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エピローグ




「お手柄ですな、ミラノ枢機卿」


 教皇庁の大会議場を出たところで、後ろから声をかけられた。

 振り返ったロリータ・ミラノ枢機卿の目には、ニヤニヤと卑屈な笑みを浮かべた同じく枢機卿を拝命している男達が数人映る。

 ええ、と頷いたロリータは、紅い唇に艶然たる笑みを浮かべた。


「部下達がよくやってくれましたの。本当に優秀な者達で助かりましたわ」

「そのようですなぁ」


 男達は引き攣った笑みで応じ、いくつかの世辞の振りをした嫌味を告げてきたが、ロリータも慣れたもので、にこにこと微笑んで聞き流していってしまう。

 最終的には逆に反論の叶わない正論の嫌味でチクチク刺され、耐えきれなくなったのか、引き攣った笑みをぴくぴくとさせながら別れの言葉を口にし、小物としか思えない捨て台詞を口中で零しながら立ち去った。


 ぞろぞろと立ち去る緋色の衣の手段を見送りながら、ふっとロリータは口許に皮肉気な笑みを浮かべる。その目つきは冴え冴えとしていて、冷たいを通り越して軽蔑しているようにも見える。


「愚かな連中だ」


 周囲に供の者しかいないのをいいことに、吐き捨てるように呟く。

 己の保身と、自分の為に金を使うことにしか頭が働かない。けれど元々の思考が弱いものだから、それすらも上手くいかないという連中だ。生きている価値などあるのだろうかと思えるくらいに愚劣で矮小である。


 執務室へ戻ると、手荷物を運んで来た小姓を下がらせ、高級な革張りの椅子に深々と腰掛ける。

 溜め息をつきながら額に手を当て、視線は静かに窓の外へと注がれる。

 そこには教皇庁で――いや、聖都サングィスで一番高い尖塔が聳えている。

 エテルノ聖教会を統べる王たる教皇の執務の間だ。諸外国の王達との政治的な謁見を施す為の部屋と、休息の為の部屋が置かれている。有象無象の信者達との謁見は、隣の広大な聖堂を備えた大教会で行われるので、あの尖塔には政治的な機能だけが置かれている。

 ロリータの空色の瞳は、その尖塔を鋭く睨み据えていた。


「……もうすぐだ」


 美しく整えられた爪が光る指先で、その尖塔の形をなぞる。

 あの場所が――この世界で最も神聖で崇高であり、最も天上の主に近い地位が、もうすぐこの手に入ることになる。

 その座に就く教皇の地位を手に入れるには、運営決定権の全権を担う最高機関である枢機卿の地位を手に入れなくてはならない。その地位は十年かけてようやくこの手に握ることが出来た。

 あともう一息で、すべてが手に入る。この広大な世界を統べるエテルノ聖教会という組織の頂点が、ロリータのものになる。


 誰に聞かせるともなく呟かれた言葉は、誰にも聞かれてはならない野望の一端であった。

 この大それた望みは、ロリータが幼い頃から抱いていたものだった。

 早くに両親を亡くした彼女は、孤児であることの肩身の狭さと、世間が偉大な発明家であった筈の父に対してどんなに酷い目を向けてきていたか、幼い頃から全身で感じていた。

 だからこそ、強い立場を手に入れたかった。

 餓えて悲しむことのない環境と、誰にも見下されることのない高い地位と権力と、誰よりも強い自分が欲しかった。

 その為にはなんでもやった。この身を売るような真似もしたし、たった一人しかいない実の姉すらも捨てた。大好きだった父の残してくれた遺産さえも、のし上がる為の道具に使った。

