一話 やばいです
三年前、それは彼女にとって唐突に起こった。
「ねぇ、兄さん!」
うっすら青色に光るペンダントを握りしめている一人の女の子が少年に話しかけていた。
「悪い、また後でな」
申し訳なさそうに笑う少年。少年の手にはたくさんの荷物があった。
「ねぇ、兄さん、茜さんは?」
女の子は不安げな表情をして首を傾げている。
「茜ならすぐに帰ってくるよ」
女の子は幼いながらにその言葉に違和感を覚えた。
「……兄さんは?」
「兄さんは……茜より遅くなるけど、すぐ帰ってくるさ」
女の子はとても嫌な予感がしていた。彼女はこういうときの予感の的中率がとても高いことを知っていた。
「じゃあ行ってくるね……大好きだよ。葵」
そう告げて少年は家を出た。女の子は窓からその少年の姿を眺めていた。
「──あ」
彼女は急に不安になった。いや、さっき嫌な予感がしたときにも不安はあった。けれど、今感じた不安はそれの比にならないほどのものだった。しかし、もう遅い。少年の姿はもう見えない。
彼女はこのことを深く後悔することになる。あのときどうしても彼を止めなかったのか、と。そしてこの日から世界に『バグ』が起こり始める。
*
ふぅ。やっぱりゲームは楽しいですね。私はたった今ボスキャラにようやく勝ったのです!
このゲームは基本、敵を倒して物語を読んでいくソシャゲなのですが人気すぎて考察もいろいろされているんです。今のところループ説が最有力なんだとか。
まあ、私はあまり考察とか興味ないので詳しくは知らないんですけどね。
……ゲームをやること以外の休日の過ごし方って何なんでしょう。ゲーム以外に思い付きません。
時間だけが無駄に過ぎていってますね。
あっ! そうだ!
もうそろそろ高校生になるんだし、今日から日記を付けるとかどうでしょう。私の閃き力やばすぎます。
しかし、突然すぎて二次創作のご都合展開か何かと勘違いするところでしたね。
さてと、まず文章構成を頭で考えるのが大切ですよね。
私は東雲葵! どこにでもいる普通の高校一年生!
……と言いたいところだけどまだ新学期になってないのでまだ中学生扱いなのです。私が通っている学校は中高一貫の学校なので、もう高校生と名乗ってもいいのではないでしょうか!?
いや、でもよく考えるのです、私。今ここで高校生宣言をしてしまうと、どこかに出かけたとき入場料が高くなってしてしまうのでは!?
いやぁ、よく気づいた、私。流石、私。最高ですね、私。
そういえば、茜さんにお使い頼まれてたんでした。茜さんっていうのは兄さんの彼女さん。兄さんは三年前からずっと音信不通だから兄さん以外の家族がいない私のことを心配して、茜さんの家に居候させてくれてます。でも茜さんは仕事柄、出張が多くてあまり家にいません。
すごくいい人だけど、ちょっとだけ私との関係がギクシャクしてます。まあ、全部私のせいなんですけどね。
おっと、話がちょっとだけ脱線しました。なんの話をしてたんでしたっけ? ああ、茜さんから頼まれてたお使いの話ですね。実を言うと、お使いのことなんかはもう完全に忘れちゃってたんですよね。だからそろそろ行かないとやばいかなぁと思っている今日この頃。
えっ? いつお使いを頼まれたのかって?
えっと、そうですね……確か一週間前だった気がするような違ったような……。あっ、でもでも、茜さんは週に一回だけ家に帰って来るんですよ。だから次に茜さんが帰って来るまでにお使いを済ませておけばいいわけなんですよ! ね! すごいでしょ!
あ……ちょっと待ってください。茜さんにお使いを頼まれたのが一週間前。茜さんは週に一回家に帰って来る。……ん!? 茜さんが帰って来るのって今日じゃあないですか!?
やばいです。これは確実にやばいです。ただでさえ茜さんの私へ対する信頼は底辺中の底辺なのに、これ以上信頼を落とすわけにはいきません。
ああ、もうっ!
日記の構成なんて考えてる場合じゃありません。私は今、出来る一番効率のいいやり方で服を着替えています。えっと、お財布、お財布、あれ? どこに置いたんでしたっけ? 確かこの辺りに……あった!
カバンの中にお財布とエコバッグを押し込んで、よし! 準備完了!
あっ! 危ない、ペンダントを忘れるところでした。
私は春の暖かい昼寝日和な日に歩道を全力疾走で走り出しました。
ふぅ、なんとかなりましたね。買いたかったものは全部買えましたし、セーフですね。本当に。
えっ? 何を買ったのかって?
それは企業秘密です。別に教えてもいいですけど茜さんのプライバシーがなんとかって問題にされても嫌なので教えないです。さて、帰り道はゆっくりしてもいいですよね。
ああ、春の香りがします。この香り好きなんですよね。もうこのまま目をつぶって夢の世界に行きたい位です。
……試しにちょっと目をつぶってみます。ああ、すごく、本当に、いい匂いです。元々無い語彙力がさらに死滅する位。
すんすん。なんでしょう、この匂い。んー、あっ! 檜の匂いですね!
えっ? 檜? この辺りに森とかありましたっけ?
もしかして目をつぶっている間に知らないところまで来てしまったとか!?
いやいや、まさか。だってそんなに歩いてませんし。まあ、こういうときは焦らず、慌てず、落ち着いて行動するのが一番大切です。
えっ? 落ち着いている人は目をつぶったまま歩かない、ですって? そんなこと気にしたら負けなんですよ? 知らないんですか?
おっと、無意識のうちに煽るようなことを言ってしまいました。これは私の美点でもあって欠点でもありますね。
なんですか、まだ何かあるんですか。えっ、今の美点でもあり欠点でもあるって使い方間違っていたんですか? ……無意識のうちに煽るのは美点ではないということですか。でも私はそうは思いませんよ。だって煽ることが出来るのは一種の才能だと思いますからね。
ちょっと、なんでむすっとしてるんですか。あー、もう! わかりました! そういう考えもあるというのは覚えておきますよっ。
というか、ずっと目をつぶったままだったので気づかなかったんですけど、私、今横になっているような気がするんですよね。ちょっと怖いけどそろそろ目を開けてみますね。
ドキドキ、ドキドキ。ちょ、あざといとか言わないでください。本当にドキドキしてるんだから。
……あれ? あれれれれ? おかしいです。ちょっと待って。この状況はどう考えてもおかしいですって! だって、目を開けたら真っ暗なんですよ!?
それに体が痺れて全然身動き取れないんですけど!?
えっと、もしかして私、誘拐されちゃった? いや、でも歩いているとき何も違和感感じなかったし……。うーん。どうしましょう。
あれ? なんか、すごくまぶたが重い?
あれ? おかしいですね。なんだかクラクラする……?
私、この状況で寝ようとしてるのでしょうか。それは流石に頭おかしい人がすることなので私がそんなことするはずがありません。
──っ! まさか睡眠薬!? 私本当に誘拐されたの!?
や、やばいです……。
気を、しっかり……持つ、のです……私……。
うう、もう限界か、も……。