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雑記  作者: ともるん
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雑記⑤

「祖父の思い出」


背が高くて、怖いおじいちゃんだった。

ちょっと面倒くさがりなとこもあって、毎朝仏壇にお経をあげてたけど、いつからか録音したお経を流してた。

そのお経の中で「こらーっ!!」って怒声(遊びに来た孫たちを怒ってる声)がちゃっかり入ってて、「仏様もびっくりするよね」って母が笑ってたのを思い出した。


おじいちゃんは原始人なみに歯の本数が多い人だったらしく、知り合いのお医者さんに「死んだら頭蓋骨を寄付して欲しい」と頼まれてたみたい。

「嫌だ」って断ったそうだけど、「標本として残るのも面白いのになぁ」と叔父さんが言ってた。

博物館に飾られてるおじいちゃんを想像してしまった…。


当時まだ30代で独身だった叔父さんが祖父と同居して面倒見てたけど、おじいちゃんは頑固で人づかい荒かったのでしょっちゅうケンカしてた。

おじいちゃんがそこらへんにメガネ置きっぱなしにして「メガネ知らんか」っていつも探してて、探させられる叔父さん。

「メガネをビスで止めとけばいいだろ」って文句言いながらも探してた。

私が叔父さんに「ビスって何?」って聞くと、「フランケンシュタインの顔に刺さってるやつ」って。

そういう憎まれ口たたきながらも、おじいちゃんの面倒を最期まで見てたのも叔父さんだった。


そういえばフランケンシュタインのはビスじゃなくてボルトだよね。



「フランケンシュタイン」


フランケンシュタインについて、ある方がこう言ってたの思い出した。

「フランケンシュタインの額に刺さってるボルトはなかなかの狂気。2~3トン対応用のあのサイズのボルトを人体の額に使うってマトモじゃないってわかる。まぁ、電極用に使うならわからなくもないけど、それでも大きすぎる。そんなに放電圧…(なんたらかんたら)」


「外国の人って雷が好きだよね。『バックトゥザフューチャー』もそうだし、なんであんな不安定なものを電気として使おうとするかな」って言ってた。

だからハラハラドキドキするのかも、と思う。


*フランケンシュタインって本当は博士の名前だっけ。でも同義語みたいに使われてるね。



「変わるもの、変わらないもの」


時代ものの小説を読んでると、この時代のこの職業の人たちはこの後どうなっていくんだろう?と思うときがある。

私自身、仕事を失うということがあった(さんざん泣いた)けど、職業自体はまだあるから転職は可能だった。


でも、時代によってはいくら超絶技巧でも、職業自体がなくなることもあるわけで。

市井の人々のことはあまり残らないから、想像するしかない。

昔の人は寺子屋時代から専門の職業のために勉強してただろうから、その道一筋で生きてきて、なのにその職業を失うって考えただけでも辛い。


時代の波って、その時代の人たちにしかわからない空気感なのかもしれないなと思った。

ヨーロッパの絵かきさんの自伝的小説を読んだとき、印象派から抽象画に至る間で時代の波に翻弄される人が多かったことを知った。


印象派が出てきたときはけっこう反発があったみたいだけど、抽象画はすんなり受け入れられたのが不思議。


(そのころ沸き起こってた絵画のみならず芸術・思想全般に影響を与えたシュルレアリスム運動も関連してる?)


その波に上手に乗って大成した人もいれば、波に飲まれて自分の作風を見失って絵筆を折ってしまった人もいると知ってショックだった。


みんながみんな同じ波に乗らなくてもいいのに、と今の時代からなら思えるのかな。

仕事として続けていくなら、波に乗らなくちゃいけないこともあるのか。


受け手側からすると、変わってほしくない時もある。

変わらないって不便かもしれないけど、不便なりの面白さがなくなっていく気がする。


ふと時代にも終活的なものがあるのかなと思った。

残していくものと、消えていくもの。


いつの時代も現代人は、「巨人の肩に乗る小人」だとしたら、継承してきたものを伝えるというのは大事なんだろうなと思った。



「旅」


紀貫之の「土佐日記」を読んだとき。

旅の出発と到着がやたら大仰で新鮮に感じた。

今なら高知から京都なんてすぐなのに、その当時は命がけっていうか、船旅だし、別れが本当に「もう会えないかもしれない」ってくらいの心情で。

その当時の“旅”の雰囲気が感じられてタイムスリップしたみたいだった。


色んな知らない町を歩きや自転車で散歩するのが楽しくて、知らない所がいっぱいあるなぁと思う。



「フィクションと夢」


創作する前までは、作詞家さんは自分の気持ちを書いてるのだと思ってた。

だから、ビートルズの歌で自分の子供に向けて書いた曲を聞いたとき、「家族の歌まで仕事にしないで欲しいなぁ」って思ったのを覚えている。

焼きもちなんだろうなぁ。自分だけの家族でいて欲しいのに、家族の思い出まで仕事に盗られてしまったようで。


でも、創作するようになってわかった。

自分そのものって書けないな、と。


占い師の人が自分のことはわからない、ってよく言うけどそういう感じなのかな。

創作も夢の延長線上みたいなものだし、現実だと思って書いているものも主観的だから、客観的事実とは異なると思う。

だから、すべてフィクションのように感じることも。


個々人のリアルは他人にとってはフィクションなのかもしれないなぁ。

フィルターが違うから。


オカルト的なものも現実主義者的な考えもどっちも興味深い。

両極端なようで似ているような気がする。


神秘的なものを探求しようとする姿勢が。

アプローチは違ってても、その純粋さがどっちも好ましいと感じてしまう。

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