 そして――



「久しぶりだな」


 そっと自分の腹の上に手を当てたとき、ロリータ以外に誰もいない筈の部屋の中で、男の低い声が響いた。

 ハッと身構えて顔を上げると、いつの間にか窓際に一人の男の姿があった。


「ベリア――」


 驚きつつその名を口にしようとすると、素早く口許を覆われる。もう片方の手は喉許に触れていた。


「気安く俺の名を口にするな」


 声を出せば捻り潰す、とでも言うかのように、喉許に触れている指先に僅かに力が籠められる。ぐっと息苦しさを感じ、ロリータは眉を寄せながら頷いた。


「……では、ユーベル・シュタイン」


 彼がこの地で名乗っている名を囁くと、男の手は離れていく。


「ご満足か? 傲慢で強欲なロリータ・ミラノ」


 震えを押さえるように肘掛けを握り締めるロリータに向かい、男は囁いた。


「お前の策略どおりだな。俺と契約者を引き離し、俺の力を削ぎ――そうすれば、お前如きでも御せるとでも思っていたか? この俺を」


 彼をこの世に喚び出したのはロリータだ。

 本来ならロリータ自身が彼を従え、自分の為だけにその力を使役してやろうと思っていたのだ。


 それは十年以上も前から綿密に計画していたことだった。だから、どうすればか弱い人間である自分が優位に立てるのか、数多の文献を漁って研究し尽くした。

 彼等、一般的に『悪魔』と呼ばれる異界に棲む種族は、こちらが示した対価に対して契約を結び、その対価に見合った分だけ召喚者に力を貸してくれる。

 対価とは、この場合は供物を指す。生贄や、その場に用意出来ない物ならば目録にするなどして、召喚の儀式の際に用意しておく。彼等の気に入る供物を差し出すことで、その強大な超常の力を借りれることになるのだ。

 ロリータがこの悪魔を召喚するときに用意したのは、特別な魂を宿した生娘――ノエルだった。

 そのノエルの魂と引き換えに、この悪魔を従える予定だったのだが、彼はそれを拒んだ。

 契約の不成立は人間側の死を意味する。喚び出された悪魔が怒り狂って暴れ、不手際を起こした人間を食らってしまうのだ。

 しかし、彼はそうはしなかった。

 代わりに虫の息だったノエルを自らの契約者に選び、その傷を治して連れ去ったのだ。


 彼は言った。召喚者はロリータであろうとも、契約者はノエル以外に認めない。故に、どんなに理不尽なものであろうともノエルの意思には従うが、ロリータの言葉は一切聞かない。命令を下せると思うな、と。

 その代わりにひとつだけなら望みを叶えてやるという。召喚に成功したご褒美だと言って。

 だからロリータは願った。自分がエテルノ聖教会の王たる教皇になる為に、その超常の力を貸せ、と。

 その願いは彼にとってもいい条件だったらしい。彼等異界の者達の間で、地上を荒らしている怪異のことは悩みの種となっているとか。

 俄かには信じられなかったが、彼は新しくユーベルという名を手に入れ、怪異を討伐する祓魔師という職に就くことを望んだ。ロリータの手駒という立場にしておけば、ユーベルが実績を積む度に彼女の功績となって名声が上がるだろう、と言って。

 それはロリータも歓迎すべきことだったので、後見人となることを約束し、戸籍を偽造する為に手を回した。


 そうして、更に一計を案じた。

 召喚された悪魔は、契約者と共にいなければ、その強大過ぎる超常の力を安定させることが難しいのだという。力を暴走させて災害を起こしてしまうこともあれば、弱まってしまい、普通の人間のようになってしまうこともあるのだとか。

 だからノエルから引き離した。扱いやすいように弱らせる為に。


 ノエルの暮らす孤児院の院長を務めていたシスター・イザベラは、嘗ては聖母の再来かと言われるほどに徳を積んだ人物で、人々からの信頼も厚い人だった。そんな人間が助言を施せば、いくら悪魔といえども、こちらでの事情に詳しくなければ従ってくれる筈だと判断した。

 初めは疑いの目を向けていたらしいユーベルだが、イザベラの提案を最善と捉えたらしく、普通の人間のように暮らすことを受け入れたのだ。

 そこでノエルから引き離すように手を回したのはロリータだ。当初はフランデル王国内の神学校に通うことになっていたのを、国境を越えて離れた聖都の学舎へと変えさせた。ユーベルの力を徐々に削いでいくように。

 目論見は成功した。優秀な生徒だから、と学校側も丸め込んで手許に引き止め続け、ノエルと距離を置かせ続けていたら、彼はすっかりと大人しくなった。同時に少し苛々としているようだったが、それでよかった。


 完全に人間のようになられてしまっては困るので、日程を調整させ、一度フローリン村に帰らせることにしてみれば、丁度よく怪異に因ると思われる未解決の事件があった。それを解決させることでその技量の程度を量ろうと思ったのだが、大きな功績も挙げてくれて、推薦したロリータの株を上げてくれる結果にもなった。

