19話 ご近所さん、とは思えない
母親はワインレッドの紙袋を持っていた。
「露澤さんって仰るそうよ」
「へ、へえ……」
向かいの賃貸アパートに引っ越してきたという彼は、母親の前では決して笑顔を崩さない。
善良な青年を装っている。
けれども、私にとっては、そこがまた不気味で恐ろしかった。
なぜこんなにも平然と私の前に現れることができるのか。何事もなかったかのように笑顔を作っていられるのか。そして、どうして、彼はわざわざ母親に贈り物を渡したのか。
「ではこれで、今日のところは失礼しますね!」
「はい。またよろしくお願いします」
その後すぐに解散になった。
しかし私の心は重いまま。胸の内を満たすモヤモヤが消えることはない。彼が何を企んでいるのか分からないからこそ不気味で。もはや心のみならず身体までずっしりと重く感じる。
母親は何も思っていないようだし警戒してもいないようだけれど、油断はできない。
何か仕掛けてくる可能性もないことはないのだから。
その日の晩、寝る少し前に、私は自分の部屋でリリィに言う。
「あの人、何を企んでいるのだと思う?」
先日リリィ用として買った紺色のパジャマを着て床に座っているリリィは、目を細めたまま小さな溜め息をつく。
「ホントそれ。意味不明」
「よねー……」
「鬱陶しい」
私は夢見さんに『今日はありがとう、楽しかったね』というメッセージを送っておいた。
機会があればぜひまた行きたいから。
「前は薔薇、今日は贈り物、何を考えているのかよく分からないね」
「……名前はローザ」
「え?」
いきなりだったので一瞬きょとんとしてしまった。
リリィがいきなりそんなことを言いだすとは予想していなかったのだ。
「あの男の名前。ローザ」
「そ、そうなの?」
母親は確か彼の名を露澤と言っていた。もしかして、露澤というのは本名ではなくて、仮の名なのだろうか。そういうパターンも、考えられないことはなさそうだが。当て字のような感じで適当に名乗っているだけということだろうか。
「だから露澤さん、なのかな?」
「そうかも」
「じゃあ前に薔薇をくれたのも、さりげなく自分の名前にちなんでたのかな?」
「……それは知らない……分かんない」
私としては、取り敢えず手を出されなければそれでいい。過剰に追い払う気はないし。無害なのなら、それ以上何か言っていくつもりもない。私はただ厄介なことに巻き込まれたくないだけ。
「ところで日和」
「何でも言って」
「さっき、また、夢見……にメッセージ送ってた?」
なぜいきなりそんなことを尋ねるのか。
「うん、そうだよ」
「ふーん。そ。分かった」
「え、ちょっと、なになにー? どうしてそんなこと聞いたのー?」
「……何でもないから」
ぷいとそっぽを向くリリィ。
何でもないとは思えない。
「あ。もしかして、リリィもはなちゃんと連絡したい?」
「それはない」
きっぱり返してきた。
「……ホント、何でもないから」




