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4 鉄道の支配者



 武器商を出たあとから、ノエルはとてもご機嫌だった。買ってもらったばかりの銃が余程お気に召したらしい。嬉しそうに抱えている。

 必要と判断した上でのことであったとはいえ、これはまた物騒な玩具を与えてしまったかな、とユーベルは僅かに不安を感じてしまう。


「でもさ、弾は買わなくてよかったの?」


 銃本体だけを買って店を出たので、ノエルは不思議そうに尋ねた。

 問題ない、とユーベルは頷く。


「さっきも言ったように、これは力を集中させる為の媒介のようなものなので、実弾は必要ないんですよ」


 弾を込めれば仕える本物の銃なので、もちろん殺傷能力がある。幼いノエルが使い方を誤って万が一にでも暴発させたりしたら大変なことだし、そうさせない為にも空砲で使用することが前提だ。だから銃本体の性能も仕様もどうでもよかったのだが、ノエルはこんな大振りな銃が気に入ってしまったらしい。


「でも、弾がなければただの鉄屑でしょ」


 いずれ我が身に降りかからないとも限らない災難を危惧し、実弾の装填の仕方は教えないでおこうと考えていると、幼い声がそんなことを言う。


「誰が言ってたんですか、そんなこと」


 少女らしからぬ言い回しに、ユーベルは思わず吹き出す。

 ノエルは「ロジャーが読んでた小説」と答えた。少年達が好む冒険小説かなにかに、そんな言い回しがあったらしい。


「ノエルさんに必要なのは、怪異現象を鎮める力で、物理的な攻撃手段ではないんですよ。今回は安全の為に銃を選びましたけど、ノエルさんのご希望のように足技で行きたいのなら、また別の方法を考えなければなりませんが」


 苦笑交じりに返された答えに、なるほど、と今度はノエルが頷く。


「ちゃんとした使い方は列車の中ででも教えましょう。それより今は食事です」


 早くしないと食べている時間がなくなってしまう、と懐中時計を見て急かす。もう既に十時を過ぎているらしい。

 確かにノエルも少しお腹が空いている。大きく頷き、少し行ったところにあった定食屋に入ることにした。


 やはり少し中途半端な時間帯だったので、店内で食べる食事は軽めにして、持ち帰り用に別のものを用意してもらうことにする。

 愛想のいい給仕の女性は注文の食事を運んで来たあと、去り際にユーベルへ向かって婀娜(あだ)っぽく微笑みかけていった。その様子にユーベルも笑みで応えている。

 骨つき肉を齧りながら、ユーベルは女性に人気があるのだろうか、と不思議に思う。本性を知っているノエルからしてみれば、こんな男のいったい何処がいいというのだろう、という疑問でいっぱいなのだが、年頃の女性を惹きつける魅力のようなものがきっとあるのだろう。


 考えてみれば、フローリン村で一緒に暮らしていたときも愛想よくしていたわけでもないのに、若い女性達からはやたらと人気があったし、孤児院でもラビサとエレナはかなり懐いている。なにかとユーベルにくっついているのだ。

 銀髪銀眼で鼻梁はすっとしている。背が高くて手脚も長い。伐採場の親方は細腕と揶揄っていたが、体格は意外とがっしりめだ。僧衣(カソック)の下で胸や肩のあたりが少しきつそうに見える。

 なるほど。老いも若きも女性というものは、こういう系統の顔立ちもしくは体型の男に好意を抱くのか、とノエルは一人心中で頷いた。自分の好みではないのでよくわからないが。


