最悪の結婚
「……結婚、ですか?」
皇帝の口から告げられたその言葉に一瞬、驚いたが、どこか他人事のように感じていた。いつかとは思っていたが、この日が来てしまったか。
「相手は【妖精王の寵華】と云われている、ミシェリア・フォンガート公爵令嬢だ」
父である皇帝は、淡々と告げる。
「……噂は聞き及んでおります」
あぁ、面倒くさそう。そう思いながらも、笑顔を作る。
「では、構わんな」
さて、これは断るべきか、否か。……受けるのは面倒だが、断る方が面倒か。
「謹んでお受け致します」
そう返事をして、部屋を後にした。あぁ、最悪だ。
「……ディアン」
話を終え、執務室に帰ると、会いたくなかったのがいる。ただでさえ、いつも会いたくないが、今日は特に会いたくなかった。
「セオドリック様、遅かったですね。皇帝陛下から呼ばれたそうですが、何かありましたか?」
「結婚が決まった」
正直に言うと、ディアンは思った通り嫌な笑みを見せる。だが、この笑顔がすぐに消える事くらいは想像がつくな。
「お相手はどなたです?」
「……妹君だ」
今日一番の笑顔で答えてやる。
「へー。・・・はい!?まさか、俺の!?……嘘だろ、ミシェリアが!?……そんな……ミーシェがこんな奴のところに!?……ありえない……あぁ、可哀想なミーシェ」
予想通りの反応。あまりの動揺に、成人してからは人前では使わないようにと徹底していた愛称呼びになっている。
ディアンは頭を抱えて嘆いていたかと思えば、そのうち呪いに近い内容の言葉を唱え始めていた。が、聞きたくないので、無視だ無視。
今日もディアンは元気だな。
今この国には、大きく分けて二つの派閥がある。ひとつは皇族派、そしてもうひとつはフォンガート公爵家派。
フォンガート公爵にその気は無いだろうが、貴族も民も、もはや皇族を崇めてなどいない。フォンガート家が皇帝に忠誠を誓っているから成り立っているだけであって、彼らが反旗を翻せばそれまでという危うい状況。
そこで持ち上がったのが、この婚姻。
だが、フォンガート家の者たちのミシェリア嬢への溺愛は常軌を逸している。というのは社交界ではよく知られた話。
ミシェリア嬢はなかなか社交界に姿を現さない。出たとしても2人の兄が同伴で、近づけないらしい。おそらく、ディアンを敵にしようものなら、社会的に抹殺。弟の方なら、物理的にだな。
個人的に言うなら、皇族じゃなかったらフォンガート家とは関わりたくなかった。他の貴族もそうだろう。
そんなフォンガート家の愛娘と結婚することになろうとは。皇帝の横に立っていたフォンガート公爵のあの顔……絶対納得はしてない……。
この婚姻を受ければ一生、ミシェリア嬢のご機嫌を伺わなくてはならない。だが、断れば、何が不満かとフォンガート家は反旗を翻してでも俺を殺しにくるだろう。……本当に、面倒臭い。
「……ミーシェを泣かせたら殺します。どんな手を使ってでも」
嘆くのは終わったのか、ディアンが殺気を放ちながら睨んでくる。お前らしい答えだよ。そして、それがただの脅しでないことは、嫌という程わかっている。最悪だ。
「肝に銘じておくよ。……その様子では、もう仕事が手につきそうにないな。父君と弟君、3人とも休暇にしておく。今日は帰って妹君との時間にでも使ってくれ」
「あぁ、そうしよう……」
見るからに覇気のない顔。よっぽど妹君が大切なのだろう。おぼつかない足取りで執務室を出ていく背中を見送った。
あの一家の連中は、普段からそれはそれは可愛いのだとミシェリア嬢を自慢していた。ただ、俺とミシェリア嬢をどうしても会わせたくなかったようで、俺は未だに顔も見た事がない。
話はしてくるが絶対会わないように、同じパーティに参加させないくらいには徹底していた。まぁ、そんなに囲られては、逆に気になるもので。
「……どんな人だろ」
