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Dance with the Devil ~異世界を騙す勇者道~  作者: 秀文
第二章 スラムの姉弟
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姉弟との別れ

 その日の朝食は一切の会話が無かった。衣千伽はいつも通りの無表情だが、アン・ズーまでもが無表情であった。ラザーは二人の空気に何かを察し、ドゥーヤは不安そうに様子を伺っている。


 そして、いつもより時間を掛け、四人は朝食を食べ終えた。それを見届けたアン・ズーは、ラザーとドゥーヤに話し掛ける。


「さて、食事も終わりましたね。それでは、お二人に別れの挨拶を致しましょう」

「え……?」


 呟いたのはドゥーヤだ。驚いた表情を浮かべ、アン・ズーの言葉に動揺していた。


 ラザーは寂しそうな笑みを浮かべるのみ。アン・ズーの言葉を予想していたらしく、その瞳には諦めの色が感じられた。


「ご主人様とワタクシは、明日には海を渡ります。ドゥーヤの容態も良くなりましたし、後は二人でも何とかなるでしょう」


 アン・ズーの言葉に、衣千伽は拳を握りしめる。何とかなるはずがない。スラムの生活に戻れば、二人は苦しい日々を送る事になる。命の保証だって有りはしないのだ。


 それでも衣千伽は動かない。アン・ズーとは昨晩に話し合った。二人を連れての旅は、衣千伽達には出来ないと結論が出たのだ。


 欧州の旅だけなら何とかなっただろう。しかし、法力を持たぬドゥーヤでは、アフリカ――サハラ砂漠を超えられない。そこで確実に命を落とす事になる。それならば、残った方が良いという結論に達したのだ。


「今後も姉弟で力を合わせ、強く生きるのですよ。ご主人様もお二人の無事を祈っております」


 アン・ズーの言葉は間違いではない。衣千伽は確かに祈っていた。二人が幸運にも、この先も生き延びてくれることを。そして、少しでも幸せであってくれることを。


 だが、それが難しい事も理解していた。十歳であるラザーは、まだ法力を宿す可能性がある。しかし。弟のドゥーヤが生き残れる可能性が、非常に低いと知っているのだ。


 衣千伽は苦い思いが胸に溢れる。すると、追い打ちを掛けるように、悲痛な叫びが酒場に響く。


「……やだ。やだよ、そんなの! ドゥーヤは、にいちゃんといっしょがいい!」

「ドゥーヤ……」


 目に涙を浮かべ、いやいやと首を振るドゥーヤ。ラザーは悲しそうに顔を歪め、弟の肩にそっと手を置く。


 しかし、それで気持ちが落ち着くはずもない。ドゥーヤはポロポロと涙を零し、衣千伽に対して訴えかける。


「ドゥーヤ、なんでも食べるから! これから、いい子にするから! だから、ドゥーヤのことを、おいて行かないで!」


 その泣き顔に、衣千伽の胸は締め付けられる。ドゥーヤの必死な訴えに、応えてやれない自分を恥じる。


 所詮、衣千伽は偽りの立場。偽りの勇者なのである。弱い者を救う力なんて持ってはいないのだ。


 食事を与え、病気を治して良い気になっていた。その先の事なんて考えず、目先の救済で希望を与えた。



 ――なのに、最後はドゥーヤに絶望を与えた。



 何という偽善だろう。何という愚か者なのだろう。何と自分は惨めなのだろうか。


 居たたまれなさに泣きそうになる。しかし、それすらも傲慢と思う。泣く権利があるのはドゥーヤである。衣千伽が泣くなど許されるはずがなかった。


 衣千伽は内心で自分を責め続ける。すると、アン・ズーの手がそっと肩に触れた。顔を上げた衣千伽は、アン・ズーの優しい微笑みを目にする。


「ドゥーヤ、涙を拭きなさい。貴方は男でしょう? ご主人様の様になるのでしょう?」


 アン・ズーの問い掛けに、ドゥーヤは顔を上げた。そして、涙を堪えてアン・ズーを見つめる。


 アン・ズーは真剣な眼差しをドゥーヤに向ける。真剣な口調でドゥーヤに語り続ける。


「幾多の困難が訪れようとも、知恵と勇気で乗り越えるのです。体を鍛え、技を磨き、弱き者が居れば手を差し伸べるのです。その魂が気高ければ、貴方はいずれ気高き者となるでしょう。それが貴方が憧れる、ご主人様の様になるということです」