「……なんですか?」


 グラスの水を飲みながら、ノエルの視線に気づいたユーベルが怪訝そうにする。なんだか少し居心地の悪い視線だ。

 素っ気なく「別に」とだけ答えて、肉汁で汚れた口許を拭った。そうして自分が食べ終わったものだから、ゆっくりと食べているユーベルのことを急かす。

 時間はまだ十分にあるのだが、切符を買いに駅に行ったときに、構内といわずに外までもかなり混雑していた。絶対に乗り遅れたりしないように、余裕を持って行動したい。


 ユーベルが残りを食べ終えるまでの間に、ノエルは武器商の店主からもらった真新しい銃帯(ガンベルト)を取り出し、身に着けてみる。一番小さい寸法のものを用意してくれたのだが、僅かに大きかった。

 そんなに背が低いわけでもないのだけどな、と少しがっかりしながら、留め具の位置を調節してみたり、背負う向きを逆にしてみたりする。


「ノエルさんは背が足りないというより、厚みが足りなんですよ」


 皿に残るソースまで綺麗にパンで掬って食べ終えたユーベルが、落ち着かなさ気にしているノエルに教えてやる。

 孤児院の運営が困窮しているわけでもないので、食事はきちんと出されているが、育ち盛りにはまだ少し栄養が足りていないのだろう。全体的にひょろひょろとしている細身のノエルに、仕方がないことだ、と苦笑を向けた。


「ロジャーくらい厚みがあれば、丁度よかったかも知れませんね」

「うゎ……それは、ちょっと……嫌だな」


 行動も食事も同じ生活をしている筈なのに、ひと回りぐらい大きな同い年の男の子のむちっとした姿を思い浮かべ、ちょっとだけ顔を引き攣らせる。


「まあ、女の子は十代半ばから後半にかけて肉づきがよくなってくるので、少し待てばそんなに不便はないと思いますけどね。手っ取り早く、身体を鍛えてみますか?」


 あれくらいに肉を着ることになるのは嫌だと悩んでいると、脂肪ではなく筋肉をつけることを提案された。

 身体を鍛えておけば持久力などの総合的な体力も上がるし、肺活量が増えたりと内臓機能も向上し、全体的な身体能力の底上げに繋がる。祓魔師を目指すなら鍛えておいて損はない。

 ユーベルの僧衣が窮屈そうに見えるのは、祓魔師として筋力をつけているからなのだろう。それはいい考えだ、とノエルは大きく頷いた。

 修道女としての誓いを立てるのは、教会法で十五歳以上になってからとされている。祓魔師として認定されるのも、十五歳以上が望ましいとされていた。

 今十二歳のノエルには、あと三年の時間がある。それまでの間に筋肉の鎧を手に入れることを目標に設定した。


「――…さて。それではノエルさんに贈り物です」


 ノエルが自らのガチムチ筋肉改造計画を夢想し始めていると、身支度を整えたユーベルがそんなことを言う。

 振り返ると、ふんわりと布を被せられた。

 肌触りのいい布地で、色は明るさのある赤だ。


「なにこれ?」


 首を傾げている間に留め紐を結ばれ、ノエルは膝下までその緋色の頭巾に覆われた。


「聖都近郊で、若い世代の女性に大人気らしいですよ」


 どうやら聖都土産らしい。わざわざ買って来てくれたのだろうか。


「派手だねぇ」


 これを今まで持ち歩いていたのだろうか。余計な荷物になっただろうに、とちょっと呆れながら、ノエルの口からはそんな感想が零れる。

 冬の外套にするのなら、一般的には茶色とかのもっと落ち着いた色合いか、貧しい人達なら染料を使わない生成り地のものだ。こんな目立つ色は貴族のお嬢様でも使わないだろう。街道を歩いていれば即座に強盗の標的にされる。


「先日、女枢機卿が誕生しましたからね」


 とても似合っていますよ、と笑いながら、ユーベルは理由としてそんなことを呟いた。

 ああ、とノエルも頷く。


 枢機卿とは、エテルノ聖教会の頂点に立つ教皇を補佐し、実質的な運営行使権を持つ上級聖職のことで、聖教会を信奉する国々に対して絶大な権力を有する。

 発足時から男性優位で動いてきた聖教会の中で、女性でも上級司祭職などに就けるようになったのはつい最近のことだ。存在自体が男性に劣るとされる女性が枢機卿になるなどととんでもないことであり、神の意に反する決して許されざることだとされてきたが、女性の社会進出を推奨する世間の風潮の変化に迎合したのか、この度めでたくも初の女性枢機卿が誕生したのだった。