 誤算だったのは、封じられていた悪魔としての力をノエルが解放させてしまったことだ。再び封じ直されたとはいえ、お陰で彼はすっかりと元の力を取り戻してしまっている。

 ロリータは静かに息を吐き、きっと視線を上げた。


「なにか用かしら? 出来ればこんな突然の訪問ではなく、前以てご連絡を頂きたかったものだわ」


 平静を装って気丈に振る舞うロリータの言葉に、ユーベルは微かに笑った。


「先日のあの女――シスター・カロリーヌの様子を聞きたい」

「なにを知りたいの?」

「あの女に死霊術を教えた者と、どうやって人間を人狼に変えたのか、の二点」


 立てられた二本の指先を見つめ、ロリータは小さく溜め息をついた。

 カロリーヌの尋問はとても簡単だった。拷問などさせる必要はなく、薄めた自白剤を飲み物に混ぜておいてやっただけで、ペラペラと自分のことを語り出したらしい。


「死霊術は独学だそうよ。彼女の母方の曾祖母が魔女で、交霊術師をしていたのだとか」


 交霊術をおこなう過程で死霊傀儡の作り方を会得したらしい。実際に使っていたのかはわからないが、資料は残されていたということだ。

 その曾祖母というのも何十年も前に異端審問にかけられて断罪され、すぐに処刑されている。カロリーヌはその遺品の書物から術を学んだというのだ。

 独学でたいしたものだ、と素直に感心する。余程素質があったのだろう。


「人狼化のことは、知らない男から薬を貰ったんだと言っていたらしいわ」

「薬?」

「ええ。自分に惚れている男に飲ませればいい、それでその男は、お前にとって忠実で最強の騎士となってくれるだろう――そう言って渡された薬を、言い寄っていた男に飲ませたそうよ」


 アルベールは鬱陶しい男だったし、顔立ちも不器量で言い寄られて気分もよくなかったが、なんでも望みを叶えてくれるような忠実な下僕がいたら、どんなに素敵なものかと思ったの、と彼女は薬の所為で焦点の定まらない目に笑みを浮かべながら答えたのだという。

 恐ろしく愚かな女、とロリータは口許を歪めた。強い目的も意思もなく、ただ自分の悦楽の為だけに他人を貶め、結局は自分も処刑を待つ身だ。なにも成し遂げられずに、ただ無為な時間を過ごしただけではないか。


「他には?」


 なにか考え込んでいる様子の横顔へ、ロリータは尋ねる。

 いいや、と首を振った男は、そのまま立ち上がった。


「邪魔をしたな」


 心にもない口振りで告げると、窓のカーテンを捲くり、そこを潜り抜けたかと思ったらもう姿を消していた。なにもない空間にカーテンが自重でくるりと踊る。


 ロリータは緊張させていた全身から力を抜き、細く息を吐いた。背中に冷たい汗がどっと流れ落ちていく。

 危害を加えるようなことはなにもしてこないだろうとわかっていたが、それでも身構えずにはいられなかった。聖都に学生として過ごしている間に何度か会ったりもしたが、力が解放されている状態だと全然違う。ノエルは厄介なことをしてくれたものだ。

 しかし、あの様子では、今しばらくはこちらに協力してくれるつもりはあるようだった。

 これは都合がいい。どうにかしてノエルを手懐け、あの男も懐深くに取り込めるようにしてしまおう。


 緊張から乾いてしまった喉を潤わせようと、執務机の上に用意されていた水差しを手にする。戻って来るまえに用意されたものなのか、水はまだ冷たそうだ。

 それを口に含ませて流し込んで人心地つきながら、なにか引っ掛かりを感じていたらしい男の横顔を思い出す。


「謎の薬をくれた男、ね……」


 濡れた唇を舐め、ロリータは十年ほど前に一度だけ会った男の姿を思い出した。

 若いながらも壮大な野心に燃えていたまだ十代だったロリータに、その男は言った。きみにいいものを授けよう、と。


『きみのその野心を成就させる為にはきっと必要になる。なんたって、恐ろしい悪魔とも取り引き出来る稀有なものなのだから』


 男は悪魔についてもいろいろと教えてくれた。何故そんなことを詳しく知っているのかとか、わざわざ教えてくれるのかとか疑問に思うことはたくさんあったが、ロリータはその男の甘言に乗り、身籠った。それがノエルだった。

 半信半疑どころか疑いしかなかったロリータだが、男の言うとおり、ノエルは悪魔との取り引きに大いに役立った。それ故に、悪魔べリアルはロリータに力を貸してくれている。


 あのときのことを思い出して自嘲気味な笑みを浮かべ、残りの水を飲み干す。


「さあ、問題は山積みだわ」


 飲み終わったグラスを机に置いて呟き、立ち上がる。

 呼び鈴を鳴らせば、決済待ちの書類を抱えた小姓達が入って来る。その様子を眺め、ロリータは僅かに唇を歪めた。






これにて前日譚は完結となります。

本編はそのうち投稿することになると思いますが、

近々ではないので…申し訳ありません。

よろしければブクマしておいてくださいませ。

閲覧ありがとうございました。

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