【幕間の物語】従者ラザー
時は少し遡り、衣千伽が魔人を倒した夜。眠る衣千伽は知らぬ所だが、舞台裏では大いに混乱が起きていた。
まず、衣千伽は血塗れのまま、アン・ズーに抱えられて地上へ上がった。それを見たジャック市長は顔を真っ青にし、ラザーは最悪を想像して卒倒しかけたのだ。
ジャック市長は自らの首が、物理的に飛ぶ事を真っ先に想像した。王位後継者の死亡事故ともなれば、相手国への謝罪として首を差し出す事もあり得る。むしろ、この地の領主なら絶対にやるとさえ思っていた。
ラザーはラザーで、衣千伽を天の使いと決め付けていた。新たに見つけた信仰対象が失われる等、今の彼女には弟を無くした以上の衝撃だった。もし衣千伽が死んでいれば、恐らく彼女も後を追っただろう。
だが、幸いな事にアン・ズーは皆の心が手に取る様にわかる。まずは皆を安心させる為に、衣千伽が無傷である事を告げた。それによって、場の一同は平静を取り戻す事になる。一旦は、であるのだが……。
その後にアン・ズーが告げたのは、衣千伽による魔人討伐の知らせである。ジャック市長と引き連れた兵士達は、その知らせを聞いて腰を抜かした。また、それを見たラザーは素晴らしい快挙なのだと瞬時に覚った。
魔人とは魔法を極めた者が、魔道に堕ちる事で生まれるとされている。個の能力として一軍に匹敵するだけでなく、多彩な魔法を使ったゲリラ戦では、単騎で砦が落とされる事すらあるのだ。
街中に潜伏された時点で手の打ちようがない。最悪は街の住人全ての命を諦め、街ごと魔人を滅ぼす決断すら有り得たのだ。ジャック市長の知る魔人とは、それ程までに恐ろしい存在なのである。
ただし、衣千伽達の倒した魔人は成りたての半人前であった。そこまでの実力は無かったのだが、アン・ズーがそれを告げる事は無い。勘違いさせたままの方が良いと判断しての事である。
――とまあ、前置きが長くなったが、アン・ズーはジャック市長に様々な交渉を行った。そして、可能な限りの要求を突き付けて、その大半を飲ませる事に成功していた。
しかし、それらはアン・ズーにとってオマケでしかない。彼女の本命はジャック市長から得られる報酬ではないのだ。
アン・ズーは衣千伽を抱いた状態で宿へと戻る。そして、その隣にはラザーを連れていた。彼女にとっての本当の仕上げは、これから始まるのである。
アン・ズーは衣千伽をベッドに寝かせると、ラザーへ椅子に座る様にと促した。小さなテーブルを挟む形でアン・ズーも椅子へと腰掛ける。そして、防音の魔法を掛けると会話を始める。
「さて、先も話した通り、これから重要なお話をさせて頂きます」
「は、はい……。私へのお話とは何なのでしょうか?」
これまでみたいに優しい微笑みではない。冗談が許されない、ピリリとしか空気を纏っている。そんなアン・ズーの態度に、ラザーは思わず喉を鳴らす。
アン・ズーは真剣な視線を向けながら、淡々とした声でラザーへと告げた。
「まずワタクシは、ラザーを従者に取り立てる様に、ご主人様へお願いするつもりです」
「ほ、本当に? 私を従者にですか……?!」
それは市井の民が望みうる、最高のシンデレラストーリーである。妃や妾になれる訳ではないが、一般市民では届き得ない生活が約束される身分となるのだ。ましてやラザーはスラム街の孤児。それはもはや、おとぎ話レベルで信じられない提案であった。
しかも、相手はラザーが信仰対象と定めた相手。ただ、王侯貴族の従者になるのとは訳が違う。ラザーからすれば神話の世界――神は信仰されていないが――に迷い込んだに等しい感覚なのである。
しかし、感動で涙を滲ませるラザーに対し、アン・ズーは目を細めて厳しく問う。
「ただし、その前に覚悟を問います。ご主人様の為であれば、――死ぬ覚悟はありますか?」
「――っ! ……はい、勿論です。この命で役立てるなら、喜んでアルフ様へ差し出します」
ラザーはその問い掛けに対し、不思議と歓喜が沸き上がって来た。自らの信仰を示すのに、これ以上の質問は無いと思ったのだ。だからこそラザーは迷いなく、綺麗な微笑みで答える事が出来た。
アン・ズーはその答えに、ようやくいつもの微笑みを浮かべた。満足そうに頷きながら、ラザーに対して話を続ける。
「では、ラザーにもご主人様の秘密を打ち明けます。ご主人様の正体は勇者です。魔王を倒す定めを背負いし御方なのです」
「なるほど。そうだったのですね」
世界中の人々を苦しめる存在が魔王である。それを倒す為に、天より使わされた勇者。ラザーの中では、何の矛盾も無く受け入れる事が出来た。むしろ、ラザーにとっては腑に落ちる説明であった。