 緋色の礼装は枢機卿の身分を示すものであり、それを真似して作られた緋色の女性用外套が、最近の聖都で人気を集めているのだという。聖都近郊に住んでいたり、観光で訪れた若い世代の女性達は、嬉々としてこの外套を纏っているとか。


 そういう由来のものならあんまり嬉しくないな、とひっそり心中で思いながらも、新しい外套はありがたかったので、一応素直に礼を言った。


「可愛いですよ、赤ずきんちゃん」


 彼が昨夜読んでいた絵本の題名だ。

 うへぇ、とノエルは顔を顰めた。


「赤ずきんちゃんは猟銃なんか持ってないでしょ」


 獣に食べられて猟師に救出される方だ。けれどノエルは、これからその獣退治に乗り出そうという立場ではないか。

 背負った銃は赤い外套のお陰で丁度よく隠れている。それを示して言うと、ユーベルは大きく頷きながら笑った。


 そんなことをしているうちに列車の発車予定時刻が迫っている。二人は大急ぎで駅に向かい、やはり混雑している構内を素早く移動した。

 数年前に巡礼列車に乗ったことはあったので、鉄道を利用するのが初めてではない。けれど乗り込んでみて、車内の雰囲気が随分と違うことに気づき、ノエルは物珍しげに周囲を見回した。


「なんか、随分と違うんだね」


 席を捜して歩きながら、ユーベルに尋ねてみる。


「こっちの乗客は、日にちのかかる長距離移動が目的ではないですからね」


 客車といえば、巡礼列車は四台から六台の寝台が一部屋となった間取りが並んでいたが、こちらは二人か三人が腰掛けられる長椅子が対面式でずらりと並んでいる。座席の方が寝台よりも幅を取らないので、一度に乗車出来る人数はこちらの方がずっと多いだろう。

 因みにこちらには食堂車もなく、食事時を車内で過ごすことになる乗客は、自前で軽食を用意して乗り込むのが基本なのだという。先程の定食屋で買った包みを持っているユーベルの手許を覗き込み、なるほど、と頷いた。


「二十一番席……ここですね」


 車両の後方に位置する座席で指定の番号を見つけたユーベルは、ようやくで立ち止まる。

 座席番号は向かい合わせの二脚一組として割り振られているらしい。座席同士の真ん中あたりの窓枠に、金属の板に番号が刻印されて貼りつけられている。


「あらまあ。可愛らしい。童話の女の子みたいねぇ」


 荷物棚に鞄を上げてもらおうとしていると、向かい側の席にいた先客の老婦人が、ノエルの服装を見てそんなことを言った。

 ノエルはちょっと驚いて振り返ったが、小さく会釈して、ユーベルに鞄を渡した。


「ご兄妹?」


 老婦人は話し好きな人だったのか、着席した二人にそんなことを尋ねてくる。


「まあ、似たようなものです」


 ユーベルはいつもの外面笑顔で愛想よく答え、ノエルの頭を撫でた。もちろんその手を叩き返したくなったノエルだったが、なんとかぐっと堪え、老婦人に向かってこっくりと頷いてみせた。


「お兄様は、巡廻神父様でいらっしゃるのかしら?」


 僧衣姿が気になったのか、老婦人は更に問いかけを重ねてくる。

 巡廻神父とは、聖教会の教えを布教する為に世界各地へ旅をする宣教師のことだ。彼方此方を渡り歩き巡るので、わかりやすくそのような呼ばれ方をしている。


「そうではありませんが、定められた奉職教会がないということでは、似たようなものかも知れませんね」


 愛想よく、しかし具体的なことははっきりと明かさず、ユーベルは老婦人の話に応じている。

 確かに今のユーベルは、司祭職の資格を持ってはいるが、何処かの教会に奉職しているわけでもなく、しかも任務の為に移動中だ。布教すべく新しい土地を目指して渡り歩く巡廻神父と同じようなものだろう。

