8話 過去の幻影
誰でも使える椅子に腰を下ろし、リリィは日和の背を見送った。
リリィは一人になった途端胸の内に不安に似た何かが込み上げてくるのを感じる。その不安のようなものは恐らくいつも傍にいてくれる人がいなくなったということが生み出したものなのだろう、などと考えつつ、リリィはストローへ唇をつけた。
一度は悪の道に足をつけた自分にこんな未来が待っていたなんて……。
不思議な運命に思いを馳せながら、リリィはアイスティーを飲み続ける。
一人ぽつんと座っているとどことなく寂しくて。けれども、昔のように心の奥までもが冷えきることはない。胸の内、その一番奥底には、日和という火が灯っている。だから孤独ではないし、深い闇を感じることもないのだ。
通り過ぎてゆく人たちの笑顔に憎しみを抱くことも、もうない。
リリィは自分が変わりつつあることに気づいていた。日和と出会い触れ合うことで、徐々にではあるがかつての自分は薄れていっている。その事実を、戸惑いつつも、受け入れようとしている。
刹那。
「みーつけた」
突如降りかかってきた男性の声。
リリィは何かを察したように青ざめながら、素早く振り返る。
その時片腕が当たり日和のアイスティーがこぼれた。
「なっ……!」
詰まるような声を漏らしながらリリィは脚を震わせる。
「久しぶりー」
不気味な笑みを浮かべつつ妙な明るさで挨拶をするのは、高身長の男性。
オールバックにしたワインカラーの髪と灰色寄りの色みの肌。身にまとっているのは見かけないこともない黒のスーツだが、それでも、この世の人らしくない空気をまとっている。そんな人物。
「……どうして、アンタがここに」
「クビになったお馬鹿ちゃんがどうなったかなと思ってね。見にきてみたーってわけ」
リリィは男性を見上げながら声を震わせる。
周囲を通り過ぎてゆく人たちは、リリィらを一瞥することはあっても、手を貸してはくれない。見て見ぬふりか、はたまた何も思わないのか。いずれにせよ、リリィに救いの手を差し伸べてくれる者は近くにいない。
「調子はどうだい? 捨てられたお馬鹿ちゃん」
「う……うるさい! 黙って!」
「あーあー相変わらずだねー。そうやってギャーギャー騒ぐわりに、能力はない」
それでもリリィは逃げ出せなかった。
なぜなら、日和にここにいるよう言われていたから。
「今までとは逆、利用してあげよっか?」
「寄るな!」
「あっはっは、冷たいなー。元同僚なんだから仲良くしてよー」
「ふざけんな! もう関係ない、寄るな!」
リリィは懸命に威嚇し大声を出す。しかし抵抗が細やか過ぎて男性には効果がない。いや、それどころか、逆効果になってしまっている部分すらある。男性は寄るなと言われれば言われるほど寄りたくなるようで、じりじりとリリィに近づいていっている。
そんな最中。
「リリィちゃん! お待た——えっ」
日和が戻ってきた。