「しかし、この世界とは異なる地より誘われ、この世界の言葉がわからない状態でした。勇者としての力も未熟な状態で呼ばれてしまったのです。――しかし、それでもご主人様は、この世界の為に戦う道を選ばれたのです」
「流石です。流石はアルフ様です!」
芝居がかったアン・ズーの説明にも、ラザーは興奮した様子で合いの手を入れる。前のめりなラザーに気を良くし、アン・ズーは更に話を盛り上げる。
「ワタクシはその御心に感激し、旅の従者として願い出て、認めて頂いたのです。幸いにもワタクシは、ご主人様と意思疎通を行う魔法を習得しておりました。この旅の中で、誰よりもお役に立てると自負しております」
「羨ましいです……。私にもその魔法が使えれば……」
決してアン・ズーを妬んでいる訳では無い。しかし、衣千伽の為により役に立ちたい。その想いが、ラザーにそう言わしめたのである。
それを理解するアン・ズーは、慈悲深い微笑みでもってラザーへと告げる。
「魔法が無くても問題ありません。ご主人様を良く観察するのです。悪しき者に付け込まれぬ様に表情を隠していますが、その振る舞いには全て意味があります。注意深く観察する事で、きっとその御心が理解出来る様になるでしょう」
「注意深く観察ですね……。わかりました。やってみます!」
優しく助言するアン・ズーに、ラザーは感謝しながら言葉を受け入れる。その一言一句を忘れまいと、脳裏に刻んでいく。その様子に、アン・ズーは内心でニヤリと笑う。
これは一種のマインドコントロールである。漠然とした考えしか持たぬラザーに、明確な方向性を刻み込んでいるのだ。それが彼女への親切だと思わせ、自らが望む方向へと導いているのである。
周囲に耳を傾ける者がいれば、その事に気付いたかもしれない。しかし、今は皆が眠りに着く深夜。そして、アン・ズーによる防音の魔法まで効果を発している。この二人のやりとりを、止めれる者は誰もいなかった。
アン・ズーは助言を行うと同時に、その瞳でラザーを観察する。人ならざるアン・ズーには、相手の魂を見通す力があった。その瞳で見ていると、ラザーの輝きが徐々に強くなっていた。
信仰対象を得て、自らを律する戒律や教えを得る。それはまさしく宗教であり、その教えを守る信徒である。いや、今のラザーはその領域を超えて、修行僧の位置まで一気に駆け上がろうとしていた。
今はまだ何の力も無い少女かもしれない。法力を得たと言っても、体力が向上した程度でしかない。しかし、この旅は非常に長くなる。アン・ズーは長い旅の先に、ラザーが戦力になる可能性すら視野にいれているのだ。
正直、そこまで育つかはラザー次第である。しかし、その種は確かに蒔く事が出来た。今のアン・ズーからすると、それは十分な収穫だと考えていた。
「――後はご主人様好みの服を、ジャック市長に頼んであります。明日は朝から屋敷へ向かい、すぐに着替えて教会へ向かうのですよ?」
「はい、承知しました! ご主人様に認めて貰える様に頑張ります!」
気合十分な様子のラザーに、アン・ズーは満足する。そして、予定していた全てを話し終えたかと、頭の中で振り返ってみる。
だが、アン・ズーはハッとなる。一つだけ言い忘れていた事がある。とても重要な忠告を……。
「最後にこれを覚えておいて下さい。この旅は過酷な物となるでしょう。時には命を失う危機にも直面するでしょう」
「はい、問題ありません! 死ぬ覚悟は出来ています!」
アン・ズーの説明に即答するラザー。その答えにアン・ズーは反応しない。ただ、厳しい表情をラザーに向けた。
「場合によっては、ワタクシが死ぬ事もあり得ます。その時はラザー、貴方がワタクシの代わりになるのです」
「…………え?」
これまでとはアン・ズーの纏う空気が違った。ラザーのやる気を高める言葉ではない。自信に満ちた指示でも無かった。
むしろ、ラザーを不安にさせる言葉。何故だか今のアン・ズーには、これまでの様な余裕が感じられなかった。
「その時に備えて準備をするのです。ワタクシが教えられる事は全て叩き込みます。ですので、何があってもご主人様を支え続けるのです」
「あ、あの……。はい、わかりました……」
出来ないという言葉が許される空気では無い。それを察したラザーは、戸惑いながらも受け入れる。自分に彼女の変わりが務まるのかと、不安を胸に抱きながら。
その事はアン・ズーも理解していた。しかし、今はそれで良いと納得する。ラザーもいずれは育つはず。それまでの間は、ラザーという保険が必要になる事はないだろうから。
第2章は終了となります。
第3章からは毎週土曜日に更新予定です。
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