 それは大変ねえ、と微笑んだ老婦人は、手提げの中から焼き菓子を取り出し、ひとつずつくれた。おっとりとした雰囲気が、なんとなくマリーに似ている。


 相席であるそのご婦人と和やかな雰囲気になってきたとき、その隣に、厳つい男がどっかりと腰を下ろしてきた。

 一応「邪魔するぜ」と断りの言葉を口にしてはいたが、老婦人にぶつかるように入ってきたその態度がとても感じが悪い。窓の方へ押しやられるようにされた婦人は、僅かに怯えた目を男に向けて顔を伏せた。


「ちょっと」

「よしなさい、ノエルさん」


 持ち前の正義感で男に注意しようと口を開きかけたノエルを、ユーベルが素早く制する。

 不満気に振り返ったノエルだったが、余計な揉め事を招くな、と視線が言っていることに気づき、大人しく黙った。

 男が鋭い目つきでぎろりと睨みつけてきたが、ユーベルはいつもの外面笑顔を浮かべて会釈し、ノエルは唇を尖らせてそっぽを向いた。そんな様子に男は舌打ちを漏らし、薄汚れた皮長靴を履いた脚を大きな身振りで組む。


「……おい、坊さん」

「はい?」

「邪魔だよ。脚!」


 踏ん反り返って座る男は、対面に座るユーベルの膝に自分の膝をがつがつとぶつける。

 対面式の狭い座席なのだから、譲り合って座るべきだ。男が組んでいる脚を下ろして姿勢をまっすぐにし、お互いにほんの少し脚の位置を避けてやるだけで問題は解決する。

 なんて奴だ、とノエルは再び憤慨した。思いやり云々どころではなく、そもそもが非常識な男だ。


「すみませんね。脚が長いものですから」


 しかしユーベルはにっこり、そんな答え方をする。

 男が太い眉を寄せ、殺気すらも感じさせる不穏な表情になったので、ノエルは慌ててユーベルの袖口を引いた。


「私と代わろう? 私なら小さいもの」


 座ってしまったからよくわからないが、恐らくこの男はユーベルと同じくらいに背が高く見える。そんな大柄な男同士が向き合っているのがいけないのだ。だから余計に狭い。

 自分達がなにか厭な目に遭うくらいならまだ我慢出来るが、気の優しそうな老婦人を怯えたままにさせておくのは、さすがに気が咎める。既にすっかりと縮こまってしまっているではないか。

 暴力的な大人は大嫌いだ。けれど、か弱い立場の者が理不尽で厭な目に遭うのはもっと嫌いだ。


 ね、と更に懇願すると、ユーベルは渋々頷いた。

 男は対面に来たノエルを一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らした。そうして組んだ脚を更にこちらへと押しつけてくる。ノエルは僅かに身体を捩り、それを避けるようにしてユーベルにひっついた。


 これから三時間ばかり、こうした状態でいることになるのかと思うと少々うんざりだが、今回は座席運がなかったのだ、と諦めるしかない。

 それにもしかすると、この男は脚が悪いのかも知れない。通路側に細長い棒状の包みを立てかけている。

 脚が悪ければ立ったり座ったりが大変で、こんな変てこな姿勢になってしまう場合もあるのかも知れない――とノエルは、この男の傍迷惑な態度を無理矢理にでも好意的に捉えるようにした。





 列車が走り出してしばらくすると、横柄な男は顔に帽子を被り、眠るような体勢になったまま動かなくなる。その頃には老婦人も隣の男の存在に少しは慣れたのか、怯えて固まっている様子は多少和らいできていた。

