悪魔の騎士
魔装により姿を変えた青年。その外見は赤黒い鎧を纏う悪魔。歪んだシルエットは禍々しく、顔を覆うヘルムは憤怒を感じさせた。
相手は素人と侮っていた青年である。それが魔法の奥義を使い、自らに届きうる存在となった。その有り得ない事態に、魔人は思わずたじろいでしまう。
――キンッ!
唐突に振るわれたシミターの一撃。それを防げたのは偶然であった。油断していた魔人には、咄嗟に反応する事が出来なかった。たまたま、右手を掲げていたのが幸いしただけなのである。
そして、瞬時に理解する。今の一撃はまぐれでは無い。彼は傭兵として戦場を巡り、様々な強者を目にして来た。青年の振るった一撃は、彼等にも引けを取らない鋭さだったからだ。
『ば、馬鹿な……。素人では無かったのか……?!』
魔人の呟きに返事は無い。代わりとばかりに振るわれる太刀。魔人は慌てて、右腕の剣で弾いた。
だが、魔人は完全に力負けしていた。相手の一撃に一歩を引かされたのだ。その事実に、魔人は内心で歯噛みする。
(オレ様は魔人なんだぞ……。どうして、こんな小僧に力負けしている……!)
彼は魔人と化し、人の限界を超えている。並みの人間では太刀打ち出来無い存在である。彼を倒すならば、軍隊か英雄級の戦士が必要となる。
しかし、現に魔人は押されていた。今も青年の斬撃を、辛うじて防いでいる状況なのである。その剣速は早く、攻勢に転じる隙も見当たらなかった。
そして、魔人は防御に徹しながら、相手の剣技を観察する。その奇妙な動きを目で追い、魔人はその剣技に眉を顰める。
(なんだこいつ……? まるで踊っているみたいな……)
場違いなまでに華麗な舞であった。これが舞踏会であれば、周囲からは多くの拍手が贈られていたであろう。しかし、ここは薄暗い地下室であり、観客の居ない戦場なのだ。華麗に舞う必要など無いはずなのだ。
魔人の常識には無い剣技。無駄にしか思えない回転。そう感じているはずなのに、魔人は内心で焦りが募っていく。
(何故だ? 何故、まったく隙が無い! 次撃が早すぎて手が出せない!)
単調な連撃ならば、タイミングを合わせる事が出来た。しかし、相手の太刀筋は不規則なのだ。上下左右、あらゆる場所から振るわれる。
そして、極限の集中力の中で、魔人の心は恐怖に絡めとられる。迎え撃つので精一杯で、自ら踏み出す勇気を徐々に奪われていく。
魔人の焦りは更に強まる。ジワジワとではあるが、彼は壁際に追い詰められていた。逃げ場が無くなるまで、残りの時間は余り多くは無かったのだ。
(何が起こった? どうして、あんな小僧が? あの女は、一体何を――)
そこで魔人はようやく気付く。あの女の姿が何処にも無いということに。青年の変化に気を取られ、最も警戒すべき相手を見失っていた。
あの女は、魔人からしても得体が知れなかった。底の知れない強さを感じ、可能ならば敵対を避けたかった。その為に、十日間も狩りを我慢して様子を見ていたのだ。
気配を探るが見つからない。いや、気配はあるのに、その姿が見えないのだ。しかも、その気配は目の前から感じられた。まるで目の前の騎士こそが、あの女であるかの様に。
(まさか……。そういう、事なのか……?)
魔装を使った直後、青年の口から中性的な声が聞こえた。そういう声だと思ったが、今にして思うと違うとわかる。
あれは、あの女の声に似ていた。彼を虫けらの様に蔑んだ、あの女の声と一緒だった。彼が同類と感じた、魔人としか思えない女。
(まさか違ったのか……? オレ様は思い違いをしたのか……?)
