ジャック=ラスク
サウサンプトンは港町であり、多くの商人が宿泊する地である。その為、夜であっても賑やかであり、商人達は夜遅くまで情報交換に没頭する。
そして、衣千伽の宿泊する宿にも酒場が併設されていた。空が赤く染まり始めた頃、衣千伽達は酒場で夕食を取る事になる。既にテーブルは半数が埋まっており、酒場は忙しくなり始めていた。
衣千伽の隣にはアン・ズーが座り、その向かいにラザーとドゥーヤの姉弟が座る。ドゥーヤは珍しそうに宿を見回し、ラザーは居心地が悪そうに身を小さくしていた。そして、会話の出来ぬ衣千伽に代わり、ラザーはアン・ズーへと確認する。
「ほ、本当に宜しいのでしょうか? 弟だけでなく、私までご一緒して……」
「勿論、構いません。アルフ様にとって、この程度の施しは些細な事ですので」
商人向けの宿で支払われる、二人分の宿代と食事代。スラム街で暮らす姉弟にとっては、腰を抜かす程の高額である。
しかし、衣千伽達は二十日間の旅路で、魔物の群れを五つ討伐していた。その報酬額は大きく、日本円にすると百万円以上を稼いでいたのだ。衣千伽達にとって二人分の代金など、大した負担ではない状況にあった。
その事を知る衣千伽は、気を大きくしながらラザーへと頷いて見せる。しかし、その考えを察知したアン・ズーは、彼に対して釘を刺した。
『欧州の魔物は雑魚であり、今の我々と相性が良いだけです。欧州を抜けるとこうは行きませんので、その辺りはお忘れ無きように……』
(うん、魔猿と魔狼ばかりだからね。別に忘れていた訳では無いよ)
魔猿や魔狼は群れで行動する習性を持つ。大食漢の彼等は餌場を荒らし、餌が減れば移動を繰り返す迷惑な存在であった。
その為、各国の王は領主に対して、魔物討伐の責務を課している。放置すれば領地は荒れ、魔物は数を増やして他の地へと向かう。そうなる前に、見つけ次第討伐するのが肝要という考えである。
とはいえ、戦力の多くが戦地に取られ、限られた戦力は都市の守りに残しておきたい。必要な時だけ雇える傭兵は、そんな領主達にとっては非常に便利な存在であった。
そういった需要とマッチした事で、今の衣千伽達は大金を稼ぐ事が出来ている。ただし、先を急ぐ衣千伽達にとって、これは期間限定のボーナスのようなものでもあった。
「さて、料理が来たようですね。そちらのシチューはドゥーヤに。良く煮込まれて消化に良いですからね。ただし熱いので、火傷しないようにゆっくり食べるのですよ?」
「いいにおい! おいしそう!」
ドゥーヤはスプーンを握りしめ、勢い良く食べ始めようとする。しかし、それは姉が慌てて止める。フーフーと息を吹きかけ、冷ましながら食べるのだと説明していた。
アン・ズーはその様子を、微笑ましく見つめていた。そんなアン・ズーに視線を向け、衣千伽は彼女に問い掛ける。
(それで、この後はどうするつもり? しばらくは、この街に滞在するんだよね?)
『ええ、少なくともドゥーヤが治るまでは。その間は魔物討伐等を請け負いながら、手元の資金も増やしておきたいですね』
アン・ズーは答えながら、手元のワインを口に付ける。衣千伽はその答えに満足しながら、焼かれた肉へとフォークを突き刺した。
衣千伽がそれを口に入れると、アン・ズーは意味あり気な笑みを浮かべる。そして、酒場の出入り口へと視線を向けた。
『それと別に、気になっていた件が一つ。どうやら、あちらの方々が教えてくれそうですね』
(ん? あちらの方々って……)
アン・ズーの視線を追い、衣千伽もその相手に気付く。数名の兵士を外に配置し、残り二名とこちらへ向かって来る背広姿の紳士である。
彼は金髪碧眼であり、線が細い眼鏡の男性。年齢は五十台と思われ、顔にはうっすらと皺が浮かんでいた。
その人物は、衣千伽達の側で足を止める。そして、兵士を背後に控えさせ、衣千伽達へと問い掛けて来た。
「少々、失礼します。私は市長のジャック=ラスクと申します。スラム街から子供が連れ去られたと通報があり、真偽を確かめに参りました」
「まあ、市長が直々に? それは驚きですね……」
口元に手を当て、目を見開くアン・ズー。しかし、衣千伽から見ると、その姿はとてもわざとらしかった。まったく驚いているようには見えない。
そして、ジャック市長はそれに対して反応を示さない。くいっと眼鏡を掛け直すと、自分を見つめる姉弟に視線を向ける。
「ですが、誘拐の類では無さそうですね。こうも堂々と食事を振る舞う以上、非合法な行いとは考えにくい。……それにその恰好を見るに、南東からいらした方々ですね?」
「ええ、その通り。主は祖国の習わしに従い、貧しき者への施しを行っただけで御座います」
その言葉にジャック市長は頷いた。アン・ズーの言い分を理解している様子であった。
そして、アン・ズーの視線に釣られ、ふっと衣千伽へと視線を向ける。そこで衣千伽の姿に目を見開き、ジャック市長は動きを止める。何やら深呼吸を始め、ゆっくりアン・ズーへ問い掛けた。
「……こ、こちらのお方は、修行の道中で御座いますか?」
「ふふふ、ご想像にお任せ致します……」
曖昧にぼやかした回答を行うアン・ズー。その意味あり気な笑みに、ジャック市長はごくりと喉を鳴らす。
状況に付いて行けない衣千伽は、内心で二人のやり取りに首を傾げる。すると、そんな衣千伽へアン・ズーの解説が始まった。
『ジャック殿はご主人様の姿を見て、王族の可能性が高いと考えております。下手な扱いで不況を買うと、この領地の今後に関わるかもしれない。場合によっては、領主に首を刎ねられる未来すらあり得ると……』
(マジで? どうしたら、そこまで話が飛躍するの?)