 車内全体は何処からか笑い声も聞こえたりと至極穏やかな雰囲気であるというのに、この席だけが、横柄な男の所為で妙な緊張感を孕んで不穏である。通路を挟んで隣の席の人もおっかなびっくりとした様子でこちらの様子を窺っているではないか。


「乗車券を拝見」


 困った人だな、と横目でちらちら気配を窺っていると、横からそんな言葉と共に手袋に包まれた手が差し出された。見上げると、制帽を被った男性が立っている。


「不正乗車がないか確認しているのです。ご協力ください」


 ノエルがわけがわからずに首を傾げて見つめ返していると、丁寧に説明してくれた。慌てて服の中から財布を取り出し、切符を差し出す。

 受け取った男性は行き先を確認し、小さな鏝のようなものでかぷりと挟むと、返してくれた。どうやら確認した証拠の印をつけたらしい。

 ユーベルと老婦人も切符を差し出し、帽子を顔に被って寝る体勢に入っていた横柄な男は、男性に肩を叩かれ、面倒臭そうに衣嚢から切符を差し出した。

 確認を終えた男性は制帽をちょいと持ち上げて会釈し、隣の席へ行って「乗車券を拝見」と同じように声をかけていた。


「切符、買ったときに驚いたけど、すごく高いよね」


 財布に戻す前に、確認済みの押印をされた切符を見つめ、そんなことを呟いた。

 そうですねぇ、とユーベルはのんびり頷く。


「何故、巡礼列車の料金が安くて、国営の鉄道の料金が高いのか――ノエルさんはどうしてだと思いますか?」


 問われ、ノエルは考え込む。


「基本的な利用者の数の違い?」


 ようやく答えを導き出してみたが、自信はあまりない。語尾に疑問符を浮かべて、こてんと首を傾げた。


「と、言いますと?」

「利用人数が多ければ、少しのお金でも儲けが出るから、安く出来るとか?」


 聞いた話によると、開通時に教皇の賞賛があった所為か、利用料金の安さと相俟って人気はなかなかのもので、乗車予約を取るのにふた月はかかると言われている。それくらいに常に満員状態なのだから、国営鉄道よりも利用者が多いのではないだろうか。

 それに一般市民の移動手段の主流は、未だに乗り合いの街道馬車だ。ノエルも少し離れた街に買い出しに行くとなると、街道馬車を利用している。近場なら自家用の荷馬車だ。


「考え方は合っていますが……巡礼列車の運営元は教皇庁で、教会法によると、聖職者は営利目的の商売をしてはいけないことになっています。つまり、儲けが出るって考え方は、ちょっとハズレですね」

「こっそり儲けてる?」

「こんなに大々的に広めておいて、こっそりもなにもないでしょう」


 珍しくノエルが世間知らずな子供っぽさを見せたので、ユーベルは可笑しそうに笑う。

 そんなやり取りが面白かったのか、老婦人が乗車以来久しぶりに笑顔を浮かべた。くすっと小さく零された笑い声に、ノエルはぱっと顔を向ける。


「ごめんなさいね、笑ったりして」


 老婦人は口許を押さえて申し訳なさそうに謝ってくるが、ノエルは笑顔で首を振る。

 よかった。横柄な相席者の所為で縮こまっていたが、笑えるほどに緊張が解けてくれたようだ。

 なんとなく安堵を得たノエルは、ユーベルを振り返る。


「じゃあ、答えは? 国がすごーく高ーい税金でも課してるの?」


 運営元が違うことで料金にこんなにも差があるということは、そういうことなのではないだろうか。


「私も知りたいわ」


 ノエルが首を傾げていると、老婦人も興味を示してユーベルを見つめる。

 二人に見つめられたユーベルは小さく息をつき、居眠りしている様子の横柄な男の姿を一瞥したあと、一応声を落として理由を口にした。


「特許って、ご存知ですか?」

「とっきょ?」


 ノエルは聞いたことがなかったが、老婦人はなんとなくは知っていたらしく、瞬きながら小さく頷いた。


「確かあれよね? なにかすごい発明品に、その人が開発したものだって証明する……」

「そうです、それです。鉄道を動かしているのは蒸気機関技術というもので、特許認定されている発明品なんです。その蒸気機関技術の特許を独占しているのが教皇庁で、使用するには莫大な使用料を支払わなければいけないことになっているんです」


