仮面の道化師
ローブの男達に運び込まれ、衣千伽は硬い床の上に転がされていた。周囲からは異様な異臭が漂ってくる。チラリと周囲を確認し、彼はその結果に絶望した。
臭いの正体は、死体から漂う腐臭だった。彼の周りには数体の遺体が放置され、耐えがたいまでの異臭を放っていたのだ。
だが、衣千伽はそれでも耐え忍ぶ。周囲に人の気配は無いが、万が一という事もある。自らの生存を悟られぬように、息を殺して物音を立てぬようにと気を張っていた。
――と、そんな衣千伽に対して、陽気な声が掛けられる。
『ふふふ、お待たせしました。もう、起き上がって頂いて結構ですよ』
「あ、さっきの人ですか!」
待望の待ち人からの声。衣千伽は思わず声を上げ、勢い良く起き上がった。
だが、それと同時に固まってしまう。彼を正面から覗き込む者が、白い仮面を被った道化師姿だったからだ。
道化師は人差し指を立て、自らの口元へ寄せる。そして、衣千伽が静かになった事に満足し、頷きながら話し始めた。
『ふふふ、驚かれているご様子で。とりあえず、大声はお控え下さい。状況を説明致しますので』
「は、はい。了解です……」
衣千伽は気後れしつつも、大人しく頷く。怪しい相手ではあるが、現状では唯一の味方と思われる。そして何より、姿はともかく話す内容はまともそうだった。
道化師は担いでいた布の袋を床に置く。頭陀袋とも呼ばれる物で、使い込まれて薄汚れているが、非常に丈夫そうな袋である。
その中身も気になったが、衣千伽は口を閉ざして様子を見る。袋を置いた道化師が、お道化た様子で腰を曲げ、彼に対して一礼をして見せたからだ。
『ワタクシはアン・ズーと申します。こう見えて悪魔です。この姿も仮の姿となります』
「悪魔……」
衣千伽はその言葉に、驚きと興奮を覚える。漫画やゲームに馴染みがある為か、それ程の忌避感はない。むしろ、本物に出会えた感動の方が強かった。
アン・ズーは頭を上げると、肩を竦める姿を見せる。そして、お道化た口調で彼に告げる。
『そして、私は下位の悪魔で、大きな力は持ちません。勿論、ただの人間に負ける程は、弱くもありませんけどね』
「は、はあ……」
その説明に、衣千伽は内心でガッカリする。大悪魔とか魔王とかであれば、チートや無双する未来もあり得るのかと期待した部分があったのだ。
とはいえ、アン・ズーの説明がどこまで真実かわからない。もしかしたら、謙遜しているだけかもしれない。そう思い直し、衣千伽はアン・ズーの言葉に再び耳を傾ける。
『そして、貴方様は勇者召喚の儀式で呼ばれました。ただし、彼等の持つ鑑定道具では、無能と判定されたみたいです。――召喚の儀式は失敗と判断されたのです』
「し、失敗って……。そんな……」
前半の説明で衣千伽は興奮し、後半の説明に落ち込んだ。ラノベ通りの展開かと思いきや、どちらかと言えば不遇系の始まりであるらしい。
だが、不遇からの成り上がりも存在する。一塁の希望に賭け、彼はアン・ズーへと期待の眼差しを向ける。
『ええ、ええ。貴方様もスキルは所持しております。……「偽装」という、隠蔽系の能力ですけどね』
「は……?」
その説明に衣千伽は戸惑う。スキルがあると言われて嬉しい反面、それを生かすイメージが沸かなかったのだ。
どう考えても、戦闘系の能力とは思えない。外れスキルという奴だろうか? 或いは、隠された設定が存在するとか……。
チートスキルで無双する姿が描けない。その事に落ち込んでいると、アン・ズーが不思議そうに首を傾げる。
『無双とは、圧倒的な強者になる事ですか? 確かに貴方様の能力は、その様に強力な物ではありませんね。もちろん、情報操作以外の使い道もありません』
「やっぱりか……。――って、もしかして、心を読まれてる?」
一連のやり取りに、流石に衣千伽も気付く。アン・ズーは彼の心の声に反応しているのだと。
そして、気付いて貰えた事が嬉しいらしい。アン・ズーは両手を振って、大げさに喜びの感情を表現していた。
『その通りで御座います。私は心を読む能力と、心を惑わす魔法を得意とする悪魔。――それ故に、貴方様とは相性が良いと考えております』
「それって、どういう意味ですか……?」
悪魔らしい能力だとは感じる。しかし、自分と相性が良いという、その意味がわからなかった。
衣千伽は眉を寄せて答えを待つが、アン・ズーは顎に手を当て考える仕草を見せる。そして、扉に目を向け、彼に対してこう提案する。
『説明を続けたい所ですが、ここに長居もどうかと……。まずは、服を着替えて場所を変えませんか?』
「着替えですか……?」
場所を変える事には衣千伽も賛成である。周囲には複数の遺体が転がり、今も酷い臭いが続いていた。話に興奮して忘れていたが、臭いを思い出した今は一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
だが、着替える理由がわからない。白いシャツは一部破けたが、急いで着替える必要性は感じない。紺のスラックスも汚れが目立つ状態では無かった。
衣千伽が首を傾げると、アン・ズーは膝を曲げて頭陀袋を叩く。そして、衣千伽の服を指さして、陽気な笑い声を上げた。
『ふふふ、その様な目立つお召し物では、生存がすぐにばれますよ? 適当な死体に着せておきますので、こちらで用意した物をご利用下さい』
「ああ、それもそうか。それじゃあ早速、着替えてしまいますね!」
アン・ズーの説明に納得し、衣千伽は急いで服を脱ぐ。着ていた服はアン・ズーが受け取り、手際よく死体の着せ替えを開始する。
そして、頭陀袋から取り出した服に、衣千伽は軽い興奮を覚える。想像とは違う趣だが、これはこれで悪くないなと思う。
着替えを終えた衣千伽とアン・ズーは、揃ってその場を後にした。息を殺して物音を立てず、夜の闇へとその身を溶け込ませて行った。