「ねえちゃん……」


 五歳の子供に語る言葉では無い。そう思う衣千伽であったが、ドゥーヤの表情にハッとなる。先程までの泣き顔では無かった。駄々をこねる子供では無かったのだ。


 ぐっと涙を拭った後、現れた表情には覚悟があった。何とか涙を堪えたまま、衣千伽に対して笑顔を見せた。


「にいちゃん、ドゥーヤがんばる。にいちゃんみたいに、かっこよくなるから!」


 ドゥーヤの言葉に衣千伽は戸惑う。偽りの自分に憧れている事では無い。本来の自分が、気高き者では無いという部分でもない。


 ドゥーヤの覚悟に敬意を感じる。それと同時に、五歳の子供が覚悟を決めたことに、改めて今の自分を恥じたのだ。自分は何の覚悟も持たず、ぬくぬくと生きて来たのだから。


 ドゥーヤは腰に手を当てた。そこにはアン・ズーの作った木剣が下げられている。それを誇る様に、衣千伽に対して笑みを浮かべた。


 衣千伽も同じく腰のシミターに手を当てる。ドゥーヤの気持ちに応じるように、力強く頷いて見せた。


 今の衣千伽は偽りだらけかもしれない。それでも衣千伽は、ドゥーヤの前では演じ切ろうと決める。その覚悟を裏切らない事が、せめて自分に出来る罪滅ぼしだと言い聞かせて。


「さて、それでは最後に餞別を送りましょう」

「ライラ様、それはもしや……?」


 アン・ズーの掌には、二つのペンダントが納まっていた。黒曜石と思われる黒い石。そこに紐を通しただけの質素な装飾品である。


 アン・ズーは二人の首に、それぞれペンダントを掛ける。高価な品では無いのだろう。しかし、キラキラ輝くその石を、二人は嬉しそうに見つめていた。


「ちょっとした、お守りだと思って下さい。宝石では無いので、盗まれる心配も無いでしょう」

「あ、ありがとうございます! ずっと、大切に身に付けます!」


 それは、ささやかなサプライズ。アン・ズーからの気持ちばかりの贈り物である。


 だが、ラザーにはその気持ちが嬉しかった。最後まで自分達を、人として扱ってくれた。これまでの日々で失った、人としての尊厳を取り戻した気がしたのだ。


 ラザーは深々と頭を下げる。そして、石を手に笑顔を浮かべる、弟の手をそっと握る。


「今まで本当にお世話になりました。このご恩は一生忘れません。どうか、お二人にも天使様のご加護がありますように」

「ありがとう御座います。我々も、お二人の事を忘れる事は無いでしょう」


 ラザーは顔を上げると、最上級の笑顔を向けて来た。その美しい笑顔に、衣千伽は思わず見惚れてしまう。


 そこには一片の悪意がない。美しい善意だけが満ちていた。衣千伽は内心で息を漏らす。天使の微笑みとは、きっとこういう物だろうと思ったのだ。


 そして、二人は多くは語らず宿から去って行く。衣千伽はその背中を見送りながら、アン・ズーへと問い掛けた。


(これで良かったんだよね? 助けた事に意味はあったんだよね?)

『ええ、その通りです。助けた事に意味はありました。それは間違いありません』


 それは慰めでしかないのかもしれない。それでも衣千伽にとって、アン・ズーの答えは救いであった。


 こんな偽りだらけの自分でも、二人にとっての助けとなった。自分の存在が無価値でないと、そう思う事が出来たのだから。

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