 まあ、と老婦人は驚いたように声を零した。


「とても一企業では賄えないような高額な使用料なので、国営でしか使えない。それでも高額なので、仕方なく利用者の料金が高くなる――その結果が現状なんですよ」


 別に高額な税金を上乗せ徴収しているわけではない。運営を破綻させない為には仕方がないことなのだ、と言われ、なるほど、と二人は頷いた。

 しかし、そんな裏事情のようなものをよく知っているな、とノエルは不思議に思った。

 ユーベルは聖教会に属する司祭職の資格を手に入れ、祓魔師とも認定されているが、結局のところは学校を出たばかりの新人だ。利権が絡んだ金銭の動きなんて、そんなに詳しく知っているものだろうか。

 この男がそんなにも勉強熱心だとは思わないので、そんなことに詳しいのは変なものだ、と怪訝に思うが、それよりも高額料金の理由が気になって考え込む。


 教皇庁とはなんと意地悪なところだろう。信徒には世の為人の為に尽くすことを美徳とし、常に清貧であれ、と言い聞かせているというのに、高額な特許料を取って使用を制限させるようなことをするなんて、まったく以て酷い話だ。しかもそのお金は、その後いったいどうしているというのだろうか。

 蒸気機関という技術がどういうものなのか、ノエルは詳しくは知らない。それでも、この大きな列車にたくさんの人や荷物を載せて、馬車よりも速く移動出来る技術はすごく素晴らしいものだということはわかる。人々の生活を豊かにしている技術だ。

 それならば『世の為人の為に尽くすこと』の理念に従い、特許使用料など取らずに解放するべきではないだろうか。

 だが、もしもその特許使用料が聖教会の運営資金とされていて、ノエルの暮らす孤児院のような場所への支援金として使われているのなら、恩恵に与っているノエルには文句が言えない。使用料を支払っている人達には申し訳ないが、そのお陰で日々を安寧に暮らせていることに感謝しなければ。


 もちろん結局のところはどうかわからない。ユーベルが説明してくれたことが本当のことかはわからないし、巡礼列車に対してよくない感情を持つ人達が気分の悪い噂話をしているのかも知れない。

 それでも、巡礼列車の利用料金が破格の安さであり、国営鉄道の方がびっくりするくらい高額なのは事実だ。

 先日、新しく枢機卿に任命された女性は、その巡礼列車の設立に尽力した人だ。功績を認められての推挙だという噂は知っている。

 彼女に少しでも貧しい人々を思いやる気持ちがあるのならば、枢機卿という大きな権力を得たことだし、それを使って新しい施策を練ってくれないものだろうか。


「ロリータにそういうことを望むのは、無理だと思いますよ。期待しない方がいい」


 ふっと小さく息をつくと、横からそんなことを言われる。

 心を見透かしたようなことを囁いてきたユーベルにぎょっとし、ノエルは双眸を瞠って振り返った。


「どうしてそんなこと言うの? あの人だって、ちょっとくらいは……」


 そこまで言い返して、ハッとして言葉を止める。

 今度の話は老婦人にはあまり聞かれたくない内容だ。ちらっと確認すると、丁度用足しに行きたいところだったらしく、どうやって通路に出ようかと、とても邪魔をしている横柄な相席者の脚を困ったように見つめていた。

