくる。これは駄目だな、と思い、力を抜いた。
また少し眩暈を感じてくらっとするが、瞬きをして深呼吸することでやり過ごす。
呼吸を整えてからもう一度集中してみようと思ったが、その所為で具合が悪くなってしまったら、見張りを引き受けた意味がない。今はユーベルの姿を追うよりも、ここできちんと引き受けた役目を全うするのが優先だ。
「大丈夫?」
もう一度溜め息をついたとき、傍の座席の女性から声をかけられた。
「顔色がよくないわよ」
慣れないことに意識を集中させていた所為だろう。ノエルは慌てて首を振り、問題ない、と笑顔を浮かべた。
「強盗だなんて、恐いものねぇ」
ノエルの顔色の悪さを緊張と恐怖の所為だと思ったらしい女性は、身震いしながらそう言ってきた。そうよね、とその向かいの席に座っていた女性も頷いている。それを聞いていた子供がぐずり出したが、騒いではいけないと思っているのか、真っ赤な顔でぎゅっと身を縮めて我慢している。
みんな恐いんだ、とノエルは思った。銃を渡したくないという子供っぽい感情からこんなことを買って出てしまったが、ノエルだって恐い。相手は大人の男の人達だし、武器も持っている。
それでも、次の停車駅までのあと二十分ほどをなんとか乗り越えなければ、と思った。
そうして改めて連結扉の方に意識を集中させていると、何処からかドカン、ガコンとなにか重たい音が響いてくる。
隣に立って同じく見張りをしていた男性に目を遣ると、彼も音に気づいたらしく、さっとこちらに視線を寄越した。反対側の扉を見張っている人達の方を振り返っても、彼等も同じようにあたりを見回している。
「……上じゃない?」
音がする方向に気づいた女性が、天井を指しながら言った。
乗客達全員の視線が、揃って天井を向く。
ドカン、ガコン、と音は続いている。しかもだんだん近づいて来ているような気がする。
まさか、と誰もが青褪めた。
「屋根伝いに、こっちに来て……?」
全員の頭の中を過った不安を、老婦人の震える声が明らかにさせた。
その瞬間、ズドン、と大きな音が真上でした。乗客達から悲鳴が上がり、車内は一瞬にして恐怖に染まった。
屋根から車内に侵入して来るとしたら、何処からだろうか――それはやはり、連結扉からだろう。
ノエルは隣にいる男性と頷き合い、反対側の扉を守っている人達にも振り返った。彼等も心得ていたようで、大きく頷くことで応えてくれる。
「座席の陰に隠れて」
男性の一人が、座っている乗客達にそう指示した。みんななにも言わずにさっと身を低くし、母親達は我が子を庇うように身体を丸めた。子供達も怯えてはいたが、黙って母親や父親にしがみついている。
直後、ガシャンと大きな音が鳴り響く。
ノエルが緊張から身体を強張らせるのと、乗客達が更に縮こまるのと、連結扉の小窓を覗き込んでいた男性が逆に力を抜くのがほぼ同時だった。
男性はホッとした様子で構えていた鞄を下ろし、扉を開けた。
「おう。どうも」
そんな軽い挨拶と共に入って来たのは、チェレスティーノだった。ノエルもホッとして力を抜く。
チェレスティーノは引き摺って来た男を車内に放り込み、強盗達の持ち物だった残りの縄で手早く縛り始める。
「いやぁ。一匹屋根に逃げられちまってな」
屋根の上で追い駆けっこの取っ組み合いをした末に倒し、引き摺って降りて来たらしい。走行中の列車の屋根でそんなことをしていたなんて、随分と危険なことをするものだ。
他の人はどうしたのだろう、と思うが、恐らくきっちり倒して来たのだろう。確か六対一という完全に不利な状況になった筈なのだが、ほとんど問題はなかったらしい。
さっきの二人と一緒にして車内の端に寄せていると、後ろの方からわあわあと歓声のようなものが聞こえてくる。
ややしてユーベルが姿を現した。背後に歓喜で叫んでいる隣の車両の乗客達の姿があるところを見るに、こちらも上手くいったらしい。
「怪我は?」
ノエルはユーベルの許へ駆け寄り、一応確認する。
「すると思います?」
返ってきたのはそんな余裕に満ちた声で、それがなんだか少し腹立たしい。ちょっとでも心配して損した気分だ。
「あっ、駅だ!」
また蹴っ飛ばしてやろうかと不穏な考えが浮かんだとき、乗客の弾んだ声が車内に響いた。
乗客達がわっと窓辺に寄り、硝子に張りついて前方を窺う。
そこには確かに次の停車駅の遠景が見て取れて、これで強盗達を引き渡せば終われる、と全員がホッと胸を撫で下ろした。