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再会の後に

10年ぶりに見る緑川さんは、相変わらず美しかった。その長い黒髪も、愁いを帯びた大きな瞳も、細く長い手足も昔と変わっていなかった。緑川さんはその時ほとんど化粧をしていなかったけれど、彼女の整った目鼻立ちは全くそれを感じさせなかった。ただ僕は彼女を見つめながら、10年という歳月が彼女に落とした淡い影のようなものの存在を、うっすらと感じざるを得なかった。その影はまるでお気に入りの服にこぼしてしまった昔のコーヒーの染みのように、彼女の背中にひっそりと張り付いていた。当たり前の事だけれど、そこに居たのはもう高校生の緑川さんではなかった。


彼女は少し困惑したように、

「安田くん…どうしてここが?」と尋ねた。

僕は何と説明したらいいのか分からずに頭を掻きながら、

「えっと…話すと長い話になるんだけど…」と答えた。


緑川さんは持っていた絵筆を木製のパレットに置くと、ふっと息を吐いて言った。

「とりあえず、リビングで話す?」

僕は何度も軽く頷いて、

「うん、そうしようか。」と答えた。

僕がダイニングテーブルの椅子に腰を下ろすと、緑川さんは2人分の紅茶を淹れてくれた。アンティークのティーカップに顔を近づけると、ダージリンの優しい香りが広がった。

緑川さんは紅茶をひと口飲んで、

「それで、どうやってここが分かったの?」と上目遣いに尋ねた。

彼女の座っている椅子の奥にある窓では、曇り空から霧雨が音もなく降り続いていた。


僕はここ1週間ほどの間に起きたことを、最初から説明して行った。高校の卒業文集を眺めていた時に緑川さんが隠していたメッセージに気が付いたこと、美大の弓木先生を尋ねたら緑川さんが大学生の時に行方不明になったと聞かされたこと、そして絵を見た姉にここが霧ヶ峰高原だと言われたこと。


緑川さんは僕の話の一つ一つを、驚いた表情を浮かべながら聞き入っていた。そして僕が話し終わると、色んなことを自分の中で整理するように、ティーカップに少し残った紅茶を見つめながらしばらく考え込んでいた。


そしてややあってポツリと、

「弓木先生、まだ私のこと覚えていてくれたんだ。」と言った。その言葉には、放心したような響きが入り混じっていた。

僕も紅茶をひと口飲んで、

「うん。自分が今までに教えた中でも最も優れた生徒だったって言ってたよ。」と言った。


それから緑川さんはクスリと笑って、

「それにしても、あんな分かりにくい縦読みを見つける人がいるなんて信じられない。安田くん凄すぎるよ。私だって、自分が隠したイタズラの事なんて忘れてしまっていたのに。」と言った。

普段褒められ慣れていない僕は少し困って、

「いや、それは何かたまたまだよ。暇だったから。」と言って笑った。

僕はそこで軽く咳払いをして椅子に深く座り直すと、緑川さんの瞳を見つめて、

「それで…緑川さんはどうして急に居なくなったの?もちろん、答えたくないことならいいんだけど。」と尋ねた。


緑川さんはそれを聞くとティーカップを両手で包み込むように持ちながら、ダイニングテーブルに視線を落としてしばらくの間くちびるを噛んでいた。どうやら様々な葛藤が、彼女の心の中で持ち上がっては消えて行っているようだった。

僕はすぐに、そんな質問をしたことを激しく後悔した。10年ぶりに会ったただの同級生なのに、何か訳があるに違いない昔の記憶を緑川さんに思い出させて、一体何になるだろうか?それは明らかに、ただの好奇心から聞いてはいけない質問だったのだ。


しかし緑川さんは、やがて決心したように自分に向かって何度か頷くと、

「ねえ…安田くん。」と言った。

「えっと、何でしょう。」と僕はゴクリと唾を飲み込んで答えた。

彼女は紅茶の最後のひと口を飲み干すと、僕を見て言った。

「これからする話はね、はっきり言って全然楽しくない話なの。たぶん安田くんを凄く嫌な気持ちにさせてしまうと思う。だから私ね、今までの人生でこの話をほとんど誰にもしたことがないの。」

僕は驚いて、

「そんな…大事な話を自分が聞いてしまっていいの?」と尋ねた。


緑川さんは頷いて、

「もし…安田くんが聞いてくれてもいいって言うなら。」と言った。

「もちろん…大丈夫だけど。」と僕は答えた。

でも本当に大丈夫なのかどうか、その時の僕には全く確信が持てなかった。むしろ彼女の中の深淵に、間違って足を踏み入れようとしているような感覚すらあった。

彼女はふーっと長い息をついて、

「もし今安田くんにこの話を出来なかったら、私はきっとこの先一生、誰にも自分の気持ちを打ち明けられないと思うの。だからきっと安田くんには嫌な思いをさせてしまうけど、ごめんね。」と言った。


そして緑川さんは語り始めた。

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