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勝さんによると、勝さんのお父さんである粕谷さんは中学校を卒業してすぐに地元の弁当屋に就職して修業を積み、その後独立して弁当屋『かすや』を一代で築いたという。
独立当初は日本全体が好景気に沸いており、『かすや』の業績も右肩上がりだったらしい。都内に数店舗を構え、順風満帆の経営者人生。
それが、景気低迷と共に崩れた。
粕谷さんは売り上げが落ち始めても、商品や売り方を変えなかった。無から財を成したという自身の成功体験が、変化する姿勢を阻害したようだ。
更にそれに追い打ちをかけたのが、廉価な弁当を販売する大手チェーン店の進出だった。
「店舗を畳んで、親せきや銀行に金を貸してくれって頼んで回って……。頭を下げる父を見るのは辛かったな。家にあった金目のものは殆ど売り払った。僕は学費を浮かすために国立大学に通いながらバイトして学費を稼いで。あのときはつくも質店さんにもお世話になりました」
「いえ。俺は幼稚園前だったんで、殆ど覚えてないです」
真斗さんは突然話を振られて苦笑いする。勝さんは「それもそうだ」と笑った。
「けど、この時計だけは絶対に手放したくないって言っていたんですよ。父が頑として売ろうとしなかったのは二つだけ。結婚指輪とこれです」
そう言うと、勝さんは腕時計を親指の腹で撫でた。私はその様子を眺めながら、おずおずと口を開く。
「そのチェーン店さえなければ、とかは思わなかったんですか? 憎いとか」
「憎い?」
勝さんは怪訝な表情をして顔を上げた。
私がその立場だったら、あのチェーン店が来たせいで、とか逆恨みしてしまいそうな気がする。それを伝えると、勝さんは手を振った。
「そりゃあ、僕も人間だから。絶対にあのチェーン店では弁当は買ってやらないとかは思いますよ。はっきり言って大嫌いだ。でも、憎いっていうのはないかな。むしろ、なぜうちは駄目なのに、あそこの店は繁盛するのだろうかって思いましたね。うちになくてあそこにあるのはなんなのか。事業規模の違いはあるけれど、それ以前の問題もあるんじゃないかと毎日毎日必死に考えた。味は負けてないって自信があったから」
勝さんの表情は、とても穏やかだ。
私に経営のことはよくわからないけれど、この人はこの謙虚な姿勢があるからこそ『かすや』を潰さずにここまでやってこられた気がする。
「老人ホームに入っている親父が正月は一時帰宅するから、これを見せてやりたくて。売らずに会社を立て直しているよ、ってね」
勝さんは時計を持ち上げてそう言うと、にこりと笑った。
借り入れていたお金の支払いを勝さんが済ませた頃には、フィリップはいつの間にか、勝さんの肩にちょこんと乗ってすまし顔をしていた。
「ジャーナ。マナト、リカ」
いつもならずっとお喋りしているくせに、別れはやけにあっさりだ。私は肩に緑のインコを乗せた勝さんの後ろ姿を、その姿が見えなくなるまでお見送りした。
「お前、なんで泣いてるの……」
お見送り後にうっすらと目に涙を浮かべてた私を見て、真斗さんはギョッとした顔をした。私はハンカチを鞄から取り出して、ぐいっと顔を拭う。
これでフィリップとお別れかと思うと、やっぱりどうしても寂しい。そう訴えると、真斗さんははあっと息を吐いた。
「仕方がねーな。今日は俺が話し相手をしてやろう」
「なんですか。その上から目線」
「多分その涙、無駄になるな」
「ええ?」
何を言っているのか意味がわからない。
それでも一応気を使ってくれていたのか、次につくも質店に行ったときには本郷三丁目の交差点前にある和菓子屋『三原堂』の看板メニューである『大學最中』が置かれていた。どうしたのかと聞くと「遠野さんが好きそうだから」と。
「ありがとうございます」
「別に。研究室に行くついでだから」
真斗さんはちらりとこちらを見たが、すぐに目を逸らす。
はて。東京大学の工学系の校舎は広い本郷キャンパスの北側に集中している。つくも質店から行くには、鉄門から敷地内に入って北上するので、南側に位置する本郷三丁目交差点なんて、途中で通らないはずだけど?
無意識に、笑みが漏れる。
本当に、ぶっきらぼうに見えて優しいなぁ。
真斗さんが淹れてくれた熱々の麦茶と一緒に大學最中を頂くと、さくりとした軽い食感と共に口の中に優しい甘さが広がった。
◇ ◇ ◇
お正月が明けたこの日、私はつくも質店へ向かうため、無縁坂を一人下っていた。なぜ下っているかと言うと、今日は新年最初のつくも質店のバイトの日なので、お土産を買うために寄り道して本郷三丁目駅から来たからだ。
買ってきたのは護国寺駅近くにある『群林堂』の豆大福!
護国寺駅とは東京都文京区音羽にあり、つくも質店がある位置から見ると北西に位置している。地下鉄丸ノ内線で本郷三丁目駅から二駅の茗荷谷駅からも歩けるので、わざわざ買いに行ってしまった。
ここの豆大福はとろーりあんこが本当に絶品で、真斗さんは絶対に好きだと確信している。




