74話 陰りの季節
夏が過ぎ、秋が過ぎ、もうじき冬を迎える。
ついこの前まであんなにも暑い暑いと思っていたというのに、気づけば今度は寒いと呟いてしまうような気温。分厚い上着を着るほどの寒さではないものの、半袖だけだと寒さを感じる。皮膚の表面がぴしりと硬直するような感覚がある。
ただ、日差しを愛おしく感じられる時期になったことは、とてもありがたくそして喜ばしいことだ。
早くこの日が来てほしかった。
そしてその望みはようやく叶った。
そんなある休日のこと、リリィと二人自室でそれぞれしたいことをして過ごしていると、母親がやって来た。
「日和、今日鍋でいい?」
母親は扉を開けるや否やそんなことを口にした。
「鍋?」
珍しいな、と思ったのとほぼ同時に、自然とそんな風に返していた。
深い意味があるわけではない。
「そうなのー。せっかくだし露澤さんも呼んでみようかなーって」
「えっ」
しばらく彼に関する話は聞いていなかったし、直接会ってもいない。それゆえ、彼の名前が話に出てくるのは久しぶりな気がする。懐かしささえ感じられる。
ちなみに、リリィは、渋柿を食べたような顔をしていた。
「何か問題があったかしら」
「あ、いや、ううん。大丈夫。そんなのじゃないよ」
「なら誘ってみていいわね?」
「あ……う、うん。いいよ。もちろん」
「良かった! じゃあ連絡しておくわー。やっぱり鍋は大勢で食べる方が楽しいものね!」
ご機嫌になった母親は去っていった。
室内にはリリィと私の二人だけが残る。
「……良かったの、日和」
リリィは控えめに視線をこちらへ向けてきている。
「まぁ駄目ってほどでもないと思うよ」
「ふーん。甘いんだ」
「どうしてそんなことを言うの?」
「べつに」
「もう! すぐそうやって隠す!」
ついうっかり。
意識しないうちに大きめの声を出してしまった。
「……うるさい」
「ごめん」
「……あんなやつと一緒なんて嫌じゃないの、ってこと」
「それが質問の意図?」
「そういうこと」
確かに、彼と顔を合わせれば、きっと気まずくなることだろう。けれども、個人的には久々な鍋が楽しみで仕方ないので、計画が消えるようなことはしたくない。たとえ少し気まずくても。それでも私は鍋を食べたい。
夏場は鍋は楽しみきれない。
暑過ぎるから。
だからこそ、楽しく美味しく食べられる季節には食べたい。
「そうだったんだ! でもね、私、嫌じゃないよ。それに鍋食べたいし!」
「……ふーん、鍋が食べたいだけってコト」
「うん! 実はそんな感じ! まぁこんなこと言ってたら大食いの人みたいでちょっと変かもだけど」
だがそれが事実なのだ。私の本心なのだ。私は共にいる人との気まずさより食べたいものを優先する。彼が命を狙ってくるなどであれば話は別だけれど、そうではないから、ならば食べたいものが優先されるというもの。