 ノエルは慌てて立ち上がって通路に出て、老婦人を外へ通してやる。


「蒸気機関技術の特許を所持していたのは、元々は個人の発明家でした。その人が亡くなった為、その権利を彼の娘の一人が受け継いだんです」


 座り直したノエルにユーベルが話の続きを聞かせる。


「その娘さんが、ロリータ様?」

「そういうことです」


 つまり、現在教皇庁が独占しているという技術は、先日新しく枢機卿になったばかりの女性の私財だったのだ。


 ロリータ・ミラノ――まだ三十になったばかりと若いが行動力があり、知性と美貌をも兼ね備えた彼女は、世界中に大きな影響力を持つエテルノ聖教会の中でも選ばれた権力者となった。

 彼女の躍進は、女性による初の快挙だと褒め称える人もあれば、その美貌と肉体で聖教会を堕落させる淫婦だと罵る人もいる。行く行くは初の女教皇に立つこともあるかも知れない、などと噂されていたりもする。それくらいに魅力的で異例の存在だった。


 一度だけ、ノエルは彼女に出会ったことがある。

 そのときのことを思い出し、お腹の奥がぎゅうっと痛くなる心地になった。無意識にそこを押さえると、古傷がぴりぴりと擦れる。


「特許の権利者が今どうなっているのかは、詳しくは知りませんけどね。あのロリータがあっさりと手離すとは思えませんから」


 高額な使用料の背景には、彼女が一枚噛んでいるに違いない、とユーベルは言う。

 その嘲笑さえも感じさせる口調に、やはり彼女のことをよく思っていないのだな、とノエルは思った。ノエルだって彼女のことはとても苦手だ。

 大人の事情などよくわからない。けれど、あの女性が何処かで絡んでいるのなら、彼女に利益になることでしかないのだろう。

 そもそも巡礼列車の運用計画が動き出したのは十年以上も前のことで、その頃はまだ司祭職でしかなかった彼女は既に計画の中心にいて、蒸気機関技術を使おうということになったそうだ。そのときにどういう取り決めをしたのかは知らないが、教皇庁で独占出来るようにしているのだから、彼女が関わっていないわけがないのだ。


 難しいことはわからないが、どうせ碌なことではない。なにかの拍子で彼女に関わり合うことになったとしても面倒臭そうだし、これ以上深く考えないでおこう、と自分に言い聞かせるように頷いたとき、連結部の扉が開く音がした。

 老婦人が用足しから帰って来たのだろう、と思ったノエルが振り返ると、やはり彼女の姿がある。


「おばさん」


 手を振り、先程と同じように中へ通そうと立ち上がる。

 しかし、彼女は真っ青な顔で震えていた。隣に横柄な男が座ってきたとき以上に青褪め、今にも泣き出しそうになっているではないか。


 どうしたのだろう、とノエルが首を傾げて怪訝そうにしていると、彼女の後ろにパリッとした背広を着た男性が一人立っているのが見えた。

 背広の男性は口許を僅かに歪めたかと思うと、、挨拶をするように僅かに頭を下げ、ゆっくりと右手を上に上げる。


 パンッ――と音がした。


 乗客の誰もがあまり耳馴染みのない音ではあったが、その大きな音に驚いて悲鳴が上がる。


「皆々様、どうぞお静かに」


 俄かにざわめいた車内に向け、背広の男が言った。同時に、反対側の連結部の扉の方でも同じような音が響き、また悲鳴が上がった。驚いて見遣ると、あちらにも同じような背広姿の男が立っている。


「今から、手荷物検査を実施致します」


 徐々に緊張と恐怖が広まりつつある車内に、背広の男が静かな声で宣言する。


「命が惜しかったら、黙って貴重品を差し出してください」


 反対側に立っている男も同じように静かな口調で、とても丁寧に言った。

 きちんとした身形と紳士然とした口調に把握しづらかったが、これは列車強盗だ。

 高速で走行する車内で、前後の出入り口を武器を携行した男達に塞がれ、乗客達の心は恐怖に染められてしまう。





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