──────ミシェリア嬢と初めて会うのは、結局、結婚式の当日だった。それだけフォンガート家がミシェリア嬢を手放したくないということだろう。顔見せの挨拶すら、頑なに許されなかった。
本当に、愛されて育った愛娘なのだろう。
俺とは別世界の人間だ。
──カツカツ
廊下の奥の方からヒールの音がする。やっと来たか。
ゆったりとした歩みで長いドレスを踏まないようにと歩いてきた少女は【妖精王の寵華】という2つ名に相応しい、可愛らしい人だった。
これは、フォンガート家が大切にするのが分かる、見るからに純粋無垢といった少女だ。こんな触れていいのか躊躇われるような儚げな少女が、妻だなんて。
「初めまして、ミシェリア・フォンガート嬢。私は、セオドリック・ドウェイン・レンゼオールと申します」
動揺を隠して、いつものように笑顔を作って挨拶をする。
彼女の後ろにはフォンガート家がいる。嫌われようものなら、泣かそうものなら。ああ、最悪な情景が簡単に思い浮かび、浮ついた心は一瞬にして地に沈む。
「…………」
・・・あれ?何も返ってこない。
「ミシェリア嬢?」
「…………」
ミシェリア嬢は俺を見上げた姿のまま、何も言わない。
ヒールでも頭1つ分は身長差があるからか、上目遣いで若葉色の瞳が真っ直ぐこちらを見据えてくる。特に耳聞こえないとか目が見えないって話は聞いてないのだが?
「……まもなく入場です」
「あ、あぁ」
従者の声に、並んで扉の前に立つ。ミシェリア嬢は俺の腕を掴んでこそ来るが、目も合わない。
何を考えているのか分からない人だ。ただ、その所作は洗練された貴族のそれで、格式高い貴族令嬢なのだと嫌でも分かった。……高貴なこの少女の態度は、俺を認めないと言っているようだった。
その後、式が終わるまで、目も合わなければ、何の会話も出来なかった。ただただミシェリア嬢は、穏やかな貴族らしい微笑みを浮かべていた。
ディアンたちの話では、表情豊からしいのだが。とことん嫌われているようだ。……あぁ、憂鬱だ。この場にいたくないが、ミシェリア嬢とふたりになるのも嫌だ。
ミシェリア嬢とは、全く会話も出来ずに終わった結婚式。やっと終わったかと思うと、フォンガート家の者たちに、ミシェリアを泣かすな、傷つけるな、なんだかんだと……脅された。圧が凄かった。つか、怖かった。
そして、これはどういうことだろう。やっと解放されて、部屋に行ってみれば、目の前には初夜にも関わらず寝ているミシェリア嬢。
ミシェリア嬢の寝ている隣に座って、彼女を見る。
何を考えているのか、何を思っているのか、スヤスヤと眠っている。寝顔はまだ幼さを残しており、式の少女とは別人のように可愛らしいただの女の子だった。
「嫌われたのかな……」
こんな簡単に折れてしまいそうな可憐な女の子一人に、俺の人生すべてがかかってるなんて。もう嫌われたのかな。そりゃそうか、政略結婚だし、俺なんかが好かれるわけないか。
「……」
さて、どうしようかな。
少なくとも、このまま部屋から出れば、後でフォンガート家に殺される。……起こすべきか?でも、彼女の眠りを妨げたと殺されないか?
面倒臭い。死ぬ運命しかないんじゃないかとさえ、思えてきた。
「……ミシェリア嬢?」
一応、声をかけてみる。
「すぅ……すぅ……」
起きない。もうこれは仕方ない、寝よう。
後は明日の自分に任せ、ミシェリア嬢の横で寝ることにした。寝るくらいはいいよな?
「んっ、……ん?」
見られている。すっごく、見られている。熱い視線を感じ、目を覚ました。こんな朝、初めてだ。
目の前には、こちらをじっと見つめるミシェリア嬢。雰囲気は全く違うが、顔のパーツから確かにあの兄弟の妹なのだと思わされる。
だからだろうか、なんか怖い。
「おっ、おはようございます!そして、昨夜は申し訳ありませんでした!!」
挨拶をしたかと思えば、次の瞬間には彼女はそう言ってベッドの上で頭を下げてうずくまる。
昨日見た非の打ち所のない高嶺の花のような少女は、今は年相応のおてんば娘に見える。……夢か?