アン・ズーは心を読む能力がある。ジャック市長の考えは、アン・ズーには筒抜けなのだ。衣千伽としては、その言葉を疑うつもりは無かった。
とはいえ、その発想には首を傾げる。装飾品で豪華になったが、どうすればその様は発想になるのか理解出来なかったのだ。
『装飾品より高貴な身分とわかる。そして、従者一人を連れてこの地へと辿り着く。それだけの実力を備えた若者となると可能性は絞られる。その国で最も強き存在。王位継承権を持つ王族の可能性が高い。ジャック殿はそう考えておられますね』
(へぇ……。ってか、国で最も強き存在?)
説明の一部に引っ掛かる衣千伽だが、アン・ズーはその疑問には答えなかった。それよりも先に、ジャック市長がアン・ズーへと問い掛けて来たからである。
「ご迷惑でなければ、ご同席しても宜しいでしょうか? 色々とお話をお聞かせ下さい」
「ええ、問題御座いません。こちらも聞きたい事が御座いましたので」
アン・ズーが椅子を引き、ジャック市長へと着席を促す。すると、ジャック市長は軽く右手を振り、背後の兵士が外へと出て行く。会話の邪魔になると考え、この場から離したらしかった。
そして、ジャック市長はアン・ズーを見つめる。彼女の質問が気になるらしく、口を閉ざして言葉を待っていた。その為、アン・ズーは微笑みながら、先に話し始めた。
「まず、ワタクシは従者のライラ。こちらのお方は、我が主であるアルフ様となります。この街には、本日到着したばかりで御座います」
アン・ズーの自己紹介に、ジャック市長は静かに頷く。その立場上、二人の身元は事前に軽く調べていた。二人が旅の傭兵であり、本日街へ入った事は既に確認済みであった。
とはいえ、それ以上は街への入場時に確認される事がない。二人の申告が本当であるか。その正体が何者であるかは、自らの目で見る必要があると判断してやって来たのだ。
「そして、我々は街に漂う不穏な空気を感じております。その正体に心当たりは御座いませんか?」
「不穏な空気ですか……」
アン・ズーの問いに、ジャック市長は眼鏡をくいっと掛け直す。そして、渋い顔で何やら悩み始める。
二人のやり取りを見つめる衣千伽は、驚きで目を見開いていた。彼は不穏な空気など感じていなかったからである。勿論、彼の驚きは『偽装』スキルで、誰にも伝わりはしないんだが。
「……心当たりはあります。最近、スラム街で行方不明者が増えてます。それも親を亡くした孤児が、数日ごとに痕跡も無く消えるそうなのです」
「なるほど。それもあって、ジャック殿自ら動かれていると」
ジャック市長は渋い顔で頷く。そして、衣千伽とアン・ズーの顔色を伺っていた。二人を疑っていた事で、不快な思いをさせたかと気にしている様子であった。
だが、アン・ズーは気にした様子もなく微笑みを浮かべる。そして、納得した様子でジャック市長へと問い掛ける。
「孤児とはいえ、誰にも気づかれずとなると難しいでしょう。組織だった犯行かもしれませんね。それで時期や人数については?」
「こちらで把握しているのは、ここ一月以内となります。人数としては十人になりますね」
十人の子供が短期間で行方不明となっている。その事実に、衣千伽は内心で苦い思いを抱く。
向かい側ではドゥーヤが、話がわからず食事を続けている。ラザーは三人の様子を気にしつつも、弟の面倒を見続けていた。その二人が攫われる姿を想像し、衣千伽はテーブルの下で手を握りしめた。
「子供を静かに運ぶには難しいでしょう。ましてや、それだけの人数を気付かず隠せるでしょうか? その子供達の安否が気になりますね……」
「ええ、無事であれば良いのですが。何としても助け出したいですね……」
ジャック市長はすっと懐に手を入れる。そして、銀色のペンダントを取り出し握る。それは天使の姿を模していた。それを見たアン・ズーは、呟くように衣千伽へと告げる。
『天使教の信徒……。聖職者では無さそうですが……』
その呟きには、複雑な感情が混じっているみたいであった。その理由はわからなかったが、何となく衣千伽は今聞く事では無いと感じた。
この件は落ち着いたタイミングで、改めて確認しよう。そう考えて衣千伽は、二人のやり取りを見つめ続けるのであった。