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あれは小学校六年生の頃だった。
通っていた小学校の先生の思い付きなのか、夏休みの読書感想文の代わりに、『とある出版社がやっている学生向けの短編小説賞への応募作品を書くこと』という課題が出た。規定は『二千字以上、五千字以内の短編小説』というたったそれだけ。けれど、当時の私にはとてつもなく膨大な文量かつ難題に思えたのを憶えている。
「なんにしようかなー」
始業式を週明けに控え、冷凍庫から取ってきたアイス片手に独りごちるけどアイデアなんて浮かばない。夏休みも残り三日をきっているのに、この宿題だけが残っていた。やったら『○』をつける宿題達成一覧表に、一ヶ所だけ残った空欄。
(あーあ、こんなときにドラえもんが現れて助けてくれたらいいのに……)
そんなことを思っていたら、ふと閃いた。
もしも私だけの特別な魔法使いがいたら、どんなに素敵だろうと。
そこからは次々にアイデアが沸いた。
主人公は自分と同じ小学六年生の女の子にしよう。魔法使いはちょっとドジな眼鏡っこにしよう。ドジだから魔法の箒から落ちちゃったところから話はスタート。助けたお礼に魔法で困り事を解決して貰ったはずが、ドジな魔法使いのせいでトラブルが次々と起こって──。
夢中で書き進めて、気がついたときには規定の五千文字ぎりぎりになっていた。
夏休みが明けて蓋を開けてみれば、その宿題をきちんと提出できたクラスメイトはクラスの半分くらいしかいなかった。けれど、自分はちゃんと宿題を全部終わらせることができて、ホッとした。
「遠野さん、前に」
「あ、はい」
友達とお喋りしていたら先生に名前を呼ばれたのは、それからだいぶ経った、ある日の朝会のことだ。お喋りしていた友達も私も表情をなくす。怒られるのかとビクビクしていたけれど先生はにこにこと笑っていた。
「夏休みの宿題で出した小説コンテストですが、見事に遠野さんが受賞しました。おめでとう!」
「え?」
ポカンとして先生を見上げてしまったのは、自分がそんなものを書いたことすら忘れていたから。クラスメイトからは「りかちゃんすごーい」とか「まじかよ」とか、色々な声が聞こえてきた。
「頑張ったな。おめでとう」
にこにこした先生から渡された厚紙には『表彰状』と『努力賞 遠野梨花』と書かれていた。
家に帰ってから夕食のときにそのことを話すと、お父さんとお母さんは大喜びした。『努力賞』はそのコンテストの賞の中では一番下の位置付けだった。盾もなければ商品の図書カードもない。ましてや、何かの本に載るわけでもない。もらえるのはたった一枚の賞状だけ。あとは、主催した出版社のホームページにひっそりと名前が載り、作品が閲覧できるようになっていた。
それなのに、お母さんってばお祖父ちゃんとお祖母ちゃんにまで「うちの梨花が……」と電話して。親バカ全開で「全作品の中で絶対に一番面白い」と何回も繰り返し言った。
すごく恥ずかしかったけど、こんなふうに褒められたことはほとんど記憶にないので、同時にとても誇らしくもあった。
万年筆を貰ったのは、その年の年末のことだった。
冬休みに家族でお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家に泊まりに行くと、お祖父ちゃんに「梨花。ちょっとおいで。いいものをあげよう」と言われた。
「いいもの?」
年末のバラエティー番組を視ていた私は首を傾げてお祖父ちゃんの元へと歩み寄る。つけっぱなしのテレビからは、効果音の笑い声が「アハハハハ」と聞こえてきた。画面の中ではお笑い芸人が半裸みたいな格好をして踊っている。
「これだよ。梨花にぴったりだと思って」
「これ何?」
「あけてごらん」
差し出されたのは黒くて長細い、小さな箱だった。それを開けると、中からは黒いペンが出てきた。自分が持っている一番太いシャーペンよりもずっと太くて、端っこには白い星みたいなマークが入っていた。淵は金色で、部屋の蛍光灯の灯りを反射して鈍く光っている。
「モントブランク?」
小学校の授業で習ったローマ字読みで箱の蓋に書かれた文字を読むと、お祖父ちゃんは「モンブランだよ」と笑った。私の中で『モンブラン』は栗味のケーキを指す言葉だったので、よくわからずに首を傾げる。
「梨花、小説で賞を取っただろう? だから、これがぴったりだと思ったんだ。作家と言えば万年筆だ。お祖父ちゃんがまだ働いていた頃、ずっと昔に奮発して買ったやつなんだけど、今も使えるから梨花にあげよう」
お祖父ちゃんは頭に片手を当てて嬉しそうに笑う。
お祖父ちゃんによると、それはとても高価な万年筆らしい。傍らには、インクが入ったボトルもあった。手に握ると子供の私には少し太すぎて持ちにくかったけれど、インクにペン先を浸して紙の上を走らせると驚くほど滑らかに滑った。
「これでたくさん小説書いて、またお祖父ちゃんに見せてくれな」
「うん、わかった」
なんの気なしに書いた作品だったけれど、こんなに喜んでくれるならまた書いてみよう。私は嬉しくなって大きく頷いた。