その最悪な予想に、魔人の全身に冷や汗が噴き出す。もし、その予想が正しいとするなら、彼が無事で済む可能性は限りなく低くなる。
禍々しい黒の竜巻。自らに剣を振るう、赤黒い鎧の騎士へと彼は叫ぶ。
「お、お前は……。お前は――悪魔なのか!」
魔人の叫びに返事は無い。悪魔の騎士は、ただ舞いながら剣を振るうのみである。
魔人は恐怖に囚われる。そして、その憤怒のヘルムが歪んで見えた。今更気付いたのかと、嘲笑っているように感じられた。
(まずい……。まずい、まずい、まずい……!)
悪魔とは天使と対になる存在。人々に厄災を齎す超常の存在。決して、人が手を出して良い存在ではないのだ。
彼は天使教の教徒では無いが、その程度の知識ならある。悪魔の厄災から逃れるには、天使による加護を得るしかないのだと。
魔人であろうと、その足元にも及ばない。対処出来る可能性があるとすれば、それは魔人達の王である魔王のみ。或いはその対となる、天使の加護を受けた勇者である。
(あの小僧、悪魔と契約しやがった! 人類に仇名す願いを持ってやがるのか!)
悪魔とは、魔の力で悪を成す存在。その悪事を成す為に、人と契約すると言う。天使教徒に限らず、全ての人々が禁忌と知る行為である。
個人の欲を満たす程度では足りない。全人類に敵対する願いでなければならない。そうでなければ、悪魔はその願いを叶えてはくれないのだから。
(イカレてやがる! あんな奴の相手なんか出来るかよ!)
魔人は相手に勝てないと判断する。そして、何とか逃げ出そうと隙を探る。しかし、ここは地下室であり、唯一の出口は相手の背後であった。
そして、気が付くと彼の背は、地下室の壁にぶつかってしまう。思考に没頭する内に、逃げ場を失っていた。
『なっ……! しまった……!』
焦る魔人であったが、その直後に呆然となる。相手が距離を取って、攻撃の手を止めてしまったのだ。止めを刺す事も出来たのに、何故か魔人を見逃したのである。
その瞬間、魔人は見逃されるのかと期待する。そして、悪魔の騎士は女の声で彼に告げる。
「ダンスのお相手ありがとう御座いました。レッスンはこれにて終了と致しましょう」
「レッスンだと……?」
普段の彼であれば、馬鹿にされたと激高しただろう。だが、実力差を示された後では怒りも沸かない。彼は内心で見逃してくれと、ただ祈るだけであった。
しかし、悪魔の騎士はスッと真横に剣を振るう。そして、冷たい声で魔人を嘲笑う。
「貴様とて人を食べるだろう? 今回は相手が悪かったと思い諦めろ」
『――っ……!』
魔人の頭部がゆっくりとずれる。右手の剣は半ばで折られ、体はぐらりとその場で倒れる。そして、彼の頭は声も出せずに床の上を転がる。
魔人であるが故に、彼はそれですぐに死ぬ事が無い。だがそれは、決して彼にとっての幸運ではなかった。何故ならば、彼は首を落とされてなお、歩み寄る悪魔に怯える事になるのだから。
「何故、貴様の様な者が存在したのか……。貴様の記憶を貰って行く」
悪魔の騎士は、魔人の頭を鷲掴みにする。そして、拾い上げた頭へと、魔力による浸食を開始する。
使われる魔法は「記憶の吸収」。契約時に衣千伽へ利用した、記憶のコピー等ではない。相手の記憶を強奪する禁呪である。
魔人はその魔法により、自らの記憶が消えていく事を理解する。彼と言う人格を構成する、その全てが徐々に奪い取られているのだ。自我を失う恐怖に、魔人は内心で叫び声を上げる。
(オ、オレ様の全てを奪う気か……? や、やめろぉぉぉ、この悪魔がぁぁぁ……!)
だが、その訴えが叶う事は無かった。それ程の時間も掛からず、その作業は完了する。全ての記憶を奪われ、魔人の頭部から一切の反応が消え去ってしまう。
悪魔の騎士は魔人の頭部を床へと投げる。だが、魔人の頭と体をそれ以上傷付けたりはない。この遺体にはまだ使い道がある。ジャック市長への存在証明に必要なのだから。
この先の展開を計算しつつ、悪魔の騎士は力を解除する。そして、崩れ落ちそうになる衣千伽の体を、アン・ズーがそっと抱き留めた。