「だ、大丈夫ですよ。気にしないでください!昨日はお疲れだったのでしょう?仕方がありませんよ。ですから、頭を上げてください」
ハッとして、必死に頭を上げるように懇願する。頭を下げさせたなんてバレたら、どんな目に合わされるか。
思いが伝わったのか、ミシェリア嬢はゆっくりと顔を上げた。目が合う。ふっと笑った彼女は、今まで見たどんな女性よりも愛らしい。どういう感情でこんな顔してんだか。
あっ、そういえば。
「ミシェリア嬢、結婚早々申し訳ないのですが、しばらくは仕事が忙しく、顔を見せられないと思います。その間、不都合がないように手配しますので……聞いてますか?」
「…………」
結婚式の時と同じだ。なんの反応もない。
何?何か気に障ること言ったか?せっかく、喋ってくれたのに。
────コンコンコン
どうしたものかと戸惑っていると、部屋を叩く音がした。何と間の悪い……。
「あっ、……どうぞ」
穏やかなミシェリア嬢の声が応える。
「おはようございます、セオドリック皇太子殿下、ミシェリア皇太子妃殿下」
入ってきた侍女は確か、ミシェリア嬢が公爵家から連れてきた侍女だったはず。
ミシェリア嬢は、その侍女と楽しげに話をしていた。俺のときと違って、全く止まることの無い会話。俺との会話のときだけ?
「……それではセオドリック様、また後で」
「……?あ、はい」
後で?しばらく忙しいって、言ったよな?ただの挨拶……だよな?
ミシェリア嬢は笑顔で部屋を出ていった。部屋に一人なんていつもの事なのに、なんだか少し寂しく感じる朝だった。
──────そうして、仕事をしていたが、思ったよりも長引いて、気づけば一ヶ月ほど経っていた。
ミシェリア嬢が嫁に行ったせいか、フォンガート家の者たちは仕事が手につかないらしい。ただでさえ、結婚式前も働かなかったくせに、結婚後も嫌がらせのごとく仕事をしてくれない。
いい加減、働いて欲しいけど無理には言えない……。全く、これのどこが皇太子なんだろう。
そんな事ばかり考える日々だった。
─────さて、気になる調査書を皇太子補佐のディアンの元に確認のため持って来ただけなのだが、なんだ、この空気……。
笑顔のディアンがこちらを向いているが、明らかに怒っている。そして、ミシェリア嬢の侍女まで、殺気を向けてくる。その二人に挟まれ、青ざめた顔のミシェリア嬢。
見なかったことにして帰りたい。
「……出直した方が?」
「いえ、丁度お会いしたかったんです。セオドリック皇太子殿下」
分かりやすくディランは怒っている。何が原因だろう。なんか笑顔で招いてくれているけど、行きたくない。そして、ミシェリア嬢……首が折れないか心配だ。
……面倒臭いが、仕方がない。
「ディアン、言いたいことがあるなら言え。ミシェリア嬢、そんなに首を振られても私は仕事でここに来たので帰れませんよ」
そう言うと、ディアンからは笑顔が消えた。ミシェリア嬢は首を振るのをやめて、こちらをじっと見ている。
「で、何だ?話がないなら、仕事の話をしたいんだが」
ディアンに問うと、ディアンは目で分からないのかと問うてくる。分からないから、聞いてるんだが?
「……ミーシェを傷つけるなと言ったはずだが?」
ため息の後に、何か文句を言っているが……え?全く心当たりがない。
ミシェリア嬢を見るが、傷はないよな?この場合は、心の傷だろうが、ここ一ヶ月会ってすらいないし、会話もあの朝だけ。
「何か、気に障ることでもありましたか?」
「え?私、傷ついてたんですか?」
「……?」
話が噛み合わない。
……とりあえず、面倒事の匂いがする。




